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第4章 マニリア帝国編
第29話 ついに訪れた初めての……
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マルキウスは深刻そうに、その『怪異』について語り始める。
「実はここしばらくの間、宮女が何ものかに襲われ、正気を失ったり、昏睡状態になったりする事件が頻発しておるのじゃ」
「それなら警備の兵士を増やせば――」
「後宮でそのようなことをすれば、同様の事件がかえって頻発してしまうわ」
それもそうか。
後宮は皇帝以外、男子禁制なのが当たり前だからな。
いや。待てよ。
元の世界でも後宮で仕事をするために、男のシルシを切り落とす例があったな。
この国でもそんな話があるのか、ひとつ確かめておこう。
「後宮で働いているのは女性だけなんですか?」
「もちろんじゃ。警備も女人が行っておる。例外的にワシのような『すでに枯れたおいぼれ』も何人かはおるがのう」
マルキウスは自嘲気味に笑いつつ、自分の股間に手を当てる。
ちょっとじいさん。女の子を口説いているにしては下品じゃないかい?
まあ何にせよ働いているのが女性と老人だけ、というのはオレにとってはまだマシな話である。
「お前さんは見たところ、その若さで魔術に長じておるようじゃ。それで後宮に入って、その怪異を調べて見てはくれんかの? 解決とまではいかずとも、手がかりをつかんでくれれば存分に礼はさせてもらう。いかがかのう」
「そんな事を言われても……」
「聖女達が引き揚げてしまったいま、宮廷に残っている魔術師は殆ど男だけなんじゃ。だから後宮に入る事は許されず宮女達が襲われてもロクに手が打てん。どうにか手助けをしてくれ。頼む!」
怪異のせいで皇帝が姿を見せないという話が本当だとしても、やっぱり後宮に入るということには躊躇せざるを得ない。
だがここでマルキウスはいきなり手をつき、頭を地面にこすりつける。
「お願いじゃ! とにかく一度、後宮に入ってくれ! そこでお前さんに不満があれば、いつでも出て行ってくれて構わんから! この通り! 哀れな老人を助けると思って!」
もちろんこんな爺さんの白髪頭を下げられても、オレには何の得もない。
だが必死に懇願されると、オレとしても無碍には出来なかった。
「いつでも出て行っていい、という話は本当なんでしょうね?」
この質問に対し、マルキウスはガバリと頭を上げる。
「もちろんじゃとも! 約束する!」
「それに怪異の解決についても保障できませんよ」
「たとえ何も起きなかったとしても、こちらにできる限りの事はする! ワシとて役人の端くれじゃ。礼金はどこからでも捻出させてもらうぞ!」
おい。爺さん。その金は国民の納めた税金だろうが。
役人が異国人であるオレにそんな事を胸張って言うな!
「お金はいりません。ただし後宮にいる間、そして後宮を出た後でも、この国の古い文献を読ませてもらえませんかね?」
「それで……よいのか?」
この要求に対しマルキウスは首をかしげる。
「ワシらのようなカビの生えた老いぼれならともかく、若い女子が宝石やドレス、それに何より貴人の寵愛よりもカビ臭い古い文献を望むとは珍しいのう」
「そうでしょうね。よく言われますよ」
後宮があるような国では、女子の地位は高くはないだろう。『学問や魔術より男に尽くせ』という価値観が当たり前であっても仕方ない。
「今の話はどうなんですか?」
「それはワシがどうにかしよう。じゃから後宮に来てくれるな?」
「とりあえず話を整理させてもらっていいですか?」
オレはここで交渉用の魔術である【誓言】をかけつつ、ひとまず問いかける。
「まず決して嘘はつかないと約束して下さい」
「当り前じゃ。しがない老いぼれじゃが、ワシとて『命の恩人』を騙すほど、腐ってはおらぬぞ」
本来なら【誓言】は交渉の拘束力を高める魔術だが、使いようによっては相手に真実だけ語らせる事が出来るのだ。
もちろんこの場合、俺の方も嘘がつけなくなる問題があるがそこはどうにかしよう。
「分かりました。それでは怪異な出来事があって、皇帝陛下は後宮に姿を見せていないというのは本当なのですか」
「もちろんじゃとも。わしらの恥ではあるが……事実は事実じゃ」
どうやら本当に皇帝が来ることはないようだ。これで少しは助かるな。
「そしてわたしは後宮に入りますけど、いつ出て行っても構わない。そしてその見返りにこの国の古い文献を見せてもらう。怪異について調べるが、結果は問わない。これが条件ですね?」
「ああ。それでいいぞ」
「それともう一つ、わたしの事について聖女教会には伝えない。これも条件に付け加えさせて下さい」
「そうか……確かにお前さんの立場上、後宮に入ったなどと教会に報告されては困るじゃろうからな。当然じゃな。約束する」
もちろんこの老人の考えている『立場上、困る』の意味はオレの考えているものとは全く異なるが、結果は同じなので敢えて訂正はしない。
そしてひとまず条件に納得したので、オレはマルキウスに応じることにする。
「分りました。後宮に入ります」
「おお! 感謝するぞ!」
オレの了承を得て、マルキウスはその顔のシワが伸びるかと思えるかの勢いで笑顔を浮かべる。
「ならば気が変わらぬうちに後宮に行くとしよう。ささ。早く来てくれ」
オレは喜び勇んで歩き出したマルキウスに従って後に続く。
正直に言えば、今でも後宮に入るのにはちょっとどころではない抵抗がある。
だがこのままでも目的を果たせる見込みはないのだ。
夜とぎはしないという約束もしたかったが、それを決めるのは皇帝であってマルキウスではないから、ここで交渉しても無駄である。
だから万が一にも皇帝に見初められてしまったら、爺さんには悪いがオレの魔術を駆使して逃げさせてもらうとしよう。
少なくともオレは皇帝の寵愛目当てで後宮に入っている他の娘達とは違うのだ。
チートな魔術を有することへの自負から、オレはマルキウスの誘いを受ける事を決意する。
しかしオレはこの時、ある意味で人生を左右しかねない重大な事を忘れていた。
そしてそれに強制的に気づかされるのはすぐだった。
純白のブラウスと紅いロングスカートまとう目を見張るほど美しい少女が、呆然とオレを見返していた。
長い髪は結い上げられ、髪の房が両の頬に愛らしく垂れている。
神の造形かと見まがわんばかりの容貌は、それを引き立てる僅かな化粧を施され、その憂いを漂わせる表情と相まって万人の目を釘付けにするものだった。
「まさかここまでとはな……長年、この宮廷にお仕えし、無数の美姫を見てきたつもりだったが、正直ワシも驚いたわい」
「ええ。このまばゆいばかりの容姿ならば、もう次のお后様は決まったようなものですわ」
マルキウスの言葉を受けて答えたのは太った中年の侍女である。
その彼女はオレの傍らにてまるで我が事のように誇らしそうに、鏡に映る美少女を見ていた。
そう。この目を奪う美少女はオレ自身である。
たとえ仮のことだとしても『後宮に入る』ということは、当然だが男装を通すわけにはいかない。
それを忘れていたオレは、鏡に映る姿の美しさに圧倒されると供に、それが自分自身であることの悲哀――そして何よりそれを誇らしく思う気持ちが僅かに生じていることに衝撃を受けていたのだった。
ああ。ラマーリア王国にいた頃のオレはテマーティンの誘いをかたくなに拒んでいたが、今のオレが同じ状況に置かれたら、シブシブでもドレスをまとってしまっただろう。
またひとつ『男としての尊厳』が大きく損なわれてしまった気がするよ。
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「それなら警備の兵士を増やせば――」
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後宮は皇帝以外、男子禁制なのが当たり前だからな。
いや。待てよ。
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「後宮で働いているのは女性だけなんですか?」
「もちろんじゃ。警備も女人が行っておる。例外的にワシのような『すでに枯れたおいぼれ』も何人かはおるがのう」
マルキウスは自嘲気味に笑いつつ、自分の股間に手を当てる。
ちょっとじいさん。女の子を口説いているにしては下品じゃないかい?
まあ何にせよ働いているのが女性と老人だけ、というのはオレにとってはまだマシな話である。
「お前さんは見たところ、その若さで魔術に長じておるようじゃ。それで後宮に入って、その怪異を調べて見てはくれんかの? 解決とまではいかずとも、手がかりをつかんでくれれば存分に礼はさせてもらう。いかがかのう」
「そんな事を言われても……」
「聖女達が引き揚げてしまったいま、宮廷に残っている魔術師は殆ど男だけなんじゃ。だから後宮に入る事は許されず宮女達が襲われてもロクに手が打てん。どうにか手助けをしてくれ。頼む!」
怪異のせいで皇帝が姿を見せないという話が本当だとしても、やっぱり後宮に入るということには躊躇せざるを得ない。
だがここでマルキウスはいきなり手をつき、頭を地面にこすりつける。
「お願いじゃ! とにかく一度、後宮に入ってくれ! そこでお前さんに不満があれば、いつでも出て行ってくれて構わんから! この通り! 哀れな老人を助けると思って!」
もちろんこんな爺さんの白髪頭を下げられても、オレには何の得もない。
だが必死に懇願されると、オレとしても無碍には出来なかった。
「いつでも出て行っていい、という話は本当なんでしょうね?」
この質問に対し、マルキウスはガバリと頭を上げる。
「もちろんじゃとも! 約束する!」
「それに怪異の解決についても保障できませんよ」
「たとえ何も起きなかったとしても、こちらにできる限りの事はする! ワシとて役人の端くれじゃ。礼金はどこからでも捻出させてもらうぞ!」
おい。爺さん。その金は国民の納めた税金だろうが。
役人が異国人であるオレにそんな事を胸張って言うな!
