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第9章 『思想の神』と『英雄』編
第199話 虐殺の神の信徒は何のために来たのか?
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食事の時間もオレは全く落ち着かず、味も全く分からなかった。
ただ周囲の孤児達はオレを気遣ってくれていた様子だから、たぶんたった一日の付き合いでもこちらの様子がおかしいのはダダ漏れだったのだろう。
いったいどうする?
今のところシャガーシュの連中が実力行使に出る様子は無いようだが、いつ牙をむいてくるか分かったもんじゃない。
いや。調べた資料でもこいつらは無思慮な虐殺や欲得尽くで略奪をするワケでは無い事は分かっているのだが、逆にスイッチが入ればいきなり殺戮集団と化す事を知ってしまうととても落ち着いてはいられない。
連中が何事も無くここを立ち去ってくれるまで、とにかく我慢するしかないのだろうか。
そんな事を考えてオレは孤児達と離れて一人悩んでいた。
気がつくと孤児院の建物の壁画の前に来て、イロールとおぼしき絵をついつい見上げていた。
またしてもこの女神を頼るしか無いのか?
それしか選択肢が無いならやむを得ない事だろう。
しかしこの壁画で女神と英雄が戦っているらしい『後光のさしている存在』はひょっとするとシャガーシュという事は考えられないだろうか?
相手は曲がりなりにも『太陽神』なのだから、そのように光輝く存在として描かれるのは決して不自然では無い。
もしも本当に戦ったのなら、いっそ根こそぎ殲滅してくれたらなら良かったのにと思わずにはいられない。
「君はアルタシャだったね?」
ぎくう! オレは思わず大げさに振り返る。
そこには相変わらず、エウスブスの親しげな笑顔があった。
「僕がシャガーシュの信徒だと名乗ってから、君はもの凄く緊張、いや警戒しているね? ひょっとしたら君は僕達の事について分かっているのかな?」
常識的に考えて五歳やそこらの幼女が、そんな事まで分かるはずがないだろう。
しかしエウスブスは真剣にこちらの目をのぞき込んできたので、ついつい視線を逸らしてしまう。
「その姿は聖女教会に仕える聖女のものだね? 聖女は美しく聡明な女性ばかりと聞いていたが、見たところ君は年齢にそぐわない知性があるようだけど、正直に言って驚いたよ」
やっぱり気づかれているらしい。
ただエウスブスの態度からすると、あくまでも『並外れて利発な幼女』と言うところまでだろうか。
「だけどこの孤児院にいると言うことは、正式に聖女教会に所属しているわけではないのだろう? だったら一つ提案があるんだ」
「なんですか?」
「我が教団は孤児を大勢受け入れているんだ。君ほどの人間なら我が教団でも喜んで受け入れるだろう。何しろシャガーシュを崇める女性は少ないからね。僕達も大歓迎だ。僕達についてくる気はないかな?」
バカ言ってるんじゃねーよ。
虐殺の片棒担ぐぐらいなら、聖女教会に戻った方がよっぽどマシだ。
「もしも君があと十歳、大きかった僕だってお嫁さんにしたいところだったよ」
そう言ってエウスブスはさわやかに笑う。
なかなかのイケメンなので、何も知らない女子だったらこれだけで魅了されても不思議じゃあるまい。
「すみませんけど、あなたのお嫁さんになる気はないです」
「ははは。君のような美人にフラれるとつらいなあ。それはともかくちょっとごめん。その横に座っていいかい?」
「え……ええ……」
エウスブスはオレの横に来て地面に腰を下ろす。
どうやら視線をオレに合わせるつもりらしい。
むう。なかなか子供のあしらいに慣れているな。
「君はきっと僕達がこの孤児院や村の人達を殺そうとしているのじゃないかと思って気に病んでいるんだろう?」
ごまかしても仕方ないので、オレは無言で頷いて肯定する。
「もちろん僕達もそういう評判が広まっている事は理解しているさ。君のような小さなお嬢さんにも知られているとは少し驚きだったけどね」
「違うと言うのですか?」
「少なくとも僕はそんな真似をした覚えは無いよ。《庇護》する対象については信徒の判断にゆだねられるからね。僕は僕なりに考えて行動する。もちろん戦場で敵を我が神の御許に送った事なら何度もあるけど」
あんたそれ五歳やそこらの子供に理解出来る話じゃないだろ。
オレが分かっていて聞いていると思っているなら、こっちを何者だと思っているんだ?
それとも何かカマをかけているのか?
「実を言うと僕は貴族の出身なんだよ」
「え?」
唐突な自分語りにオレはちょっとばかり面食らう。
「もちろん貴族と言っても下級の貴族さ。しかも僕は三男坊だったから、跡を継ぐ見込みも無く要するに『穀潰し』でしかなかったよ。だけどそれでも領民達からは『お貴族様』と持ち上げられてね。そんな周囲と自分自身の現実の差がつらかったんだ」
周囲の目と自分自身の認識のギャップに悩むと言うのは、ほんのちょっとだけどオレに自身にもつまされる話だな。
「だから僕はシャガーシュに入信したんだ。そこなら過去のしがらみに一切囚われずに生きていけるからね」
なるほど。エウスブスは結構、育ちが良さそうで人当たりもいいからどこの出身かと思っていたらそういう理由があったのか。
貴族の三男坊で跡を継ぐ見込みも無いと、武芸の訓練ばかりやっていたとかそういう事もあるだろうからな。
だけどオレが知りたいのはもうちょっと別の事だ。
「ところで皆さんはここに何をしにこられたのですか? 良かったら教えて下さい」
いくら何でも虐殺しに来たワケでないのは分かっているけど、この孤児院から子供達を連れ出すつもりなら ―― どうすべきだろうか?
無理矢理だったらそれを許すわけにいかないが、同意して従う子供がいたとして、それを引き留める資格がオレにあるのか?
シャガーシュの教団がロクでもない事は承知しているけど、そこに希望を抱いて入信する人間の気持ちもオレには分かってしまうのだ。
「僕達は人を探しに来たんだよ。君のような金髪の美しい人をね」
いい?! それってまさか?!
本来ならポーカーフェイスでいるべきなんだろうが、思いもかけぬ一言についついモロに顔に出してしまう。
そしてそんなオレを見てエウスブスはまたしても安心させる笑みを浮かべる。
「そんなに驚かなくてもいいよ。君じゃないのは分かっているからさ。とにかく僕達は君が心配するような事は何も無いというところだけは分かって欲しいんだ」
そう言うとエウスブスは立ち上がり、オレの頭を撫でて歩き出す。
どうやら話は終わりのようだ。
まさかこいつらも『アルタシャ』を探しているのか?
だけど決しておかしくはない。何しろオレはかつて戦闘で一度に何十人も怪我を治した事があるからな。
その評判を聞いているなら、こいつらが戦闘で多大な犠牲を出しているわけだから、それだけの回復役がいて欲しいと思うのは当然だ。
かなり深刻な事態に直面している事に、オレは少々どころで無く愕然となっていた。
その日の昼前にエウスブス達シャガーシュの信徒達はひとまず引き上げていった。
去り際までもエウスブスは一貫して愛想の良い、親しみやすい態度を変える事は無く、表面的には確かに『虐殺の神』と呼ばれている神の信徒などとはとても思えなかったのは確かだ。
もしも魔法で収納している資料を検索していなかったら、オレもまるで警戒などしなかったかもしれない。
ただし連中はオレが危惧していたように、虐殺を始めたり、孤児達を連れて行ったりする事はなく、その点ではホッとしたところだった。
しかしながら男子の中には彼らにちょっとばかり憧れを見せるものもいて、他人事ながらやっぱり心配にはなってくる。
それはともかくあの連中が『アルタシャ』を探しているとしたら、かなり深刻な問題だ。
当然ながらオレを捜索しているのはさっきのシャガーシュの連中だけではあるまい。
他にもいろいろな奴らが血眼になって探していると考えるべきだろう。
回復役として当てにするとか、身柄を抑えて聖女教会との交渉材料にするとかまだマシだ。
だけど実験材料にするとか、神に生け贄として捧げるとか、あとあんまり考えたくないけど『嫁』として狙っている事が十分にありうるからな。
もしその通りだとしたら、この幼女の身体になってしまったのはむしろ幸運だったかもしれない。
いくら何でも五歳かそこらの今のオレを見て、評判になっているアルタシャとは思うはずがないからな。
もともとこの世界には写真など無いし、聖女教会がらみだと金髪と青紫の瞳は珍しくもないのだからオレを疑う要素は無いはずだ。
そしてそうなるとオレの名前もモラーニ同様に『あやかって名付けられた』と思うのが当たり前だろう。
とりあえず今のところはこのままで様子を見て、連中が諦めるのを待つべきだろうか。
モラーニ達を騙しているようで気が引けるけど、今は頼りにさせてもらいます。
ほとぼりが冷めてここを出て行く時は、鞄の中のお金は全部モラーニに引き渡すのでそれでどうにかご勘弁を願いたい。
そんな事を考えていると、モラーニが男子達に説教をしていた。
「先生はあの人達が嫌いなんですか? どうしてです?」
「わたしは武器を持って戦うことが好きではありませんが、全て否定する気もありません。我が夫もそういう人間でしたからね」
この世界の貴族は多くの場合、軍の指揮官でもあるからそりゃまあ当然だろうな。
それに人間相手の戦いだけでなくモンスターとの戦いもあるから、非武装主義なんてわけにはいかない。
まあこの世界には神様は多いから、ひょっとすると非武装主義を唱えている神様もどこかにいるかもしれないけどな。
「だけどあのシャガーシュの信徒はダメです」
「なぜですか?」
男子の疑問に対してモラーニは険しい表情を浮かべる。
まあ幼児に対して『虐殺』云々について詳しく説明するのは難しいだろうからな。
「あの人達と一緒にいたら凄くつらい目に遭いますよ。もしもあなた方が将来、武器を取って戦う仕事に就きたいのならば、もう少し大きくなったところで、わたしが夫に紹介しますから、もうあんな人達には近づいてはなりません。いいですね」
「分かりました……」
モラーニの言葉を聞いて、男子達は一応は頷く。
ちょっとした憧れ程度だろうから、大好きなモラーニに説教されてまで意地を張る程の事でもないだろう。
しかし連中とモラーニがどんな話をしたのか、それは是非とも知りたいな。
「あのう先生、ひとつ聞いていいですか?」
「なんですか」
「さっきの人達と先生はどんなお話をしていたんです」
「それはあなたが知る必要の無いことです」
うう。やっぱりそうなるか。
モラーニの考えている事も分かるんだけど、今はホンの少しばかり、あの愛想の良いエウスブスの事を思い浮かべてしまったよ。
「あなた方とは全く関係の無い事ですし、心配する必要もありません。みんなは今まで通り暮らせばいいのですよ」
本当にシャガーシュの連中が『アルタシャ』を探しているだけなら、この孤児達と無関係なのも当然だ。
しかし本当にそれだけなのだろうか?
「とりあえずわたしは村長のところに行ってきます。みんなはわたしが帰ってくるまで、この建物から出る事無く待っていなさい。いいですね」
「はーい!」
孤児達に釘を刺したところでモラーニは出て行くが、その背中を見ていてオレは一つの疑問を抱く。
そうだ。よくよく考えて見ると、もしもシャガーシュの連中がオレを探しているなら、聖女であるモラーニにそれを尋ねるのは不自然だ。
モラーニが仮に『アルタシャ』の事を知っていたとしても、異教徒に教えるはずが無い。
彼女がシャガーシュの教団を嫌っている事は知らなくとも、オレの事は『聖女教会の英雄』と思っているのは明らかだ。
その英雄の身柄を別の神の信徒に抑えられるような事を望むのはおかしい。
それに回復魔法を有する聖女教会と正面切って争う気がないとしたら、シャガーシュの連中は秘密裏に行動するのではないだろうか。
先ほど出会い、話をしたエウスブスの理性的な態度からして、その程度の事が考えられなかったとはとても思えない。
もちろんモラーニが嫌っているだけで、実はシャガーシュの連中は聖女教会の依頼でオレを探しているという可能性もあり得る。
弱者に対する救貧活動に尽力している聖女教会と、そういう人々を『庇護』の名目で虐殺するシャガーシュの教団との関係が険悪なのは間違いないが『汚れ仕事』をやらせる可能性は否定出来ない。
なにしろ聖女教会は裏で何を企んでいるか分かったものじゃないからな。
表向きは仲の悪そうなもの同士が、実は裏では手を組んでいたなんて定番の展開じゃないか。
しかしいずれにしてもこれらは全部、推測に過ぎない。
そんなわけでオレはちょっくら院長室に入らせてもらおう。
悪いとは思うけどさっき何があったのか調べて、あとは蔵書を少しばかりあさらせてもらいます。
オレは出て行くモラーニの後ろ姿を見つめつつ、次にやることを決めたのだった。
ただ周囲の孤児達はオレを気遣ってくれていた様子だから、たぶんたった一日の付き合いでもこちらの様子がおかしいのはダダ漏れだったのだろう。
いったいどうする?
今のところシャガーシュの連中が実力行使に出る様子は無いようだが、いつ牙をむいてくるか分かったもんじゃない。
いや。調べた資料でもこいつらは無思慮な虐殺や欲得尽くで略奪をするワケでは無い事は分かっているのだが、逆にスイッチが入ればいきなり殺戮集団と化す事を知ってしまうととても落ち着いてはいられない。
連中が何事も無くここを立ち去ってくれるまで、とにかく我慢するしかないのだろうか。
そんな事を考えてオレは孤児達と離れて一人悩んでいた。
気がつくと孤児院の建物の壁画の前に来て、イロールとおぼしき絵をついつい見上げていた。
またしてもこの女神を頼るしか無いのか?
それしか選択肢が無いならやむを得ない事だろう。
しかしこの壁画で女神と英雄が戦っているらしい『後光のさしている存在』はひょっとするとシャガーシュという事は考えられないだろうか?
相手は曲がりなりにも『太陽神』なのだから、そのように光輝く存在として描かれるのは決して不自然では無い。
もしも本当に戦ったのなら、いっそ根こそぎ殲滅してくれたらなら良かったのにと思わずにはいられない。
「君はアルタシャだったね?」
ぎくう! オレは思わず大げさに振り返る。
そこには相変わらず、エウスブスの親しげな笑顔があった。
「僕がシャガーシュの信徒だと名乗ってから、君はもの凄く緊張、いや警戒しているね? ひょっとしたら君は僕達の事について分かっているのかな?」
常識的に考えて五歳やそこらの幼女が、そんな事まで分かるはずがないだろう。
しかしエウスブスは真剣にこちらの目をのぞき込んできたので、ついつい視線を逸らしてしまう。
「その姿は聖女教会に仕える聖女のものだね? 聖女は美しく聡明な女性ばかりと聞いていたが、見たところ君は年齢にそぐわない知性があるようだけど、正直に言って驚いたよ」
やっぱり気づかれているらしい。
ただエウスブスの態度からすると、あくまでも『並外れて利発な幼女』と言うところまでだろうか。
「だけどこの孤児院にいると言うことは、正式に聖女教会に所属しているわけではないのだろう? だったら一つ提案があるんだ」
「なんですか?」
「我が教団は孤児を大勢受け入れているんだ。君ほどの人間なら我が教団でも喜んで受け入れるだろう。何しろシャガーシュを崇める女性は少ないからね。僕達も大歓迎だ。僕達についてくる気はないかな?」
バカ言ってるんじゃねーよ。
虐殺の片棒担ぐぐらいなら、聖女教会に戻った方がよっぽどマシだ。
「もしも君があと十歳、大きかった僕だってお嫁さんにしたいところだったよ」
そう言ってエウスブスはさわやかに笑う。
なかなかのイケメンなので、何も知らない女子だったらこれだけで魅了されても不思議じゃあるまい。
「すみませんけど、あなたのお嫁さんになる気はないです」
「ははは。君のような美人にフラれるとつらいなあ。それはともかくちょっとごめん。その横に座っていいかい?」
「え……ええ……」
エウスブスはオレの横に来て地面に腰を下ろす。
どうやら視線をオレに合わせるつもりらしい。
むう。なかなか子供のあしらいに慣れているな。
「君はきっと僕達がこの孤児院や村の人達を殺そうとしているのじゃないかと思って気に病んでいるんだろう?」
ごまかしても仕方ないので、オレは無言で頷いて肯定する。
「もちろん僕達もそういう評判が広まっている事は理解しているさ。君のような小さなお嬢さんにも知られているとは少し驚きだったけどね」
「違うと言うのですか?」
「少なくとも僕はそんな真似をした覚えは無いよ。《庇護》する対象については信徒の判断にゆだねられるからね。僕は僕なりに考えて行動する。もちろん戦場で敵を我が神の御許に送った事なら何度もあるけど」
あんたそれ五歳やそこらの子供に理解出来る話じゃないだろ。
オレが分かっていて聞いていると思っているなら、こっちを何者だと思っているんだ?
それとも何かカマをかけているのか?
「実を言うと僕は貴族の出身なんだよ」
「え?」
唐突な自分語りにオレはちょっとばかり面食らう。
「もちろん貴族と言っても下級の貴族さ。しかも僕は三男坊だったから、跡を継ぐ見込みも無く要するに『穀潰し』でしかなかったよ。だけどそれでも領民達からは『お貴族様』と持ち上げられてね。そんな周囲と自分自身の現実の差がつらかったんだ」
周囲の目と自分自身の認識のギャップに悩むと言うのは、ほんのちょっとだけどオレに自身にもつまされる話だな。
「だから僕はシャガーシュに入信したんだ。そこなら過去のしがらみに一切囚われずに生きていけるからね」
なるほど。エウスブスは結構、育ちが良さそうで人当たりもいいからどこの出身かと思っていたらそういう理由があったのか。
貴族の三男坊で跡を継ぐ見込みも無いと、武芸の訓練ばかりやっていたとかそういう事もあるだろうからな。
だけどオレが知りたいのはもうちょっと別の事だ。
「ところで皆さんはここに何をしにこられたのですか? 良かったら教えて下さい」
いくら何でも虐殺しに来たワケでないのは分かっているけど、この孤児院から子供達を連れ出すつもりなら ―― どうすべきだろうか?
無理矢理だったらそれを許すわけにいかないが、同意して従う子供がいたとして、それを引き留める資格がオレにあるのか?
シャガーシュの教団がロクでもない事は承知しているけど、そこに希望を抱いて入信する人間の気持ちもオレには分かってしまうのだ。
「僕達は人を探しに来たんだよ。君のような金髪の美しい人をね」
いい?! それってまさか?!
本来ならポーカーフェイスでいるべきなんだろうが、思いもかけぬ一言についついモロに顔に出してしまう。
そしてそんなオレを見てエウスブスはまたしても安心させる笑みを浮かべる。
「そんなに驚かなくてもいいよ。君じゃないのは分かっているからさ。とにかく僕達は君が心配するような事は何も無いというところだけは分かって欲しいんだ」
そう言うとエウスブスは立ち上がり、オレの頭を撫でて歩き出す。
どうやら話は終わりのようだ。
まさかこいつらも『アルタシャ』を探しているのか?
