夏休みの夕闇~刑務所編~

苫都千珠(とまとちず)

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第七章 二人の夏休みへ

二人の夏休みへ

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不思議な夢を見た。『朝焼けの海』と『月』がでてくる夢。

私は朝焼けに染まる海を、一人プカプカと漂っているの。

何かに呼ばれるように深海に沈んでいくと、海底にあったのは『月』だった。私は月の表面にうつ伏せでぺったりと張り付いて、立てなくなる。

『月の引力ってこんなに強かったんだ。私はもう、海面には戻れないのかな』って酸欠のふわふわした頭で考える――そういう変な夢。


………………

………………

………………

…………ここは、どこ?


私は眠っていたんだろうか。頭がうまく働かない。

霞がかった脳内に深呼吸で風を送り、霧を晴らす。ええと、あの夜カミサマに捕まって、看守に変な薬を飲まされて、眠くなって……それからは覚えていない。

まだ目の前がぼやけている。明るいのか暗いのかすら、定かではない。自分の目の前にあるのは……影?人の…………顔?


あまりにも近すぎて焦点が合わせられなくて、一瞬何がなんだかわからなかった。徐々にピントが合っていき、分裂していたいくつもの像がひとつに集約される。


……あれ、ヤミ?どうしてあなたが、顔がくっつくほど近くにいるんだろう?


脳がだんだんと覚醒し、身体の感覚が戻って来る。身体の中心とお腹の皮膚が妙に熱い。でも手足だけはどう頑張っても動かない。あまりにも四肢に何も感じないから……最初、手足を取られちゃったのかと思った。

目だけをキョロキョロと動かすと少なくとも両腕はちゃんとくっついていることが確認できた。よかったと安堵する。手と目と口さえあれば、魔法は使える。


もう一度目の前を見る。間近で見るヤミの顔はとても整っていて綺麗だった。ヤミはぎゅっと目をつぶって、苦しそうに息をしてる。どうしたんだろう、カミサマに何かされた?


「ヤ……ミ…………?」

火置ひおきさん……?ああ、ごめん、ごめんね……」

「だいじょうぶ……?」

「ごめんなさい……僕……」

「カミサマに、何かされた……?」

会話することで、急速に脳の回転力が復活した。そして私は気づく。彼は、裸だ。ヤミが私を抱いている。


どうやら状況が飲み込めてくる。きっとカミサマのせいだ。あいつ、どこまで人の心を弄べば気が済むの。怒りがこみ上げる。

「あいつから何か言われたでしょ?ヤミ、気にしなくていい。あいつは人の心を操って楽しんでるだけの変態サディスティック野郎だから」

「でも……僕は……」

「…………ヤミ……?」

「君を自分のものにしたい…………そのためなら、あいつにだって協力できる……」

「……ヤミ…………」

ヤミは……あいつに何を吹き込まれたんだろう。確固たる自分を持っていそうな彼をこんなふうにできるなんて、カミサマは想像以上のやり手みたいだ。

「ヤミ、カミサマに何を言われたのかはわからないけど、私のお願いを思い出して。一緒にここから出よう。私にいい考えがあるの、ここ数日ずっと考えてたの……!」

「ごめん、火置さん。違うんだ、カミサマに言われたからじゃない……!僕は……自分の意志でこうした……!」

頭を振りながら、苦しそうにヤミは言う。自分の意思で……?どういうこと?


ヤミと目が合う。私は彼の強い視線に釘付けになる。何も言葉が出てこなくて、かろうじて「ヤミ」とだけ喉から絞り出す。



「どんな手を使ってでも、君がほしい。自分が何を求めていたか、やっと気づいたんだ……」



苦悩に満ちた、でも不思議とクリアな声が、私の耳から体中に勢いよく流れ込んできた。ずっと腹の中に押し込められていた、欲望と葛藤と覚悟と決意。彼の抱えていた感情の大きさに、ただただ圧倒される。

そして私は確かに見た。いつ死んでもいいと言っていた彼の、本人ですら気づいていないであろう心の奥底に燃え盛る闇色の炎を。一見冷たく思えるそれは、触れると焼けただれるほど熱い。
。炎の魔道士である私は、それを知っている。
そう、ヤミには強いがある。

今こそ、最初で最後のこの質問をしたい。一度しか言わないから、あなたの答えを聞かせて。

「…………ヤミ」

「………………なに」

「生きたい?」


あなたを見据える。あなたの黄金の瞳を。生きることはつらいけど、生きていたから私達は会えた。やっぱり、あなたには死んでほしくない。私だってもう少し一緒に……あなたと生きたい。



「火置さん……」

「……」

「僕は……」

「…………」

「………………生きたい……!!」




……ああ、よかった。それが聞けて。

もうあなたは大丈夫だ。一緒にここから脱出して、もっとたくさんのことを話そう?この前あなたが話していた思い出の海を見に行こうよ。

もっとヤミの心の中を知りたい。もっとヤミと一緒にいたい。私、あなたになら、たとえ



「ね、ヤミ。これから私と、二人っきりの夏休みを過ごす気はない?期間は未定、戻ってこれるかは不明……そもそもちゃんと夏休みが始められるかも未知数だけど」

「……何だよそれ、二人っきりの夏休みって……嬉しいに決まってるだろ……」

手がなんとか動いてくる。彼の頬を両手で包む。小顔だなあ、羨ましい。彼も私の頬を包む。ちょっとひんやりした、大きな手。大きな手に包まれたら、私の顔も相対的に小顔に見えるかしら。


私がやろうとしてるのは、一世一代の大魔法。最終手段として数日前から構想していたの。……歴代の時空の魔道士達だって、きっとこんな魔法は使ったことがないはず。

私達はこれから、魔法でする。この世界を切り離して小さな精神空間を作り、二人でそこに逃げようと思うの。

小さいとはいえ『新しい世界を作り出す』なんて、そんな大それたことが本当にできるのかはわからない。命の危険はあるけど、カミサマの手を逃れてここから脱出するには、世界ごと逃げるしか方法がない。


「私、やってみたいことがあるの。でも初めてだからうまくいかないかも。失敗したら死ぬかもしれないけど、一緒に死んでくれる?」

「死ぬなら君と一緒に死にたい」

もう……相変わらず、何の迷いもなく答えるんだから。でも、ヤミらしい。ヤミらしくて、すごく安心する。

「それなら問題ないね!ヤミ、あなたが一番幸せを感じられる風景を思い浮かべて。できる限り鮮明に。私から視線を絶対に外さないで。強く強く思い描いて。触れられるくらいはっきりと、頭の中に描写して」

魔法という実体のないものだけで世界を構築するためには、安定したイメージが必要だ。安定したイメージの最たるものは『記憶』。強い記憶を使えば、現実と見紛うほど知覚可能な世界を生み出せるはず。


……彼の瞳を見る。満月の瞳。瞳を通り道にして彼の内側に入り込むイメージで、意識を精神の流れに集中させる。

さあ、その月の世界に行こう。私の魔力とあなたの記憶を合わせた二人だけの世界。いつ終わるかわからない、閉ざされた夏休みへ。


「ヤミ」

「……何?」

「これから、よろしくね」

「…………火置さん」

「ん?」

「……いや、やっぱり……夏休みが始まったら、言うよ」

「……そうね、思い残したことがあるほうが、生きたい気持ちが強くなるから。さあ、私の目を見て、集中して」

「わかった……」


私達は見つめ合う。鼻が触れ合う距離で、見つめ合う。
お互いの瞳しか見えなくなる。瞳と瞳、意識を通してつながっていく。あなたの身体の中に自分が入り込んでいく感覚がある。これはもう、同じ一つのものだといっていいのかな。

地球の歴史、生命の進化、今までに繋いできた遺伝子の、ちっぽけな記憶が光の紐で結ばれていく。私達が同じ場所にいるという天文学的な確率の奇跡に、心から感謝したい。



暗い闇のその先にある、あなたの意識の奥底に触れる。

ヤミが持っていた、唯一の優しい記憶。
海、空、砂浜、気持ちいい風、夏の匂い、静かな夕暮れと波の音。私も一緒に、その場所へ行きたい。

私達の周りが光の球体に包まれる。球体は少しずつ少しずつその直径を小さくして、二人がぴったりと収まるくらいの大きさになる。球体の中は真っ白な光に包まれ、何も見えなくなる。球体の外も何も見えなくなる。


そして自分が鳥になったかのように、意識が遠い場所に飛んでいく。

終わらない夏休みに囚われた、海辺の町に向かって。


―完―
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