殺し合う家族

桐谷 碧

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1,新田家の日常

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「てんめぇえええええーーー」
「ぎゃーーー、殺されるーーーーー」

 仕事から帰宅して玄関の扉を開けると、中学生になったばかりの娘と妻の理沙りさが金切り声を上げて叫んでいた。初めて聞いた時には何事かと思い駆けつけたが、今では我が家の日常と化していたので、ため息も出ない。

 新田順平にったじゅんぺいはリビングの扉をスルーして自室がある二階を目指した、背後からは長女の断末魔の叫びが聞こえてくる、恐らく妻が手を上げたのだろう。女の子に暴力を振るうことに躊躇いがない妻は日常的に子供達に手を上げている。

 父親として意義を申し立てた事もあったが育児に参加していない自分に対する文句、いや、後半は殆ど罵倒であったが何十倍にもなって返ってくるので諦めた、もとより子供達にも妻にも何の興味もなくなっていたので意見すること事態が間違っていたのだが。

 スーツをハンガーに掛けてよれたスウェットに着替えると憂鬱な気分のまま階段を降りた、すでに長女の絶叫は収まっていたがリビングの扉を開けるのが怖い、まさかぐったりと横たわり死んでいる、なんて事はないだろうが。

「ただいまぁ」

 おそるおそる扉を開くとソファに座っていた四人が一斉に振り返る、カッターで切れ込みを入れたような細い目が八つ、皆一様に同じ顔をしている。朝鮮人特有の細いつり目は三人の娘に漏れなく継承された。パッチリとした二重の順平の遺伝子はすっかりかき消されている。

 こちらを一瞥した後に視線をテレビに戻す、先程の騒ぎが嘘のように静かだった、それにしても一日働いてきた父親におかえりの一言もなくなったのはいつからだったか、既に思い出せなかった。

 カウンターキッチンに横付けされたダイニングテーブルにはラップに包まれた麻婆豆腐とサラダが置かれている、味噌汁は温め直して白米は自分でよそう。妻とはすでに二年近くまともに会話をしていないが夕飯だけは用意してくれるので助かっている。

 月にニ万円の小遣いで夕飯も出なかったらとてもやっていけない。しかし小遣いが少ないのは自分の稼ぎが少ないからに他ならず、それを妻の責任にする事はできなかった。

 ラップを外してレンジで温めもせずに口に運ぶ、味わう気はない、腹に溜まればそれで良い、金切り声を上げていた長女の果穂かほは大人しくスマホをいじっている。三年前に発達障害と宣告された時から娘に対する愛情は少しづつ薄れていった。

 二女の春華はるかはまだ大人しいが油断はできない、三女の瑞希みずきはかろうじて自分に話しかけてくる事もあるが、それも段々と減っていく傾向にある。

 二十五歳で結婚して十七年、縁もゆかりもない千葉県の奥地に建売の一軒家を購入して三人の娘に恵まれた。旗から見たら幸せな家庭に映るかもしれないが現状は家の中での連絡手段すらラインを使うほど夫婦仲は冷え切っていた。

 食べ終えて食器を洗うと自室に戻りパソコンを開く、十年前に引っ越してきた時に自分の部屋だけは欲しいと懇願した、一人になれる空間が無かったらとうの昔に気が狂っていたかも知れない、ベッドにパソコン机が有るだけの四畳半、ここが七十五歳までローンを支払うことが決定している我が家で唯一落ち着ける空間だった。

 ヘッドホンをしてパソコンでゲームをしているといつの間にか十二時を回っていた、そろそろ妻も寝ているだろう、部屋を出て階段を降りると既にリビングは暗闇が支配していた。電気も付けずに風呂場に移動すると洗濯機に下着を放り込んでかけ湯もせずに湯船に飛び込んだ。

「冷たっ!!!」
 湯船はすっかり冷えていた、保温機能もオフになっている。
「くっそー」

 追い焚きボタンを押して我慢していると五分もたたずに程よい温度に戻っていった。肩まで浸かり湯船の湯で濡らしたタオルを顔の上に乗せた。

 騙された――。

 と言うのは些か言い過ぎかもしれない、しかし結婚を約束して相手の両親に会う直前に告白された事に対して多少の嫌悪感を抱いたのは事実だ。だからと言って婚約破棄をするほどの事だとも当時は思わなかった。もしもタイムマシーンなんて物があるのならば妻の両親に挨拶をする前に、その女とは即刻別れるようにアドバイス出来るのに。
 
『言いそびれちゃったんだけど、あたし在日なんだ』 
 
 在日、在日、頭の中で反芻するがピンとこなかった。
 
『両親とも韓国人なの』
 
 察したように付け加えられてようやく止まっていた思考が動き出した。しかし例えばこの時に「話が違うじゃないか、結婚の話はなしだ」と言える強靭な精神を持った人間はいるのだろうか、少なくとも自分には無理だった。そして至って普通に見えた両親は流暢に日本語を話すので少なくとも表面上は何の問題もないように思えた、しかしその考えが甘かった事に気がつくのは少し先の話だ。
 
 民族として何もかも価値観が違う――。
 
 大袈裟ではなく今でははっきりとそう断言できる、同じアジア人でも、似たような顔をしていても、日本人と朝鮮人は違うのだ。

 湯船から出ると頭と体をおざなりに洗う、入念に風呂に入っていられるほど時間に余裕はない、明日も片道一時間以上かけて仕事に行かなければならないのだ。

 風呂から出ると冷蔵庫から発泡酒を取り出して一気に煽る、毎日飲むことは出来なかった、二日に一本。

 アイツラさえいなければ――。

 そんな事を考えるようになってもう何年も経つ、決して高い給料を貰っている訳でもないが、一人で生活する分には発泡酒をケチるほど窮地に立たされる事もないだろう。

 ダイニングテーブルに置きっぱなしのスマホが点滅していた、ラインを受信していたようだが誰からは察しがついた、こんな時間に連絡をしてくる友人も、ましてや愛人などいなかった。

『もう少しちゃんと食器を洗ってよ、ぬるぬるするから』

 妻からのメッセージに『すみません、次回から気をつけます』とだけ返信した。
 こんな生活が死ぬまで続くと思うと心の底から辟易した、しかし現状打開案もなければ離婚する勇気もない、幸か不幸か我慢することには慣れている自分をあざ笑うように一人鼻を鳴らした。

 そんな時に連絡してきたのが白井直也だった、妻の妹と結婚した五歳年下の男とはすぐに意気投合する、理由は単純、お互いに共通の敵がいたからだ。
 
「もう、殺しませんか?」
 
 白井にそう提案された時に躊躇いもなく頷いた自分がいた事に驚いた。
 
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