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怪人カピバランZ 編
1 一人息子の将来が気になる、の巻
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「ぐはっ! やられたぁ」
さらりとかわされた、俺「カピバランZ」の唯一の必殺技『ドリーミー・ダイナマイト・前歯アタック』。そしてすぐさま、宿敵ジャスティス・タイガーの強烈な必殺技『超絶・サンダーボルト・イナズマ・タイガーキック』が俺のどてっぱらに決まったのだ。
――今日は、ジャスティス・タイガーに初めての戦いを挑んだ日。
朝の8時から盛大に行われた組織あげての俺の壮行会で、「カピバランならタイガーに勝てる」という自信たっぷりなマクシミリアン博士の言葉に反し、何と『怪人カピバランZ』の弱いことか!
自分で云うのもなんだが、これだから悪の秘密組織の怪人はテレビ放送時間の30分でいつも倒されてしまうんだろう、と思った。
地面に横たわりながら、息も絶え絶えの俺。
(技の名前が長いし、それに、サンダーとイナズマが被ってるよ……)
多分恐らくはこれが人生最後のツッコミになるんだろうな――そんな思いの中、俺は心の中で正義の味方であるタイガーに精一杯突っ込んだ。
そうこうしているうちにも、自分の意識が刻一刻と薄れてゆくのを感じる。
そんな人生の節目にはやはり、一番大切なもののことを想い出すものなのだろう。俺の意識に現れたのは、忘れもしない、俺にとっての唯一無二の存在である一人息子の翔太《しょうた》のことだった。
春に小学生一年生になったばかりでまだ幼い翔太の、それはそれはキラキラと幸せな想い出ばかりが……。
◇
あれは、翔太が一歳になったばかりの頃だったろうか――俺は会社に出張を命じられ、遠く北海道の地に居た。
(あいつ、ポ○モン、特にピ○チュウが大好きだったよな)
宿泊予定のホテル横にあったコンビニにビールを買いに行った際、レジ近くの棚に商品として陳列されている『カードゲーム』に釘づけになる。
(北海道まで来て、お土産がカードゲームっていうのも変だけどな)
しかし、愛する息子の好みには勝てないものだ。
山ほどのカードゲームの袋を持ってレジに向かい、精算する。
「きっと、翔太は喜んでくれるだろ」
だがしかし、その夢はかなわなかった。
出張も終わり、自宅に戻って買いこんだおみやげを妻にちらっと見せた瞬間のことだった。
「な、何よこれ! 北海道まで行って、おみやげがポ○モンのカード?」
体を震わせながら、我妻、『明子《あきこ》』が激怒した。
てっきり「センスが良いね」とか喜んでくれるものと思い込んでいた俺は、その反応に驚きながら言い訳をする。
「い、いや、だって翔太、ポ○モン好きだろ?」
「…………」
ぴくりとも表情を変えずに、妻は黙っておみやげの束をキッチンのステンレスシンクに叩きこむとそれに火を付けた。
黒い煙とともに、目前から消えてゆく、カード。レンジフードが、カードから姿を変えた煙をぐんぐんと吸い込んでいく。
「ああ、お前、なんてことを! 俺の今月の小遣い、全部使ったんだぞ!!」
「……普通ね、北海道のおみやげっていったら、カニとかチョコとか白い○○とか、そういうものでしょ!」
キツイ目で俺を睨んだ妻がバタンと扉を閉め、リビングから出て行った。
黒い煙と焦げた臭いとやるせない気持ち……。
リビングに残っていたのは、それだけだった。
◇
あれは、翔太が三歳。もうすぐ誕生日という、そんな時期のことだった。
俺は、我が愛しき息子「翔太」を自分の書斎――とは名ばかりの荷物置き場――に呼び、誕生日プレゼントに何が欲しいかリサーチしていた。もちろん、俺の「スズメの涙」ほどの小遣いは乏しい限りだが、三歳の息子の欲しがるものぐらいは何とか買えるだろう。
息子を抱っこして、密かにセットしたボイスレコーダーのスイッチを押す。
「翔太は今、何歳ですか?」
「えーとねぇ、さんさーい!」
「そう、三歳だよね。じゃあ、いつになったら四歳になるのかな?」
ううーん……。
悩みだした、翔太。
(普通そこは悩まずに、誕生日になったら四歳――に決まってるだろ)
俺がそう思った矢先、
「おおきくなったら、よんさーい!」
彼は元気よく答えた。
「……。そ、そうか。確かにそうだよね」
まあ間違ってはいないな、と思い直し、いよいよ本題へ。
「翔太はプレゼント、何が欲しい?」
うううううーん……。
益々、力強く悩みだした翔太。
彼の瞳がぱっと明るく輝いたかと思うと、その短い人差し指をびしっと俺に向けたのだ。
「ノートパコソン!」
(…………)
それって多分、『ノートパソコン』の間違いだよね――。でも、マジか? そんな高価なもの、俺の小遣いで買える訳ないじゃないか。
そして、俺が後日、彼に渡したプレゼント――それは、近所のコンビニで売っていた、液晶画面の大きめな『電卓』だった。
「ま、似たようなものだろ」と適当に包装紙とリボン代わりの紐を巻き付け、翔太に手渡しする。
「これって、パコソンなの?」
包みを開け訝(いぶか)しがる、四歳に成りたての翔太。俺は黙って激しく、首を縦に振り続けた。
あれが、あのときの俺の精いっぱいの『真心』だったのだ。許せ、息子よ……。
◇
そして、翔太が五歳の時だったと思う。
その頃の翔太は、俺が会社から帰宅するとバカの一つ覚えみたいに「マミちゃん、マミちゃん」と、どうやら幼稚園で一緒のクラスらしいとある女の子の名前を連呼していた。
もちろんこれでも父親の端くれだ。
そんな息子の様子を見過ごすわけにはいかない。俺は、最大限の笑顔とともに翔太に質問をしてみた。
「翔太、さっきからマミちゃんの名前をよく呼んでるけど……かわいいのか?」
「うん! めっちゃかわいい」
「じゃあ、もしかして――翔太の彼女?」
「かのじょ?」
一瞬、間を置いた翔太。
短い首をこれ以上曲げられないほど折り曲げ、上目遣いになって考える。
もしかして『彼女』の意味が難しかったのかと一瞬焦った俺だったが、それは杞憂に終わり、翔太は心の底から込み上げて来るかのようなとびきりの笑顔を辺りに振りまきながら、力強くこう答えたのだ。
「うん! かのじょだよっ」
「そおかあ!」
親としては、特に息子の父親としては喜ばずにはいられない。
その夜、明日の作戦をじっくりと練りながら眠りに就いた俺なのだった。
――次の日。
俺は、朝からわざとらしく激しい咳を繰り返し、風邪をひいた迫真の演技を繰り広げる。
ごほぐほげふっ!
妻が顔をしかめながら持ってきた体温計を布団で盛大に擦り、表示を三十九℃にする。
「なによ、昨日は元気だったじゃない! そんな急に風邪になるなんてことある?」
今日は休みますと会社に連絡を入れた俺に向かってぶつぶつと文句を云いながら、妻の明子が幼稚園に向かう翔太を引き連れて勤め先へと出かけていく。
(そんなに俺が家に居るのが悪いことなのか?)
妻が文句ぶうぶうで用意した鉛のような味のする朝飯を適当に済ませた俺は、徒歩で息子の通う幼稚園に向けて出発した。
翔太の送り迎えをちょくちょくしている俺にとって、その道程はお手のものだった。
いや、寧ろ妻よりもその回数が多いくらいだった。だから、俺の容姿は幼稚園の先生たちのよく知るところとなっている。そこで、今日ばかりは息子や先生に俺の正体がバレないよう、黒のサングラスと大きめの帽子を身に着けていた。
暫くして、目的地の幼稚園に到着。
当然、表口から入園することはできない。抜き足差し足、こっそりと足を踏み入れた裏道からサングラスのレンズを通して見える景色は――いくつかの遊具と砂場のある幼稚園の園庭の様子だった。
園庭が子どもで溢れている。
ちょうど、園児たちの外遊びの時間に当ったのだ。
(あ、いたいた)
山のようにたくさんいる子どもたちから自分の子どもを目ざとく見つけるとは、流石は父親と自分を褒めてみる。
(……で、そのかわいい彼女はどこかな?)
すぐにわかった。
俺と趣味が同じ、というのもあるのだろう。
翔太のすぐ近くにいつもいる感じの、元気な女の子――多分、この子がマミちゃんなのだろう。おお、なかなかに可愛らしいではないか!
しかし何というか、様子がおかしいのだ。想像と明らかに違う、と云ってもいい。
楽しく二人で手を繋ぎ、きゃっきゃとはしゃぐ二人――そんな俺の想像とはかけ離れた世界が、そこにはあった。
「しょうたくん、あたしについて来るのがおそいわよ! それから、荷物をちゃんと両手で持っててよね!! 地面についたら、よごれちゃうんだからっ!!!」
「ごめん……マミちゃん」
「ごめんですむなら、警察はいらないの!」
「はあい」
翔太は、マミちゃんと思われる女子の荷物――上着や帽子、それにナップザック――を両手いっぱいに抱えながら、まるで電柱のように突っ立ったままマミちゃんから『お小言』を頂戴していた。
それでも我が愛しの息子はくじけず、マミちゃんが移動するたびにその後をちょこちょこ付いて回っていた。
その健気《けなげ》な様子に、思わず涙がこぼれ落ちる。
「し、僕《しもべ》だ……完全に、彼女の下僕《げぼく》だ……」
がっくりと膝を折り、その場にうずくまった俺。
普段の自分の姿が息子の姿に完全に重なったことに、愕然とする。
(情けない……お前もか? お前もなのかぁ!)
空中に右の拳を突き上げた、そのときだった。
不意に俺の肩をントンと叩く者がいることに気付いた。
「あのう、スミマセン……お宅、どちらさん? ここで何してます?」
振り返ると、いかにも変質者を取り締まってますよ、的な引きつった笑顔を浮かべる警察官が目の前に立っていた。制服に身を包んだその体からほとばしる、優しそうだが奥の奥まで見透かしているかのような厳しい眼差しが俺を貫いている。
「あ、いや、その……。私の息子がここにいるんで――」
「まあ、詳しくは別の場所でお訊きしましょうか。ちょっとそこまでお願いします」
背中を押され、パトカーの後部座席に収まった俺。
その後、近くの交番でかくかくしかじか、事情を説明すること二十分。
「もう、紛らわしいことしないで下さいよ」
何とか誤解を解いた俺は一人鋼板を後にし、誰もいない静まり返った自宅に帰宅した。
仮病を使って会社を休んでまで見に行った幼稚園。
もちろん、こんなことがあったということは口が裂けても云えない。明子には永遠に内緒である。
◇
ああ、何て美しい思い出ばかりなんだ――。
俺は、今ならすんなりと成仏できるような気がした。そのときだった。意識も薄れかけた俺の狭い視界に、虎風な仮面で覆われた宿敵『ジャスティス・タイガー』の顔がにょきっと現れたのだ。
「おまえ、まだ息があるな……。ならば、今回だけは見逃してやる。心を入れ替えて、二度とワタシの前に現れるなよ」
ジャスティス・タイガーは、派手な色遣いであちこちとんがったおもちゃみたいなバイクに跨り、ぶおんぶおんと軽快な音を立てて何処かへと去っていった。
――かっちーん。
俺の頭の中で、そんな音が派手に鳴った。
そして、生きる力が俺の中心から湧きあがって来るのを感じた。
「ふん、ちくしょう……。覚えてろよ、ジャスティス・タイガー! 次こそは、絶対に倒してやる!」
初回の戦いにして悪の怪人のセリフを身に着けてしまった俺は、足を引き摺り引き摺り、組織のアジトへと戻って行ったのだった。
<つづく>
さらりとかわされた、俺「カピバランZ」の唯一の必殺技『ドリーミー・ダイナマイト・前歯アタック』。そしてすぐさま、宿敵ジャスティス・タイガーの強烈な必殺技『超絶・サンダーボルト・イナズマ・タイガーキック』が俺のどてっぱらに決まったのだ。
――今日は、ジャスティス・タイガーに初めての戦いを挑んだ日。
朝の8時から盛大に行われた組織あげての俺の壮行会で、「カピバランならタイガーに勝てる」という自信たっぷりなマクシミリアン博士の言葉に反し、何と『怪人カピバランZ』の弱いことか!
自分で云うのもなんだが、これだから悪の秘密組織の怪人はテレビ放送時間の30分でいつも倒されてしまうんだろう、と思った。
地面に横たわりながら、息も絶え絶えの俺。
(技の名前が長いし、それに、サンダーとイナズマが被ってるよ……)
多分恐らくはこれが人生最後のツッコミになるんだろうな――そんな思いの中、俺は心の中で正義の味方であるタイガーに精一杯突っ込んだ。
そうこうしているうちにも、自分の意識が刻一刻と薄れてゆくのを感じる。
そんな人生の節目にはやはり、一番大切なもののことを想い出すものなのだろう。俺の意識に現れたのは、忘れもしない、俺にとっての唯一無二の存在である一人息子の翔太《しょうた》のことだった。
春に小学生一年生になったばかりでまだ幼い翔太の、それはそれはキラキラと幸せな想い出ばかりが……。
◇
あれは、翔太が一歳になったばかりの頃だったろうか――俺は会社に出張を命じられ、遠く北海道の地に居た。
(あいつ、ポ○モン、特にピ○チュウが大好きだったよな)
宿泊予定のホテル横にあったコンビニにビールを買いに行った際、レジ近くの棚に商品として陳列されている『カードゲーム』に釘づけになる。
(北海道まで来て、お土産がカードゲームっていうのも変だけどな)
しかし、愛する息子の好みには勝てないものだ。
山ほどのカードゲームの袋を持ってレジに向かい、精算する。
「きっと、翔太は喜んでくれるだろ」
だがしかし、その夢はかなわなかった。
出張も終わり、自宅に戻って買いこんだおみやげを妻にちらっと見せた瞬間のことだった。
「な、何よこれ! 北海道まで行って、おみやげがポ○モンのカード?」
体を震わせながら、我妻、『明子《あきこ》』が激怒した。
てっきり「センスが良いね」とか喜んでくれるものと思い込んでいた俺は、その反応に驚きながら言い訳をする。
「い、いや、だって翔太、ポ○モン好きだろ?」
「…………」
ぴくりとも表情を変えずに、妻は黙っておみやげの束をキッチンのステンレスシンクに叩きこむとそれに火を付けた。
黒い煙とともに、目前から消えてゆく、カード。レンジフードが、カードから姿を変えた煙をぐんぐんと吸い込んでいく。
「ああ、お前、なんてことを! 俺の今月の小遣い、全部使ったんだぞ!!」
「……普通ね、北海道のおみやげっていったら、カニとかチョコとか白い○○とか、そういうものでしょ!」
キツイ目で俺を睨んだ妻がバタンと扉を閉め、リビングから出て行った。
黒い煙と焦げた臭いとやるせない気持ち……。
リビングに残っていたのは、それだけだった。
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俺は、我が愛しき息子「翔太」を自分の書斎――とは名ばかりの荷物置き場――に呼び、誕生日プレゼントに何が欲しいかリサーチしていた。もちろん、俺の「スズメの涙」ほどの小遣いは乏しい限りだが、三歳の息子の欲しがるものぐらいは何とか買えるだろう。
息子を抱っこして、密かにセットしたボイスレコーダーのスイッチを押す。
「翔太は今、何歳ですか?」
「えーとねぇ、さんさーい!」
「そう、三歳だよね。じゃあ、いつになったら四歳になるのかな?」
ううーん……。
悩みだした、翔太。
(普通そこは悩まずに、誕生日になったら四歳――に決まってるだろ)
俺がそう思った矢先、
「おおきくなったら、よんさーい!」
彼は元気よく答えた。
「……。そ、そうか。確かにそうだよね」
まあ間違ってはいないな、と思い直し、いよいよ本題へ。
「翔太はプレゼント、何が欲しい?」
うううううーん……。
益々、力強く悩みだした翔太。
彼の瞳がぱっと明るく輝いたかと思うと、その短い人差し指をびしっと俺に向けたのだ。
「ノートパコソン!」
(…………)
それって多分、『ノートパソコン』の間違いだよね――。でも、マジか? そんな高価なもの、俺の小遣いで買える訳ないじゃないか。
そして、俺が後日、彼に渡したプレゼント――それは、近所のコンビニで売っていた、液晶画面の大きめな『電卓』だった。
「ま、似たようなものだろ」と適当に包装紙とリボン代わりの紐を巻き付け、翔太に手渡しする。
「これって、パコソンなの?」
包みを開け訝(いぶか)しがる、四歳に成りたての翔太。俺は黙って激しく、首を縦に振り続けた。
あれが、あのときの俺の精いっぱいの『真心』だったのだ。許せ、息子よ……。
◇
そして、翔太が五歳の時だったと思う。
その頃の翔太は、俺が会社から帰宅するとバカの一つ覚えみたいに「マミちゃん、マミちゃん」と、どうやら幼稚園で一緒のクラスらしいとある女の子の名前を連呼していた。
もちろんこれでも父親の端くれだ。
そんな息子の様子を見過ごすわけにはいかない。俺は、最大限の笑顔とともに翔太に質問をしてみた。
「翔太、さっきからマミちゃんの名前をよく呼んでるけど……かわいいのか?」
「うん! めっちゃかわいい」
「じゃあ、もしかして――翔太の彼女?」
「かのじょ?」
一瞬、間を置いた翔太。
短い首をこれ以上曲げられないほど折り曲げ、上目遣いになって考える。
もしかして『彼女』の意味が難しかったのかと一瞬焦った俺だったが、それは杞憂に終わり、翔太は心の底から込み上げて来るかのようなとびきりの笑顔を辺りに振りまきながら、力強くこう答えたのだ。
「うん! かのじょだよっ」
「そおかあ!」
親としては、特に息子の父親としては喜ばずにはいられない。
その夜、明日の作戦をじっくりと練りながら眠りに就いた俺なのだった。
――次の日。
俺は、朝からわざとらしく激しい咳を繰り返し、風邪をひいた迫真の演技を繰り広げる。
ごほぐほげふっ!
妻が顔をしかめながら持ってきた体温計を布団で盛大に擦り、表示を三十九℃にする。
「なによ、昨日は元気だったじゃない! そんな急に風邪になるなんてことある?」
今日は休みますと会社に連絡を入れた俺に向かってぶつぶつと文句を云いながら、妻の明子が幼稚園に向かう翔太を引き連れて勤め先へと出かけていく。
(そんなに俺が家に居るのが悪いことなのか?)
妻が文句ぶうぶうで用意した鉛のような味のする朝飯を適当に済ませた俺は、徒歩で息子の通う幼稚園に向けて出発した。
翔太の送り迎えをちょくちょくしている俺にとって、その道程はお手のものだった。
いや、寧ろ妻よりもその回数が多いくらいだった。だから、俺の容姿は幼稚園の先生たちのよく知るところとなっている。そこで、今日ばかりは息子や先生に俺の正体がバレないよう、黒のサングラスと大きめの帽子を身に着けていた。
暫くして、目的地の幼稚園に到着。
当然、表口から入園することはできない。抜き足差し足、こっそりと足を踏み入れた裏道からサングラスのレンズを通して見える景色は――いくつかの遊具と砂場のある幼稚園の園庭の様子だった。
園庭が子どもで溢れている。
ちょうど、園児たちの外遊びの時間に当ったのだ。
(あ、いたいた)
山のようにたくさんいる子どもたちから自分の子どもを目ざとく見つけるとは、流石は父親と自分を褒めてみる。
(……で、そのかわいい彼女はどこかな?)
すぐにわかった。
俺と趣味が同じ、というのもあるのだろう。
翔太のすぐ近くにいつもいる感じの、元気な女の子――多分、この子がマミちゃんなのだろう。おお、なかなかに可愛らしいではないか!
しかし何というか、様子がおかしいのだ。想像と明らかに違う、と云ってもいい。
楽しく二人で手を繋ぎ、きゃっきゃとはしゃぐ二人――そんな俺の想像とはかけ離れた世界が、そこにはあった。
「しょうたくん、あたしについて来るのがおそいわよ! それから、荷物をちゃんと両手で持っててよね!! 地面についたら、よごれちゃうんだからっ!!!」
「ごめん……マミちゃん」
「ごめんですむなら、警察はいらないの!」
「はあい」
翔太は、マミちゃんと思われる女子の荷物――上着や帽子、それにナップザック――を両手いっぱいに抱えながら、まるで電柱のように突っ立ったままマミちゃんから『お小言』を頂戴していた。
それでも我が愛しの息子はくじけず、マミちゃんが移動するたびにその後をちょこちょこ付いて回っていた。
その健気《けなげ》な様子に、思わず涙がこぼれ落ちる。
「し、僕《しもべ》だ……完全に、彼女の下僕《げぼく》だ……」
がっくりと膝を折り、その場にうずくまった俺。
普段の自分の姿が息子の姿に完全に重なったことに、愕然とする。
(情けない……お前もか? お前もなのかぁ!)
空中に右の拳を突き上げた、そのときだった。
不意に俺の肩をントンと叩く者がいることに気付いた。
「あのう、スミマセン……お宅、どちらさん? ここで何してます?」
振り返ると、いかにも変質者を取り締まってますよ、的な引きつった笑顔を浮かべる警察官が目の前に立っていた。制服に身を包んだその体からほとばしる、優しそうだが奥の奥まで見透かしているかのような厳しい眼差しが俺を貫いている。
「あ、いや、その……。私の息子がここにいるんで――」
「まあ、詳しくは別の場所でお訊きしましょうか。ちょっとそこまでお願いします」
背中を押され、パトカーの後部座席に収まった俺。
その後、近くの交番でかくかくしかじか、事情を説明すること二十分。
「もう、紛らわしいことしないで下さいよ」
何とか誤解を解いた俺は一人鋼板を後にし、誰もいない静まり返った自宅に帰宅した。
仮病を使って会社を休んでまで見に行った幼稚園。
もちろん、こんなことがあったということは口が裂けても云えない。明子には永遠に内緒である。
◇
ああ、何て美しい思い出ばかりなんだ――。
俺は、今ならすんなりと成仏できるような気がした。そのときだった。意識も薄れかけた俺の狭い視界に、虎風な仮面で覆われた宿敵『ジャスティス・タイガー』の顔がにょきっと現れたのだ。
「おまえ、まだ息があるな……。ならば、今回だけは見逃してやる。心を入れ替えて、二度とワタシの前に現れるなよ」
ジャスティス・タイガーは、派手な色遣いであちこちとんがったおもちゃみたいなバイクに跨り、ぶおんぶおんと軽快な音を立てて何処かへと去っていった。
――かっちーん。
俺の頭の中で、そんな音が派手に鳴った。
そして、生きる力が俺の中心から湧きあがって来るのを感じた。
「ふん、ちくしょう……。覚えてろよ、ジャスティス・タイガー! 次こそは、絶対に倒してやる!」
初回の戦いにして悪の怪人のセリフを身に着けてしまった俺は、足を引き摺り引き摺り、組織のアジトへと戻って行ったのだった。
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