ハンリュウ! 〜隋帝国の野望〜

魔法組

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2 英雄(?)、故郷に帰る

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 この日。空は涼やかと呼ぶには少し冷たすぎる色をしていた。

 真夏には無数の草花がえ広がり、目にまぶしいほどの緑が視界をおおい尽くさんばかりに広がる丘陵きゅうりょう地帯も、年が改まったばかりのこの時期にはまだ茶色い枯れ草と冷たく乾いた黒土が空しく風に吹かれるのみという寒々しい光景ばかりが目についている。

 そんなどこかもの悲しい景色の中。丘の間をうようにして作られた蛇のごとく曲がりくねっている一筋の道を、一人の男がへこへこした足取りでゆっくり歩いていた。

 男は、その名を乙支文徳ウルチ ムンドクという。身長一七〇センチと少し。一見せ型だが、よく見れば最低限の筋肉はつくべきところにしっかりついた、程よく引き締まった体型の持ち主であり、顔立ちもそれなりに精悍せいかんで整っている。

 もっともいまの姿……旅着である皮服とズボンはいいとして、その上から綿のたっぷり詰まった外套がいとうを何枚も重ね着し、防寒用のマントや毛糸の帽子までかぶっている姿を見て精悍だと思う人はあまりいないだろう。だが現在この道を歩いているのは乙支文徳一人だけ。そのため彼は他人の目を気にすることもなく、南へと続く道を歩き続けていた。

「……高句麗コグリョか。なにもかも懐かしい」

 ふと足を止め周囲の景色を改めて見やってから、乙支文徳は軽く目を細め、小さく吐息をこぼしつつ感慨かんがい深げに呟いた。

 自分では、かなり格好良く決めたつもりだったのだが。このような着ぶくれダルマ姿の上、そのセリフのすぐ後で『へっくちん!』と情けないくしゃみをした挙げ句に鼻水をツララのように垂らしてしまったため、色々と台無しになってしまった感がいなめないことはなはだしい。

 まあ、それはともかく。

 乙支文徳ははなを大きくすすりあげて鼻水を元の場所に収納してから、地平線の果てまで続くかと思うほど長く伸びた道の先にと改めて視線を向けてみた。この道の向こうには、三年ぶりに訪れる故郷の街と城が、彼の帰りをいまや遅しと待ち続けてくれているはずなのである。

 しかしその道の前のほうから馬のひづめが大地をるような音が聞こえてきたので、乙支文徳は顔面を真っ青にする羽目となった。

 なんだろう。野盗だろうか?

 もしそうなら早いところ逃げるなり身を隠す場所を探すなりしなければならないと、乙支文徳はあせった。

 こう見えても乙支文徳は実は軍人なのだが、情けないことに武道や剣の扱いに関しては素人以下の実力しかない。だから野盗なんぞと戦っても絶対に勝てないという自信があったためである。

 だが近づいてきているのがたった一騎で、しかもその背中に乗っているのが自分のよく知っている人物だということに気がつくと、乙支文徳はほっと安堵あんどの息をついた。

「お? なんだ。あれは高建武コ チェンムじゃないか。もしかして迎えに来てくれたのかな。おーい、おーい!」

 乙支文徳は大きく手を振ってそう声をかけた。その声が聞こえたのか、馬の背に乗っていた人物は馬を方向転換させると、そのまま乙支文徳のいる場所へ向かってくる。

 やって来たのは一見するとまだ幼い少女のようだった。年齢はどう高く見積もっても十五歳以上には見えない。身長も一四五センチあるかないかという小柄な体格で、ふわふわと柔らかそうな栗毛の髪と色白の肌、ぱっちりとした大きな瞳の持ち主である。

 それだけを見ればどこかの貴族の令嬢か、あるいは裕福な商家のお嬢さまのように思えるかもしれない。

 だが彼女が身にまとっている青銅製の無骨な鎧やかぶと、それに腰から無造作に下げているが手入れのよく行き届いた鋼鉄製のバスタード・ソードを見れば、それが間違いであることにすぐ気がつくだろう。

 乙支文徳とは別の意味でそうは見えないかもしれないのだが、彼女はここ高句麗国において数多くの武勲ぶくんを立てたれっきとした軍人なのである。

 少女……高建武は乙支文徳の目の前までたどり着くと軽く手綱たづなを引き、馬を立ち止まらせた。彼女の一〇倍くらいの体重がある、燃えるような長いたてがみが特徴の気が強そうな青毛の軍馬だ。そんな馬の首筋を優しくで、彼女は花が咲いたような笑みを向けてくる。

「あの、そちらのちょっとメタボリックなかた。お尋ねしたいことがあるんですけど」

 声をかけてきた高建武のその言葉に乙支文徳は首をかしげたが、彼女は構わず言葉を続ける。

「この辺りで、乙支文徳閣下かっかの姿をお見かけしませんでしたでしょうか?」

「……はぁ?」

「あ、名前を言っても分かりませんか。身長は貴方あなたと同じくらいで貴方よりはちょっとスマートな男の人です。結構いい年のくせに童顔で、呑気のんきそうでなにも考えていないような顔をしているんですが」

「お前……気づいてなかったのかよ」

 は? なにがですか、と言わんばかりに無邪気な微笑みを浮かべ続けている少女の顔を半眼になってにらみつけながら、乙支文徳は苦々しい息を吐きつつ言葉を続ける。

「しかしそれにしてもだ。この世界で、お前にだけは童顔とか呑気そうな顔だなんて言われたくないぞ。高建武」

 乙支文徳のその言葉に少女は手を口元に当てて、驚愕きょうがくしたような声をあげた。

「なななななな、なんで貴方、あたしの名前をご存じなんですか? 初対面ですし、名乗った覚えなんかないのに。はっ! もしかして貴方は人の心を読み取るバケモノ!? そんな。この辺りにはケモノはいてもバケモノはいないはずなのに! いやだー! 食べないでくださーい‼」

「食べないよー……じゃなくて、そんなわけないだろ! 相変わらずボケボケな奴だな。ほら、よく見ろ。おれだよ、おれおれ」

「いえ。そんなサッカーの応援、もしくはオレオレ詐欺サギみたいなことを言われても……あたしには貴方のようにぶくぶくえた知り合いは存在しませんし。人違いでは?」

「人違いなら、おれがお前の名前を知っている理由の説明にならないだろうが。いい加減に気づけ。おれが乙支文徳なの!!」

「へっ? ……って、ああっ!? 言われてみれば、確かに貴方は乙支文徳閣下。ちょっと見ない間に、ずいぶんとお太りになられましたね。過食症ですか?」

「三年ぶりに再会したら全然気づいてもらえなかった上にバケモノ呼ばわりされて。やっと分かってくれたと思ったら、最初の挨拶あいさつがそれかよ」

 げんなりと息を吐き、乙支文徳はやれやれと呟いた。

「別に太ったわけじゃあない。寒いからちょっと服を多めに着こんでいるだけだ。それくらい見て分かれ」

「……ああ、確かにその通りのようですね。これはあたしがうっかりさんでした。高建武一生の不覚です」

 言って高建武はてへっ、と照れ笑いするようにぺろりと一つ(一つしかないが)舌を出して見せたのだった。





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