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第20話 いつも一言足りないのですよ

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「その噂はともかく、ベンジャミン、あなたの結婚話が聞きたいわ」

「ぼくは結婚なんかしない!愛する人と結婚できないなら、だれとも結婚しないよ!」

「気持ちはわかるわ。でも、あなたはパーカー子爵家の跡取りでしょう?結婚しないという選択肢はないのではなくて?」

「ちがうちがう、よく聞いて、ルシア。ぼくは愛する人と結婚できないなら、だれとも結婚しないって言ってるの」

 ルシアはこてんと首を傾げた。

「愛する人と結婚するってこと?」

「そうだよ!ぼくは愛する人と結婚したいんだ」

「ベンジャミンがそうしたいならそれでいいと思うけれど、おじさまが縁談を持って来たのでしょう?」

「そうなんだ。父様はぼくに愛のない結婚を強いようとしているんだ」

「おじさまとよく話し合ってはどうかしら。愛する人と結婚したいのだと、おじさまに言ったの?」

「もちろん言ったさ。でも父様はあきらめろって」

「まぁ…。お相手の方はなんと仰っているの?気持ちは通じ合っているの?ベンジャミンと結婚したいの?」

 ベンジャミンは鼻息荒く、ルシアの手をぎゅっと握った。

「ルシアはどう思うの?ぼくのこと」

「わたくし?ベンジャミンが愛する人と結婚できるよう、友人として応援したいと思っているわ、もちろん!」

 真剣に答えるルシアに、リアムが思わず吹き出しそうになって、口元を手で隠す。

 ベンジャミンはがくっと肩を落とし、抜け殻のように腑抜けてしまった。

 そこへアビゲイルがお茶の用意をして戻って来た。

 ふわりと紅茶の良い香りが漂った。

「おばさま、ありがとうございます」

「たくさん食べてちょうだいね」

「はい、いただきます」

 アビゲイルとて、ルシアがベンジャミンと結婚し本当の娘になることを夢見たことはあった。

 しかし、スチュワート家より格下のしかも貧乏なパーカー家にルシアが嫁に来るなど、ありえないこととも思っていた。

 何しろ、スチュワート伯爵は国一番の資産家なのだ。

 引く手あまただろう。

 条件の良い高位貴族の家に嫁いでいくに違いなかった。

 それがまさか王家になるとは思っていなかったが、なんらおかしい話ではない。

「おばさま、ベンジャミンは愛する人と結婚したいのですって」

「ふふふふ、貴族の家に生まれて、結婚に愛だのなんだのと夢を見ているなんて、まだまだお子様でかわいらしいでしょう?貴族は政略結婚が多いけれども、結婚した人との間に愛を育むこともできるのです。その覚悟を持ってほしいのだけど。それにね、ルシアちゃん。ベンジャミンの好きな子とは、結婚できないのよ」

「え!なぜですか?」

「その子はね、子爵家に嫁いで来るようなお嬢さんではないのよ。それでもベンジャミンと愛し合っているのなら、ぜひにも来てもらいたかったのだけど…その望みも薄そうね」

「そうなんですか…」

 爵位が離れていたり、家格が合わない結婚はあまり歓迎されない。

 結局、爵位に見合った物の考え方や教養レベルしか身に付かないので、より高位の貴族に嫁ぐのも難しいし、かといって低位の貴族とも釣り合わない。

 アビゲイルがそうもはっきり家格が合わないと言うのなら、もしかしたらベンジャミンの相手は平民なのかもしれない、とルシアは思った。

 まさか自分、とはつゆとも思わない。

「ベンジャミン、おばさまの言うように、結婚してから育む愛もあるわ。まずはお相手の方に向き合ってよく考えてはどうかしら」

 ルシアがそう言うと、ベンジャミンは涙を浮かべて無言でその場を立ち去ってしまった。

 ルシアはおろおろと気を揉んだ。

「悪いことを言ってしまったかしら」

 そんなルシアをアビゲイルがなぐさめた。

「大丈夫よ。あの子もわかっているのよ。諦めるしかないと言うことは」

「そうなんですね…。わたくし何も力になってあげられなくて…」

「いいの、いいの。それより、ルシアちゃんはどうなの?なんだか噂になっているようだけど」

「いえ、あれは…」

 ルシアとアビゲイルが二人で会話を楽しんでいる裏で、リアムは立ち去ったベンジャミンと共にいた。

 ルシアとベンジャミンが幼馴染であるように、常にルシアと共にあったリアムともそのようなものだった。

 長年、ルシアに片思いをしている同士として、ベンジャミンの恋の終わりを見届けていた。

「ぼくのこと、笑ってるんだろ」

「いいえ」

「ウソだ、さっき笑ってたじゃないか」

「あー、そうでしたね。すみません、つい」

 ベンジャミンはリアムを睨んだ。

 睨んでいても、可愛らしい顔のせいで、少しも迫力が出ない。

「お嬢様への手紙ですが、大切なことを書き忘れていましたよ」

「リアムも読んだの?やめて!恥ずかしい!」

「今さら何を言っていますか」

「それで?書き忘れってなに」

「愛する人と結婚したい、ぼくの気持ちをわかってくれ、とおっしゃいますが、ルシアお嬢様が思い人だということを書き忘れていましたよ」

「なんだって!?思いの丈を書き綴ってあっただろう?」

「ベンジャミン様はいつも一言足りないのですよ。ですからお嬢様に気持ちが伝わらないのです。なぜ目を見つめて、愛していると仰らなかったのです」

「愛していると、言ってない…?」

「はい」

「うわーん、ぼくのバカー!!」

 今さらである。

「もうお嬢様のことはお忘れくださいね。ベンジャミン様と結婚など、絶対にさせませんから」

「なんでリアムに言われなくちゃいけないんだ」

「オレのお嬢様なんで」

「…そんなこと言ってるけど、ナリス王子にかっさらわれるんじゃないの?」

「お嬢様が望むなら」

「ぼくは嫌だよ!リアムならともかく、ナリス王子になんかルシアをくれてやりたくない」

 リアムは薄くほほ笑んだだけで何も答えなかった。

 こうしてベンジャミンの自殺騒動は、ただの失恋話として幕を下ろしたのだった。
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