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三章
32.皇子
しおりを挟むノルウィークの援軍が王都に到着したのは十時前のことだった。
早くても夕方以降だと思っていたのに。
想定外はそれだけではなかった。援軍の中に皇子がいるのだという。
王宮内は騒然としていた。
援軍にノルウィークの貴族がいることは想定していたが、皇子が来るなんて想定外にも程がある。
ノルウィークの皇族を迎えるのだから私では相手にならない。
急遽国王陛下が援軍を迎えることとなった。
王宮に到着した援軍は謁見室に通された。
先頭に立っているのが皇子なのだろう。
金の髪に神の祝福を授かった証である金の瞳、整った顔立ちの彼には大国の皇子らしい風格が備わっている。
他のものと違い金の装飾が多くついた騎士服に腰には豪奢な剣をさげていた。彼が高貴な身分なのだとひと目でわかる。
しかし見た事のない顔だ。
ノルウィークの皇子は九人、皇女は三人。彼らはみな神の祝福を授かった優秀な人物なのだという。
二年前ノルウィークを訪れた時に彼を見かけた記憶はない。といっても皇族を見たのは一瞬だったから忘れてしまっているだけかも。
それにしても何故皇子が来たのだろう。
手紙の内容から皇子を遣わすほどの緊急事態だと判断されたのだろうか。
「ナフィタリアの要請により馳せ参じました。私はノルウィーク第七皇子、アルフレッド・オーガスタス・J・グレイと申します」
王の前に立つ皇子はよく通る声で名を名乗った。
ノルウィークの第七皇子。ここ最近いくつもの武勲をあげ、皇太子候補として名が上がるようになった人物だ。
これまで最有力だと言われていた第四皇子か彼のどちらかが未来の皇帝になるだろう、と言われている。
ますます不可解だ。どうしてそんな人がナフィタリアの援軍としてやってきたのだろう。
国王陛下も怪訝に思ったのか逡巡するように目を細めた。
国王と皇子。
本来ならば国王の方が立場が上だ。
しかし国王陛下は頭を下げた。
ナフィタリアがノルウィークの属国なのだという事実を嫌でも突きつけられる。
「ナフィタリアへようこそおいでくださった。まさかノルウィークの皇子が来て下さるとは……。長旅で疲れたでしょう。部屋を用意させております。まずは疲れを癒して……」
「申し訳ありませんが今は時間が惜しいのです。先に件の魔物について確認させていただきたい。今は第一王女がナフィタリアの軍事を管理していると聞きました」
皇子の視線は国王陛下から私に移った。
「これまでの経緯の説明をお願いします。そして件のオーガを見せてください」
その言葉にNOを返せる人などこの国にはいない。
私がノルウィークの皇子をもてなすことになってしまった。
第七皇子は座って説明を受けることを嫌がった。
そして援軍の兵士たちには休むよう言いつけて護衛をつけることなく一人で魔術師の塔の地下にいるオーガを見に行くことを決めてしまった。
そしてこちらが護衛をつけることも拒絶した。
彼曰く、王宮内に危険などないでしょう、とのこと。そして自分に気を遣わないでほしいなどと言う。
ナフィタリアの王女である私がノルウィークの皇子相手に気軽に接することなんてできるはずもないのに。
しかし彼に悪気はないようで、先程からずっと笑顔で私に話しかけてくれている。
話題は全て異変に関することなので楽しいものでは決してない。なのにどうしてそんなに嬉しそうなのか。
「もしそのオーガが暴れたとしても私がシャルロット様をお守りいたします」
「ありがとうございます。しかしオーガは頑丈な地下牢に居ますのでそのような危険はありません」
そもそも地下牢には騎士も魔術師もオーガの監視のために待機しているのだ。もしもは起こらない。
むしろ今が一番怖い。
王宮内は確かに王都の中で最も安全な場所だろう。
けれどもしここで皇子に何かあったら、傷一つでも負わせてしまったら、それは全てナフィタリアの責任となる。
何かあっても後ろにいるイヴォンがどうにかしてくれるとは思うけれど、でも皇子のこの気安さは何か裏があるようで不安だ。
しかも皇子はイヴォンが近くに居ることすら嫌がった。
何かを企んでいるのだろうか。
「言葉を話すオーガとの事ですが、そのオーガから何か聞き出すことはできたのでしょうか?」
「いえ……。言葉を話すと言っても簡単な単語を使った会話しかできませんでした。周辺の地形を覚えさせてどこから来たのか聞き出そうとしましたが、そもそも地図を理解することもできないようです」
「そうですか……。そうなるとそのオーガを国境沿いに連れていき直接案内させるしかないですね」
「その指示が通ればいいのですが……」
人間から逃げるためにあてもなく走り回る可能性がないとも言えない。
「そうですね。そのときはまた別の方法を考える必要があるでしょう」
話しているうちに塔へとたどり着いた。
地下牢へは裏側の入口を使う必要がある。ぐるりと建物を周り正面玄関より小さい扉をあけ、地下へと続く階段を降りていく。
「急な階段ですね。危険ですのでお手をどうぞ」
差し出された手に驚く。ここは私の国で今私が皇子を案内している最中なのに。
しかも私は剣の祝福を授かった人間だ。普通の女の子よりずっと身体は丈夫でバランス感覚も優れている。こんな階段で足を踏み外すことはない。
けれど私が彼を拒絶することは許されない。
ゆっくりと手を取り礼を言う。
「アルフレッド様はお優しいのですね」
「女性を気遣うのは男として当たり前のことです」
これが単なる異性を気遣う行動なのか何か別の意図があるのか私にはわからない。
けれど彼と親しくすることは重要だ。
わざわざ皇子が来たのだ。ノルウィーク側も今回の異変の裏に上級魔物がいると考えたのかもしれない。
そしてそれは私の要請の内容が妥当だと認められたことになる。
それに皇子と親しくなれれば私の立場もそう悪くはならないはずだ。
今後の外交にもこの繋がりが役に立つ日がくるかもしれない。
「オーガはこの先に居ます」
重々しい鉄の扉をゆっくりと開く。
地下牢の中の光景は前回と何一つ変わらない。変質したオーガが私を喰らおうと声をあげ鉄格子に拳を叩きつける。
一度見ているから落ち着いていられるけれど、あまり気分のいいものではない。
皇子はオーガをみて少し驚いていたようだった。
「本当に……言葉を話すのですね……」
「ええ。捕獲時にこのオーガが身につけていたものがこちらにございます」
目配せすると控えていた騎士がボロボロになったノルウィークの装備を皇子に見せた。
「捕獲時オーガは何頭いたのですか?」
「八頭だと報告を受けています」
「そうですか。…………ありがとうございます。では戻って今後のことを話しましょう」
私達は地下牢を後にした。
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