19 / 40
14. 目覚めとこれから
しおりを挟む唇に何か濡れたものが触れる感覚があって、ふっと覚醒する。
そろりと瞼を持ち上げると、こちらを覗き込む見知らぬ少女と目が合った。
「まあ、お気づきになられました? お休みのところ申し訳ございません、唇が乾燥されておいででしたから、蒸した布で湿らせておりましたの」
くるんと跳ねた栗毛と緑青の瞳、頰に小さく散らばったそばかすが可愛らしい印象の、おそらく自分より幾分歳下の少女は、にこりと優しく微笑んだ。
「……、…………っ」
「あら、急に話されてはいけませんわ。長いこと眠られておいででしたもの、喉が渇いていらっしゃるでしょう」
少し身体を起こしましょうか、と少女に支えられて重い身体をゆっくり動かす。手際よく背中に枕を差し込まれ、力を抜いて寛げる体勢になる。すかさず少女が水差しを口元に持ってきた。
少しずつどうぞ、という声に促されて、一口、二口と、果実の香りがする澄んだ水を嚥下する。身体の隅々まで染み渡るような心地だった。
一息ついて、目の前の親切な少女に向き直る。
「……ありがとうございます。貴女は、」
「あ、申し遅れました。わたくし、魔王陛下にお仕えしております、侍女のリズと申します。アイリス様の身の回りのお世話を仰せつかりましたの」
「魔王、陛下の……」
まだぼんやりしている私を案じるように、リズが眉を下げる。
「起きられたばかりで恐縮なのですが、陛下からアイリス様が目を覚まされたら報せるように申し付けられておりまして……魔王陛下を、お呼びしてもよろしいでしょうか?」
「ええ……お願いします。……お話を、伺わなければ」
ほとんど覚えていないが、夢と現実が綯い交ぜになった世界の中、エドウィンの紅い瞳は鮮烈に焼き付いている。此処はヴォーデルムだと言われたことも、帰らなくていいと言われたことも。
リズはにこりとまた微笑んで、頭を下げて部屋を後にする。
「…………」
そこでようやく、私は自分の状態を冷静に見ることが出来た。
身体は清められ、ゆったりとした、しかし上質なものだと分かる白い寝間着を着せられている。清潔な毛布に力なく置かれた自分の右手には、手首から指先にかけて隙間なく包帯が巻かれていた。
こんな穢れない、真っ白な世界に久しく触れていなかった私の目は、堪え切れないように閉じられた。
──都合の良い夢かもしれない。
そんな言葉が浮かんだと同時に、扉の外が俄かに騒がしくなった。
「───アイリス!」
真っ先に駆け込んで来たのは、もう随分見慣れた漆黒の髪と真紅の瞳。そういえば、明るい場所でちゃんと彼の姿を見たのはこれが初めてだと思い至る。
目が合った途端、彼はふっと目元を緩めた。
「……よかった、目が覚めて。痛むところはないか?」
「エドウィン……」
いつもの癖で名前を呼んだところで、彼の背後に臣下と思しき人が控えているのに気づいた私は慌てて目礼した。
「……このような姿で申し訳ございません、ヴォーデルム国王陛下。貴殿のお心遣いに感謝を」
「止してくれ、アイリス。貴女が俺の友人であることはこの城の者は皆承知している。いつも通りの貴女でいい」
困ったように制されては従うしかない。エドウィンは柔らかく笑みを浮かべたまま、寝台の縁に腰を下ろし、私の右手をとる。
「傷は……まだ癒えないだろうな。痕が残らなければいいが……」
「…………、あの……」
困惑する私に、彼ははっと目を見開いた。
「すまない、アイリス! 触れるなと言われていたのに……貴女を連れ出した時に触れてしまってからどうにも……」
「全く、聖女様のお手を軽々しく握るなんて、軽はずみが過ぎますよ陛下」
呆れたような声に顔をあげれば、長髪の美青年がにこりと私に笑いかける。
「失礼致しました、アイリス様。女性に縁のない方ですから、どうにも距離感がずれているのです」
「貴方は……」
「申し遅れました、この国で宰相を務めております、ギール=ツェルマットです。どうぞギールとお呼びください、そして陛下に何かされたらすぐ私に言ってください」
「おい、何かとはなんだ」
不満の声を上げるエドウィンを華麗に無視して、ギールは続ける。
「お疲れのところ申し訳ありませんが、貴女様の状況をお伝えし、また貴女様のお話をお伺いするために失礼しました。……陛下」
「ああ」
短く首肯したエドウィンが、その吸い込まれそうな真紅を私に向けた。
「話をしよう、アイリス。貴女のこれまでと、──これからについて」
0
あなたにおすすめの小説
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】毒を飲めと言われたので飲みました。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃シャリゼは、稀代の毒婦、と呼ばれている。
国中から批判された嫌われ者の王妃が、やっと処刑された。
悪は倒れ、国には平和が戻る……はずだった。
皇太子から婚約破棄を言い渡されたので国の果ての塔で隠居生活を楽しもうと思っていたのですが…どうして私は魔王に口説かれているのでしょうか?
