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ある雨の日に境内で
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静かな境内には雨音だけが響いていた。この寺の住職である栄信は、目の前の喪服の女の顔をつたう雨だれに目を奪われていた。それは涙のようにも見えた。
夫の墓の前で、彼女――桑野小夜は急な雨に打たれるまま、佇んでいた。小夜は、栄信の叔父である隆光の後妻だ。大学教授であった隆光の教え子で、大学院を卒業して数年後、叔父と結婚した。叔父は癌と戦っており、小夜と結婚して4年で死んでしまった。墓には、叔父と先妻の遺骨が一緒に入っている。その墓の前で彼女は何を思っているのだろうか。
栄信の視線に気づいてか、小夜が振り返る。
「せっかくの桜が散ってしまいますね」
彼女は寂しそうに、墓を覆うように咲き誇っている桜の花を見上げた。
「今日は降らないと、朝の天気予報では言っていたのだけど。春の天候は不安定ですね」
はっと現実に引き戻された栄信は、彼女に近づき、自分の傘の中に彼女を入れた。
小夜は栄信の顔を見上げると、微笑んだ。
「ありがとうございます」
しっかりと化粧をして、美容室に行ってきたように髪を結っている。彼女は毎日夫の墓に来るが、いつもそうやって綺麗に身支度をしてやって来る。
「雨が止むまで、中でお待ちください、小夜さん」
栄信は、彼女を本堂の横にある、普段は法事の際に遺族が待機するために使われる和室へ通した。
「今、温かいお茶を入れて参ります」
急須に湯を注ごうとして、栄信は注ぎすぎて湯を溢れさせてしまう。熱さで正気に戻り、慌てて冷水で冷やす。雨に濡れた小夜の姿が頭から離れない。
思えばずっと彼女の姿を頭の隅に置いていた。3年前の叔父の葬式の時からいつも彼女のことばかり考えてきたと栄信は思う。
3年前、叔父が闘病の末死んだ。栄信はその葬儀を任されることになった。はじめて任された葬儀だった。大学教授であった隆光の葬儀には教え子や、同僚や付き合いのあった出版社の編集者など、さまざまな人が訪れた。緊張しながら読経していた栄信は、ふとたくさんの参列者の後ろに、喪服の女を見た。女は食い入るように祭壇を見つめていた。霊柩車が発車するときも、遠くからじっと。葬儀の後、隆光の兄で、この寺の先代の住職である父から、彼女が叔父の再婚相手であると聞いた。「財産目当てだ」と父も母も言った。親戚も同じ理由から彼女を葬式に参列をさせなかった。彼女はこの3年の間毎日、夕方陽が落ちてカラスの鳴くころに墓参りにくる。寺の近くの、叔父と暮らした小さな1軒家の庭で育てた何輪かの花を持って。
お茶とタオルを盆に乗せて、和室へ向かう。襖を開けると、彼女はガラス戸の先の中庭を眺めていた。
「小夜さん、お茶です。あと、タオルを使ってください」
「ありがとうございます。何から何まですみません」
小夜は、言うとタオルで髪と顔を拭いた。濡れた髪が額に張り付いている。
「先日は、先生の――隆光さんの三回忌をして頂きありがとうございました」
いえいえ、と栄信は首を振る。
「こちらこそ、父や母や親戚が申し訳ありません」
隆光の三回忌は先月この寺で行われた。親戚一同はやはり、この若い後妻の出席を許さなかった。そんなこと、と小夜はうつむく。
「こうやってゆっくりお話しするのは初めてですね」
お茶を一口すすって、彼女は栄信に向き直った。
栄信は小夜から目を離すことができない。こんなに正面から、彼女を見るのははじめてだった。いつも、同じ時刻に墓の前に佇む彼女の後姿を見つめていた。彼女が寺に来るようになって3年になる。顔を合わせれば挨拶や天候の話をすることはあったが、こうして向かい合って話すのは初めてだった。ほっそりとした体、色白の肌。30代前半の彼女は、どこか世間から浮いたような雰囲気で、言われてみれば20代の学生のような気もするし、もっと上にも見えた。叔父は彼女のどこに惹かれ、彼女は叔父のどこに惹かれたのだろうか。
「小夜さんは、今はどうされているんですか」
「家の近くで仕事を見つけましたので、毎日職場に行って――、後は庭で土いじりをしたりしています」
「今日お持ちいただいた水仙のお花もとても綺麗でしたね」
「あれは隆光さんが残してくれた球根から育てたんです」
「そうでしたか。叔父が植えた水仙は、そこの庭にもあるんですよ。毎年咲いてくれています」
小夜は庭に咲いている水仙に視線を向けると、見とれるようにそうですか、と微笑んだ。
「隆光さんは昔から土いじりが好きだったんですね」
それから、あっと小さく声をあげた。
「栄信さん、手が――」
先ほどお茶をこぼしたところが赤くなっていた。小夜が手をのばす。栄信の手に小夜の手が重なる。
「これは、ちょっとお湯をこぼしてしまって――」
驚いた栄信はその手を払いのけてしまった。その拍子にバランスを崩して二人は畳に倒れこむ。気がつくと、目の前に小夜の顔があった。じっと彼女は栄信を見つめている。
ひんやりとした白い手が栄信の頬にそえられた。
「――栄信さんは先生によく似ているんですね」
小夜の瞳が栄信を見つめている。
「甥ですから」
栄信は赤面して目線をずらした。
倒れこんだ時にずれたのか、小夜の襟元がはだけて、白い胸が見えていた。
部屋には雨の音だけが響いている。
桑野小夜が夫の隆光と出会ったのは18歳の時だった。隆光は小夜の通う大学で仏教学の教授として教鞭をとっていた。実家が寺だという隆光は、大柄の身体にスキンヘッドという出で立ちで学校内でも異彩を放っていた。その外見に似合わず、冗談を交えた講義は軽快で、生徒に人気があった。小夜は4年間彼の授業を受けていたが、その当時はまだ教師と教え子でしかなかった。彼と再会したのは、26歳の時だ。病院の病棟で。
大学卒業後院に進んだ小夜だったが、就職の道は厳しかった。文系の研究者の道は狭き門だ。それも宗教学ともなると。なかなか職が得られず、アルバイトで困窮する先輩の姿を目の当たりにした小夜は、博士課程に進むのを諦め、就職した。
就職活動は苦戦した。面接では「趣味を極められたんですね」と言われた。正社員で受けた会社は全滅だった。つなぎのために派遣の仕事を始めた。時給1400円の事務職だ。ある日仕事帰りに車にぶつかられ、全治1か月の怪我をした。次の契約は更新されず、失業した。新しい職を探す気力も起きず、横になったまま1日を過ごす。家賃と奨学金が毎月口座から引き落とされる。ふと気づいた時には通帳の残高は0円になっていた。現実を見たくなかったので、病院でもらっていた抗うつ剤と、睡眠薬を全錠一気に水で飲み下した。
気持ち良いまどろみに包まれて眠ったが、目を覚ました時には強烈な頭痛と胃痛に襲われた。吐きながらアパートの階段へ這い出したところを、隣人が発見し救急搬送された。病院の白い天井を見ながら、結局自分は何をしたかったのだろう、と考えた。
疎遠になっていた故郷の家族は誰もやって来なかったが、母親に連絡したら、入院費用だけ振り込むと返事があった。1週間の入院で、退院になった。
退院日は雨が降っていた。廊下のベンチに座って、窓に打ちつける雨を見ながら、これからどうしようかと途方に暮れていると、視界につるりとした頭が写った。目を瞬いた。学生時代に毎日見ていた「先生」の頭だった。
彼も一目で小夜に気づいたようだった。学生の名前をひとりひとり覚えてくれる先生だった。
「驚いたかい。体がだいぶ小さくなってしまったから。髪の毛もツルツルになってしまって。まあ、剃る手間がなくなったわけだが」
彼ははっはっはと、当時と変わらない軽快な声で笑った。
小夜も数か月ぶりに笑って、それから泣いた。そして、今までの経緯をぽつりぽつりと長い時間をかけて語った。
隆光は黙ってそれを聞いていたが、小夜が語り終えたころに、一言、呟いた。
「僕は君が生きていてくれて嬉しいよ」
その言葉を聞いた時に、小夜は自分が生きていていいのだと思った。
家に戻ると、仕事を探した。仕事が見つかると、病院の隆光を訪ねた。
彼は、胃癌なんだ、と言った。今回は胃を切除する手術をするんだ、と。
家族は誰も来ていないようだった。
「弟とどちらが実家の寺を継ぐかもめて以来不仲でね。妻も大分前に死んでしまって」と悲しそうに笑った。小夜はその手を握って、「私は先生が生きていてくれると嬉しいです」と伝えた。手術は成功し、小夜と隆光は頻繁に会うようになった。秀光の癌の転移がわかると、小夜は隆光の通院に付き添い、身の回りの世話をするようになり、そして一緒に暮らすようになった。
雨の音が和室に響いている。小夜は栄信の頬に手をあてた。
その頃の彼よりは大分若いものの、大学で教鞭をとっていたころの隆光の姿に栄信はよく似ていた。がっしりとした、しっかりとした筋肉のついた大柄の身体。形の良い頭。その体格に似合わない優しそうな瞳。
「せんせい」
小夜は思わず呼び掛ける。栄信がびくっと体を震わせた。彼の目線が自分の胸元にあることに小夜は気がついていた。小夜は、右手を栄信の下半身へと沿わせた。彼の太ももあたりに、硬く、熱い感触を感じる。
栄信は慌てて起き上がると、僧衣を正した。
小夜は横になったまま、彼を見つめた。
「栄信さん、私は、一度も隆光さんと――したことがないんです」
雨の音は、あの先生と再会した日に連れ戻してくれるような気がする。
誰にも話さなかった気持ちを、この場でなら、彼にだけは言える気がした。
栄信は、ぎょっとしたように小夜を見た。
「先生は病気でしたから」
何度も試した。小夜は隆光を愛していたから。
しかし、いくら触っても、隆光のそれは小夜の中に至るまでもたなかった。
口に含んだり、胸ではさんだり色々と工夫はしてみたものの、一瞬大きくなることはあっても、小夜の中に入れようとすると、奥に至るまでに小さくなってしまう。
「いえ、正確には、一度だけ」
小夜は思い出す。あれは、隆光が死ぬ1週間前だった。家で睡眠薬で朦朧としていた隆光は、急に起き上がると、ベッドわきに座っていた小夜を抱きしめた。今までのどの時より強く。小夜は、驚いたがそのまま優しくベッドに横になった。
