1 / 6
第1話 悪役令嬢ですの
しおりを挟む
ミレーユ・セスティーニ公爵令嬢は、悪役令嬢である。
彼女は今宵の夜会も、優雅に、華やかに、高位貴族らしく立ち振る舞っていた。
青い瞳に金の髪、そして彫刻のように整った顔を持つミレーユの美しさは、他の令嬢・令息の追随を許さず、王国一との誉れが高い。
スラリとした体は、彼女の魅力を艶やかに彩る赤いドレスに包まれている。
煌めく赤い生地に黒レースをあしらったドレスは、ミレーユのスタイルの良さを引き立てていた。
長く伸ばされた金色の艶やかな髪はハーフアップに整えられ、侍女たちがプライドをかけて巻いた縦ロールが更に彼女を引き立てる。
スッと伸びた長い首には、婚約者から贈られた大きな黄色の宝石のはまった見事な金細工のネックレスが、シャンデリアの光を受けて輝いていた。
「貴方、どういうおつもりですの?」
ミレーユは真っ赤なシルクの長手袋で包んだ手に持つ畳んだ黒い扇子の先を、1人の令息へとシュタッと向けた。
背筋を伸ばしてシャンと立つ彼女は圧巻の迫力で、とある令息に詰め寄った。
黒い親骨の先を鼻先に突き付けられた令息は、縮み上がるよりほかない。
要から下がる金の房飾りの揺れが収まるまでの僅かな間に、令息は体の水分が半分抜けてしまったのではないかというほどの汗をダラダラと流した。
「貴族令息たる者のプライドは、どこへお忘れになったのです⁉」
「ヒィ」
ミレーユの一喝に、金髪碧眼の令息は縮み上がった。
隣にいるピンク色の髪をした令嬢と手を繋いで固まったまま、数段上の階段にいるミレーユを見上げている。
「さっきから婚約者そっちのけで、そちらのピンク色の髪をした令嬢とイチャイチャと。神聖な社交の場である夜会を、何だと思ってらっしゃるのかしら?」
青い瞳のはまったアーモンド型の大きな目にキッと睨まれ、その迫力に令息とピンク色の髪をした令嬢は震えることしかできない。
今宵は国王主催の夜会の日。
社交シーズンを告げる最初の夜会が催されていた。
ただでさえ豪奢な王城大広間は、更に花や調度品で華やかに飾り付けられて、幾つものシャンデリアの煌めきのもとに照らし出されている。
王太子婚約者であるミレーユ・セスティーニ公爵令嬢は悪役令嬢らしく、ついさっきまでは1人気ままに夜会会場を漂っていた。
(わたくしは悪役令嬢なのですから、ずぅっっっっっっと王太子殿下に付きまとっていたら彼の邪魔になってしまう。だからといって、何もしないのは不精が過ぎる。わたくしは、わたくしの出来ることをするのよ)
夜会というものは油断できない。
(泣いている令嬢はないか、悔しさに唇を噛む令息がいないか。常に気を配っていなければ。どんな些細なことが国を揺るがす騒ぎに繋がるか、分かったものではないわ。警戒を怠ってはダメよ、ミレーユ)
鋭い視線をあちらこちらに投げながら、ふわふわと漂っていたミレーユは、階段上の踊り場から会場を見下ろした折に、ついに発見してしまった。
どの家の令嬢と令息が婚約しているのかを把握しているミレーユにとって、浮気かどうかを判断するのは容易なことだ。
(1人寂しく壁の華となっている茶色の髪の令嬢。あの方には婚約者がいるはず。そして彼女の前で別の女性と堂々とイチャイチャしている令息。アレは茶色の髪の令嬢の婚約者だわ)
これは由々しき事態である。
見過ごせるはずがない。
(美しく儚げな令嬢が泣いている。……いえ、実際に泣いているわけではないのよ。キチンと礼儀をわきまえている貴族令嬢は夜会会場で感情を露にしたりしないから。あくまで比喩表現だけど……未来の王妃として、悲しむ令嬢を見過ごすことなどできないわっ!)