「お金はいりません。ただし後宮にいる間、そして後宮を出た後でも、この国の古い文献を読ませてもらえませんかね?」
「それで……よいのか?」
この要求に対しマルキウスは首をかしげる。
「ワシらのようなカビの生えた老いぼれならともかく、若い女子が宝石やドレス、それに何より貴人の寵愛よりもカビ臭い古い文献を望むとは珍しいのう」
「そうでしょうね。よく言われますよ」
後宮があるような国では、女子の地位は高くはないだろう。『学問や魔術より男に尽くせ』という価値観が当たり前であっても仕方ない。
「今の話はどうなんですか?」
「それはワシがどうにかしよう。じゃから後宮に来てくれるな?」
「とりあえず話を整理させてもらっていいですか?」
オレはここで交渉用の魔術である【誓言】をかけつつ、ひとまず問いかける。
「まず決して嘘はつかないと約束して下さい」
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もちろんこの場合、俺の方も嘘がつけなくなる問題があるがそこはどうにかしよう。
「分かりました。それでは怪異な出来事があって、皇帝陛下は後宮に姿を見せていないというのは本当なのですか」
「もちろんじゃとも。わしらの恥ではあるが……事実は事実じゃ」
どうやら本当に皇帝が来ることはないようだ。これで少しは助かるな。
「そしてわたしは後宮に入りますけど、いつ出て行っても構わない。そしてその見返りにこの国の古い文献を見せてもらう。怪異について調べるが、結果は問わない。これが条件ですね?」
「ああ。それでいいぞ」
「それともう一つ、わたしの事について聖女教会には伝えない。これも条件に付け加えさせて下さい」
「そうか……確かにお前さんの立場上、後宮に入ったなどと教会に報告されては困るじゃろうからな。当然じゃな。約束する」
もちろんこの老人の考えている『立場上、困る』の意味はオレの考えているものとは全く異なるが、結果は同じなので敢えて訂正はしない。
そしてひとまず条件に納得したので、オレはマルキウスに応じることにする。
「分りました。後宮に入ります」
「おお! 感謝するぞ!」
オレの了承を得て、マルキウスはその顔のシワが伸びるかと思えるかの勢いで笑顔を浮かべる。
「ならば気が変わらぬうちに後宮に行くとしよう。ささ。早く来てくれ」
オレは喜び勇んで歩き出したマルキウスに従って後に続く。
正直に言えば、今でも後宮に入るのにはちょっとどころではない抵抗がある。
だがこのままでも目的を果たせる見込みはないのだ。
夜とぎはしないという約束もしたかったが、それを決めるのは皇帝であってマルキウスではないから、ここで交渉しても無駄である。
だから万が一にも皇帝に見初められてしまったら、爺さんには悪いがオレの魔術を駆使して逃げさせてもらうとしよう。
少なくともオレは皇帝の寵愛目当てで後宮に入っている他の娘達とは違うのだ。
チートな魔術を有することへの自負から、オレはマルキウスの誘いを受ける事を決意する。
しかしオレはこの時、ある意味で人生を左右しかねない重大な事を忘れていた。
そしてそれに強制的に気づかされるのはすぐだった。
純白のブラウスと紅いロングスカートまとう目を見張るほど美しい少女が、呆然とオレを見返していた。
長い髪は結い上げられ、髪の房が両の頬に愛らしく垂れている。
神の造形かと見まがわんばかりの容貌は、それを引き立てる僅かな化粧を施され、その憂いを漂わせる表情と相まって万人の目を釘付けにするものだった。
「まさかここまでとはな……長年、この宮廷にお仕えし、無数の美姫を見てきたつもりだったが、正直ワシも驚いたわい」
「ええ。このまばゆいばかりの容姿ならば、もう次のお后様は決まったようなものですわ」
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その彼女はオレの傍らにてまるで我が事のように誇らしそうに、鏡に映る美少女を見ていた。
そう。この目を奪う美少女はオレ自身である。
たとえ仮のことだとしても『後宮に入る』ということは、当然だが男装を通すわけにはいかない。
それを忘れていたオレは、鏡に映る姿の美しさに圧倒されると供に、それが自分自身であることの悲哀――そして何よりそれを誇らしく思う気持ちが僅かに生じていることに衝撃を受けていたのだった。
ああ。ラマーリア王国にいた頃のオレはテマーティンの誘いをかたくなに拒んでいたが、今のオレが同じ状況に置かれたら、シブシブでもドレスをまとってしまっただろう。
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