そして、隆光にキスをすると、彼の股間に手を伸ばした。それは、小夜が今までに見たことがない程、硬く、ぴんと立っていた。優しくそれを、自分の中へと導いた。
彼が楽なように自分が上に乗った。隆光は、小夜を抱きしめると、ゆっくりと動き始めた。
小夜もゆっくりと、時々手で彼のペニスの付け根をさすりながら動いた。
やがて、穏やかに、それは小夜の中で震えて、破裂した。
「その時、隆光さんは、『香子』と私を呼んだんです」
栄信ははっとした。それは、死んだ隆光の先妻の名前だった。
栄信が小学校に上がる前に死んでしまったので、はっきりとは覚えていないが、肩までのきれいな黒髪をいつもきれいに結って、着物を着ていた。幼い彼に、飴やいろいろな形に折った折り紙をくれたことを覚えていた。
「それは――私と先生が『した』ことになるんでしょうか。先生は私を通して香子さんとしていたのでしょうか。そこに私はいたんでしょうか」
栄信は小夜を見つめた。何と返して良いのかわからなかった。
「叔父は、あなたと会えて良かったと思います」
やっと口から出たのはそんな言葉だった。
それは事実だと思う。叔父は晩年を彼女と過ごせて幸せだったと思う。
叔父の先妻の香子は、結婚後しばらくして交通事故で死んでしまった。
二人に子どもはなかった。叔父はそれから、家族とも誰とも親しい間柄にならずに生活するようになった。表向きは、大学の教員として教鞭をとりながら、研究に邁進する充実した生活を送っていたが、家に帰れば1人、誰とも関わらず妻の仏壇に向かい合って食事をとるような生活をしていた。愛別離苦の苦しみを二度と感じないように、人への執着心を捨てる 修行をしているような生活だった。
最初の入院の時に、生命が枯れ果てたような顔で、入院の保証人になってくれないかと寺に来たことを思い出す。『いざ死ぬとなると――生きたいと執着してしまう』と叔父は悲しそうに言っていた。
しかし、小夜と一緒に暮らすようになってからの叔父は、顔に生気が戻ったようだった。
「あの時、死ななくて良かった。手術して良かった。保証人になってくれてありがとう」
叔父は菓子折りを持って、父に頭を下げていた。
「『執着を捨てること』と『自暴自棄』は違います。叔父はずっと『自暴自棄』に生きていた。でも、あなたと出会って、そこから抜け出すことができた」
小夜は起き上がると、ぼんやりと呟いた。
「それでも、私は、先生にとって「私」は何だったのだろうかと思うのです。」
小夜の頬に涙がつたう。
隆光は、小夜にいろいろなものを残してくれた。
家、多額の貯金。奨学金は生きている間に全額を立て替えてくれた。
「子どももいないし、趣味もない。お金は溜まる一方で。もう使いきれそうもないから」と。
有難い話だ、と小夜は思う。でも、それ以上にもっと生きていてほしかった。最後に呼ぶ名前は自分の名前であってほしかった。
お金には困っていないが、働きに出た。毎日外に出て、表面上は人当りよく取り繕う。1日家にいるのは長すぎるからだ。そして、家に帰って1人ご飯を食べる。仏壇には隆光と先妻の位牌が並んでいる。
栄信はどうして自分は、叔父の葬式のあの日、遠くから叔父の棺を見つめていた小夜を見てから、彼女の姿が頭から離れないのだろうと考える。
そこまで誰かを何かを想ったことがないからだ、と思い当たった。栄信は小さいころから何かに深く執着したことがなかった。そんなに大きくないとはいえ、伝統ある寺の住職の一人っ子として生まれ、何不自由なく育った。次男だった父が、叔父が寺を「継がない」と言ったため、急遽仕事を辞め仏教大学に入り直し住職になり、母親と見合い結婚し寺を継いだことで、親族で揉めたことは知っていたが、自分自身に火の粉が降り注ぐことはなかった。檀家あしらいがうまくできない父が、母に全てを丸投げし、二人が険悪になっていることは感じていたが、夫婦とはそんなものだろうと思った。将来はこの寺を継ぐごとが決まっていたので、進路についても悩むことはなかった。父が「そろそろ」と言うまでは、東京の寺で修行を積んでいた。父母に求められ地元に戻る際に、当時交際していた恋人が「あなたの地元で寺の嫁になるのは無理」と言った時も「そうか」と言って別れた。
しかし、あの葬式の日、彼女を見て考えた。自分の母は父が死んだときにどんな反応をするだろうか?自分が死んだとき、誰がどんな反応をするだろうか?自分は誰が死んだときに、あんな風に、その人の棺を見つめるだろうか?叔父の墓に来る彼女の後姿を見つめる度、そう自問自答していた。
雨水が窓をつたい、彼女の頬を涙がつたう。
小夜は、タオルで顔を拭くと起き上がった。
「取り乱して、すいません」
栄信はいえ、と呟いて、彼女を見つめた。全ては後付けだと思う。今ここで彼女に触れたいということの。自然と体が動いた。タオルを彼女の頭に、目を覆うようにかけると、抱きしめ、キスをした。
「っ」
小夜の口から吐息が漏れる。そのまま二人は畳に倒れこんだ。
「栄信さ……」
小夜の言葉を、栄信は再度唇でふさいだ。
「好きなようにお呼びください」
目隠しのようにタオルを縛る。小夜の口中に舌を滑りこませると、小夜の舌は一瞬びくっと痙攣し、最初はおずおずと、徐々に激しく栄信の舌に絡みついてきた。
小夜の着物の帯を解く。ちらりと見ると、黒い喪服の間から、白い足が真っすぐ伸びている。栄信は右の手のひらをその足に這わせた。やがて、それは根本へとたどり着く。
あっと唇の間から小夜の声が漏れた。栄信の手は、布越しに小夜の水場へと触れる。
すでに、布の上から感じられるほど、そこは潤っていた。
栄信は布の中へと手を滑り込ませた。指は柔らかな、温かい液体で満ちたそこにたどり着く。そこは深く、深く小夜の中へと繋がっている。栄信の人差し指と中指はその中へと引き込まれていった。
栄信は小夜から唇を離した。唇と唇の間を唾液が蜘蛛の糸のようにつたう。温かい小夜の海の中に潜る、指の感覚に集中する。その中を優しくかき混ぜると、小夜の身体はその動きに従ってびくっと震える。小夜の唇から熱い息と共に、言葉が漏れる。
「せん……せい……、小夜と呼んでください」
「小夜」
呼ぶと、小夜は栄信を強く胸に抱きしめた。小夜の右手が僧衣の中へ滑り込み、栄信のそれに触れた。体中の血液がそこに集まり行き場をなくしたように、垂直に立ち上がっている。
小夜の手は、それを包み込み、上下にさすった。
栄信は、小夜の中からいったん指を抜くと、何度か息を吐いて、僧衣を脱ぎ棄てた。
身体中が熱に包まれているようだった。
それから、小夜の着物を完全に開いた。和装用の簡素な白い胸当てを剝ぎ取ると、それに押さえられていた、細い体に似つかわしくない豊かな乳房が溢れ出る。
「小夜」
囁くように名前を呼んで、その乳房に吸い付いた。指は再び小夜の海の中へ。熱に浮かされたように、激しく動かす。波しぶきのように温かい液体が飛散する。
小夜は力を失ったようにだらりと手を畳にゆだねた。
ただ、自分自身が波になったようだった。快感が寄せては引いてを繰り返す。
「せんせい、来て」
自然と口から言葉がこぼれ落ちていた。
栄信は自分で彼女を満たしたいと思った。ペニスを彼女の入り口へあてがう。
ずぶずぶと、彼女の中へ入っていく。温かく、ぎゅっと強く締めつけられる。
栄信はゆっくりと、だんだん激しく潜水と上昇を繰り返した。
繰り返すほど、彼女と自分の存在が溶けて一つになる。
「あっ」
小夜が大きく叫ぶと同時に、栄信は腹を痙攣させて、彼女の中に放出した。
栄信は小夜に覆いかぶさり、肩で息をした。先ほどまでの熱が嘘のように、部屋は静寂に包まれている。小夜は、目を覆っていたタオルを取ると、窓の外を見た。
「栄信さん、雨が止みましたね」
ガラス越しに見える庭では、水仙の白い花びらに溜まった水滴が雨上がりの陽の光に輝いている。
「小夜さん」
栄信は起き上がると、小夜を見つめた。
「私は、最初にあなたを叔父の葬儀で見かけてから、ずっと、あなたのことを考えていたのです。あなたは叔父のどこを愛していたのでしょうか」
小夜も起き上がると、庭を見ながら呟いた。
「作った食事をおいしいと食べてくれたこと、いつも庭の花の世話を欠かさないところ、きれいな花が咲いたら写真にとって私にメールしてくれたところ、CDを流しながらベッドで歌うけど音痴なところ、―――私が生きていて嬉しいと言ってくれたこと」
涙は流れなかった。もう雨は上がったのだから。
栄信は彼女を見つめながら言った。
「私も、あなたが生きていてくれて嬉しいですよ」
「ありがとうございます」
小夜はにっこりと微笑んだ。
二人はいそいそと着物と僧衣を着なおすと、すっかり冷めてしまったお茶を飲んだ。
「送りましょうか」と栄信が言うと、小夜は「歩きの距離ですから」と断った。
雨に濡れた道を小夜が歩いていく。
栄信は翌日も小夜は墓参りに来るだろうと思った。
その時に、何を話そうかと考えながら眠った。
しかし、翌日、いつもの時間になっても、小夜は墓参りに訪れなかった。
そんな日が数日経って、栄信は買い物の際に、小夜の住む家の前に寄ってみた。
きれいな花が咲く庭の中に古い木造の一軒家がぽつんと立っている。
チャイムを鳴らそうと思ったが、勇気が出ずにその日はそのまま寺に帰った。
寺で雑務をこなしていると、実家の母親から着信があった。
出ると、怒りの剣幕でまくしたてられる。
「あの女、家を売ってしまったのよ」
聞けば、小夜があの叔父の家を売ったという。
「母さん、あの家は彼女の家なんだから。私たちが口出しするようなことじゃない」
栄信は電話口で寂しげに微笑んだ。
――彼女は彼女の人生に戻ったのだろうか。
後日、駅で向かいのホームに小夜らしき姿を見かけた。ジーパンにTシャツ。リュックサックを背負っている。いつも綺麗に結っていた髪は、肩につく長さでざっくりと切られ、無造作にまとめられていた。何やら分厚い本を読みながら電車を待っている。
自分は、喪服姿の彼女しか知らなかったのだと、改めて栄信は思った。
ふと顔を上げた小夜と栄信の目が合った。小夜は軽く微笑んで、ホームに入ってきた電車に乗る。彼女の姿はそのまま発車のアナウンスと共に消えていった。
夫の墓の前で、彼女――桑野小夜は急な雨に打たれるまま、佇んでいた。小夜は、栄信の叔父である隆光の後妻だ。大学教授であった隆光の教え子で、大学院を卒業して数年後、叔父と結婚した。叔父は癌と戦っており、小夜と結婚して4年で死んでしまった。墓には、叔父と先妻の遺骨が一緒に入っている。その墓の前で彼女は何を思っているのだろうか。
栄信の視線に気づいてか、小夜が振り返る。
「せっかくの桜が散ってしまいますね」
彼女は寂しそうに、墓を覆うように咲き誇っている桜の花を見上げた。
「今日は降らないと、朝の天気予報では言っていたのだけど。春の天候は不安定ですね」
はっと現実に引き戻された栄信は、彼女に近づき、自分の傘の中に彼女を入れた。
小夜は栄信の顔を見上げると、微笑んだ。
「ありがとうございます」
しっかりと化粧をして、美容室に行ってきたように髪を結っている。彼女は毎日夫の墓に来るが、いつもそうやって綺麗に身支度をしてやって来る。
「雨が止むまで、中でお待ちください、小夜さん」
栄信は、彼女を本堂の横にある、普段は法事の際に遺族が待機するために使われる和室へ通した。
「今、温かいお茶を入れて参ります」
急須に湯を注ごうとして、栄信は注ぎすぎて湯を溢れさせてしまう。熱さで正気に戻り、慌てて冷水で冷やす。雨に濡れた小夜の姿が頭から離れない。
思えばずっと彼女の姿を頭の隅に置いていた。3年前の叔父の葬式の時からいつも彼女のことばかり考えてきたと栄信は思う。
3年前、叔父が闘病の末死んだ。栄信はその葬儀を任されることになった。はじめて任された葬儀だった。大学教授であった隆光の葬儀には教え子や、同僚や付き合いのあった出版社の編集者など、さまざまな人が訪れた。緊張しながら読経していた栄信は、ふとたくさんの参列者の後ろに、喪服の女を見た。女は食い入るように祭壇を見つめていた。霊柩車が発車するときも、遠くからじっと。葬儀の後、隆光の兄で、この寺の先代の住職である父から、彼女が叔父の再婚相手であると聞いた。「財産目当てだ」と父も母も言った。親戚も同じ理由から彼女を葬式に参列をさせなかった。彼女はこの3年の間毎日、夕方陽が落ちてカラスの鳴くころに墓参りにくる。寺の近くの、叔父と暮らした小さな1軒家の庭で育てた何輪かの花を持って。
お茶とタオルを盆に乗せて、和室へ向かう。襖を開けると、彼女はガラス戸の先の中庭を眺めていた。
「小夜さん、お茶です。あと、タオルを使ってください」
「ありがとうございます。何から何まですみません」
小夜は、言うとタオルで髪と顔を拭いた。濡れた髪が額に張り付いている。
「先日は、先生の――隆光さんの三回忌をして頂きありがとうございました」
いえいえ、と栄信は首を振る。
「こちらこそ、父や母や親戚が申し訳ありません」
隆光の三回忌は先月この寺で行われた。親戚一同はやはり、この若い後妻の出席を許さなかった。そんなこと、と小夜はうつむく。
「こうやってゆっくりお話しするのは初めてですね」
お茶を一口すすって、彼女は栄信に向き直った。
栄信は小夜から目を離すことができない。こんなに正面から、彼女を見るのははじめてだった。いつも、同じ時刻に墓の前に佇む彼女の後姿を見つめていた。彼女が寺に来るようになって3年になる。顔を合わせれば挨拶や天候の話をすることはあったが、こうして向かい合って話すのは初めてだった。ほっそりとした体、色白の肌。30代前半の彼女は、どこか世間から浮いたような雰囲気で、言われてみれば20代の学生のような気もするし、もっと上にも見えた。叔父は彼女のどこに惹かれ、彼女は叔父のどこに惹かれたのだろうか。
「小夜さんは、今はどうされているんですか」
「家の近くで仕事を見つけましたので、毎日職場に行って――、後は庭で土いじりをしたりしています」
「今日お持ちいただいた水仙のお花もとても綺麗でしたね」
「あれは隆光さんが残してくれた球根から育てたんです」
「そうでしたか。叔父が植えた水仙は、そこの庭にもあるんですよ。毎年咲いてくれています」
小夜は庭に咲いている水仙に視線を向けると、見とれるようにそうですか、と微笑んだ。
「隆光さんは昔から土いじりが好きだったんですね」
それから、あっと小さく声をあげた。
「栄信さん、手が――」
先ほどお茶をこぼしたところが赤くなっていた。小夜が手をのばす。栄信の手に小夜の手が重なる。
「これは、ちょっとお湯をこぼしてしまって――」
驚いた栄信はその手を払いのけてしまった。その拍子にバランスを崩して二人は畳に倒れこむ。気がつくと、目の前に小夜の顔があった。じっと彼女は栄信を見つめている。
ひんやりとした白い手が栄信の頬にそえられた。
「――栄信さんは先生によく似ているんですね」
小夜の瞳が栄信を見つめている。
「甥ですから」
栄信は赤面して目線をずらした。
倒れこんだ時にずれたのか、小夜の襟元がはだけて、白い胸が見えていた。
部屋には雨の音だけが響いている。
桑野小夜が夫の隆光と出会ったのは18歳の時だった。隆光は小夜の通う大学で仏教学の教授として教鞭をとっていた。実家が寺だという隆光は、大柄の身体にスキンヘッドという出で立ちで学校内でも異彩を放っていた。その外見に似合わず、冗談を交えた講義は軽快で、生徒に人気があった。小夜は4年間彼の授業を受けていたが、その当時はまだ教師と教え子でしかなかった。彼と再会したのは、26歳の時だ。病院の病棟で。
大学卒業後院に進んだ小夜だったが、就職の道は厳しかった。文系の研究者の道は狭き門だ。それも宗教学ともなると。なかなか職が得られず、アルバイトで困窮する先輩の姿を目の当たりにした小夜は、博士課程に進むのを諦め、就職した。
就職活動は苦戦した。面接では「趣味を極められたんですね」と言われた。正社員で受けた会社は全滅だった。つなぎのために派遣の仕事を始めた。時給1400円の事務職だ。ある日仕事帰りに車にぶつかられ、全治1か月の怪我をした。次の契約は更新されず、失業した。新しい職を探す気力も起きず、横になったまま1日を過ごす。家賃と奨学金が毎月口座から引き落とされる。ふと気づいた時には通帳の残高は0円になっていた。現実を見たくなかったので、病院でもらっていた抗うつ剤と、睡眠薬を全錠一気に水で飲み下した。
気持ち良いまどろみに包まれて眠ったが、目を覚ました時には強烈な頭痛と胃痛に襲われた。吐きながらアパートの階段へ這い出したところを、隣人が発見し救急搬送された。病院の白い天井を見ながら、結局自分は何をしたかったのだろう、と考えた。
疎遠になっていた故郷の家族は誰もやって来なかったが、母親に連絡したら、入院費用だけ振り込むと返事があった。1週間の入院で、退院になった。
退院日は雨が降っていた。廊下のベンチに座って、窓に打ちつける雨を見ながら、これからどうしようかと途方に暮れていると、視界につるりとした頭が写った。目を瞬いた。学生時代に毎日見ていた「先生」の頭だった。
彼も一目で小夜に気づいたようだった。学生の名前をひとりひとり覚えてくれる先生だった。
「驚いたかい。体がだいぶ小さくなってしまったから。髪の毛もツルツルになってしまって。まあ、剃る手間がなくなったわけだが」
彼ははっはっはと、当時と変わらない軽快な声で笑った。
小夜も数か月ぶりに笑って、それから泣いた。そして、今までの経緯をぽつりぽつりと長い時間をかけて語った。
隆光は黙ってそれを聞いていたが、小夜が語り終えたころに、一言、呟いた。
「僕は君が生きていてくれて嬉しいよ」
その言葉を聞いた時に、小夜は自分が生きていていいのだと思った。
家に戻ると、仕事を探した。仕事が見つかると、病院の隆光を訪ねた。
彼は、胃癌なんだ、と言った。今回は胃を切除する手術をするんだ、と。
家族は誰も来ていないようだった。
「弟とどちらが実家の寺を継ぐかもめて以来不仲でね。妻も大分前に死んでしまって」と悲しそうに笑った。小夜はその手を握って、「私は先生が生きていてくれると嬉しいです」と伝えた。手術は成功し、小夜と隆光は頻繁に会うようになった。秀光の癌の転移がわかると、小夜は隆光の通院に付き添い、身の回りの世話をするようになり、そして一緒に暮らすようになった。
雨の音が和室に響いている。小夜は栄信の頬に手をあてた。
その頃の彼よりは大分若いものの、大学で教鞭をとっていたころの隆光の姿に栄信はよく似ていた。がっしりとした、しっかりとした筋肉のついた大柄の身体。形の良い頭。その体格に似合わない優しそうな瞳。
「せんせい」
小夜は思わず呼び掛ける。栄信がびくっと体を震わせた。彼の目線が自分の胸元にあることに小夜は気がついていた。小夜は、右手を栄信の下半身へと沿わせた。彼の太ももあたりに、硬く、熱い感触を感じる。
栄信は慌てて起き上がると、僧衣を正した。
小夜は横になったまま、彼を見つめた。
「栄信さん、私は、一度も隆光さんと――したことがないんです」
雨の音は、あの先生と再会した日に連れ戻してくれるような気がする。
誰にも話さなかった気持ちを、この場でなら、彼にだけは言える気がした。
栄信は、ぎょっとしたように小夜を見た。
「先生は病気でしたから」
何度も試した。小夜は隆光を愛していたから。
しかし、いくら触っても、隆光のそれは小夜の中に至るまでもたなかった。
口に含んだり、胸ではさんだり色々と工夫はしてみたものの、一瞬大きくなることはあっても、小夜の中に入れようとすると、奥に至るまでに小さくなってしまう。
「いえ、正確には、一度だけ」
小夜は思い出す。あれは、隆光が死ぬ1週間前だった。家で睡眠薬で朦朧としていた隆光は、急に起き上がると、ベッドわきに座っていた小夜を抱きしめた。今までのどの時より強く。小夜は、驚いたがそのまま優しくベッドに横になった。
そして、隆光にキスをすると、彼の股間に手を伸ばした。それは、小夜が今までに見たことがない程、硬く、ぴんと立っていた。優しくそれを、自分の中へと導いた。
