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 目覚めた瞬間は幸せだった。
そう、この腕の中は私の居場所じゃないと思い出すまでは。

昨夜さいなまれた黒い嫉妬がまた噴出する。
優越感を隠すことなく見下した口調でしゃべる女性達が、私をあざ笑う。
「そこは私達の場所よ。身の程知らずね」
そんなの分かってるっ!

ランドルフの腕の中に、彼女達のぬくもりが残っているような気がして吐き気がこみ上げて
くる。
辛い。もう無理。逃げ出したい。
この依頼が終わったら、斡旋所を辞めて引っ越そうか。情けない自分は嫌いだけれど、壊れてしまう前に逃げ出そう。


 講師達の眉が下がっている。
申し訳ないとは思うが微笑めない。
ランドルフと視線を合わせないまま、昼下がりになってしまった。
彼がマーガレットの書斎へ向かったので、少し肩の力が抜け、サンドイッチを一切れ詰め込んだ。
「せっかく教えて下さったのに、ごめんなさい……」
親身になって指導してくれた講師達に申し訳なくって、自分が情けなくって、涙がこみ上げてくる。
「こんな日もありますよ。ダンスは太鼓判を押すので、私達からは卒業しましょう。最後のレッスンは二人で話し合う事じゃないかしら?」
「僕もそう思うよ。時間がないのによく頑張ったね。あなたは素晴らしい生徒でしたよ」
「ランドルフ卿のアリー様を労わる様子と、アリー様がランドルフ卿を信頼する様子は見ていて微笑ましい姿でしたわ。お二人なら大丈夫ですよ」
優しい講師達とピアニストの言葉に、何とかお礼を言って、明日の本番には気持ちを切り替え、教えて頂いた事を無駄にしないと約束した。

 少しでも気持ちを立て直してから部屋へ戻ろうと、掃き出し窓から中庭に出て近くのベンチに座る。
手入れされた花を眺め、太陽の光を浴びていると落ち着いてきた。
依頼を受けた大人として恥ずかしい態度だ。プライベートと切り離して遂行しなきゃ。
パートナーとして、ランドルフにも申し訳――
「アリー」
たった一言呼ばれただけで、立て直し中の心が崩れる。
「アリー」
前より少し近くなった声にも振り返れない。
顔もぐちゃぐちゃだし、心もぐちゃぐちゃだ。
綺麗に咲いた黄色い花が涙でぼやける。
「アリー」
三度目に呼ばれた名前は、好きでたまらないランドルフがすぐ後ろにいると教えてくれた。

 後ろに立ったまま
「聞いてほしいんだ」
話し始めた内容は涙が吹き飛ぶほど驚くものだった。

全てがマーガレットの計画だったのだ。
だから、ランドルフは犯人を捜す素振りがなかったのか。脅迫状も嘘で、犯人なんていない。
「マーガレットの嘘に気が付いた時、アリーには言えなかった。マーガレットがこんなふざけた事を始めた理由が……その、お節介で、俺の、その」
ランドルフの弱弱しい声に思わず振り向いてしまった。
「……また泣かせてしまったんだな。アリー、あのなっ……くそっ!怖ぇ!」
驚いた。ランドルフに恐怖心は似合わない。
危険な依頼だって飄々とこなすのに。
「アリー、アリー、お前の事が、アリーの事がどうしようもなく好きなんだっ!」

……はい?
「俺はお前を愛している。寝ているアリーを見ながら何度も、違う、これじゃなくて、狂っちまうほど愛してるんだ!」
これも手の込んだ嘘の続きだろうか?
怪しんだ表情を読み取ったのだろうランドルフが目に見えて焦りだした。
「本当だ。嘘じゃなくて二年前から、初めて見た時から、好きになってだな、それで、引っ越して、壁に向かってとか、シャワーの音とかだな、変態だろうが止まらないし、所長はニヤつくし」
支離滅裂なランドルフの言葉を、両手を出して止める。
「信じられません」
「うぐっ」
――大男がその場に崩れ落ちた

