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『埋め合わせ』は地雷だった

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 ──『埋め合わせは、今度必ずしますから!』

 お見合いの日から数日経っても、憧れのロジオンから告げられた言葉が、何度も頭のなかで繰り返されている。

 いつもとは違う、上擦った声。息を切らし、深い銀色の髪を振り乱しながら遅れてやってきたロジオンは、首にシルクタイを巻いた正装姿だった。くやしいが、軍服姿の彼しか見たことがなかった私はときめいてしまった。彼はよっぽど急いで来たのか、全身ぐちゃぐちゃだったというのに。
 
 ロジオンは案の定、急に発生した仕事に巻き込まれていた。
 軍師はとにかく忙しい。この国は何年も戦争ばかりしているので、侵略し、落とした国の中での反乱も多い。イレギュラーな業務がとつぜん飛び込んでくることは日常茶飯事だった。

 遅れてやってきたロジオンは何度も何度も私に腰を折り、額に浮いた汗を拭いながら、壁にかけられた時計を見上げると、『すみません、今日はもう時間がなくて……。埋め合わせは今度必ずしますから!』と述べたのだ。

 その言葉を聞いた瞬間、私の中の何かが醒めた気がした。真剣に謝られているというのに、心がひゅっと冷えてしまったのだ。
 そう、『埋め合わせ』という言葉は私にとって地雷だったから。

 ──埋め合わせが、埋め合わされることは無いわね。

 わざわざ、あの場まで謝りにきてくれたロジオンは誠実だ。──否、上官の奥さんがセッティングしてくれたお見合いだから、頭を下げにきてくれただけかもしれないが。

 どちらにせよ、私の恋がこれ以上進展することは無いだろう。
 埋め合わせをきちんと埋め合わせてくれた男の人は見たことがない。
 どれだけ真剣に謝っていても、男はすぐに約束を忘れる生き物だから。
 甘い期待をしたくなる、自分を戒めるために両頬をぱしんと叩いた。

 男は好きな相手や美人相手になら必死になるが、そうでもない相手には残酷なまでに無関心だ。私は今まで色んな男性にアタックしてきたが、こちらがいくら綺麗に着飾っても、精一杯愛らしく見えるように振る舞っても無駄だった。

 ロジオンはあの場で、着飾った私を褒めてくれなかったのである。ただの一言も。全身舐めるように見ていたのにだ。

 私はモテない。
 うちの実家は貴族家だが貧しく、私の顔は父親そっくりの一重瞼・薄い唇というどうしようもない地味顔なので、どう頑張っても男の人の目には止まらないのだ。金も美貌もない私は愛されない。そう思うとひどく悲しかった。


「リーリエ!」

 暗い考えにじめじめと浸っていると、私とは真逆の、白くてふわふわした存在がエプロンドレスを翻しながらちょこちょこ駆けてくるのが見えた。

「……奥様」
「リーリエ、その、……どうだった? お見合い」

 私にロジオンとのお見合いをすすめてくれた、上官の奥さんだった。
 頭に巻いていたストールをするっと肩まわりに下ろし、耳の下でひとつに束ねた波打つ栗毛色の長い髪を指先で整えながら、少し不安そうにこちらを見上げている。柔らかな風が吹き、淡いバニラのような甘い香りがほんのりした。

 ──めちゃくちゃ可愛い。

 くっきりとした平行二重に頰に影が出来るほどばっさばさに長いまつ毛。空色の瞳は溢れ落ちそうなほど大きくて、小さな唇はぷっくり膨らんでいる。
 上官の奥さんはとてつもなく可愛いご婦人だった。肌は透けるぐらい白くて、小さくて。とにかく庇護欲をそそられるような存在だ。

 奥さんを見るたびに、私もこんなふわふわで小さくて可愛らしい存在だったら良かったのにと思う。もしも奥さんのような見た目だったら、出会いを求めて騎士なんぞにならなくても、今頃どこかの家に嫁いで何不自由のない奥様業をやっていただろうに。奥さんのようにたくさんの子どもに囲まれていたかもしれないのに。

「……申し訳ありませんが、ご縁には至らず。せっかく場を整えて頂いたのに」

 恭しく頭を下げる。
 ロジオンとはあの後、ちょっとした打合せをした。
 軍の関係者同士のお見合いだ。ロジオンは仕事が入ったから仕方がないとはいえ、大遅刻をした。あの後すぐに仕切り直しをしようにも、ロジオンは山ほど仕事を抱えていて私と話す余裕すらろくになかったのだ。当然、お見合いは続行不可能。

 しかし、仕事が入ったのでろくにお見合いは出来ませんでしたとは、上官の奥さんに報告はできない。
 私はロジオンに提案したのだ。
 お互い、お見合いが問題なく行われたていで報告しようと。