高井繭来
恋愛
リコリス・ロコニオ・クレーンカは8歳のころ皇太子に見初められたクレーンカ伯爵の1人娘だ。
しかしリコリスは体が弱く皇太子が尋ねてきても何時も寝所で臥せっていた。
そんな手も握らせないリコリスに愛想をつかした皇太子はリコリスとの婚約を破棄し国の聖女であるディルバ・アーレンと婚約を結ぶと自らの18歳の誕生の宴の場で告げた。
そして聖女ディルバに陰湿な嫌がらせをしたとしてリコリスを果ての塔へ幽閉すると告げた。
しかし皇太子は知らなかった。
クレーンカ一族こそ陰で国を支える《武神》の一族であると言う事を。
そしてリコリスが物心がついた頃には《武神》とし聖女の結界で補えない高位の魔族を屠ってきたことを。
果ての塔へ幽閉され《武神》の仕事から解放されたリコリスは喜びに満ちていた。
「これでやっと好きなだけ寝れますわ!!」
リコリスの病弱の原因は弱すぎる聖女の結界を補うために毎夜戦い続けていた為の睡眠不足であった。
1章と2章で本編は完結となります。
その後からはキャラ達がワチャワチャ騒いでいます。
話しはまだ投下するので、本編は終わってますがこれからも御贔屓ください(*- -)(*_ _)ペコリ
十の加護を持つ元王妃は製菓に勤しむ
水瀬 立乃
恋愛
様々な神の加護を信じ崇める国・ティーズベル王国。
訳ありの元王妃・ティアは、その身分と聖女だった過去を隠し、愛息子と共に辺境のギニギル村で暮らしていた。
恩人で親友のマロアと二人で開店した米粉の洋菓子店・ホワンは連日大盛況。
年に一度の豊穣祭の初日、ある事件がきっかけでティアの日常は一変する。
私、王宮には戻りません。王都で気ままに、お菓子を作って暮らします!
※小説家になろう様でも同作品を連載しています(https://ncode.syosetu.com/n7467hc/)
私を裁いたその口で、今さら赦しを乞うのですか?
榛乃
恋愛
「貴様には、王都からの追放を命ずる」
“偽物の聖女”と断じられ、神の声を騙った“魔女”として断罪されたリディア。
地位も居場所も、婚約者さえも奪われ、更には信じていた神にすら見放された彼女に、人々は罵声と憎悪を浴びせる。
終わりのない逃避の果て、彼女は廃墟同然と化した礼拝堂へ辿り着く。
そこにいたのは、嘗て病から自分を救ってくれた、主神・ルシエルだった。
けれど再会した彼は、リディアを冷たく突き放す。
「“本物の聖女”なら、神に無条件で溺愛されるとでも思っていたのか」
全てを失った聖女と、過去に傷を抱えた神。
すれ違い、衝突しながらも、やがて少しずつ心を通わせていく――
これは、哀しみの果てに辿り着いたふたりが、やさしい愛に救われるまでの物語。
偽聖女として私を処刑したこの世界を救おうと思うはずがなくて
奏千歌
恋愛
【とある大陸の話①:月と星の大陸】
※ヒロインがアンハッピーエンドです。
痛めつけられた足がもつれて、前には進まない。
爪を剥がされた足に、力など入るはずもなく、その足取りは重い。
執行官は、苛立たしげに私の首に繋がれた縄を引いた。
だから前のめりに倒れても、後ろ手に拘束されているから、手で庇うこともできずに、処刑台の床板に顔を打ち付けるだけだ。
ドッと、群衆が笑い声を上げ、それが地鳴りのように響いていた。
広場を埋め尽くす、人。
ギラギラとした視線をこちらに向けて、惨たらしく殺される私を待ち望んでいる。
この中には、誰も、私の死を嘆く者はいない。
そして、高みの見物を決め込むかのような、貴族達。
わずかに視線を上に向けると、城のテラスから私を見下ろす王太子。
国王夫妻もいるけど、王太子の隣には、王太子妃となったあの人はいない。
今日は、二人の婚姻の日だったはず。
婚姻の禍を祓う為に、私の処刑が今日になったと聞かされた。
王太子と彼女の最も幸せな日が、私が死ぬ日であり、この大陸に破滅が決定づけられる日だ。
『ごめんなさい』
歓声をあげたはずの群衆の声が掻き消え、誰かの声が聞こえた気がした。
無機質で無感情な斧が無慈悲に振り下ろされ、私の首が落とされた時、大きく地面が揺れた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる