お見合いをすっぽかされた私が、いつの間かエリート将校様の婚約者になっていた件

野地マルテ

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まさか、すっぽかされるなんて!

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 ──遅いわね……。

 ちらりと、真っ白な壁に掛けられた金の丸い時計を見上げる。約束の時間からはすでに一時間以上経過していた。

 ふうと一つため息をつく。
 約束をすっぽかされた経験は今までに何度もしているが、今日の約束はここ最近で一番気合が入っていた予定だっただけに、ガッカリ感がものすごい。胃が重い。腹に鉛でも詰まっていそうだ。

 今日、この豪奢なホテルのラウンジで会う予定だった相手は、直属の上官の奥さんから紹介された人物だ。

 相手は若くして上級将校になった、天才軍師と名高いロジオン。騎士ではあるのだが、主に戦の作戦と編成を考える専門職に就いている。

 元々顔だけは知っていた。軍の宿営で何度か会話を交わしたことがあり、いつもこっそり目の保養にしていたのだ。

 ロジオンはとってもタイプだった。見上げるほどに背が高く、騎士にしては──内勤者らしくやや身体は細身だったが、私はあまり筋骨隆々な人は好きではないので逆に好ましく思っていた。

 暗めの銀髪に、整っているが優しげな顔。少しタレ目がちで、甘やかな美形である彼にひそかに憧れていたのである。おっとりした口調で難しい作戦を分かりやすく説明してくれる彼に、いつも胸のときめきが止まらなかった。

 宿営で彼から話しかけられるたびに有頂天になっていたが、色気のある会話は何一つしたことはない。いつも話題に上がるのは仕事の話ばかり。

 私から彼を誘うことはしなかった。彼は私にとってある種の聖域だったから。下手に誘って断られて、長年の均衡が崩れるのが怖かったのだ。それに会話を交わす場所はいつも戦場だった。色恋を持ち込むわけにはいかなかったのである。

 私は騎士。しかも士官学校で常に兵法学の成績はトップを取っていた。兵法学が得意なんていう人間はかなりの少数派だ。それで軍内でちょっとした有名人になれるぐらいには。
 つまり何が言いたいのかというと、ロジオンは兵法の話がしたくて、私に声をかけていたのである。彼は優秀な軍師だから。


 ──私は女としては、微妙だったようね。

 今日の約束は作戦の打合せじゃない。お見合いだ。戦の話ではなく、男女としての相性はどうなのか・家族としてやっていけそうなのか──という話をしにきた。

 私は上官の奥さんからの紹介を受け、ここでロジオンと逢う予定だった。しかし、約束の時間から一時間以上経っても彼は現れない。
 時間厳守は当たり前の騎士の世界。これはありえないことだ。

 しかし、私は男性から約束を反故にされたことが何度もある。『今度食事でも』とか、厄介ごとを引き受けた後に『埋め合わせをするよ』と言われることはよくあるが、それが叶ったことはただの一度もない。
 私はどこまでも都合の良い人間だった。
 彼らにとって女ですらない。
 仕事を押し付けるのにちょうどいい、ただの道具だ。
 二十五年間生きてきて、男の人から女性扱いされたことがない自分が、いつも惨めで恥ずかしかった。

 ──帰ろう。

 これ以上、ここに座っていても素敵な時間はやってこない。
 今朝まではあんなに浮かれていたのに。
 すくっと立ち上がると、踵と足の指がじんじん痺れるように痛んだ。

 上官の奥さんからの紹介だったので、まさかお見合いをすっぽかされるとは夢にも思わなかった。
 奥さんは私にこう言っていたのだ、『私の友人の息子さんがね、結婚相手を探しているの。う~~ん……。奥手で、ちょっと変わり者らしいんだけど……。一度会ってみない?』と。

 奥手で、ちょっと変わり者というのが少し引っかかったが、それが憧れのロジオンだったのだから、私に断る理由はない。二つ返事で承諾して、今日のために評判の髪結を予約し、いつもは着ない華奢なドレスを身につけ、拷問道具のような痛い靴を履いてきたのだ。

 ──ばかみたい。

 服と靴・髪と化粧代で一月分の給金がまるまる飛んでしまった。憧れの彼の目に止まるのなら、惜しくはないと思った出費だったのに。

 私はお世辞にも美人じゃない。瞼の上に線は入っていないし、まつ毛はまばらで唇は薄い。細くて羨ましいとよく言われるが、この世の中はふくよかで可愛い女性のほうがモテていることは知っている。そう、上官の奥さんのような。

 慣れない細いヒールの靴。もういっそのこと脱ぎ捨ててしまおうかと思ったその時、一組のカップルが私の横を通りすぎた。

「野戦病院が賊に襲撃されたらしいな」
「最近物騒ね」
「騎士団も人手不足だからなあ、デートのひとつもなかなか出来やしない」

 何てことのない男女連れの会話。
 ぼやく男の背中や肩は、服の上からでも分かるぐらい筋肉が盛り上がっている。非番の騎士だろうか。

 ──野戦病院が襲撃?

 もしかしたら、ロジオンは急な仕事が入って呼び出されたのかもしれない。彼は軍師だ。野盗狩りのために、急遽編成と作戦表を作らなくてはならなくなったとしたら──

 ここに来れないのも当然である。
 己のことしか考えてなかった私は、自分を恥じた。かっかと沸騰していた頭が急激に冷えた。

 とりあえず靴を履き替えよう。そして私も軍の詰所へ行こうと、小走りでホテルの向かいに見えた靴屋へ向かおうとしたら。

「うわぁっ!」

 ──ドンッ!

 私は、突如大きくて柔らかな柱にぶつかった。
 履き慣れない細いピンヒールの靴が空を切る。体勢が大きく崩れ、転ぶ!──と思いきや、柱は悲鳴を上げつつも、弾き飛ばしそうになった私を咄嗟に抱き止めていた。
 がしりと掴まれた、二の腕や背に感じた腕の力強さに、声すらあげられなかった。

「大丈夫ですか⁉︎ リーリエさん!」
「ひっっ」

 いつもこっそり見つめていた、深い色をした銀髪と淡い黄緑の虹彩が目に飛び込んでくる。胸がどきりと痛み、思わず変な声が出た。

 私がぶつかった相手はくだんのロジオンだった。
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