 私が今回のお見合いはご縁に繋がることは無かったと頭を下げると、奥さんはただでさえ大きな瞳をさらに見開いて狼狽えた。

「えっ⁉︎  ロジオン側からは是非話をすすめてほしいと言われたのよ? リーリエは嫌だった……?」
「……えっ?」
「ロジオン、元々リーリエのことをいいなと思っていたんですって! お見合いで綺麗な格好をした貴女を見て、ますます好きになったそうよ」

 ──そんなの。

 嘘だと思った。あの場でロジオンは私のことを何も褒めてくれなかった。普段とは違う装いをした私を物珍しそうに上から下までじろじろと眺めてはいたが、……それだけだ。
 ドレス姿を気に入ってくれたのなら、一言褒めていてもおかしくはないのではないか? いい大人なのだから。
 釈然としない。そう思いながらも、正直に自分の気持ちを奥さんに伝えることにした。

「そうですか。私も、ロジオンさんのことがいいなと思っていました。……でも、待ち合わせのホテルで、彼は私に、次に繋がるようなことを何一つ言ってくれませんでした。服装すら褒められませんでしたし……。だから、てっきり断られたのだと思って」

 埋め合わせはする。とは言われたが、これはよくある断り文句だと思っていた。
 私が眉根をよせて首を横へ振ると、奥さんは少し悲しそうな顔をした。

「私、ロジオンのお母様と友達なんだけど……。彼、とっても不器用で奥手なんですって。お母様曰く、今まで女性の気配はゼロだったみたいで……。リーリエは女性に甘いことを堂々と言える、分かりやすい男性じゃないと無理そう?」

 本音を言えば、分かりやすく口説いてくれる男の人の方がいいが、私のような無機質な女に、愛を囁くタイプの二枚目が近づいてくるとも思えない。

 ロジオンが不器用で奥手、と言われてもピンと来ない。仕事の話をしている時の彼は普通だったから。しかし、確かに色っぽい話をされたことがまったく無いのも事実だ。そういう話の展開にもっていくのが苦手だという意味で、奥手だと言われれば腑に落ちる。

「……大丈夫です」
「ロジオンには、今後はもう少し分かりやすい態度を取るように言うわね」

 私の複雑な心境を汲んでくれたのか、奥さんは困ったように微笑んだ。
 奥さんの旦那は朴念仁で有名なうちの上官なので、何か思うことがあるのだろう。

 ──閣下上官の奥さんはもっと大変でしょうね。

 うちの上官──閣下は見た目こそ思わず二度見するほどの美形だが、いつ如何なる時も淡々としている。魂の籠っていない人形のようで、私は正直なところ不気味だと思っているが、閣下はなぜかお子さん達には好かれていた。詰所には学校帰りの娘さんたちがよく遊びにやってくるし、まだ小さい息子さんも、閣下に抱っこをせがんでいるところをよく見る。閣下に話しかけるお子さんたちはみんないつも嬉しそうだ。

 何故、このふんわり愛らしい奥さんが、あんな朴念仁の権化のような閣下と結婚したのかは分からない。お子さんたちが閣下に懐いているのも理解できない。
 でも、自分もあんな楽しそうな家庭がほしいと強く憧れたのは事実。

「……すみません。私も男性との付き合いの経験がなくて、察しが悪いんです」
「まあ、そうなの? 意外ね……。でも、それならロジオンとの価値観も合いそうね」

 ──意外だろうか。

 この奥さんや息子さんはやたら私のことを綺麗だと褒めてくれるが、私は本当にモテない。

 十代後半で結婚する人間が多いこの国で、二十五歳独身、年齢イコール恋人なし歴の私は異端な存在だ。女色家だとか、健康に難があるとか、何か信仰上の制約があるなら仕方がないかもしれないが、私は結婚願望がばりばりにあって、騎士職が務まるぐらい体力もあって、出会いにも積極的なのに、満足に恋人の一人出来たことがない。

 この詰所は女性騎士が多いが、まっさらな独身者は私だけだ。私は落ち着いて見えるらしく、子持ちに見られがちなのもコンプレックスを刺激している。

「奥様、私、どうしても結婚したいんです……! 閣下とお子さんたちを詰所で見てるともう、堪らないというか。……私も暖かな家庭が欲しくて」
「大丈夫よ、リーリエはとっても綺麗で優しくて賢いもの。きっと良い旦那さんをゲットできるわ!」

 奥さんは私を手を取ると、力強く頷いた。ところどころカサついているのに、しっとりしている手の感触は、実家の母を彷彿とさせる。
 そろそろ実家の両親も安心させたい。

 ──ロジオンさんは、私のことを断ったわけじゃない。

 奥さんの言葉を100%信じるのは危険かもしれないが、ロジオンが私に対し、多少なりにも好意があるのは確からしい。……でなければ、お見合い話を進めようとはしないだろう。

 もう一度、頑張ってみようと思った。
 
 今度ロジオンに会ったら、私から、元から好意があったことを伝え、出来れば恋人になりたいとはっきり言ってみよう。
 元々、失うものは何も無いのだから。
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