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レジナンドの事情

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「あんまり大きな声では言えないんだけど、親父の内蔵に腫瘍が出来ててさ。もうあまり長くはないんだ」
「そうなの……。他にご家族は?」
「二年前までは近衛騎士やってた兄貴がいたが、西国の反乱軍を鎮圧しに行ってそのまま帰って来なかった。母さんも三年前に病気で亡くなっちまったし、今は父一人子一人さ」

 マイヤも似たような時期に両親を亡くしている。他人事とは思えない。つい、お節介なことを言いたくなってしまった。

「そう……。何か私に出来ることがあったら言ってね」
「ありがとう。そう言って貰えるだけで嬉しいよ」

 力なく笑うレジナンドに胸の奥が疼く。いっそ、彼が言っていることが嘘ならばいいのにとマイヤは思ったが、おそらくは本当のことを言っているのだろうと思う。
 軍病院から一人出てきた時のレジナンドの顔は、マイヤが知らない表情をしていた。感情が消え失せた、そんな顔をしていた。

「レジナンド、そういえば……。あなたのご実家は何をやっているの?」

 勘だが、レジナンドはそれなりに良いとこのお坊ちゃんだろうと予想していた。マイヤは王城で働く侍女。要人や金持ちを見慣れている。
 レジナンドは口調こそ街にいるナンパ男と変わらないが、立ち居振る舞いや身なりはきちんとしていて、マイヤを抱く時は必ずシャワーを浴びるなど衛生観念もちゃんとある。
 そもそも、騎士になるには貴族家の推薦が必要で、騎士団には貴族の子息や裕福な商家の子息が多く在籍していた。
 レジナンドは兄が亡くなったと言っていた。父一人、子一人とも。彼には継ぐべき家があるのでは?

「……実家か。俺の名前はレジナンド・フォン・エヴニール。実家は貴族家だ」
「エヴニール……⁉︎」
「知ってる?」
「ええ……。名門伯爵家じゃない。もしかして、お父様はエリオン様なの?」

 エヴニール家と言えば、宗西戦争の勝利に大いに貢献したと言われている貴族家だ。歴史の教科書にも載っている名門中の名門。
 エヴニール家と聞いて、マイヤはレジナンドの兄らしき人物のことも思い出した。確か、サミュエルという名の近衛の将校だった。

「ご名答。さすがは王城で働く侍女。詳しいね」
「私が王城で働き始めた時に、エリオン様のお姿をお見かけしたことがあったのよ」

 よく見れば、レジナンドは父親に似ているかもしれない。親子で髪質はやや異なるが、黒髪で翡翠のような瞳の色をしている。
 レジナンドの父親がいくつだったのかは知らないが、その同時二十歳ぐらいになる息子がいるとは思えないほど若々しい御仁だった記憶がある。

「親父がまだ元気だった頃、近衛の武術指南役をしてたからなぁ」
「あなたが名門エヴニール家の人間だったなんて」
「名門ね……。西国の領地を管理してた伯父一家やウチの兄貴とか、家族親戚含めて西国で人が死にまくってるから、今じゃあ、没落寸前だけどな」

 西国はこの宗国の隣にある。元は大陸一の大国だった。この国は西国との戦争に勝利し、それ以来西国を植民地として支配し続けているが、数年起きに反乱が起きている。西国の反乱を鎮圧しようと出征した騎士が亡くなることはけして珍しくない。
 そして、植民地を治めていた領主家の当主が殺されることも。
 レジナンドの伯父やその家族が亡くなったことで、彼の父親がエヴニール家を継ぎ、その後は本来ならば兄のサミュエルが家を継ぐ予定だったが亡くなってしまったので、レジナンドまで相続権が回ってきたのだろう。

「あなたはエヴニール家をどうするつもりなの?」
「一応継ぐつもりだよ。じゃないと親父が安心して冥府へ旅立てないからな」

 そう言うレジナンドの表現は浮かない。次男である彼は、家を継がないつもりで特務部隊に入ったのだろう。
 特務部隊はどのような汚れ仕事でも請け負う。王立騎士団の中でも一番危険の多い部隊だ。



