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53 黄海の戦い・その2
しおりを挟む「状況は!?」
艦橋にたどり着くと、来護児はその扉を蹴り飛ばして開け、中にいるスタッフに向け怒鳴るようにそう声をかける。そんな来護児の態度には慣れているのか、艦橋の要員たちも別段驚いたり戸惑ったりする様子はない。
「高句麗艦隊と思しき船団はおよそ十五隻。左右に大きく広がりつつ、我が艦隊を包みこもうとしてか鶴翼の陣形をとらんとし、第六標準速度で航海しております。艦隊の内訳は戦艦六隻、高速戦艦二隻、巡洋艦四隻、強襲揚陸艦一隻、および補給艦二隻。ただしいずれも旧式で、搭載されている兵器も隋軍のものと比較すると量的にも質的にも著しく貧弱。船足もそう早くはなく、乗員も少数の模様」
鼻の下にちょびヒゲを生やした四〇代半ばくらいの小男の艦長がくつくつと、嘲るような嗤い声をあげながら応えた。
「こちらの艦は最新式の武装を整えた、船足も早いものばかり四〇〇隻だと言うのに。あんなぼろ船だけで我々を足止め出来ると本気で思っているのでしょうかね? 我々隋軍を嘗めているのか、それとも高句麗軍にとってはあの程度の戦力をかき集めるのが精一杯だったのか」
「確かにね。敵はこちらの艦隊を半包囲しようとしていると聞いたから、一体何百隻何千隻の大艦隊でお出迎えをいただいているのかと思ったら、たった十五隻とはね」
来護児はそう言うと艦橋中に響き渡るほど大声で高笑いをあげた。一瞬遅れ、艦橋内の要員たちも追従するような笑い声をあげる。
「総管、侮ってはいけません。確かに戦力の差は圧倒的のようですが、ここはもう高句麗のフィールド内です。どんな巧妙な罠が仕掛けられているか分かったものではありませんよ!?」
ただ一人。来護児に少し遅れて艦橋に入ってきた副官の秦瓊が注意を促すようにそう声を出した。
「それにここを突破すれば後は大同江を遡って平壌城まで一直線ですから、高句麗にとっては後がないという状況です。死に物狂いで攻めてくるでしょう。油断をしていたら手酷いしっぺ返しを受ける羽目になりかねません」
「ああ、そうね。気をつけるわ」
意外と心配症なことを言う秦瓊を軽くいなして、来護児は苦笑いを浮かべながら応えた。これほどの戦力の差があれば、たとえ司令官がカブトムシだったとしても隋軍の圧勝に決まっている。ましてや隋水軍は勇兵の集まりだし、その総管を務めているのは十二将軍の一人、名将の誉れも高き来護児なのだ。負けようと思ったってそう簡単に負けられるものではない。飛車角金銀桂香子步落ちで将棋を指すようなものだ。
だが秦瓊はそうは思っていないようだ。彼女は不満気にほっぺたを膨らませながら、真剣な表情で来護児の顔を睨みつける。
「そうやってすぐに油断するのは総管の悪い癖ですよ。総管はいつも敵を甘く見すぎと言うか自分の強さを過大評価しすぎなんですから。いつだったかなんかそのせいで……」
「閣下! 敵戦闘艦より光通信が送られてきています!」
小姑のように文句を垂れる秦瓊の言葉を遮るように、オペレーターの一人が叫び声をあげた。これ幸いと来護児は秦瓊から離れて、オペレーターの元に歩み寄っていく。
「光通信ですって? それは一体どういうものなの?」
「鏡を使って太陽の光を反射させて光を送り、遠方の相手と交信する通信方法です。本来は味方同士の通信に使うのですが、今回敵艦は明らかにこの旗艦、黒薔薇の君号に向けて発信しています」
「なるほど。暗号通信って訳ね……」
そう言われて来護児は高句麗軍の艦隊のほうに目をやってみた。確かにそのうちの一隻の船首あたりから一定のリズムで光が発せられているようだった。
「どう? 解読出来そう?」
「ええ。今回は味方同士の通信ではなくて、我々隋軍に向けての通信ですからね。こちらが解読出来ないような暗号で通信を送ってきても意味がない訳ですから、多分隋軍がとうのむかしに解読に成功している古いタイプの暗号を使っているものと推測出来ます。それに照らし合わせてみると。え~と……」
「『船籍不明の不審船団に告ぐ』」
オペレーターが乱数表と睨めっこしながら必死に通信を解読しようとしているのをよそに、秦瓊がスラスラと高句麗軍の通信を通訳して見せた。呆気にとられている来護児やオペレーターたちをよそに、彼女はさらに解読を続ける。
「『ここから先は高句麗国の領海である。これ以上進むようなら故意の領海侵犯とみて、国土防衛のため貴船らを攻撃せざるを得ない。直ちに停船するか引き返せ』だそうです。後はその繰り返しですね」
「故意の領海侵犯ねえ……。高句麗軍もなかなか面白いことを言うぢゃないの」
秦瓊の通訳を聞き、来護児は口唇の端を歪め嗤って見せた。
「まったくです。恋の領海侵犯なら、なかなかロマンティックなんですけどねえ」
お愛想のつもりか、艦長がもみ手をしながらへらへら笑い声をあげて言った。だが来護児や秦瓊を始め、他のオペレーターや観測員、通信士などからもあからさまにしらっとした視線を向けられてしまったので、そのまま赤面して黙りこんでしまう。
「船籍不明の不審船団とはまた白々しいことを言うわね。我々が隋の水軍であることくらい、とっくに分かっているでしょうに」
艦長の言葉はなかったことにして、来護児は不敵に笑いながら言葉を紡いだ。
「どうします? 高句麗艦隊になにか返信を送りますか」
秦瓊が尋ねてきたが、来護児は肩をすくめて首を横に振る。
「必要ないわ。それより隋の全軍に通信。前方の高句麗艦隊に向けて砲撃せよ、ってね。容赦も遠慮もいらないわよ。敵の船を全部、木端微塵にぶち砕くつもりでやりなさい」
「アイアイ・マム、了解!」
「アラホラサッサー!」
来護児の命令を受けて、オペレーターは直ちに。各艦に向けて伝令を発する準備を始めた。艦橋の要員たちもその命令を当然のものとして受け取ったようだが、ただ一人。秦瓊だけが、梅干しを一〇個まとめて食べてしまったような渋い表情を浮かべている。
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