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43 最終話

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 最後まで弟を獣扱いしていたマーガレットが、苦笑いのフェルナンに連れられ出て行き、弟に銃を向けられたスタンも、笑いながら両手を挙げ出て行った。
ご両親がいなかっただけでもまだマシか。
「兄姉が悪かった。昔っからデリカシーが無いんだ」
「あなたはあるの?シーツは置いて行ってくれる?」
黙ってしまった様子から、シーツを返すつもりはないようだ。
後先考えないのはアルバンと一緒だ。
なんとかご機嫌を取ろうとあれこれ世話を焼くランドルフに冷たい対応のまま昼食を終え、荷物をまとめる為、部屋へと戻った。

 衣装室のドレスを見てどうしたものかと悩む。
マーガレットには持って帰るように言われたが、着て行く場所もないのに、あの狭い部屋に持ち帰るわけには行かない。
ご機嫌取りモードのランドルフが入ってきて、勝手に仕分けしていく。
「不本意だがまた招待されるだろう。この部屋は俺たち専用だ。他の奴らは泊まらない。普段着れるデザインの服と、下着やらネグリジェだけは持って帰れ。部屋に入らなければ、俺の隣の部屋に入れとけ」
どうせ次来たらまた補充されていると告げられ、お金持ちの金銭感覚にめまいがした。


 メイドを呼び、ベッドに置かれた衣類を指し
「送っといて」
慣れた様子で命じる姿に、この人が伯爵家の出身だと実感させられた。

お茶を飲みながら今後の事を話し合いたいと、ソファーに並んで座らされる。
腰を抱かれ顔を覗き込まれながら、次元の違う話が始まった。
「実家は伯爵家だけど、男爵位が余ってるんだ。伯爵位はスタンに押し付けることで話はついているが、ニコラスも俺も爵位なんて面倒なものは欲しがっていないから、男爵位は宙ぶらりんのままだ。アリーが男爵夫人になりたいなら、俺が受けるがどうする?」
「嫌です」
即答してしまった。
爵位を巡って兄弟で争う話は聞いた事があるが、四人も子供がいて余るなんて聞いた事がない。
「よし、スタンの子供達に押し付けよう」
どうやら次世代に丸投げするらしい。
「こんな仕事だから危険はあるが、健康で一生遊んで暮らせるだけの貯蓄もある」
あれほどの給料をもらっているのに、普段の生活はいたって質素な暮らしをしている。
「今の仕事は天職だと思っていたが、長期任務に出ると何日もアリーと会えなくなるだろ?その、な、それがな、どうしようもなく……寂しいんだよ」
顔をそらせながら恥ずかしそうに言うのはずるい。
「……うん、私も寂しい」
ついこの間まで憎まれ口をたたき合っていた仲だから、素直な気持ちを伝えるのは、勢いがないと照れてしまう。
「うん、ありがとう。なんかこの部屋暑いな。あー、それで二年前のマリアンの乱の時に所長から持ち掛けられた話があってだな」

 ランドルフの説明によると――
私が働きだす少し前、マリアンがストライキを起こし事務所に来なくなった時に、所長もランドルフに後を譲り引退したいと話したそうだ。
マリアンの居ない職場に出勤したくないと駄々をこねたらしい。
熊のような調査員のパオロに、毎朝、担がれて出勤していたそうだ。
その後、マリアンがたまに顔を見せると約束したことで、何とか今までやってきたが、さっさとランドルフに譲りたいと言うのは、変わっていないらしい。
「やっぱり、私がマリアンを追い出す形になってしまったんじゃ……」
「それは違う。マリアンは孫が産まれてから、ずっと辞めたがっていたんだ。それを所長が縋り付いて引き留めていたんだよ。俺らの中では、マリアンがブチ切れて所長に離縁を叩きつけると思っていたんだよ。本当にピリピリしてたのさ。だからアリーとジェシカには、どれだけ感謝したか」
そこまでの状況だったとは知らなかった。
「いったん状況が落ち着いたから、所長の提案は保留のままになった。いきなり上が変わると混乱するからな。だが、どうしてもアリーから離れがたくなった。それでコリンを雇ったんだ。パオロが俺の後を継ぎ、コリンはパオロの後を継がせるために雇った。コリンが馬鹿なせいで二年も掛かったが、やっと一人で任せられるようになってきたから、所長職に就こうかと思っている。アリーは反対か?」
私の目を見ながら、不安げに問うてきた。
「調査員が好きなんでしょ?後悔しない?」
「所長が抜ければ人が減る分、調査員と所長職を兼任しないと回らない日もあるだろう。だが、新たに雇い入れたい人物の目星は付けているし、今より格段に一緒に居られる。それが俺の希望だ」
言い切ったランドルフの瞳は澄んでいて、迷いは感じられなかった。
「この案は嫌か?なんなら二人でやめて、引っ越しても良いし。一生旅行しながら暮らすのもいいな。アリーと二十四時間一緒に居られるし、そっちの方がよさそうだな」
うきうきと告げるランドルフには申し訳ないが、ランドルフが辞めれば所長は逃げるだろう。
パオロも書類仕事が嫌いだから所長になれと言われれば辞めるだろう。
もう一人の調査員の四十代のメリッサも体を動かさないと生きている気がしないと言っていた。
ジェシカは重すぎる責任は好まない。コリンは……絶対無理だ。
ランドルフが辞めてしまうと、間違いなく斡旋所は空中分解する。
肩を軽く二回たたき
「ランドルフのこの肩に斡旋所の未来はかかっていると思うよ」
しんみり伝える。
「まぁ、アリーさえ嫌じゃないなら別にいいんだ。じゃあ裏の林も買い取るか」

