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3章 交錯
3-1.朝(1)
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「旦那様、奥様――お早うございます」
日がすっかり昇ったころ、クロエはアメリアの侍女を二人連れて、アメリアの寝室の扉を叩いた。
ガチャリ、とドアノブが回り、チャールズが顔を出す。
寝室に入ると、ベッドの上には脱力したアメリアが横になっていた。
チャールズはぐったりした彼女を抱えると、ソファに座らせた。
運ばれてきた桶の水で顔を洗うと、彼は妻に呼び掛けた。
「アメリア、僕は着替えてくるから。着替えたら、朝食を食べよう。動くのが辛ければ、この部屋でもいいし」
髪を撫で、頬にキスをすると、クロエに声をかける。
「クロエ、アメリアの身支度を頼むよ。――まだ、手足に痺れを感じるみたいなんだ」
「承知いたしました」
自分の部屋へ戻って行くチャールズを見送って、クロエは何事もないように動き始めた。アメリアの身体を拭き、髪をとかす。
「クロエ」
アメリアは異母妹の名前を呼んだ。クロエはぴくりと動きを止める。
「何でしょうか、奥様」
『奥様』とアメリアは口を動かした。
(そうね、ここの主はチャーリーなのだから)
その妻である自分は奥様になったのだ。
(結婚式の夜にルークと逃げようとした私が『奥様』ね)
そんなことなどなかったかのように進んで行く朝の支度にアメリアは苦笑した。
「――クロエと二人にしてもらえるかしら」
アメリアは、他の侍女に下がるように視線を促した。
彼女たちが出て行くと、アメリアはうつむいたまま、小さな声で言った。
「どうしてルークのことを、言ってくれなかったの」
「言ったところで、何になるのでしょう?」
クロエはアメリアの髪をとかしていた手を止めて、自分と同じ父譲りの栗色の髪を持ち上げた。露わになった右の首筋には噛み跡が痣になって残っている。クロエは自分の首に触れながら呟いた。
「お姉さまは彼の番なんですから」
アメリアは視線を落とした。番の感覚で、ルークが無事なことはわかった。
そして、ルークが自分に触れた時に感じた雑音のようなものの正体がわかった気がした。自分に触れる度、ルークの心が何かに揺らぐのをアメリアは感じていた。それが生じる度、彼は手を離した。そして、最後までアメリアの中へ押し入ることはなかった。
寝台の乱れた寝具に視線へ目線を動かす。昨夜の破瓜の血がついたシーツがその証拠だった。
アメリアの視線につられるように、クロエも視線をそこに移す。そして眉根を寄せた。
「どうして」
そう呟いて、クロエはアメリアの肩を掴むと、目を合わせて問いかけた。
「どうして、ルークとは寝なかったんですか」
アメリアは首を横に背けた。
(私が何かを言って、何になるの?)
クロエは黙ったままの異母姉の顔を自分の方へ向けさせた。
身体と身体が近づく。クロエの身体から、なんともいえない香りがして、アメリアは思わず息を吸い込んだ。それは、頭の奥の、さらに先を刺激する匂いだった。血が沸き立つと同時に、昨日の夜、チャールズに触られた場所が、くすぶっていた火が急激に燃え上がるように熱くなった。思わず息が荒くなる。
クロエはそれに気づくと、言い捨てた。
「私に番の匂いを感じましたか? 昨夜一緒にいましたから。――まるで、獣のようですね」
アメリアは羞恥心から顔が熱くなるのを感じた。クロエはその様子を見て、自分の口にした言葉と、彼女の反応に動揺した。クロエの中で、アメリアはいつも自分と違う『お嬢様』で、自分は彼女に対し、こんな風に辱めるようなものの言い方をしたことはなかった。
妾の娘で、使用人の立場の自分にいつもにこやかに優しく接してくれたお嬢様。
彼女が自分と同じ、ただの女に過ぎないことを、クロエははじめて自覚した。
(どうして)
長年心の奥底で思っていた思いが蓋を開けたように流れ出てきた。
(どうして、私が『使用人』で、お姉さまは『お嬢様』なの)
産んだ母親の違い。それだけだ。それなのに、どうして、こんなに置かれる状況が違うのだろう。
クロエは唇を噛むと、口から流れるままに言葉を呟いた。
「お姉さまは、どうして、森に向かったんですか? ――お姉さまは、何でも持っているじゃない。素敵なドレスに、リボン、美味しい食事に、身のお世話をしてくれる使用人、それから、素敵な王子様。なんの不足があったのでしょう」
アメリアはうつむいた。自分がクロエに何かを言う事自体がおこがましいことだとわかっていた。『かわいそう』なクロエ。何も悪くないのに、鞭うたれて、働かされて。
自分は彼女よりも恵まれている。それは理解していた。母親が古いものしか与えなかったのか、黄ばんだ色のメイド服で働く彼女の姿を見たときに、優越感を感じた。そして、そんな気持ちを抱いた自分を恥じた。だから、優しくにこやかに接するようにした。彼女と仲良くなれば、そう感じた自分を許せる気がした。
(なんの不足があった? そうでしょうね、貴女から見れば)
アメリアはうつむいた。
(私はチャーリーに相応しくないもの)
言葉は飲み込んだ。それを言って何になるのだろう。沈黙の後、クロエは呟いた。
「――お姉さまは、ルークを愛していますか?」
アメリアは一瞬黙り込むと、絞り出すような声で言った。
「彼は、番だから」
何故彼に対して、愛情を感じるのだろう。その理由は、それしか言えなかった。
「私は、ルークが好きなんです。言葉に出すのは下手だけれど、優しくしてくれたことや、柔らかい毛並みや、温かさや、食事中は無口になるところや、そういうところが全部」
クロエは視線を落とすと呟いた。
「――朝の準備をしないといけませんね」
部屋の外に出されていた二人の侍女を室内に呼ぶと、淡々とアメリアの身支度を済ませた。
日がすっかり昇ったころ、クロエはアメリアの侍女を二人連れて、アメリアの寝室の扉を叩いた。
ガチャリ、とドアノブが回り、チャールズが顔を出す。
寝室に入ると、ベッドの上には脱力したアメリアが横になっていた。
チャールズはぐったりした彼女を抱えると、ソファに座らせた。
運ばれてきた桶の水で顔を洗うと、彼は妻に呼び掛けた。
「アメリア、僕は着替えてくるから。着替えたら、朝食を食べよう。動くのが辛ければ、この部屋でもいいし」
髪を撫で、頬にキスをすると、クロエに声をかける。
「クロエ、アメリアの身支度を頼むよ。――まだ、手足に痺れを感じるみたいなんだ」
「承知いたしました」
自分の部屋へ戻って行くチャールズを見送って、クロエは何事もないように動き始めた。アメリアの身体を拭き、髪をとかす。
「クロエ」
アメリアは異母妹の名前を呼んだ。クロエはぴくりと動きを止める。
「何でしょうか、奥様」
『奥様』とアメリアは口を動かした。
(そうね、ここの主はチャーリーなのだから)
その妻である自分は奥様になったのだ。
(結婚式の夜にルークと逃げようとした私が『奥様』ね)
そんなことなどなかったかのように進んで行く朝の支度にアメリアは苦笑した。
「――クロエと二人にしてもらえるかしら」
アメリアは、他の侍女に下がるように視線を促した。
彼女たちが出て行くと、アメリアはうつむいたまま、小さな声で言った。
「どうしてルークのことを、言ってくれなかったの」
「言ったところで、何になるのでしょう?」
クロエはアメリアの髪をとかしていた手を止めて、自分と同じ父譲りの栗色の髪を持ち上げた。露わになった右の首筋には噛み跡が痣になって残っている。クロエは自分の首に触れながら呟いた。
「お姉さまは彼の番なんですから」
アメリアは視線を落とした。番の感覚で、ルークが無事なことはわかった。
そして、ルークが自分に触れた時に感じた雑音のようなものの正体がわかった気がした。自分に触れる度、ルークの心が何かに揺らぐのをアメリアは感じていた。それが生じる度、彼は手を離した。そして、最後までアメリアの中へ押し入ることはなかった。
寝台の乱れた寝具に視線へ目線を動かす。昨夜の破瓜の血がついたシーツがその証拠だった。
アメリアの視線につられるように、クロエも視線をそこに移す。そして眉根を寄せた。
「どうして」
そう呟いて、クロエはアメリアの肩を掴むと、目を合わせて問いかけた。
「どうして、ルークとは寝なかったんですか」
アメリアは首を横に背けた。
(私が何かを言って、何になるの?)