そう思ったミレーユは、件の令息を呼び止めて諭しているのだ。
だがどうも上手くいかない。
ミレーユは震えながらピンク色の髪の令嬢と手を握り合う令息を見て、眉をひそめた。
(なぜ殿方というのは、問い詰められると手近なところにいる方のご婦人の手をとってしまうのかしら? わたくしは、婚約者のもとへ戻れ、と伝えているつもりなのに)
ミレーユが、婚約者の前で別の令嬢とイチャイチャしている令息に出くわしたのは、これが初めてではない。
学園時代から数えれば両手両足の指を足しても足りないが、咎められた令息が手を取るのは毎回のように浮気相手の令嬢の手なのだ。
(わたくしは流石に慣れましたけれど。浮気された令嬢は毎回のように違うのですもの。慣れようがないですわね。もちろん、中には2度、3度と浮気される令嬢もいらっしゃるけれど、稀ですわ)
イラッとしたミレーユは、わざとカンッとヒールの音を響かせて階段を一段下りた。
「「ヒィィィィ」」
まるでその音に殺されるとでも言うように、令息とピンク色の髪の浮気相手は、ピクリと跳ねて抱き合った。
だがそれはミレーユ相手には逆効果だ。
「まぁ破廉恥なっ」
美しい細眉を跳ね上げたミレーユは、房飾りを揺らしながら扇子を自分の方へと引くと、扇子の先をチョイチョイと揺らし、専属護衛である赤毛の女性騎士を自分の側に呼び寄せた。
そしてパッと広げた黒い扇子で口元を隠しつつ、護衛騎士の耳に指示をそっとささやいた。
「レイラ。あの者たちを、夜会会場からつまみ出してちょうだい」
「はい、お嬢さま。承知いたしました」
シュッとした女性護衛騎士が美しくも逞しい礼をとると、視線で呼び寄せた部下と共に令息と浮気相手をガシッと掴んだ。
「ちょっと何するのよっ」
「そうだっ。無礼だぞっ!」
浮気相手は甲高い声を上げ、令息も不満げな声を上げた。
令息にとってミレーユは怖い存在だが、護衛騎士は怒鳴りつけて良い相手なのだ。
だがミレーユ付きの女性護衛騎士は容赦がない。
「暴れるな」
短く命令口調で喋ると、隣の部下にも目で合図して、彼らの腕をひねり上げた。
「アッ、何をするんだ⁉」
「痛いっ、痛いわ。止めてちょうだい!」
見苦しく泣き喚く2人を、護衛騎士たちは見世物にでもするように、わざわざ王城大広間の真ん中を引きずりながら去っていった。
ミレーユは、その光景をもう1人の赤毛の護衛を背後に置いて見送った。
2人の姿が出口から消えたのを確認したミレーユは、「さて、と」とつぶやきながらクルリと向きを変えた。
そしてパンと音を立てて閉じた扇子の黒い親骨の先を、壁の華となっている茶色の髪の令嬢へとピシッと向けると、迫力のある静かな声で話かける。
「ちょっと貴女。そこのご令嬢」
「……はい」
大人しそうな茶色の髪の令嬢は、気圧されたように小さな声でかろうじて返事をした。
ミレーユは美しい眉毛を不機嫌に跳ね上げると、わざとらしくて少し滑稽に思えるキツイ口調で言う。
「貴女も貴族の端くれならば、もっとシャンとなさいまし。婚約者が浮気して、彼が破滅するのは彼自身の責任。ですけれどここから先、貴女がどのような道を選択するかは、貴女の責任でしてよ」
「……はい」
小さくつぶやくような声で答えた茶色の髪の令嬢は、ミレーユの言葉だけで吹き飛ばされそうな風情だ。
「わたくし、儚げな令嬢は、嫌いではありません。けれど婚約者に堂々と浮気されて何も言えない令嬢など、好みませんわ」
「……」
茶色の髪の令嬢は、唇をクッと噛み締めて目には涙を浮かべている。
「ご令嬢。貴女の人生はこれで終わるわけではありません。ここから新たに始まるのですわ。次は失敗せぬよう、しっかりと目を見開いて回りをご覧なさいませ」