 斡旋所がある街は王都の隣だ。王都と南の街に次いで栄えている。
国内外の質の良い品物が集まる王都と、貿易港のある南を往復する商人達の護衛依頼で、斡旋所も潤っている。
昔の名残で王都は壁に囲まれていて、壁を隔てるだけで地価が跳ね上がる。
斡旋所は壁の外にあるが、壁の直ぐ外にあるうえ、メイン道路沿いに建っているので、街の中では一等地だ。
斡旋所の裏に林があるが、そんな風に壁の近くで遊ばせている土地はそこしかない。
壁の近くは、商店がほとんどで、二階以上を居宅にしたり、集合住宅として貸し出している。
庭付き一戸建を建てたいなら、壁からかなり離れないと難しい。

「あの林も所長名義なんだ。斡旋所を譲り受けた時、林もセットで売りつけられたらしい。でも、所長は新婚の時に王都の壁の中に部屋を買ってたんだ。騎士は壁の中に住む必要があるからな。歳を取ったら家でも建てるかと、そのまま放置してあったんだが、マリアンは知り合いの多い壁の中から引っ越したくないと言っている。マリアンが反対するなら、所長は絶対に動かないだろ?所長にとってあの林は税金だけ払い続けてきた金食い虫なんだよ」
だから、あそこに家を建てようとあっさり言う。
従業員寮も建てたら、アリーの安全度も上がるし、コリンもさらに職場と近くなって喜ぶだろうとたたみ掛けられる。
馬の放牧地として整地して、残りはそのままにしておけば、子供の遊び場に最適じゃないかと話が進む。

「ちょっと待って!話が早すぎてついて行けない」
「ん?金なら大丈夫だ。独り立ちする時に生前贈与としてまとまった金を渡されているし、その金額を超えるだけの金は自分で稼いで貯金してある」
もしかして、とんでもない人を捕まえてしまったんじゃないだろうか。
「次元が違い過ぎてちょっとついて行けない……」
「反対じゃない?」
「暮らしやすそうだけど……」
想像していた暮らしより、格段にレベルの高い生活になりそうだ。
「じゃあいいね。それで話を進めよう。所長が喜ぶだろうな」

 微笑んでから私の前に片膝をつく。
「マーガレットの家で言うのは嫌だったんだが、今回の事はマーガレットの企みから始まったから、ここでアリーに乞うのが正しい気もするんだ」
ジャケットのポケットから、取り出した水色の箱を開く。
ネックレスと同じランドルフ色の宝石が埋め込まれ、蔦がデザインされた指輪が日の光を浴びてキラキラ光る。
「アリー、愛している。結婚してくれるか?」
シンプルなプロポーズがランドルフらしくて、涙が止まらない。
「はぃ」
なんとか、涙の合間に小さく絞り出した返事を拾ってくれたようで、そっと抱きしめられる。
「ありがとう。今までの人生で一番うれしい。大切にする」
キスで涙を受けるランドルフも泣いていた。
そっと、ランドルフの涙にキスのお返しをして、二人で微笑み合う。
「私こそありがとう。ランドルフも指輪も大切にする」
深いキスに移り、口から洩れる水音と、擦り付けられる硬いものに、体温が上がって来た時――

音もなくドアが開き
「依頼は終了したわ。続きは家でしなさい」
マーガレットの声がして、侯爵邸から放り出された。

――ブレットの背に二人で揺られながら、あっという間の六日間を振り返る。
最初っから最後までマーガレットだった。
「魔女の手のひらの上で踊らされたな」
ぴったりの表現にクスッと笑いが漏れる。
「今回は、ほんの少しだけ魔女に感謝してやろう」
ランドルフの方を向いて、夕焼けの中で微笑み合った――
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