だけど決しておかしくはない。何しろオレはかつて戦闘で一度に何十人も怪我を治した事があるからな。
その評判を聞いているなら、こいつらが戦闘で多大な犠牲を出しているわけだから、それだけの回復役がいて欲しいと思うのは当然だ。
かなり深刻な事態に直面している事に、オレは少々どころで無く愕然となっていた。
その日の昼前にエウスブス達シャガーシュの信徒達はひとまず引き上げていった。
去り際までもエウスブスは一貫して愛想の良い、親しみやすい態度を変える事は無く、表面的には確かに『虐殺の神』と呼ばれている神の信徒などとはとても思えなかったのは確かだ。
もしも魔法で収納している資料を検索していなかったら、オレもまるで警戒などしなかったかもしれない。
ただし連中はオレが危惧していたように、虐殺を始めたり、孤児達を連れて行ったりする事はなく、その点ではホッとしたところだった。
しかしながら男子の中には彼らにちょっとばかり憧れを見せるものもいて、他人事ながらやっぱり心配にはなってくる。
それはともかくあの連中が『アルタシャ』を探しているとしたら、かなり深刻な問題だ。
当然ながらオレを捜索しているのはさっきのシャガーシュの連中だけではあるまい。
他にもいろいろな奴らが血眼になって探していると考えるべきだろう。
回復役として当てにするとか、身柄を抑えて聖女教会との交渉材料にするとかまだマシだ。
だけど実験材料にするとか、神に生け贄として捧げるとか、あとあんまり考えたくないけど『嫁』として狙っている事が十分にありうるからな。
もしその通りだとしたら、この幼女の身体になってしまったのはむしろ幸運だったかもしれない。
いくら何でも五歳かそこらの今のオレを見て、評判になっているアルタシャとは思うはずがないからな。
もともとこの世界には写真など無いし、聖女教会がらみだと金髪と青紫の瞳は珍しくもないのだからオレを疑う要素は無いはずだ。
そしてそうなるとオレの名前もモラーニ同様に『あやかって名付けられた』と思うのが当たり前だろう。
とりあえず今のところはこのままで様子を見て、連中が諦めるのを待つべきだろうか。
モラーニ達を騙しているようで気が引けるけど、今は頼りにさせてもらいます。
ほとぼりが冷めてここを出て行く時は、鞄の中のお金は全部モラーニに引き渡すのでそれでどうにかご勘弁を願いたい。
そんな事を考えていると、モラーニが男子達に説教をしていた。
「先生はあの人達が嫌いなんですか? どうしてです?」
「わたしは武器を持って戦うことが好きではありませんが、全て否定する気もありません。我が夫もそういう人間でしたからね」
この世界の貴族は多くの場合、軍の指揮官でもあるからそりゃまあ当然だろうな。
それに人間相手の戦いだけでなくモンスターとの戦いもあるから、非武装主義なんてわけにはいかない。
まあこの世界には神様は多いから、ひょっとすると非武装主義を唱えている神様もどこかにいるかもしれないけどな。
「だけどあのシャガーシュの信徒はダメです」
「なぜですか?」
男子の疑問に対してモラーニは険しい表情を浮かべる。
まあ幼児に対して『虐殺』云々について詳しく説明するのは難しいだろうからな。
「あの人達と一緒にいたら凄くつらい目に遭いますよ。もしもあなた方が将来、武器を取って戦う仕事に就きたいのならば、もう少し大きくなったところで、わたしが夫に紹介しますから、もうあんな人達には近づいてはなりません。いいですね」
「分かりました……」
モラーニの言葉を聞いて、男子達は一応は頷く。
ちょっとした憧れ程度だろうから、大好きなモラーニに説教されてまで意地を張る程の事でもないだろう。
しかし連中とモラーニがどんな話をしたのか、それは是非とも知りたいな。
「あのう先生、ひとつ聞いていいですか?」
「なんですか」
「さっきの人達と先生はどんなお話をしていたんです」
「それはあなたが知る必要の無いことです」
うう。やっぱりそうなるか。
モラーニの考えている事も分かるんだけど、今はホンの少しばかり、あの愛想の良いエウスブスの事を思い浮かべてしまったよ。
「あなた方とは全く関係の無い事ですし、心配する必要もありません。みんなは今まで通り暮らせばいいのですよ」
本当にシャガーシュの連中が『アルタシャ』を探しているだけなら、この孤児達と無関係なのも当然だ。
しかし本当にそれだけなのだろうか?
「とりあえずわたしは村長のところに行ってきます。みんなはわたしが帰ってくるまで、この建物から出る事無く待っていなさい。いいですね」
「はーい!」
孤児達に釘を刺したところでモラーニは出て行くが、その背中を見ていてオレは一つの疑問を抱く。
そうだ。よくよく考えて見ると、もしもシャガーシュの連中がオレを探しているなら、聖女であるモラーニにそれを尋ねるのは不自然だ。
モラーニが仮に『アルタシャ』の事を知っていたとしても、異教徒に教えるはずが無い。
彼女がシャガーシュの教団を嫌っている事は知らなくとも、オレの事は『聖女教会の英雄』と思っているのは明らかだ。
その英雄の身柄を別の神の信徒に抑えられるような事を望むのはおかしい。
それに回復魔法を有する聖女教会と正面切って争う気がないとしたら、シャガーシュの連中は秘密裏に行動するのではないだろうか。
先ほど出会い、話をしたエウスブスの理性的な態度からして、その程度の事が考えられなかったとはとても思えない。
もちろんモラーニが嫌っているだけで、実はシャガーシュの連中は聖女教会の依頼でオレを探しているという可能性もあり得る。
弱者に対する救貧活動に尽力している聖女教会と、そういう人々を『庇護』の名目で虐殺するシャガーシュの教団との関係が険悪なのは間違いないが『汚れ仕事』をやらせる可能性は否定出来ない。
なにしろ聖女教会は裏で何を企んでいるか分かったものじゃないからな。
表向きは仲の悪そうなもの同士が、実は裏では手を組んでいたなんて定番の展開じゃないか。
しかしいずれにしてもこれらは全部、推測に過ぎない。
そんなわけでオレはちょっくら院長室に入らせてもらおう。
悪いとは思うけどさっき何があったのか調べて、あとは蔵書を少しばかりあさらせてもらいます。
オレは出て行くモラーニの後ろ姿を見つめつつ、次にやることを決めたのだった。
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教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。
友達もなく、未来への希望もない。
そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。
突如として芽生えた“成長システム”。
努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。
筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。
昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。
「なんであいつが……?」
「昨日まで笑いものだったはずだろ!」
周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。
陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。
だが、これはただのサクセスストーリーではない。
嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。
陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。
「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」
かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。
最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。
物語は、まだ始まったばかりだ。
スキルはコピーして上書き最強でいいですか~改造初級魔法で便利に異世界ライフ~
深田くれと
ファンタジー
【文庫版2が4月8日に発売されます! ありがとうございます!】
異世界に飛ばされたものの、何の能力も得られなかった青年サナト。街で清掃係として働くかたわら、雑魚モンスターを狩る日々が続いていた。しかしある日、突然仕事を首になり、生きる糧を失ってしまう――。 そこで、サナトの人生を変える大事件が発生する!途方に暮れて挑んだダンジョンにて、ダンジョンを支配するドラゴンと遭遇し、自らを破壊するよう頼まれたのだ。その願いを聞きつつも、ダンジョンの後継者にはならず、能力だけを受け継いだサナト。新たな力――ダンジョンコアとともに、スキルを駆使して異世界で成り上がる!
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