「私と結婚したいと言っていたのは、冗談だったのね」

 マイヤは瞼を閉じるとフッと短く息を吐く。
 レジナンドが貴族家の嫡子ならば、自分との結婚は無理だ。
 今は無きマイヤの実家アリョーナ家も、かつては貴族家だった。十年前に父親が事業に失敗し、多額の借金を負ったことで貴号剥奪。父親は知人のツテで他家の家令として働きはじめたが、二年以上も前に病気で亡くなってしまった。
 今のマイヤには何も無いのだ。

「冗談じゃない」

 閉じた瞼の向こう側で、レジナンドは珍しく真面目な口調で否定した。
 マイヤはそっと瞼を開けたが、レジナンドの顔は見れなかった。

「あなた今、家が没落寸前だと言っていたじゃない。あなたを援助してくれるお金持ちのお嬢様と結婚するべきだわ。私がお金無いの、分かっているでしょう?」
「俺が好きなのはマイヤさんだ。俺はマイヤさんと結婚したい」
「お家はどうするの?」
「俺はコミュニケーション化け物だからな。騎士団で培ってきた人脈は伊達じゃない。上手く貴族社会でも立ち回ってやるさ」

 ふふんと鼻を鳴らして胸を張るレジナンドに、マイヤは何とも言えない気持ちになる。
 確かにこのレジナンドは、愛嬌というか、妙に憎めないところがあるのは否定出来ない。だからと言って、愛嬌だけで渡り合っていけるほど、この国の貴族社会が甘いとは思えないが。

「まぁ頑張りなさいよ」
「おうよ!」
「私はあなたとは結婚しないけど」
「つれないなぁ」

 はははと笑うその顔には、いつもの元気がない。
 そのことが妙に胸に刺さった。


 ◆


 その晩、マイヤはリュボフと会っていた。


「マイヤ、特務部隊のレジナンドと決闘を行うことになった」

 ベッドの上、水が入ったグラスを傾けながらリュボフはマイヤへ言った。
 マイヤは当然、知らないふりをする。

「そうなのですか……」
「君は美しいからな。よその男に恋慕されても仕方がない。だが、絶対に奪わせやしないよ。君は私のものだ」

 甘い台詞を吐きながら、リュボフは空いた方の腕でマイヤを抱き寄せる。彼女の乳房を握り込むといやらしい手つきでぐにぐにと揉みしだく。
 二人は表向きは、関係を再構築した。
 マイヤは口ではリュボフの不貞を許している。
 リュボフも、部下と別れたことになっている。
 もちろん、現状は違うが。

 (おぞましい……)

 マイヤは自分に触れるリュボフの手つきと言葉に身を震わせる。日に日に彼のことが嫌になっていた。本当は同じ空気を吸うことさえ無理だが、婚約破棄が出来ていない以上、求められれば会わなければならない。

 (レジナンド……)

 リュボフと会っている間、頭に浮かぶのはレジナンドのことばかり。レジナンドも依頼人に性的な関係を迫り、いつまででも人の上で腰を振っているクズだが、リュボフのことが嫌過ぎて相対的に良く思えているのかもしれない。

 リュボフは持っていたグラスをベッドサイドへ置くと、マイヤへ顔を痩せた。唇が迫ってくるのを、彼女は黙って受け入れる。
 彼と婚約したばかりの頃は、キスを求められるのが嬉しかった。リュボフは輝かんばかりの美男子で、実家は伯爵家。本人もエリートで非の打ち所がない人だと思った。
 だが、今は嫌で仕方がない。口の中を這い回る舌の感触が心底気持ち悪く、えずいてしまいそうだ。

 マイヤはレジナンドに助けを求めてしまいそうになる自分の心を、必死で押し殺そうとした。
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