クロエは黙ったままの異母姉の顔を自分の方へ向けさせた。
身体と身体が近づく。クロエの身体から、なんともいえない香りがして、アメリアは思わず息を吸い込んだ。それは、頭の奥の、さらに先を刺激する匂いだった。血が沸き立つと同時に、昨日の夜、チャールズに触られた場所が、くすぶっていた火が急激に燃え上がるように熱くなった。思わず息が荒くなる。
クロエはそれに気づくと、言い捨てた。
「私に番の匂いを感じましたか? 昨夜一緒にいましたから。――まるで、獣のようですね」
アメリアは羞恥心から顔が熱くなるのを感じた。クロエはその様子を見て、自分の口にした言葉と、彼女の反応に動揺した。クロエの中で、アメリアはいつも自分と違う『お嬢様』で、自分は彼女に対し、こんな風に辱めるようなものの言い方をしたことはなかった。
妾の娘で、使用人の立場の自分にいつもにこやかに優しく接してくれたお嬢様。
彼女が自分と同じ、ただの女に過ぎないことを、クロエははじめて自覚した。
(どうして)
長年心の奥底で思っていた思いが蓋を開けたように流れ出てきた。
(どうして、私が『使用人』で、お姉さまは『お嬢様』なの)
産んだ母親の違い。それだけだ。それなのに、どうして、こんなに置かれる状況が違うのだろう。
クロエは唇を噛むと、口から流れるままに言葉を呟いた。
「お姉さまは、どうして、森に向かったんですか? ――お姉さまは、何でも持っているじゃない。素敵なドレスに、リボン、美味しい食事に、身のお世話をしてくれる使用人、それから、素敵な王子様。なんの不足があったのでしょう」
アメリアはうつむいた。自分がクロエに何かを言う事自体がおこがましいことだとわかっていた。『かわいそう』なクロエ。何も悪くないのに、鞭うたれて、働かされて。
自分は彼女よりも恵まれている。それは理解していた。母親が古いものしか与えなかったのか、黄ばんだ色のメイド服で働く彼女の姿を見たときに、優越感を感じた。そして、そんな気持ちを抱いた自分を恥じた。だから、優しくにこやかに接するようにした。彼女と仲良くなれば、そう感じた自分を許せる気がした。
(なんの不足があった? そうでしょうね、貴女から見れば)
アメリアはうつむいた。
(私はチャーリーに相応しくないもの)
言葉は飲み込んだ。それを言って何になるのだろう。沈黙の後、クロエは呟いた。
「――お姉さまは、ルークを愛していますか?」
アメリアは一瞬黙り込むと、絞り出すような声で言った。
「彼は、番だから」
何故彼に対して、愛情を感じるのだろう。その理由は、それしか言えなかった。
「私は、ルークが好きなんです。言葉に出すのは下手だけれど、優しくしてくれたことや、柔らかい毛並みや、温かさや、食事中は無口になるところや、そういうところが全部」
クロエは視線を落とすと呟いた。
「――朝の準備をしないといけませんね」
部屋の外に出されていた二人の侍女を室内に呼ぶと、淡々とアメリアの身支度を済ませた。
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