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店を出て、少し寒くなった夜空の下を二人で歩く。

結局、支払いは、ランドルフがいつの間にか済ましていて、金額は分からず仕舞いだった。何かでお礼をしよう。

少し会話が途切れた時だった。
「帰れない理由があるのか?」
帰省の話は、つい最近ジェシカともしたので、言葉に詰まる事もなくスムーズに返事が出来たはずだった。
ランドルフの勘の鋭さを甘く見ていた。
「……隠しているわけではないんです。でも、楽しい話では無いので」
「隠してないなら、言えない話じゃ無いってことだな」
――どうやら、許してくれないらしい。


 学校を卒業する半年前、私宛に一通の手紙が届いた。
両親は仕立て屋を営んでいたが、その店舗として借りている建物の持ち主から、卒業後すぐに後妻として嫁いでくるよう書かれていた。
はっきりとは書かれていなかったが、逆らえば、両親が困る事になると読み取れる内容だった。
私と同い年の娘がいる、父親と同世代の男性で、娘とはお互いの家を行き来して遊んだこともあった。
遊びに行った時に父親を見かければ挨拶をしたし、街中ですれ違う時は会釈をした。一度だけ娘も一緒に三人でお茶を頂いたことはあったが、それだけだった。

 青天の霹靂でどうすれば家族に迷惑を掛けずにお断りできるのか、十八歳の私には見当もつかず、両親に相談するしかなかった。
両親は「店の事は気にするな。みんなで引っ越せばいい」と言ってくれた。

ほどなく娘に知られ「自分の父親が馬鹿なことをした。申し訳なかった」と謝ってくれた。
後継ぎとして事業を手伝い始めていた娘に、耳打ちしてくれた人がいたそうだ。
責任をもって父親のことを見張ると言ってくれたが、今までの友人関係とは変わってしまった。
確実にしこりは残った。

 実家のある田舎は、噂は娯楽というような地域で、好き勝手に尾ひれがついた。
私が誘惑したとか、両親が私を売ろうとしたとか、ひどいものもあった。

腕の良い両親だったから、仕事への影響は一時的ですんだ。
むしろ、タチの悪い噂を流した人の依頼を断って、清々したと言っていたが、家族に大きな心労を掛けたのは事実だった。

 家族が落ち着きを取り戻した時に、家を出る決断をした。
両親は最後まで家族で引っ越そうと言ってくれたが、仕事は元通りになり、弟の親友も変わらずに接してくれている。
でも、私がここにいては、噂が下火になっても、完全に消えることは無いだろう。
卒業後に仕事を求めて町を出る人も多いからと説得して、鞄二つを下げて長距離馬車に乗った。


「――と言う事です。所長には面接の時に話しましたが、楽しい話ではないでしょ?」
そっといたわるように、ランドルフに抱きしめられた。
「お前は何にも悪くない」
こちらに引っ越してからは、過去の事だと忘れたふりをして過ごしていたが、第三者から肯定してもらえると、古傷が癒されていく。

 心の温かいランドルフは、体も温かかった。
武器を胸と腰に着けたままなのだろう。硬いものが当たっているが、ランドルフの体温で温まっているから、どちらも不快では無い。
「……ありがとうございます。斡旋所の前で男性に待ち伏せされた時、やっぱり自分でも知らない間に誘うような態度をとっているんじゃないかと少し悩みました」
「アホだな。お前」
やっぱりランドルフはランドルフだ。でも「アホ」の響きがいつもより優しい。


気持ちが落ち着いてきて、そろそろ抱きしめられているのが恥ずかしく思えてきたころ、
「――あんのぉ、部屋に入りたいっす。ほんっと申し訳ないんすけど、もうクタクタで」
後方から、よく知った調査員の声が聞こえて来て驚いた。
小さい声で話していたから、内容は聞こえていないだろうが、抱きしめられていたのだから、勘違いをしているかもしれない。
「お、おかえりなさい、コリン。ごめんね、気が付かなくて。その、これは、なんでもなくって、あの」
「お前、気が利かないやつだな」
「なっ!ランドルフ!」
「あー、アリーさん。わかってますんで大丈夫っす。今夜はちょっとやそっとの物音じゃ起きないんで、この後はどーぞご自由にっす」
なんか、勘違いされてないかーーーー!?
バタンと閉まった、コリンの部屋のドアを、口をあんぐり開けて見つめてしまう。
「ぷっ、間抜け面だな」
我に返ったが、返ったけど、返ったけれども!ど、どうしよう。なにも言葉が出てこないまま「寝ろ」と言われ、私のバッグから出した鍵を使い、部屋に放り込まれてしまった。
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