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第4章 マニリア帝国編
第43話 『錦を着て夜行く』とそこでは
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夕刻を過ぎてから、オレは女官達に呼びつけられ『貴婦人の間』にいた。
「あのう……本当に皇帝陛下が来るという話ではないのですか?」
「ええ。本当に私どももそれは聞いておりません」
オレは何度目か分らない質問を女官に繰り返し、女官達もまた同じ答えを返す。
「しかしこんな時間に身支度をしろとはどういう事なんでしょう?」
少々強引にオレに同行し、女官の手伝いをしているデレンダも首をひねっている。
体感でこの一時間というもの、オレの肌は五人の女官達が香油や石けんを使って徹底的に磨き上げ、顔には化粧が施され、髪は黄金の髪飾りで結い上げられていた。
鏡に映っている姿は、成熟した女性の優美さ、柔らかさと、少女の初々しさを微妙な均衡の元で兼ね備えており、あらゆる宝石をもかすませるものだった――これが自分自身のものでなければどれほど良かったか。
そして薄衣のドレスと装身具をまとった今のオレの姿を見て、周囲の面々は揃って感嘆の声をあげる。
「まったく女神様の降臨と言われても信じてしまいそうな、完璧な美しさです」
「唐突な話でしたので、少々不安でしたけど、我らが思い描いていた以上の素晴らしいお姿です」
陶酔した表情で賛辞を述べる女官達に、オレは力なく同意する。
「ええ……まるで夢のようです……」
本当に、こんな悪夢をいつまで続けねばならないのだろうか。
「はあ……非の打ち所がないとはこのことですよ」
女官の手伝いを強引に申し出て、周囲であくせくしていたデレンダもまたウットリとオレを見ている。
「あたしの夢見ていたお姫様の姿そのものです……ちょっと嫉妬してしまいますよ」
「あ、ありがとう……」
オレはデレンダに応じつつ、あらためて女官に問いかける。
「それはいいんですけど、本当に皇帝陛下のお越しではないのですね」
常識的に考えて、オレをこんな風に装うのは、皇帝がこの後宮に来る場合しかあり得ないはずだ。
もしそんな話を聞けば、オレは全身全霊を込めて脱走させてもらったところである。
しかしどうにもそれではないらしい。
「はい。私どもも最初はそう思ったのですが、どうも違うようです」
確かに女官が嘘をついているようには見えない。
皇帝に無礼があれば何人も首が飛ぶ――もちろん比喩ではない――のだから、事前に周知徹底して万全の体制を整えなければおかしいのだ。
そもそも皇帝が即位以来、一度も後宮に姿を見せていないということは、当然ながらここで皇帝の顔を知っている者も長官のオントールなどごく一部しかいないはずなので、秘密にしていたらどんなハプニングが起こるか分ったモノではない。
少なくともこの国の皇帝が、ラマーリア王国王太子のテマーティンのように身分を隠しお忍びであちこち遊び回るような、軽率ながら寛大な心の持ち主ということもないだろう。
当然、女官達がオレに対して嘘をつく理由もない。
万一の事があれば、彼女達だって連帯責任を問われるのは間違いないのだ。
オレが『皇帝のお召し』と聞けば、即座に逃走するつもりなのを知っていて、隠しているという事も考えられるが、その場合でも身柄を拘束するならともかく、こんな風に着飾らせるのはおかしい。
不可解な事だらけで、オレは女官に問いかける。
「これからどうすればいいんですか?」
「それなのですが……指示は中庭にてお待ち下さいということです」
女官も納得がいかない様子で首をひねっている。
確かに昼間ならともかく、すでに日も暮れているのに着飾って中庭に入るなど文字通り『錦を着て夜行く』そのものだ――いや。この場合、意味は違うけどね。
「まさか。怪異の事と関係があるんでしょうか?」
デレンダは心配そうに問いかけてくる。
確かに考えられそうなのはそれぐらいか。
オレを着飾らせ、エサにすることで怪異を呼び込んで退治させようとでも考えているのだろうか?
だがそれならオレに指示がないのはおかしい。
どうにもワケが分からないが、ここで逆らう事も出来なかった。
オレは納得いかないまま、中庭に向かう事になる。
魔法で視覚を強化し、また【霊視】や【除霊】をかけて怪異への対策をとった上でオレは中庭を練り歩く。
オレが怪異のエサにされるのは別に構わない――他の宮女がそうなるのに比べれば遙かにマシだ。
しかしオレに何も説明が無いのはどういうことだろうか?