「でも……わたしなんて……」
茶色の髪の令嬢がいじけた様子で言うのを聞いて、ミレーユの眉は更に跳ね上がる。
「貴族にとってはプライドも大事ですわ。御自分を大切になさいませ」
「だって、わたしは……」
気弱そうにボソボソ話す茶色の髪の令嬢に、ミレーユはピシャリと言う。
「『でも』も『だって』も要りませんっ。貴女は貴族令嬢なのですよ? 平民の女性だってプライドを持ってシャンと生きているご時世に、貴族令嬢が情けない。もっとシャンなさいまし、シャンと。だらしなくメソメソしていないで、プライドを持って生きなさいっ」
「はいぃぃぃぃぃ!」
迫力あるミレーユの言葉に震えあがった茶色の髪の令嬢は、おそらく彼女の人生の中で、産声の次に大きな声を出して答えた。
ミレーユはニコリと笑みを浮かべて満足そうにうなずくと、クルリと向きを変えた。
「あら? ニコラスさま」
「やあ、ミレーユ」
ミレーユは真正面に、婚約者であるニコラスの笑顔を認めてたじろいだ。
(さっきまで公爵さまと談笑なさっていたのに、なぜここに? その美しい顔の不意打ちは心臓に悪いですわ、ニコラスさま。胸がドキドキします。あぁ、顔が熱い)
キラキラと輝く金色の髪。
吸い込まれそうな澄んだ青い瞳。
彫りが深く整った彫刻のような顔。
スラリとした長身で、腕や足も長く、スタイル抜群。
上品で優雅な美しい王子は、意外にも鍛錬好きで白い肌は少し日に焼けている。
(もともと美しくうっとりと見惚れるほど魅力的なのに、ギャップまで搭載しているニコラスさまは、魅力の過積載なのよ。魅力が渋滞しているわ。そんな魅力過剰なニコラスさまが、優しい笑みを浮かべて、わたくしを見ている。あぁ、眩しい。昇天してしまいそうだわ)
ミレーユはよろめきそうになったが、腹筋と背筋にグッと力を込めて耐えた。
「お客さまへの対応は、もうよろしいのですか?」
「ああ、終わったよ。ミレーユ。そろそろラストダンスの時間だ。踊らないか?」
この国の夜会では、ダンスは開始と終了の合図だ。
ミレーユはダンスフロアを見た。
そこには既に数人の貴族たちの姿があった。
ミレーユは背筋をスッと伸ばすと、真っ直ぐにニコラスを見て言う。
「はい。王太子婚約者としての務め、果たさせていただきますわ」
「いや、私は普通に貴女とダンスを踊りたいのだが?」
ニコラスは、その端正な顔に困惑の表情を浮かべた。
だがキリッとした凛々しい表情で答えるミレーユに、彼の反応を意に介する様子はない。
「いえ、皆まで言わなくても承知いたしておりますわ、ニコラスさま。わたくしは悪役令嬢。ニコラスさまの心まで欲しがったりいたしません。婚約者として王太子殿下のお務めのお手伝いをさせていただきます」
「いや、私は普通に貴女のことが好きだよ?」
ニコラスはミレーユの赤いシルクの長手袋をまとった手を取ると、自分の方へと引き寄せた。
(ああ、近いっ。近いです、ニコラスさまっ。心臓が、心臓がドキドキして持ちません~)
内心ドッキドキのミレーユだったが、そこは王太子婚約者。
澄ましたアルカイックスマイルを浮かべ、彼のリードに従って流れるようにニコラスの腕に自分の手を回した。
「ホホホッ。ニコラスさまってば、お上手ですこと。わたくしにまで気を使わなくても、お役目はしっかり果たしますわ。では参りましょう」
「いや、ちょっと、ミレーユ?」
ミレーユ・セスティーニ公爵令嬢は悪役令嬢である。
王太子殿下の気持ちなど察するつもりはない。
(ニコラスさまの愛を得られなくても、わたくしはニコラスさまのことが好き。わたくしはニコラスさまの邪魔にはならぬよう、1人孤独に逞しく生きていくのよ)