彼が楽なように自分が上に乗った。隆光は、小夜を抱きしめると、ゆっくりと動き始めた。
小夜もゆっくりと、時々手で彼のペニスの付け根をさすりながら動いた。
やがて、穏やかに、それは小夜の中で震えて、破裂した。
「その時、隆光さんは、『香子』と私を呼んだんです」
栄信ははっとした。それは、死んだ隆光の先妻の名前だった。
栄信が小学校に上がる前に死んでしまったので、はっきりとは覚えていないが、肩までのきれいな黒髪をいつもきれいに結って、着物を着ていた。幼い彼に、飴やいろいろな形に折った折り紙をくれたことを覚えていた。
「それは――私と先生が『した』ことになるんでしょうか。先生は私を通して香子さんとしていたのでしょうか。そこに私はいたんでしょうか」
栄信は小夜を見つめた。何と返して良いのかわからなかった。
「叔父は、あなたと会えて良かったと思います」
やっと口から出たのはそんな言葉だった。
それは事実だと思う。叔父は晩年を彼女と過ごせて幸せだったと思う。
叔父の先妻の香子は、結婚後しばらくして交通事故で死んでしまった。
二人に子どもはなかった。叔父はそれから、家族とも誰とも親しい間柄にならずに生活するようになった。表向きは、大学の教員として教鞭をとりながら、研究に邁進する充実した生活を送っていたが、家に帰れば1人、誰とも関わらず妻の仏壇に向かい合って食事をとるような生活をしていた。愛別離苦の苦しみを二度と感じないように、人への執着心を捨てる 修行をしているような生活だった。
最初の入院の時に、生命が枯れ果てたような顔で、入院の保証人になってくれないかと寺に来たことを思い出す。『いざ死ぬとなると――生きたいと執着してしまう』と叔父は悲しそうに言っていた。
しかし、小夜と一緒に暮らすようになってからの叔父は、顔に生気が戻ったようだった。
「あの時、死ななくて良かった。手術して良かった。保証人になってくれてありがとう」
叔父は菓子折りを持って、父に頭を下げていた。
「『執着を捨てること』と『自暴自棄』は違います。叔父はずっと『自暴自棄』に生きていた。でも、あなたと出会って、そこから抜け出すことができた」
小夜は起き上がると、ぼんやりと呟いた。
「それでも、私は、先生にとって「私」は何だったのだろうかと思うのです。」
小夜の頬に涙がつたう。
隆光は、小夜にいろいろなものを残してくれた。
家、多額の貯金。奨学金は生きている間に全額を立て替えてくれた。
「子どももいないし、趣味もない。お金は溜まる一方で。もう使いきれそうもないから」と。
有難い話だ、と小夜は思う。でも、それ以上にもっと生きていてほしかった。最後に呼ぶ名前は自分の名前であってほしかった。
お金には困っていないが、働きに出た。毎日外に出て、表面上は人当りよく取り繕う。1日家にいるのは長すぎるからだ。そして、家に帰って1人ご飯を食べる。仏壇には隆光と先妻の位牌が並んでいる。
栄信はどうして自分は、叔父の葬式のあの日、遠くから叔父の棺を見つめていた小夜を見てから、彼女の姿が頭から離れないのだろうと考える。
そこまで誰かを何かを想ったことがないからだ、と思い当たった。栄信は小さいころから何かに深く執着したことがなかった。そんなに大きくないとはいえ、伝統ある寺の住職の一人っ子として生まれ、何不自由なく育った。次男だった父が、叔父が寺を「継がない」と言ったため、急遽仕事を辞め仏教大学に入り直し住職になり、母親と見合い結婚し寺を継いだことで、親族で揉めたことは知っていたが、自分自身に火の粉が降り注ぐことはなかった。檀家あしらいがうまくできない父が、母に全てを丸投げし、二人が険悪になっていることは感じていたが、夫婦とはそんなものだろうと思った。将来はこの寺を継ぐごとが決まっていたので、進路についても悩むことはなかった。父が「そろそろ」と言うまでは、東京の寺で修行を積んでいた。父母に求められ地元に戻る際に、当時交際していた恋人が「あなたの地元で寺の嫁になるのは無理」と言った時も「そうか」と言って別れた。
しかし、あの葬式の日、彼女を見て考えた。自分の母は父が死んだときにどんな反応をするだろうか?自分が死んだとき、誰がどんな反応をするだろうか?自分は誰が死んだときに、あんな風に、その人の棺を見つめるだろうか?叔父の墓に来る彼女の後姿を見つめる度、そう自問自答していた。
雨水が窓をつたい、彼女の頬を涙がつたう。
小夜は、タオルで顔を拭くと起き上がった。
「取り乱して、すいません」
栄信はいえ、と呟いて、彼女を見つめた。全ては後付けだと思う。今ここで彼女に触れたいということの。自然と体が動いた。タオルを彼女の頭に、目を覆うようにかけると、抱きしめ、キスをした。
「っ」
小夜の口から吐息が漏れる。そのまま二人は畳に倒れこんだ。
「栄信さ……」
小夜の言葉を、栄信は再度唇でふさいだ。
「好きなようにお呼びください」
目隠しのようにタオルを縛る。小夜の口中に舌を滑りこませると、小夜の舌は一瞬びくっと痙攣し、最初はおずおずと、徐々に激しく栄信の舌に絡みついてきた。