ひょっとするとオレが断るとでも思ったのだろうか。
それならそれで構わないのだが、オレはもっと悪い事態を考えていた。
最悪の場合『怪異を鎮めるためオレを捧げる』『庭園完成のための生け贄にする』などという事もありうるかもしれない。
オントールは邪悪には見えなかったが、この庭園を完成させるために自分の命をなげうつ覚悟なのだ。
他人のオレを生け贄にする事だって躊躇しないかもしれない。
もちろん根拠はないが、そういうわけで警戒を怠るわけにはいかないな。
しかしこの中庭は昼間に見たら荘厳な光景だが、やはり夜だと地形や植物が複雑に入り組み、視界も開けていないので、緊張せずにはいられない。
そして注意しつつ歩いてるオレの視界の片隅に、人影が映った。
あれは誰だ?
見たところ一人だけのようだ。
木の陰に身体を預けるような体勢だが――まさか妖異に襲われた人がいる?!
オレは急いで駆け寄って、声をかける。
「大丈夫ですか? いまわたしが――」
とりあえず【応急手当】をかけようと手を伸ばした瞬間、オレの腕が力強い手にがっちりと握られ、そしていきなり背後から抱きかかえられる。
なに? いったいこれはどういうこと?
何が起きたのか理解出来ないまま、オレは傍らの木にその身を押しつけられる。
「案ずる事は無い。全てを朕にゆだねるがいい」
え? この人はまさか?!
「朕とそなたとの間に恥じらいや遠慮は無用ぞ」
ええ? それでは本当に?
「皇帝にその身を捧げる事を天に感謝するがよい」
愕然とするオレの耳にはある意味で予想通りの、だが決して聞きたくない言葉が響いた。
--------------------------------------------------
どうして? なぜ?
皇帝がこの後宮に来るはずがないのでは?
力尽くで押しつけられた状態にあって、混乱した俺の脳裏には幾つもの考えが巻き起こる。
これは皇帝を名乗る何かの怪異のたぐいなのか?
いや。違う。それなら最初に見た段階で【霊視】で分ったはず。
オレを押さえつけるこの腕も何もかも、紛れもなくコイツが生きていて、厳然と存在している事を示している。
そしてこの後宮において皇帝を自称する事がかなう相手はひとりしかいない。
それではコイツがこのマニリア帝国の皇帝なのか?!
本当に?! 冗談じゃないぞ!
「そなたは我がもの、髪の毛一条、ツメの先に至るまで、残らず我が所有物だ」
背後から力尽くで抱きかかえられ、押さえ込まれたオレの耳に、野太い男の声が響く。
顔は見えないが、成人の男子であることは間違いない。
「さあ。何を恥じらう事がある。全てを主に捧げるが良い」
誰がするか!
テマーティンにはしつこく迫られて、少々うんざりはしたが、それでもオレに対して力尽くで無理強いするような真似は決してしなかった。
だがこの男は明らかにオレを蹂躙するつもりであり、こちらの意志など微塵も確認する事無く、オレの胸を強引につかんでくる。
「きゃぁぁぁぁ!」
あれ? オレはなんでこんな悲鳴を挙げているんだ?
いきなり胸をもみしだかれたら、女の子ならそんな悲鳴を挙げて当然だけど、オレは男のはずで――
ああ。そんな事を考えている場合ではない。
この場をどうやって乗り切るんだ。
相手が意図的にやっているのかどうかは不明だが腕を押さえつけられ、オレは魔術を使えない状況にある。
言い換えると今のオレは、ただの『か弱い乙女』でしかないのだ。
「おお……この顔、この身体、実に素晴らしい。我が心も身体もそそられる」
コイツはすでにオレをモノにしたつもりなのか。
ならばどうする?
この男が本当に皇帝なのか。それとも『皇帝を名乗るなにか』なのかは分らない。
だがオレを蹂躙するつもりである事は間違いない。
そしてオレはそんな相手に従うなど真っ平だ。
ここは表向き従順に従うと見せかけ、そこで隙を見て魔術を使うしかあるまい。
「お願いです……せめて優しく……」
オレはひとまず『か弱い乙女』のフリをして相手を油断させることにする。
ぐう。猛烈に羞恥心を消費するが、この身を蹂躙されるのに比べれば些細な事だ。
しかしオレは妙に冷静だな。
たぶん普通の女の子だったら、パニックに陥るものなんだろう。
まあ宮女だったらコイツを皇帝だと信じたなら、喜んで興奮するかもしれないけどオレは嫌悪感と不快感しか抱かない。
だけど心のどこかが妙に冷めているのは『この女の身体はどうせ自分のものじゃない』という人ごとのような意識が一部にあるからだろうか。
「ふふふ……よかろう。その身に我が全てを注ぎ込んでくれようぞ」
安心したのか男の手の束縛がゆるむ。
しめた。腕が自由になれば魔術が使える。
このチャンスを逃しはしないぞ。
オレはこんな状況では使い慣れた【平静】で男の精神をロックしようとして――その瞬間、鈍い打撃音が響いた。
え? 何が起きたんだ?
魔術をかけようとした瞬間、男の身体からは力が失われ、そのまま崩れ落ちる。
そして男が倒れたその背後に、もう一つの小さな人影が立っていた。
「アルタシャさん。大丈夫ですか!」
そこにいたのは手に庭石を持って、その身体を興奮で振わせているデレンダだった。
「どうしてここに?」
「すみません。気になったので、つい中庭に来てしまったんです。そうしたらアルタシャさんの悲鳴が聞こえたので駆けつけたら……」
どうやらデレンダはオレが襲われているのを見て、手近な石をつかみこの『皇帝』をぶん殴ったらしい。
感謝すべきなのは分っているが、これはかなり困った事になった。
オレ一人ならさっさとこの後宮を逃げ出したところだが、彼女を巻き込んでしまった以上、そういうワケにはいかなくなってしまったのだ。
「ところでこの男は何ものなんですか? なぜ後宮に?」
さすがにデレンダもこの男が皇帝だとは思っていないらしい。
女官にオレが何度も『皇帝が来ているわけではない』事を確認していたのを聞いていたのだからむしろ当然ではある。
そしてオレがとりあえず倒れた男の傷を確認すると、気絶はしているが致命傷というわけではなさそうだ。
こんな男は皇帝だろうがなんだろうが、どうなっても知ったこっちゃないが、さすがにデレンダを『殺人犯』にはしたくない。
ひとまず気絶している男は【植物歪曲】で周囲の庭木の根をねじ曲げて、その身体を拘束しておく。
だがこれでひとまず安心と胸をなで下ろすわけにはいかないのが現状だ。
「アルタシャさん。この男の事はすぐに報告しましょうよ」
この男が単なる『自称皇帝』ならそれでもいいだろう。
その場合、極刑に処されるかもしれないが、さすがにそこまでかばってやる義理など無い。
だが本当に皇帝の可能性があるなら、下手をすれば自殺行為である。
周囲を見回したところ他に人影はなく、この男は一人でここに来ていたらしい。
これも『本物の皇帝』だとすれば不可解だが、逆を言えばどうやって一人でこの後宮に入ってきたのか、という話になる。
オレは結局、この国の後宮にしきたりとかは殆ど知らないのだ――まさかあの『授業』を真面目に受けておくべきだったと後悔する日がこようとは夢にも思わなかったな。
いずれにせよ早いところこの場を離れねばなるまい。
オレはまだしもデレンダの事を誰かに見られたら、まずいことになりかねないのだ。
そしてこの場合、デレンダを預けられる見込みのある相手と言えば――オレにはこの後宮において一人しか思い当たる相手はいない。
「とりあえず。今はこっちについてきて」
「は、はい」
オレはデレンダを連れ、周囲を注意しつつ中庭を離れて、ユリフィラスの部屋を目指すことにした。
「あのう……本当に皇帝陛下が来るという話ではないのですか?」
「ええ。本当に私どももそれは聞いておりません」
オレは何度目か分らない質問を女官に繰り返し、女官達もまた同じ答えを返す。
「しかしこんな時間に身支度をしろとはどういう事なんでしょう?」
少々強引にオレに同行し、女官の手伝いをしているデレンダも首をひねっている。
体感でこの一時間というもの、オレの肌は五人の女官達が香油や石けんを使って徹底的に磨き上げ、顔には化粧が施され、髪は黄金の髪飾りで結い上げられていた。
鏡に映っている姿は、成熟した女性の優美さ、柔らかさと、少女の初々しさを微妙な均衡の元で兼ね備えており、あらゆる宝石をもかすませるものだった――これが自分自身のものでなければどれほど良かったか。
そして薄衣のドレスと装身具をまとった今のオレの姿を見て、周囲の面々は揃って感嘆の声をあげる。
「まったく女神様の降臨と言われても信じてしまいそうな、完璧な美しさです」
「唐突な話でしたので、少々不安でしたけど、我らが思い描いていた以上の素晴らしいお姿です」
陶酔した表情で賛辞を述べる女官達に、オレは力なく同意する。
「ええ……まるで夢のようです……」
本当に、こんな悪夢をいつまで続けねばならないのだろうか。
「はあ……非の打ち所がないとはこのことですよ」
女官の手伝いを強引に申し出て、周囲であくせくしていたデレンダもまたウットリとオレを見ている。
「あたしの夢見ていたお姫様の姿そのものです……ちょっと嫉妬してしまいますよ」
「あ、ありがとう……」
オレはデレンダに応じつつ、あらためて女官に問いかける。
「それはいいんですけど、本当に皇帝陛下のお越しではないのですね」
常識的に考えて、オレをこんな風に装うのは、皇帝がこの後宮に来る場合しかあり得ないはずだ。
もしそんな話を聞けば、オレは全身全霊を込めて脱走させてもらったところである。
しかしどうにもそれではないらしい。
「はい。私どもも最初はそう思ったのですが、どうも違うようです」
確かに女官が嘘をついているようには見えない。
皇帝に無礼があれば何人も首が飛ぶ――もちろん比喩ではない――のだから、事前に周知徹底して万全の体制を整えなければおかしいのだ。
そもそも皇帝が即位以来、一度も後宮に姿を見せていないということは、当然ながらここで皇帝の顔を知っている者も長官のオントールなどごく一部しかいないはずなので、秘密にしていたらどんなハプニングが起こるか分ったモノではない。
少なくともこの国の皇帝が、ラマーリア王国王太子のテマーティンのように身分を隠しお忍びであちこち遊び回るような、軽率ながら寛大な心の持ち主ということもないだろう。
当然、女官達がオレに対して嘘をつく理由もない。
万一の事があれば、彼女達だって連帯責任を問われるのは間違いないのだ。
オレが『皇帝のお召し』と聞けば、即座に逃走するつもりなのを知っていて、隠しているという事も考えられるが、その場合でも身柄を拘束するならともかく、こんな風に着飾らせるのはおかしい。
不可解な事だらけで、オレは女官に問いかける。
「これからどうすればいいんですか?」
「それなのですが……指示は中庭にてお待ち下さいということです」
女官も納得がいかない様子で首をひねっている。
確かに昼間ならともかく、すでに日も暮れているのに着飾って中庭に入るなど文字通り『錦を着て夜行く』そのものだ――いや。この場合、意味は違うけどね。
「まさか。怪異の事と関係があるんでしょうか?」
デレンダは心配そうに問いかけてくる。
確かに考えられそうなのはそれぐらいか。
オレを着飾らせ、エサにすることで怪異を呼び込んで退治させようとでも考えているのだろうか?
だがそれならオレに指示がないのはおかしい。
どうにもワケが分からないが、ここで逆らう事も出来なかった。
オレは納得いかないまま、中庭に向かう事になる。
魔法で視覚を強化し、また【霊視】や【除霊】をかけて怪異への対策をとった上でオレは中庭を練り歩く。
オレが怪異のエサにされるのは別に構わない――他の宮女がそうなるのに比べれば遙かにマシだ。
しかしオレに何も説明が無いのはどういうことだろうか?
ひょっとするとオレが断るとでも思ったのだろうか。
それならそれで構わないのだが、オレはもっと悪い事態を考えていた。
最悪の場合『怪異を鎮めるためオレを捧げる』『庭園完成のための生け贄にする』などという事もありうるかもしれない。
オントールは邪悪には見えなかったが、この庭園を完成させるために自分の命をなげうつ覚悟なのだ。
他人のオレを生け贄にする事だって躊躇しないかもしれない。
もちろん根拠はないが、そういうわけで警戒を怠るわけにはいかないな。
しかしこの中庭は昼間に見たら荘厳な光景だが、やはり夜だと地形や植物が複雑に入り組み、視界も開けていないので、緊張せずにはいられない。
そして注意しつつ歩いてるオレの視界の片隅に、人影が映った。
あれは誰だ?
見たところ一人だけのようだ。
木の陰に身体を預けるような体勢だが――まさか妖異に襲われた人がいる?!
オレは急いで駆け寄って、声をかける。
「大丈夫ですか? いまわたしが――」
とりあえず【応急手当】をかけようと手を伸ばした瞬間、オレの腕が力強い手にがっちりと握られ、そしていきなり背後から抱きかかえられる。
なに? いったいこれはどういうこと?
何が起きたのか理解出来ないまま、オレは傍らの木にその身を押しつけられる。
「案ずる事は無い。全てを朕にゆだねるがいい」
え? この人はまさか?!
「朕とそなたとの間に恥じらいや遠慮は無用ぞ」
ええ? それでは本当に?
「皇帝にその身を捧げる事を天に感謝するがよい」
愕然とするオレの耳にはある意味で予想通りの、だが決して聞きたくない言葉が響いた。
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どうして? なぜ?
皇帝がこの後宮に来るはずがないのでは?
力尽くで押しつけられた状態にあって、混乱した俺の脳裏には幾つもの考えが巻き起こる。
これは皇帝を名乗る何かの怪異のたぐいなのか?
いや。違う。それなら最初に見た段階で【霊視】で分ったはず。
オレを押さえつけるこの腕も何もかも、紛れもなくコイツが生きていて、厳然と存在している事を示している。
そしてこの後宮において皇帝を自称する事がかなう相手はひとりしかいない。
それではコイツがこのマニリア帝国の皇帝なのか?!
本当に?! 冗談じゃないぞ!
「そなたは我がもの、髪の毛一条、ツメの先に至るまで、残らず我が所有物だ」
背後から力尽くで抱きかかえられ、押さえ込まれたオレの耳に、野太い男の声が響く。
顔は見えないが、成人の男子であることは間違いない。
「さあ。何を恥じらう事がある。全てを主に捧げるが良い」
誰がするか!
テマーティンにはしつこく迫られて、少々うんざりはしたが、それでもオレに対して力尽くで無理強いするような真似は決してしなかった。
だがこの男は明らかにオレを蹂躙するつもりであり、こちらの意志など微塵も確認する事無く、オレの胸を強引につかんでくる。
「きゃぁぁぁぁ!」
あれ? オレはなんでこんな悲鳴を挙げているんだ?
いきなり胸をもみしだかれたら、女の子ならそんな悲鳴を挙げて当然だけど、オレは男のはずで――
ああ。そんな事を考えている場合ではない。
この場をどうやって乗り切るんだ。
相手が意図的にやっているのかどうかは不明だが腕を押さえつけられ、オレは魔術を使えない状況にある。
言い換えると今のオレは、ただの『か弱い乙女』でしかないのだ。
「おお……この顔、この身体、実に素晴らしい。我が心も身体もそそられる」
コイツはすでにオレをモノにしたつもりなのか。
ならばどうする?
この男が本当に皇帝なのか。それとも『皇帝を名乗るなにか』なのかは分らない。
だがオレを蹂躙するつもりである事は間違いない。
そしてオレはそんな相手に従うなど真っ平だ。
ここは表向き従順に従うと見せかけ、そこで隙を見て魔術を使うしかあるまい。
「お願いです……せめて優しく……」
オレはひとまず『か弱い乙女』のフリをして相手を油断させることにする。
ぐう。猛烈に羞恥心を消費するが、この身を蹂躙されるのに比べれば些細な事だ。
しかしオレは妙に冷静だな。
たぶん普通の女の子だったら、パニックに陥るものなんだろう。
まあ宮女だったらコイツを皇帝だと信じたなら、喜んで興奮するかもしれないけどオレは嫌悪感と不快感しか抱かない。
だけど心のどこかが妙に冷めているのは『この女の身体はどうせ自分のものじゃない』という人ごとのような意識が一部にあるからだろうか。
「ふふふ……よかろう。その身に我が全てを注ぎ込んでくれようぞ」
安心したのか男の手の束縛がゆるむ。
しめた。腕が自由になれば魔術が使える。
このチャンスを逃しはしないぞ。
オレはこんな状況では使い慣れた【平静】で男の精神をロックしようとして――その瞬間、鈍い打撃音が響いた。
え? 何が起きたんだ?
魔術をかけようとした瞬間、男の身体からは力が失われ、そのまま崩れ落ちる。
そして男が倒れたその背後に、もう一つの小さな人影が立っていた。
「アルタシャさん。大丈夫ですか!」
そこにいたのは手に庭石を持って、その身体を興奮で振わせているデレンダだった。
「どうしてここに?」
「すみません。気になったので、つい中庭に来てしまったんです。そうしたらアルタシャさんの悲鳴が聞こえたので駆けつけたら……」
どうやらデレンダはオレが襲われているのを見て、手近な石をつかみこの『皇帝』をぶん殴ったらしい。
感謝すべきなのは分っているが、これはかなり困った事になった。
オレ一人ならさっさとこの後宮を逃げ出したところだが、彼女を巻き込んでしまった以上、そういうワケにはいかなくなってしまったのだ。
「ところでこの男は何ものなんですか? なぜ後宮に?」
さすがにデレンダもこの男が皇帝だとは思っていないらしい。
女官にオレが何度も『皇帝が来ているわけではない』事を確認していたのを聞いていたのだからむしろ当然ではある。
そしてオレがとりあえず倒れた男の傷を確認すると、気絶はしているが致命傷というわけではなさそうだ。
こんな男は皇帝だろうがなんだろうが、どうなっても知ったこっちゃないが、さすがにデレンダを『殺人犯』にはしたくない。
ひとまず気絶している男は【植物歪曲】で周囲の庭木の根をねじ曲げて、その身体を拘束しておく。
だがこれでひとまず安心と胸をなで下ろすわけにはいかないのが現状だ。
「アルタシャさん。この男の事はすぐに報告しましょうよ」
この男が単なる『自称皇帝』ならそれでもいいだろう。
その場合、極刑に処されるかもしれないが、さすがにそこまでかばってやる義理など無い。
だが本当に皇帝の可能性があるなら、下手をすれば自殺行為である。
周囲を見回したところ他に人影はなく、この男は一人でここに来ていたらしい。
これも『本物の皇帝』だとすれば不可解だが、逆を言えばどうやって一人でこの後宮に入ってきたのか、という話になる。
オレは結局、この国の後宮にしきたりとかは殆ど知らないのだ――まさかあの『授業』を真面目に受けておくべきだったと後悔する日がこようとは夢にも思わなかったな。
いずれにせよ早いところこの場を離れねばなるまい。
オレはまだしもデレンダの事を誰かに見られたら、まずいことになりかねないのだ。
そしてこの場合、デレンダを預けられる見込みのある相手と言えば――オレにはこの後宮において一人しか思い当たる相手はいない。
「とりあえず。今はこっちについてきて」
「は、はい」
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前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
辺境貴族ののんびり三男は魔道具作って自由に暮らします
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書籍化決定しました!
(書籍化にあわせて、タイトルが変更になりました。旧題は『辺境伯家ののんびり発明家 ~異世界でマイペースに魔道具開発を楽しむ日々~』です)
壮年まで生きた前世の記憶を持ちながら、気がつくと辺境伯家の三男坊として5歳の姿で異世界に転生していたエルヴィン。彼はもともと物作りが大好きな性格で、前世の知識とこの世界の魔道具技術を組み合わせて、次々とユニークな発明を生み出していく。
辺境の地で、家族や使用人たちに役立つ便利な道具や、妹のための可愛いおもちゃ、さらには人々の生活を豊かにする新しい魔道具を作り上げていくエルヴィン。やがてその才能は周囲の人々にも認められ、彼は王都や商会での取引を通じて新しい人々と出会い、仲間とともに成長していく。
しかし、彼の心にはただの「発明家」以上の夢があった。この世界で、誰も見たことがないような道具を作り、貴族としての責任を果たしながら、人々に笑顔と便利さを届けたい——そんな野望が、彼を新たな冒険へと誘う。
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
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わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
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5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
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