「あぁ……好きじゃないと振られるのは想定してたんだ。でも、信じられないは想定外だ」
膝をついて、地面におでこを擦りつけている。
「ランドルフ的には好きなつもりなのかもしれませんが……」
今回一緒に過ごして好きになったと言うなら喜んで受け入れるが、二年前から好きだったのなら話が変わる。
この二年間、私を好ましいと思いながら、私も顔を合わせる身近な女性達を何人も抱いてきたのか。
彼女達にも不誠実だ。

疑問を浮かべた顔に言葉を投げつける。
「ふんっ!腹が立ちます」
「なんでだ。愛してると言ったら、まさか腹を立てられるとは……」
「茶髪、金髪、黒髪の言葉に我慢できたのは、私の片思いだったからです。でも二年前から好意を持ってくれてたと言うなら話は違ってきます!節操がなさ過ぎるんですよ!」
付き合いだしても、また彼女達の相手をするんじゃないかと疑いながら過ごすのは嫌だ。
「茶髪って誰だよ。コリンじゃないだろうな?あいつは犬だ!馬鹿犬だ!」
「コリンは馬鹿ですが、今は関係ないですっ。あなたとあつーーい夜を共にした女性達の名前は口に出したくありません!どれだけ嫉妬したか、ランドルフには理解できないでしょうね!」
ランドルフの赤く擦れたおでこを睨む。

今度はランドルフの方が片手を出して、私の話を止める。
「待て。話が噛み合ってない。俺はお前を愛している。心の底から愛している。今すぐ結婚したい」
「私だってランドルフが好きです。でも倫理観の違いは破綻を招きます。私が希望するお付き合いは誠実なもので、ぎゃっ!ちょっとやめて!」
抱きしめられて必死でもがく。
「……俺の事が好きなのか?ん?好きと言ったよな。嘘なのか?嘘を付かれたお返しの嘘か?」
「好きですってば!本気なんです。本気だからこそ、この二年間、平気で彼女達を抱いてきたことが……」
「そこだっ!そこがよくわからん。俺はアリーと出会ってから誰ともしてねぇ。そりゃ過去には、任務終わりで気分が高揚しているときに……ってのはあったが、二年間は右手がパートナーでおかずはアリーだ」
「斡旋所に来る、茶髪と金髪と黒髪のお姉さま方に、ランドルフとの夜を詳細に語られました。この前もいかにランドルフのあれが、その、大きいかを語られました!終わってから優しく抱きしめて、朝まで放してくれないとか、朝からもとか!」
最後は決まって「あなたは経験出来ないでしょうけどね」で終わる。
勝ち誇ったあの顔に、何度も保険書類を叩きつけてやりたかった。
「いや、待ってくれ。俺は金を受け取るそういう仕事の女しか抱いたことはない。それも、二度と顔を合わせることのない女だけだ。地元の女なんてありえない」
「……嘘」
「嘘じゃない。アリーと出会うまでは女に魅力を感じなかった。同じベッドで眠ったのはアリーが初めてだ。朝まで一緒に過ごした相手もアリーだけだ。これからもアリーだけがいい。もう、アリーにしか勃たない。アリー以外は触りたくないし、アリーなら触らなくても勃つ。隣りの部屋でアリーの眠る姿を想像しながら、部屋の薄い壁に向かって何度も吐き出した。染み込んでアリーの部屋に届けばいいのにと思っていたさ。いつか、アリーがこのシミなんだろうと触れてくれるんじゃないかと夢見てたんだよ。俺の部屋の壁はアリーに対する執着のシミだらけだっ!」

「……気持ち悪いこと」
ドン引きした気持ちが、思わず出てしまったのかと、手で口を塞いだが
「これが弟かと思うと泣きたくなるわ」
全く泣きそうにない、軽蔑の表情を浮かべ去って行ったマーガレットに唖然とする。
「くっそ!いつの間にっ!あいつ何しに来やがったんだぁーっ!」
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