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54 黄海の戦い・その3
しおりを挟む「大丈夫ですかねえ。あたしはどうも、高句麗軍はなにかとんでもない策略を練っているような気がしてしょうがないんですけど」
「相変わらず心配症よねえ、貴女は」
眉をひそめ口唇の端をぐにゅぐにゅと動かしながら不満そうに言葉を紡ぐ秦瓊。そんな義妹の肩を軽くぽんと叩いて、来護児は苦笑いを浮かべながら言った。
「この圧倒的な戦力差を、ちょっとやそっとの策なんかでひっくり返せると思う? たとえ高句麗軍がなにか小賢しいことを考えていたとしても、そんなものは力づくでひっくり返してやればいいだけの話よ」
「それはまあ、そうだろうなあとは思うんですけど」
秦瓊はまだ煮え切れないような表情を浮かべ、その手でそっと心臓の上あたりを押さえている。
「でもさっきから何故だかものすごい不安な気持ちがいっぱいで。なにかがあたしの胸の辺りをぎゅうっと絞めつけているような気がしてしょうがないんです」
「それはブラが小さいせいぢゃないの?」
「そうなんです。中学生の時にはめてたやつがまだ使えるもんですから。捨てるのももったいないと思っていまでも時々着けてるんですけど、さすがにちょっとキツくて。こう、ぎゅうって絞めつけられるような気がして……って、そういうことじゃなくて!!」
顔を真っ赤にして、秦瓊は噛みつくようにそう吠えた。来護児もさすがに呆れて、額の中央を指で押さえ湿った息を吐く。
「貴女ねえ。もの保ちがいいのは結構だけど下着はちゃんと成長するに従って、それに見合ったものを着けておいたほうがいいわよ。小さいものを無理に着けたせいで、変な形になっても知らないからね。でもまあ貴女の場合は、変な形になるほどの大きさもないから大丈夫かと思うけど」
秦瓊の、割烹着に包まれた大平原のように真っ平らな胸元にチラリと目をやり、来護児は口元に手を当てて、ぷぷっと噴き出す。秦瓊はむっとしたように眉をしかめた。
「失礼な! こう見えても、この五年間でサイズは二段階もアップしたんですよ!」
「AAAからAカップに?」
「はい!!」
「……そう。良かったわね」
誇らしげに胸を張り、えっへんとばかり得意気に言う秦瓊に憐れをもよおし、来護児は目許に浮かんだ涙を指でそっと拭い取った。
「って、あたしのバストサイズの話なんかどうでもいいんです!」
しばし得意がっていた秦瓊だったが、不意に我に返ったような表情を浮かべると、ごまかすように両手を振り回しながら言葉を続ける。
「あたしが言いたかったのはですね。圧倒的に優位だからと言って、考えもなしに攻撃するというのは、危険なんじゃないかっていう気がするということで」
「はいはい。分かった分かった」
来護児はなおもなにか言葉を続けようとする秦瓊の頭をポンポンと軽く叩くように無でた。
「貴女の胸についての話は、今度の将校級会議で議題に取り上げてあげるから、ちょっと黙ってなさい」
「だからあたしのバストの話じゃないんですってば! て言うか、なんでそんなものが将校級会議の議題に上がるんですか!?」
噛みつくように抗議してくる秦瓊をからかうように、軽く笑って見せてから来護児はオペレーターのほうに向き直り、全艦に総攻撃の準備をするように命令を出した。
「全艦隊、総員直ちに戦闘配置につけ。目標、敵高句麗艦隊!」
「アイ・アイ! 全艦、戦闘配置。推進機関稼働、安全装置解除。第二船速から第一船速へ。丙午の方角に向けて、全速前進!」
「全乗組員は第一級臨戦態勢へ移行。非戦闘員は速やかに船倉の衝撃緩衝ルームへ避難せよ。各部署員はそれぞれの持ち場に戻り、指示あるまで、おって待機」
「砲台を搭載する全ての艦は、砲門を開放。機関室は通常航海モードから戦闘モードへ。炉心室、中心炉の第一、第二、第三安全装置を順次解除!」
「全水中発射管に魚雷装填。続いて、重機関砲、回転速射砲、及び対艦対地ミサイル配備終了。照準及び弾道計算、誤差を〇・〇〇〇九二パーセントまで縮小」
「索敵艇及び監視艇は安全海域まで移動! 各護衛艦は敵艦隊の攻撃に備え、装甲の薄い高速艦補給艦及び救急艦の側面に配置」
オペレーターが命令を復唱して、それを聞いた伝令たちが小舟に乗り移り、各分艦隊にと来護児の命令を伝えに行く。命令が伝わると、隋の戦艦が搭載している砲台が高句麗軍の艦隊に向けてゆっくりと回頭して攻撃のための準備が着々と進んでいるのを見て取ることが出来た。
「撃て!」
攻撃準備が全て整ったことを知らせる狼煙が上げられると、来護児は手を大きく振りかざし、そう声をあげた。すると旗艦『黒薔薇の君』号の船首からは合図の花火が打ち上げられ、それに呼応するように砲台を持つ全ての艦が高句麗艦隊に向けて、いっせいに火を吹き始める。
それに対して高句麗軍も弓矢や投石で反撃してくるが、いかんせん。距離がありすぎるため隋軍の艦にダメージを与えるどころか、攻撃が届くことさえほとんどなかった。
一方、隋軍の大砲は瞬く間に、高句麗艦隊の船の三分の一を大破させ、残りの船にも大なり小なり損害を与えていた。高句麗艦隊もこれはかなわないと思ったのか、船が撃沈されて海に放り出された兵士たちを助け上げると、そのまま恥も外聞もなく、さっさと大同江を通って平壌城に逃げ帰ってしまった。思わず感嘆の声をあげてしまうほど、見ていて気持ちのいい逃げっぷりであった。
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