小夜の着物の帯を解く。ちらりと見ると、黒い喪服の間から、白い足が真っすぐ伸びている。栄信は右の手のひらをその足に這わせた。やがて、それは根本へとたどり着く。
あっと唇の間から小夜の声が漏れた。栄信の手は、布越しに小夜の水場へと触れる。
すでに、布の上から感じられるほど、そこは潤っていた。
栄信は布の中へと手を滑り込ませた。指は柔らかな、温かい液体で満ちたそこにたどり着く。そこは深く、深く小夜の中へと繋がっている。栄信の人差し指と中指はその中へと引き込まれていった。
栄信は小夜から唇を離した。唇と唇の間を唾液が蜘蛛の糸のようにつたう。温かい小夜の海の中に潜る、指の感覚に集中する。その中を優しくかき混ぜると、小夜の身体はその動きに従ってびくっと震える。小夜の唇から熱い息と共に、言葉が漏れる。
「せん……せい……、小夜と呼んでください」
「小夜」
呼ぶと、小夜は栄信を強く胸に抱きしめた。小夜の右手が僧衣の中へ滑り込み、栄信のそれに触れた。体中の血液がそこに集まり行き場をなくしたように、垂直に立ち上がっている。
小夜の手は、それを包み込み、上下にさすった。
栄信は、小夜の中からいったん指を抜くと、何度か息を吐いて、僧衣を脱ぎ棄てた。
身体中が熱に包まれているようだった。
それから、小夜の着物を完全に開いた。和装用の簡素な白い胸当てを剝ぎ取ると、それに押さえられていた、細い体に似つかわしくない豊かな乳房が溢れ出る。
「小夜」
囁くように名前を呼んで、その乳房に吸い付いた。指は再び小夜の海の中へ。熱に浮かされたように、激しく動かす。波しぶきのように温かい液体が飛散する。
小夜は力を失ったようにだらりと手を畳にゆだねた。
ただ、自分自身が波になったようだった。快感が寄せては引いてを繰り返す。
「せんせい、来て」
自然と口から言葉がこぼれ落ちていた。
栄信は自分で彼女を満たしたいと思った。ペニスを彼女の入り口へあてがう。
ずぶずぶと、彼女の中へ入っていく。温かく、ぎゅっと強く締めつけられる。
栄信はゆっくりと、だんだん激しく潜水と上昇を繰り返した。
繰り返すほど、彼女と自分の存在が溶けて一つになる。
「あっ」
小夜が大きく叫ぶと同時に、栄信は腹を痙攣させて、彼女の中に放出した。
栄信は小夜に覆いかぶさり、肩で息をした。先ほどまでの熱が嘘のように、部屋は静寂に包まれている。小夜は、目を覆っていたタオルを取ると、窓の外を見た。
「栄信さん、雨が止みましたね」
ガラス越しに見える庭では、水仙の白い花びらに溜まった水滴が雨上がりの陽の光に輝いている。
「小夜さん」
栄信は起き上がると、小夜を見つめた。
「私は、最初にあなたを叔父の葬儀で見かけてから、ずっと、あなたのことを考えていたのです。あなたは叔父のどこを愛していたのでしょうか」
小夜も起き上がると、庭を見ながら呟いた。
「作った食事をおいしいと食べてくれたこと、いつも庭の花の世話を欠かさないところ、きれいな花が咲いたら写真にとって私にメールしてくれたところ、CDを流しながらベッドで歌うけど音痴なところ、―――私が生きていて嬉しいと言ってくれたこと」
涙は流れなかった。もう雨は上がったのだから。
栄信は彼女を見つめながら言った。
「私も、あなたが生きていてくれて嬉しいですよ」
「ありがとうございます」
小夜はにっこりと微笑んだ。
二人はいそいそと着物と僧衣を着なおすと、すっかり冷めてしまったお茶を飲んだ。
「送りましょうか」と栄信が言うと、小夜は「歩きの距離ですから」と断った。
雨に濡れた道を小夜が歩いていく。
栄信は翌日も小夜は墓参りに来るだろうと思った。
その時に、何を話そうかと考えながら眠った。
しかし、翌日、いつもの時間になっても、小夜は墓参りに訪れなかった。
そんな日が数日経って、栄信は買い物の際に、小夜の住む家の前に寄ってみた。
きれいな花が咲く庭の中に古い木造の一軒家がぽつんと立っている。
チャイムを鳴らそうと思ったが、勇気が出ずにその日はそのまま寺に帰った。
寺で雑務をこなしていると、実家の母親から着信があった。
出ると、怒りの剣幕でまくしたてられる。
「あの女、家を売ってしまったのよ」
聞けば、小夜があの叔父の家を売ったという。
「母さん、あの家は彼女の家なんだから。私たちが口出しするようなことじゃない」
栄信は電話口で寂しげに微笑んだ。
――彼女は彼女の人生に戻ったのだろうか。
後日、駅で向かいのホームに小夜らしき姿を見かけた。ジーパンにTシャツ。リュックサックを背負っている。いつも綺麗に結っていた髪は、肩につく長さでざっくりと切られ、無造作にまとめられていた。何やら分厚い本を読みながら電車を待っている。
自分は、喪服姿の彼女しか知らなかったのだと、改めて栄信は思った。
ふと顔を上げた小夜と栄信の目が合った。小夜は軽く微笑んで、ホームに入ってきた電車に乗る。彼女の姿はそのまま発車のアナウンスと共に消えていった。
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