堂々たる態度で王太子殿下のエスコートを受けてダンスフロアの真ん中へと進み出ると、彼にリードされるまま文句のつけようのない美しいダンスを披露したのだった。
彼女は今宵の夜会も、優雅に、華やかに、高位貴族らしく立ち振る舞っていた。
青い瞳に金の髪、そして彫刻のように整った顔を持つミレーユの美しさは、他の令嬢・令息の追随を許さず、王国一との誉れが高い。
スラリとした体は、彼女の魅力を艶やかに彩る赤いドレスに包まれている。
煌めく赤い生地に黒レースをあしらったドレスは、ミレーユのスタイルの良さを引き立てていた。
長く伸ばされた金色の艶やかな髪はハーフアップに整えられ、侍女たちがプライドをかけて巻いた縦ロールが更に彼女を引き立てる。
スッと伸びた長い首には、婚約者から贈られた大きな黄色の宝石のはまった見事な金細工のネックレスが、シャンデリアの光を受けて輝いていた。
「貴方、どういうおつもりですの?」
ミレーユは真っ赤なシルクの長手袋で包んだ手に持つ畳んだ黒い扇子の先を、1人の令息へとシュタッと向けた。
背筋を伸ばしてシャンと立つ彼女は圧巻の迫力で、とある令息に詰め寄った。
黒い親骨の先を鼻先に突き付けられた令息は、縮み上がるよりほかない。
要から下がる金の房飾りの揺れが収まるまでの僅かな間に、令息は体の水分が半分抜けてしまったのではないかというほどの汗をダラダラと流した。
「貴族令息たる者のプライドは、どこへお忘れになったのです⁉」
「ヒィ」
ミレーユの一喝に、金髪碧眼の令息は縮み上がった。
隣にいるピンク色の髪をした令嬢と手を繋いで固まったまま、数段上の階段にいるミレーユを見上げている。
「さっきから婚約者そっちのけで、そちらのピンク色の髪をした令嬢とイチャイチャと。神聖な社交の場である夜会を、何だと思ってらっしゃるのかしら?」
青い瞳のはまったアーモンド型の大きな目にキッと睨まれ、その迫力に令息とピンク色の髪をした令嬢は震えることしかできない。
今宵は国王主催の夜会の日。
社交シーズンを告げる最初の夜会が催されていた。
ただでさえ豪奢な王城大広間は、更に花や調度品で華やかに飾り付けられて、幾つものシャンデリアの煌めきのもとに照らし出されている。
王太子婚約者であるミレーユ・セスティーニ公爵令嬢は悪役令嬢らしく、ついさっきまでは1人気ままに夜会会場を漂っていた。
(わたくしは悪役令嬢なのですから、ずぅっっっっっっと王太子殿下に付きまとっていたら彼の邪魔になってしまう。だからといって、何もしないのは不精が過ぎる。わたくしは、わたくしの出来ることをするのよ)
夜会というものは油断できない。
(泣いている令嬢はないか、悔しさに唇を噛む令息がいないか。常に気を配っていなければ。どんな些細なことが国を揺るがす騒ぎに繋がるか、分かったものではないわ。警戒を怠ってはダメよ、ミレーユ)
鋭い視線をあちらこちらに投げながら、ふわふわと漂っていたミレーユは、階段上の踊り場から会場を見下ろした折に、ついに発見してしまった。
どの家の令嬢と令息が婚約しているのかを把握しているミレーユにとって、浮気かどうかを判断するのは容易なことだ。
(1人寂しく壁の華となっている茶色の髪の令嬢。あの方には婚約者がいるはず。そして彼女の前で別の女性と堂々とイチャイチャしている令息。アレは茶色の髪の令嬢の婚約者だわ)
これは由々しき事態である。
見過ごせるはずがない。
(美しく儚げな令嬢が泣いている。……いえ、実際に泣いているわけではないのよ。キチンと礼儀をわきまえている貴族令嬢は夜会会場で感情を露にしたりしないから。あくまで比喩表現だけど……未来の王妃として、悲しむ令嬢を見過ごすことなどできないわっ!)
