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Saito>>>>Sei Side 3
②「夕飯、そして些細なミス」
しおりを挟む「――っていうことがあったんだけどさ、何だと思う?」
俺は地方総体の試合後に帰宅した我が家のリビングの食卓で、カウンター越しに、キッチンで夕飯を作るエプロン姿の成に今日の会場での紘都に関する出来事をかいつまんで説明していた。試合に勝ったし来月の全国総体にも勝つようにと、今晩はカツ丼にすると成は油の良い爆ぜる音をさせて豚カツを揚げている。
「うーん……森嶋君が城ノ宮二中出身っていうのは知っているんだけど、どんなメンバーがいたのかは昔の記録を読み返しても把握できていないんだよね」
「俺は何となく覚えてる。中三の春ごろだか夏前だかに合同練習に行って、何校か集まっていたからそれほど親密に関わったわけじゃないんだけど、けっこう強いし仲の良さそうな部で……キャプテンって奴と挨拶もしたんだ」
“常陸”。『お前らの代でキャプテンをやっていた』と言われていた人。ぼんやり、とその顔が浮かびそうになるが、実像を結ぶ前に霧散する。
「ああ、ダメだ。あんまり思い出せない」
「森嶋君に直接聞いた方がいいんじゃない?」
それはそうだけど、と返しながら、それはできないかも、と考える。
「聞きにくい雰囲気?」
「めちゃくちゃそう。だけどそれ以上に、やっぱり紘都はまだ俺らに壁があるんだよなあ」
今まで感じてきたことを素直に打ち明ける。揚がったカツの油を切りながら、成がこちらを見てほほ笑む。
「フェンシング部の一年メンバーに?」
「うん。ほら俺ら五人は中学部から持ち上がりで、紘都だけ他から来たじゃん? そりゃあ、無意識に内輪ノリとかエピソードトークとかやっちゃってたら入り辛かったり気を遣ったりするだろうけど、俺らもその辺りは気を付けているし、紘都をハブくようなことをする奴もいないし」
「……そういうのを気にする人にも見えないけど」
「そうなんだよなあ。自分は自分、他人は他人、みたいな奴でもあるし、全員ライバルだからいつでも倒す、慣れ合う気はありません、ってことにも思えるんだけど」
「けど?」
「なんか、そういうのじゃないんだよなあ……ごめん、うまく言えないや」
俺は腕を組んで考え込む。
それをしばらく見守って、成がクスリと笑った。
「気になるなら、城ノ宮二中時代のことや、常陸って選手のこと、俺が探ってみようか?」
こともなげに言う。俺は、えっと驚き、すぐに『分析・傾向・対策ノート』のことを思い浮かべた。
どういう人脈やルートがあるのか知らないが、成は中学時代から俺の対戦相手に関する情報をスパイみたいに事細かに調べ上げ、纏め、提供してくれる。そんなコイツなら紘都の件であっても、あっという間にSNSで城ノ宮二中出身者や城ノ宮北高の現役フェンシング部員と仲良くなりでもして、そこから情報を吸い上げ、点と点を繋いで知らせてくれそうだ。
でも。
「いや、今回はいいや」
俺の辞退に、成が微かに眉を下げる。
「何で? 気になっているんでしょ?」
「それはそうだけど――でもそれは俺が気になっていることで、俺のことじゃないし」
彼が納得いかない顔で首を傾げる。俺は椅子の上に足を上げて胡坐をかき、あまり自分の本心が漏れ出し過ぎないように気をつけながら答えた。
「成は俺の為にだけ労力を使ってよ。俺の全国大会に向けて、各県の代表選手の情報の方を探って。紘都の方は、自分で聞くようにするから」
つまり俺は今、成が紘都のことを深堀りして、俺以外の男に関心を向ける状況に、微かな嫉妬の種を感じていた。そういう意味じゃないとは分かっているが、成が俺以外の奴に意識を向ける、時間を割く、労力を傾ける、そのどれも嫌だし、ちょっと許せない。
「そう? 分かった。じゃあ、そっちを頑張るから、手伝えることがあったら言ってね」
俺の説明で納得したようで、成はそう言って笑った。薄い唇から白い歯列を覗かせて、奥二重の目が細まって半月型になっている。浮き出た涙袋の中に、左目の下の黒子が隠れてしまう。
くそ、何度でも惚れ直してしまうくらい格好いい。
成はそれ以上は言わず、玉子をといて、平鍋の上で出汁を温めている。成のカツ丼は豚カツと玉子を一緒に煮込まずごはんの上に別々にのせてくれるから、衣がさくさくしておいしいのだ。これも俺の好物。試合後の空腹に、ちゃんと俺の好みを考慮して最高の献立を出してくれる。成の配慮と優しさがこもった、待ち遠しいごちそう。
「……あ、ごめん」
ほとんどカツ丼の工程を完成させた成が、背後の炊飯器を振り返ってポツリとそう言った。一瞬、俺と彼の間に嫌な間が空く。彼がゆっくり、こちらを振り返る。
「本当にごめん。炊飯器の予約スイッチが、切れてる」
死刑宣告のような通達であった。
「え、嘘だろ!? 米がないってこと!?」
「朝、この時間に炊き上がるようにセットして出たはずなんだけど……あれ、何でだろう?」
珍しく慌てた様子で、成はわたわたと炊飯器の中を見たり冷凍庫やパントリーを探る。俺は絶望感に打ちのめされる。カツ丼がメインで米がなければ、それはもう永遠に完成しない別の何かで、楽しみにも満足にも辿り着けない地獄のお預けタイムの到来ではないか。
成が予約を仕損じるなんて、……いや、彼がそんな凡ミスをするだろうか? 何百回と我が家で米を炊いてきた成だぞ。これは――俺の脳裏に、間抜けでお茶目なうちの両親の顔が浮かんだ。これは恐らく、どちらかが何かのタイミングでうっかりと炊飯器の予約設定を切った可能性が高い。
「ああ、今日に限って冷凍ご飯もレトルトパックもない。本当にごめん、もっと早くに気づけばよかった。うちに戻って……もたぶんないから、コンビニに買いに行ってくる」
「いや、いい。むしろ俺が行ってくる」
親の不手際は子が尻拭いするのだ。席を立とうとした俺を、成が慌てて止める。
「いいよいいよ、彩人は疲れているんだから座っていて。試合の後でお腹が減ってるだろう、おかずは先に食べていていいから、本当にごめん」
成がエプロンを外して、傍らのスマホを掴む。何回謝るんだよ、と思いながら、ダイニングテーブルの横を駆け抜けようとするから強引に腕を掴んで、もう一度声を掛けた。
「そんなに急がなくても大丈夫だよ。俺、待てるし。今から炊いたらいいじゃん」
「でも時間がかかるし、カツが冷めるよ」
「食べる前にもう一回温めたら平気だろ」
電子レンジを指さすと、成はそちらを見て逡巡し、一回溜め息を吐いて、キッチンに戻って炊飯器のスイッチを押した。
「急速炊きと蒸らしで30分。待ってください……」
成がこちらに向いて力ない声で言った。すっかり肩が落ちている。俺はむしろ、コイツの珍しい消沈姿を見られて得した気分になったまであり、笑いながら了承した。
「じゃあせめて、炊き上がるまでお詫びするよ」
成が申し訳なさそうに言い、俺の腕を掴み返した。そのまま腕を引かれ、廊下に連れ出され、一番玄関に近い小部屋に連れていかれる。
そこは我が家で一番間取りは狭いが、ダンベルだの腹筋マシーンだのが置かれた、俺専用に設えられた筋トレ部屋だ。そこの床に敷かれた一畳分のトレーニングマットの上にうつ伏せになるように指示し、成は俺の傍らに腰を下ろした。
「夕飯までの埋め合わせ。疲労が溜まっているところがあったら、遠慮なく言ってね」
そう言って、彼はおもむろに俺の足首の方からマッサージを始めるのだった。
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