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アリーを扉まで見送り、飲み物を取りに向かう。
林檎の香りがほのかにするシャンパンがあった。これが良いだろうと、二つ受け取り扉の前に陣取る。
「ご主人様の帰りを待つ犬ね」
背後から胸くそ悪い声が聞こえ、悪態をつきそうになったが無理やり抑え込む。
こいつは今日の主役だ。せめて今日だけは穏やかにいこうじゃないか。
「自由も与えないと息苦しさで逃げ出してしまうわよ」
こいつは主役。本日の主役。めでたい張本人。
「振り向きさえしないのね。なんて冷たい弟かしら」
主役、張本人、穏やかにと繰り返しながらゆっくりと振り返る。
「めでたい日なんだから、他の奴と話して来いよ」
俺以外なら誰だっていいさ。
「そのめでたい日に弟からはお祝いの言葉さえもらえないのかしら?悲しいこと」
近くにいたメイシーおばさんまで寄って来た。
「まぁ、照れくさいのね。ランドルフは小さい頃からマーガレットにお祝いを言うのが苦手だったわねぇ。誕生日もそうだけど、結婚式の時を覚えてる?あの時だって――」
面倒くさいことになったぞ。

 メイシーおばさんは、父の姉だが伯爵家の血筋を代表するような一風変わった人だ。
筆頭公爵家に嫁いだ公爵夫人なのに、メイシーおばさんと呼ばないと無視される。
公爵夫人なんて、主人の付属物みたいで嫌だ。せめて親類にはメイシーおばさんと呼んでもらいたいと駄々をこねる。
だが、メイシーおばさんの審美眼は確かだ。
アリーの母の刺繍を愛用しているという事は、貴族社会でかなり有名な職人なのは間違いない。
メイシーおばさんの孫にアリーが惚れでもすれば、俺としては難しい立場になる。
孫のあいつは王子のようにきれいな顔をしているし、頭の出来もいい。
二人が惹かれ合い、公爵夫人のメイシーおばさんが味方に付いてしまうと、俺が連れ去る間もなく囲い込まれてしまうだろう。
何としても敵に回したくない。

「可愛いアリーには、あんなにとろけた顔をするのに、マーガレットにはお祝いの一つも言えないのねぇ」
昔から、俺とマーガレットの言い合う姿を楽しそうに見る人だった。
「メイシーおば様、この子はいつまで経っても子供のようにふるまうのです」
「仕方のない子ねぇ。大人になったのですから、おめでとうって言えるでしょう?」
今も楽しそうに俺を見ている。言わなきゃ終わらない。
このままでは、アリーを自宅に招待したいと言い出して脅すのだろう。
「アリーはいつお休みなのかしら?ぜひ我が家の孫にも会って――」
「くそっ!おめでとう!!これでいいだろっ!」
メイシーおばさんは容赦なく笑い出し、マーガレットはニヤリと笑う。
「弟から心のこもったお祝いをもらえて嬉しいこと」
「ふぅー、笑ったら喉が渇いたわ。そのシャンパンをこの年寄りにちょうだいな。そう言えば、小さい頃のランドルフったら――」
シャンパンまで二人に奪われて、俺が子供の頃にやらかした失敗話で盛り上がっている。
もういい加減にしてほしい。そろそろ逃げ出さないと、相手が主役でも怒鳴ってしまいそうだ。
周りを見渡して義兄を捜す。この魔女達を引き取って欲しい。
時計が目に入る。遅すぎる。
首の産毛が総毛立った。
脳が指令を出す前に、反射で化粧室に向って走った。


「ねぇ、マーガレット。血は争えないものよねぇ」
「それはどちらを指しているのかしら?」
「両方に決まっているでしょう。母子で誘拐癖。叔父と甥の女性の好み。マクブラウンの血筋は見ていて飽きないわ」
「……メイシーおば様こそ、いかにも奇人変人のマクブラウンじゃございませんか」
「だから、伯爵家出身の私が公爵家嫡男に見初められたのよ。私と結婚すれば退屈だなんて言わせませんからね」
「公爵様が心臓の強い方でよかったこと」
「それは、フェルナンもでしょう?」
「……まぁ私達も伯母と姪ですので、似ているのかもしれませんわ」


 化粧室はもぬけの殻だ。
首の後ろを引っ掻く。どこに行った!この屋敷は闇雲に探すには広すぎる。
考えろ!頭を使え!

最初に首筋に違和感を感じたのは晩餐会場に入ってからだ。
なら、あそこにいた人物がアリーを連れ去ったのだろう。
それに舞踏会へ移動している時も違和感が――レースだ!
老眼のメイシーおばさんが白いシルクに重ねられた白いレースのデザインにあの距離で気が付くか?
おばさんがクロなら、マーガレットとグルで時間稼ぎをしたんだ。
舌打ちが出る。
まだマーガレットの劇が続いていたんだ!
俺とアリーをくっつけて終わりじゃなかったんだ!!

この劇の残りの登場人物は誰だ?
月明りに照らされた通路の奥に白い物が落ちている。拾い上げるとピンクのチューリップが刺繍されたハンカチだった。
奥に向かって走り出してからハッとする。
こっちは侯爵家のプライベートエリアに向かう廊下だ。
アルバンだ!!アルバンの事ならメイシーおばさんも手を貸す。
この劇は最初っから、俺の為でもあり、アルバンの為でもあったのか!
何故アルバンが登場人物なのかわからないが、奴ならアリーを連れて行く場所の予想がつく。

階段を二段飛ばしに駆け上がる。
アリーに警戒される自室には連れ込まないだろう。そこそこ広さがあり、空いている客室はどこだ。
俺たちが使っている部屋と反対方向に走る。
騎士が二人立っているのが見えた。足音のしない俺にはまだ気づいていない。
こっちを見た男の方がとっさに剣に手を伸ばすが、俺の顔を確認して手を止めた。
声を掛けて来たが無視して、アリーと叫んだ。

「ランドルフおじさん、早すぎだよ」
「どういうことだ!説明をしろ!!マーガレットになんとそそのかされた!?」
アルバンが場に似つかわしくないキョトンとした表情をする。
「母さん?母さんには謝って来いって言われただけだよ。母さんにバレてたんだよ。ほんと恥ずかしいよね」
良い所の坊ちゃんらしい性格をしたアルバンだが、鋭い目つきのせいでよく誤解を受ける。
顔を朱に染め恥じらう姿も、可哀そうだが外見に似合わない。
「恥ずかしいけど説明するよ。お願いだから話を聞いてもからかわないでよね」
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