そう思ったミレーユは、件の令息を呼び止めて諭しているのだ。
だがどうも上手くいかない。
ミレーユは震えながらピンク色の髪の令嬢と手を握り合う令息を見て、眉をひそめた。
(なぜ殿方というのは、問い詰められると手近なところにいる方のご婦人の手をとってしまうのかしら? わたくしは、婚約者のもとへ戻れ、と伝えているつもりなのに)
ミレーユが、婚約者の前で別の令嬢とイチャイチャしている令息に出くわしたのは、これが初めてではない。
学園時代から数えれば両手両足の指を足しても足りないが、咎められた令息が手を取るのは毎回のように浮気相手の令嬢の手なのだ。
(わたくしは流石に慣れましたけれど。浮気された令嬢は毎回のように違うのですもの。慣れようがないですわね。もちろん、中には2度、3度と浮気される令嬢もいらっしゃるけれど、稀ですわ)
イラッとしたミレーユは、わざとカンッとヒールの音を響かせて階段を一段下りた。
「「ヒィィィィ」」
まるでその音に殺されるとでも言うように、令息とピンク色の髪の浮気相手は、ピクリと跳ねて抱き合った。
だがそれはミレーユ相手には逆効果だ。
「まぁ破廉恥なっ」
美しい細眉を跳ね上げたミレーユは、房飾りを揺らしながら扇子を自分の方へと引くと、扇子の先をチョイチョイと揺らし、専属護衛である赤毛の女性騎士を自分の側に呼び寄せた。
そしてパッと広げた黒い扇子で口元を隠しつつ、護衛騎士の耳に指示をそっとささやいた。
「レイラ。あの者たちを、夜会会場からつまみ出してちょうだい」
「はい、お嬢さま。承知いたしました」
シュッとした女性護衛騎士が美しくも逞しい礼をとると、視線で呼び寄せた部下と共に令息と浮気相手をガシッと掴んだ。
「ちょっと何するのよっ」
「そうだっ。無礼だぞっ!」
浮気相手は甲高い声を上げ、令息も不満げな声を上げた。
令息にとってミレーユは怖い存在だが、護衛騎士は怒鳴りつけて良い相手なのだ。
だがミレーユ付きの女性護衛騎士は容赦がない。
「暴れるな」
短く命令口調で喋ると、隣の部下にも目で合図して、彼らの腕をひねり上げた。
「アッ、何をするんだ⁉」
「痛いっ、痛いわ。止めてちょうだい!」
見苦しく泣き喚く2人を、護衛騎士たちは見世物にでもするように、わざわざ王城大広間の真ん中を引きずりながら去っていった。
ミレーユは、その光景をもう1人の赤毛の護衛を背後に置いて見送った。
2人の姿が出口から消えたのを確認したミレーユは、「さて、と」とつぶやきながらクルリと向きを変えた。
そしてパンと音を立てて閉じた扇子の黒い親骨の先を、壁の華となっている茶色の髪の令嬢へとピシッと向けると、迫力のある静かな声で話かける。
「ちょっと貴女。そこのご令嬢」
「……はい」
大人しそうな茶色の髪の令嬢は、気圧されたように小さな声でかろうじて返事をした。
ミレーユは美しい眉毛を不機嫌に跳ね上げると、わざとらしくて少し滑稽に思えるキツイ口調で言う。
「貴女も貴族の端くれならば、もっとシャンとなさいまし。婚約者が浮気して、彼が破滅するのは彼自身の責任。ですけれどここから先、貴女がどのような道を選択するかは、貴女の責任でしてよ」
「……はい」
小さくつぶやくような声で答えた茶色の髪の令嬢は、ミレーユの言葉だけで吹き飛ばされそうな風情だ。
「わたくし、儚げな令嬢は、嫌いではありません。けれど婚約者に堂々と浮気されて何も言えない令嬢など、好みませんわ」
「……」
茶色の髪の令嬢は、唇をクッと噛み締めて目には涙を浮かべている。
