お見合いをすっぽかされた私が、いつの間かエリート将校様の婚約者になっていた件

野地マルテ

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決意の異動願い

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「……そうか、結婚するのか。おめでとうリーリエ」

 何の感情も篭ってなさそうな抑揚のない声で、直属の上官は祝いの言葉を口にする。ぴっちりとした黒皮の手袋に包まれた閣下の手には、私がたった今提出した<異動願い届け>があった。

「ありがとうございます」
「……しかし異動願いとは。結婚するなら、なおさらこの近衛に残ったほうがよくないか? 女性騎士が多いしシフトの都合もつきやすい。……異動先の軍部では、各地の宿営を駆け回ることになるぞ?」
「……はい、それでも。ロジオン・エイノークス団長補佐官の元で私も軍師を目指したいのです」

 とまどいだらけの処女喪失から一月後、私は正式にロジオンと婚約した。結婚式と入籍は来月行う予定だ。
 一緒にいればいるほど、彼の変人っぷり、極端っぷりが露呈し、驚きの絶えない毎日だが、以前より心から笑えることがずっと増えた。……呆れることも増えたけど。

 まだ婚約期間中だが、彼は激務。少しでも一緒にいられるようにと、騎士団の居住区内で使用人に管理してもらえる小さな屋敷を借り、二人で暮らしはじめた。

 短い時間でも言葉を交わせる日々は尊い。ロジオンのおかげで私はすっかり兵法学に魅了されてしまった。元々私は兵法学が得意だったこともあり、ロジオンが話す兵法の理論が面白くてたまらない。とどのつまり……まあ、私もオタクになってしまったのである、兵法学の。

 ロジオンに『軍師になったらもっと兵法に触れられますよ!』と唆され、死ぬもの狂いで頑張って入った近衛から、軍部への異動を願い出るぐらいには毒されてしまった。

 軍部は王立騎士団の中枢。各地で反乱が起こるたび、それをおさめる策と軍の編成を練る場所だ。……というのは建前で、実際は、特務部隊が持ち込んだ反乱の火種の情報を元に、反乱が起こる前に鎮圧する方法を考える。時には大胆な決断も必要で、反乱を起こそうとする人間側の裏をかかねばならない。
 他人とはズレた感覚をもち、勝てると確信すれば、何段も一気に階段を駆け上がるような行動を取ってしまうロジオンにとっては天職だと思う。軍師は。
 私は彼のようにはなれないと思うが、それでも、仕事先でも彼の側にいて支えたいと思った。

「……うちの息子が寂しがるな。君に懐いていたから」
「エミリオ君にもお世話になりました」

 閣下はともかく──閣下のお子さん達は本当に可愛かった。特に一番下の息子さんは会うたびに私のこの地味な外見を可愛い・綺麗だと絶賛してくれていた。それがどれだけ救いになっていたことか。まだ五歳だろうが、男は男だ。嬉しかった。

「軍部は万年人手不足だ。兵法を正しく理解出来るヤツは少ないからな。すぐに異動出来ると思う。……頑張ってな」
「はい!」

 いつも感情が見えず、苦手な上官だったが、この方がいなかったら奥さんとも出会えなかったし、奥さんに出会えなかったら、ロジオンとお見合いすることもなかっただろう。
 人の巡り合わせというのは分からないものである。 



 ◆



「リーリエさん!」

 詰所を出たところで、声をかけられる。
 ぱっと顔をあげると、そこには愛する人の姿があった。

「ロジオン!」
「異動願いは無事受け入れて貰えたかい? リーリエさんはとっても優秀で美しいから、閣下もなかなか離してくれないだろうが……」
「ふふっ、二つ返事で許可が出たわ」

 曲がりなりにも二年も閣下の元で一生懸命働いてきたのに。閣下は割とすんなり異動届けにサインした。軍部は大変だとは仰っていたが、直属の部下としては、少しは戦力としていなくなる事を惜しんで欲しかったが──

 ──まあ、無理に引き止められても困るけど。

 全力で引き止められるよりはマシかと考え直した。ロジオンの影響で、私もかなり考え方が前向きになったと思う。
 前はあれだけ色々気に病みがちだったというのに。愛し愛される関係は人を変えるのだ。

「そうか。閣下は痩せ我慢したのかもね。私だったら、リーリエさんに出て行くと言われたら泣き崩れてしまうよ」
「やだっ……ロジオンの元からは出ていかないわよ」
「ふむ……。でも私は変わり者だからなぁ。私の元軍部へ行くといったら、心配されただろう?」
「閣下はそんな気を回す人じゃないわ。他人に興味のない人だもの」
「いやいや、それは分からないよ……。私のように自分の感情を相手に伝えるのが不得意なだけかもしれないからね。……リーリエさん、時間は掛かるだろうが、私は頑張って気持ちの伝え方も、常識も覚える。君のためなら零か百しかない極端な思考も矯正してみせる」
「無理しなくてもいいわ」
「無理じゃない。君に嫌われない──愛されるための努力ならいくらでもしよう」

 ロジオンは、元より学習能力が常人よりも高い人だ。私と暮らすようになって目覚ましく人間らしくなったようで、軍部の他の人とすれ違うたびによく分からない感謝をされることも増えた。

 ──無理はさせないようにしなきゃ。

 思考の癖は早々変わらないものだ。今のロジオンは私に嫌われないための選択肢をあくまで取っているだけであり、彼の本来の考えに反して言葉を発したり行動を取ったりしている可能性が高い。

 天才と謳われる類の人間は、人から理解されないような突拍子もない考えを持つものらしい。その才能を開花させ、活かすには周囲を理解が必要不可欠だと、私が読んだ心理学の本にもあった。

 ──これからは、私がこの人を支えたい。

 軍部へ異動したとしても、ロジオンのすぐ下で働けるかどうかは分からないが、彼や彼の仕事を理解し、支えたいと思った。彼のことが好きだから。

 私は今までゴリゴリに常識にとらわれた人間だった。騎士で、しかも近衛所属だったのである程度は仕方のない部分はあるのだが、ロジオンと一緒に過ごすようになって、かなり考え方がニュートラルになったような気がする。

「リーリエさんっ」
「何?」
「今、この中庭は誰もいないし……。キスがしたいな」

 規律が……。と思ったが、確かにこの時間は誰もいない。
 くすりと笑い、瞼を閉じて顎を少しだけ上向ける。すぐに小鳥が啄むような軽いキスがふってきた。

「……誰かに見られたら怒られてしまうかもね」
「……たまにはいいわ。ずっと真面目にやってきたんだもの。婚約中ぐらい浮かれたいわ」
「リーリエさんは変わったねえ」
「あなたのせいだわ」
「私も変わったからお互い様か」


 二十五歳でやっときた春。この騎士団が有する敷地内は、建物も壁もなにもかもが灰色で囲われた陰気な場所だと思い込んでいたが、ロジオンと二人で歩いていると、中庭のツツジといい、名前も知らない紫色の小さなポンポンのような花といい、思いの外、緑も花もあるのだなと気付かされる。

 好きな人がいて、その人から愛されるとこんなにも世界が鮮やかに見えるのか。

 これからは苦労も増えるかもしれない。ロジオンを公私共に支える生活は大変だろう。でも。

 ──一人より、今までよりずっといいわ。

 誰にも愛されず、必要とされず、鬱々とする毎日よりずっといい。
 私は隣にいる、変わり者の──愛する人の手を取った。


 ◆おわり◆
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