「ご令嬢。貴女の人生はこれで終わるわけではありません。ここから新たに始まるのですわ。次は失敗せぬよう、しっかりと目を見開いて回りをご覧なさいませ」
「でも……わたしなんて……」
茶色の髪の令嬢がいじけた様子で言うのを聞いて、ミレーユの眉は更に跳ね上がる。
「貴族にとってはプライドも大事ですわ。御自分を大切になさいませ」
「だって、わたしは……」
気弱そうにボソボソ話す茶色の髪の令嬢に、ミレーユはピシャリと言う。
「『でも』も『だって』も要りませんっ。貴女は貴族令嬢なのですよ? 平民の女性だってプライドを持ってシャンと生きているご時世に、貴族令嬢が情けない。もっとシャンなさいまし、シャンと。だらしなくメソメソしていないで、プライドを持って生きなさいっ」
「はいぃぃぃぃぃ!」
迫力あるミレーユの言葉に震えあがった茶色の髪の令嬢は、おそらく彼女の人生の中で、産声の次に大きな声を出して答えた。
ミレーユはニコリと笑みを浮かべて満足そうにうなずくと、クルリと向きを変えた。
「あら? ニコラスさま」
「やあ、ミレーユ」
ミレーユは真正面に、婚約者であるニコラスの笑顔を認めてたじろいだ。
(さっきまで公爵さまと談笑なさっていたのに、なぜここに? その美しい顔の不意打ちは心臓に悪いですわ、ニコラスさま。胸がドキドキします。あぁ、顔が熱い)
キラキラと輝く金色の髪。
吸い込まれそうな澄んだ青い瞳。
彫りが深く整った彫刻のような顔。
スラリとした長身で、腕や足も長く、スタイル抜群。
上品で優雅な美しい王子は、意外にも鍛錬好きで白い肌は少し日に焼けている。
(もともと美しくうっとりと見惚れるほど魅力的なのに、ギャップまで搭載しているニコラスさまは、魅力の過積載なのよ。魅力が渋滞しているわ。そんな魅力過剰なニコラスさまが、優しい笑みを浮かべて、わたくしを見ている。あぁ、眩しい。昇天してしまいそうだわ)
ミレーユはよろめきそうになったが、腹筋と背筋にグッと力を込めて耐えた。
「お客さまへの対応は、もうよろしいのですか?」
「ああ、終わったよ。ミレーユ。そろそろラストダンスの時間だ。踊らないか?」
この国の夜会では、ダンスは開始と終了の合図だ。
ミレーユはダンスフロアを見た。
そこには既に数人の貴族たちの姿があった。
ミレーユは背筋をスッと伸ばすと、真っ直ぐにニコラスを見て言う。
「はい。王太子婚約者としての務め、果たさせていただきますわ」
「いや、私は普通に貴女とダンスを踊りたいのだが?」
ニコラスは、その端正な顔に困惑の表情を浮かべた。
だがキリッとした凛々しい表情で答えるミレーユに、彼の反応を意に介する様子はない。
「いえ、皆まで言わなくても承知いたしておりますわ、ニコラスさま。わたくしは悪役令嬢。ニコラスさまの心まで欲しがったりいたしません。婚約者として王太子殿下のお務めのお手伝いをさせていただきます」
「いや、私は普通に貴女のことが好きだよ?」
ニコラスはミレーユの赤いシルクの長手袋をまとった手を取ると、自分の方へと引き寄せた。
(ああ、近いっ。近いです、ニコラスさまっ。心臓が、心臓がドキドキして持ちません~)
内心ドッキドキのミレーユだったが、そこは王太子婚約者。
澄ましたアルカイックスマイルを浮かべ、彼のリードに従って流れるようにニコラスの腕に自分の手を回した。
「ホホホッ。ニコラスさまってば、お上手ですこと。わたくしにまで気を使わなくても、お役目はしっかり果たしますわ。では参りましょう」
「いや、ちょっと、ミレーユ?」
ミレーユ・セスティーニ公爵令嬢は悪役令嬢である。
王太子殿下の気持ちなど察するつもりはない。
(ニコラスさまの愛を得られなくても、わたくしはニコラスさまのことが好き。わたくしはニコラスさまの邪魔にはならぬよう、1人孤独に逞しく生きていくのよ)
堂々たる態度で王太子殿下のエスコートを受けてダンスフロアの真ん中へと進み出ると、彼にリードされるまま文句のつけようのない美しいダンスを披露したのだった。
30
あなたにおすすめの小説
【完結】元悪役令嬢は、最推しの旦那様と離縁したい
うり北 うりこ@ざまされ2巻発売中
恋愛
「アルフレッド様、離縁してください!!」
この言葉を婚約者の時から、優に100回は超えて伝えてきた。
けれど、今日も受け入れてもらえることはない。
私の夫であるアルフレッド様は、前世から大好きな私の最推しだ。 推しの幸せが私の幸せ。
本当なら私が幸せにしたかった。
けれど、残念ながら悪役令嬢だった私では、アルフレッド様を幸せにできない。
既に乙女ゲームのエンディングを迎えてしまったけれど、現実はその先も続いていて、ヒロインちゃんがまだ結婚をしていない今なら、十二分に割り込むチャンスがあるはずだ。
アルフレッド様がその気にさえなれば、逆転以外あり得ない。
その時のためにも、私と離縁する必要がある。
アルフレッド様の幸せのために、絶対に離縁してみせるんだから!!
推しである夫が大好きすぎる元悪役令嬢のカタリナと、妻を愛しているのにまったく伝わっていないアルフレッドのラブコメです。
全4話+番外編が1話となっております。
※苦手な方は、ブラウザバックを推奨しております。
星屑を紡ぐ令嬢と、色を失った魔法使い
希羽
恋愛
子爵令嬢のルチアは、継母と義姉に虐げられ、屋根裏部屋でひっそりと暮らしていた。彼女には、夜空に輝く星屑を集めて、触れた者の心を癒す不思議な力を持つ「銀色の糸」を紡ぎ出すという、秘密の能力があった。しかし、その力で生み出された美しい刺繍の手柄は、いつも華やかな義姉のものとされていた。
一方、王国には「灰色の魔法使い」と畏れられる英雄、アークライト公爵がいた。彼はかつて国を救った代償として、世界の色彩と感情のすべてを失い、孤独な日々を送っている。
ある夜会で、二人の運命が交差する。義姉が手にしたルチアの刺繍にアークライトが触れた瞬間、彼の灰色だった世界に、一瞬だけ鮮やかな色彩が流れ込むという奇跡が起きた。
その光の本当の作り手を探し出したアークライトは、ルチアを自身の屋敷へと迎え入れる。「私のために刺繍をしろ」──その強引な言葉の裏にある深い孤独を知ったルチアは、戸惑いながらも、初めて自分の力を認められたことに喜びを感じ、彼のために星屑を紡ぎ始める。
彼女の刺繍は、凍てついていた公爵の心を少しずつ溶かし、二人の間には静かな絆が芽生えていく。
しかし、そんな穏やかな日々は長くは続かない。ルチアの持つ力の価値に気づいた過去の人々が、彼女を再び絶望へ引き戻そうと、卑劣な陰謀を企てていた。
悪役令嬢、隠しキャラとこっそり婚約する
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢が隠しキャラに愛されるだけ。
ドゥニーズは違和感を感じていた。やがてその違和感から前世の記憶を取り戻す。思い出してからはフリーダムに生きるようになったドゥニーズ。彼女はその後、ある男の子と婚約をして…。
小説家になろう様でも投稿しています。
「お前みたいな卑しい闇属性の魔女など側室でもごめんだ」と言われましたが、私も殿下に嫁ぐ気はありません!
野生のイエネコ
恋愛
闇の精霊の加護を受けている私は、闇属性を差別する国で迫害されていた。いつか私を受け入れてくれる人を探そうと夢に見ていたデビュタントの舞踏会で、闇属性を差別する王太子に罵倒されて心が折れてしまう。
私が国を出奔すると、闇精霊の森という場所に住まう、不思議な男性と出会った。なぜかその男性が私の事情を聞くと、国に与えられた闇精霊の加護が消滅して、国は大混乱に。
そんな中、闇精霊の森での生活は穏やかに進んでいく。
婚約破棄された悪役令嬢の心の声が面白かったので求婚してみた
夕景あき
恋愛
人の心の声が聞こえるカイルは、孤独の闇に閉じこもっていた。唯一の救いは、心の声まで真摯で温かい異母兄、第一王子の存在だけだった。
そんなカイルが、外交(婚約者探し)という名目で三国交流会へ向かうと、目の前で隣国の第二王子による公開婚約破棄が発生する。
婚約破棄された令嬢グレースは、表情一つ変えない高潔な令嬢。しかし、カイルがその心の声を聞き取ると、思いも寄らない内容が聞こえてきたのだった。
悪役令嬢に転生したので推しの悪役王子を救おうと思います!
かな
恋愛
大好きな乙女ゲームの世界の悪役令嬢に転生!?
しかもこのままだと最推しが死んじゃうんですけど!?
そんなの絶対ダメ!!
そう思って推しの死亡ルートを回避しようと奮闘していると、何故か溺愛が始まって……。
「私に構っている暇があったら、(自分の命の為に)ヒロインを攻略して下さい!」
距離を取ろうとしたのに、推しから甘やかされて……?
推しを救うために頑張ってたら、溺愛ルートに突入しました!?
他サイト様にも掲載中です
悪役令嬢のはずですが、年上王子が幼い頃から私を甘やかす気でいました
ria_alphapolis
恋愛
私は、悪役令嬢なのかもしれない。
王子の婚約者としては少し我儘で、周囲からは気が強いと思われている――
そんな自分に気づいた日から、私は“断罪される未来”を恐れるようになった。
婚約者である年上の王子は、今日も変わらず優しい。
けれどその優しさが、義務なのか、同情なのか、私にはわからない。
距離を取ろうとする私と、何も言わずに見守る王子。
両思いなのに、想いはすれ違っていく。
けれど彼は知っている。
五歳下の婚約者が「我儘だ」と言われていた幼い頃から、
そのすべてが可愛くて仕方なかったことを。
――我儘でいい。
そう決めたのは、ずっと昔のことだった。
悪役令嬢だと勘違いしている少女と、
溺愛を隠し続ける年上王子の、すれ違い恋愛ファンタジー。
※溺愛保証/王子視点あり/幼少期エピソードあり
ゲームのシナリオライターは悪役令嬢になりましたので、シナリオを書き換えようと思います
暖夢 由
恋愛
『婚約式、本編では語られないけどここから第1王子と公爵令嬢の話しが始まるのよね』
頭の中にそんな声が響いた。
そして、色とりどりの絵が頭の中を駆け巡っていった。
次に気が付いたのはベットの上だった。
私は日本でゲームのシナリオライターをしていた。
気付いたここは自分で書いたゲームの中で私は悪役令嬢!??
それならシナリオを書き換えさせていただきます
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる