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触れ合いたいのに
しおりを挟む「……ヴァレット、私はどうしたらいいのでしょうか」
「閨のことでしょうか?」
「ね、ねや⁉︎ うっ、あ、……はい」
アノックの屋敷での生活がはじまり、早一月。
まだ式をしていないとはいえ、我々は夫婦も同義の仲。しかしまだ、私たちは何もしていなかった。寝室も当たり前のように別室であった。
私は焦っていた。
結婚式前の性交渉は推奨されてはいないものの、キスや同衾ぐらいは最低でもするものだと俗本に書いてあるのを見て焦っていたのである。
なにせこの一月。アノックとはキスどころか手すら繋いだことはない。エスコートをされたことはあるが、あんなのは実の兄弟でもすることだ。指を絡ませるような手繋ぎはしたことがなかった。
自分からそれとなく、手を繋いで二人きりで庭を歩きたいなどと提案してみたこともあるが、やんわり断られてしまった。
男性である家令にこんなことを相談するのは間違っているのかもしれないが、なんとなく女性の使用人には言いづらい。私は男性も得意ではないが、女性はもっと苦手だった。表向きは笑顔でいても、裏でどんなことを言っているか分からないからだ。
「どうしたら、その、アノック様とそういうことが出来るのでしょうか……? 言葉ではお伝えしていますが、ぜんぜん応じて頂けなくて」
「まあ、言葉で仰られても難しいでしょうな……」
「何故ですか?」
勇気をふりしぼって触れ合いたいような事を伝えると、アノックはいつも悲しそうな顔をして『無理をしなくてもいい』『君がここにいてくれるだけで充分だ』と言ってくれるが、手すら繋いで貰えないのは、もしかしたら私のことが汚い・穢れていると思っているのでないかと、勘繰りそうになる。
私は生娘でも、タチの悪い男に言い寄られてきた歴史がある。人としては好感を持っていても、生理的にダメだと思われても仕方がないのかもしれない。
──駄目だわ。
アノックは私の心配をしている。思いやってくれている。それは分かっているのに、どうしても後ろ向きなことを考えてしまう。
「アノック様はマガリー様を愛しているからです」
「愛……?」
「あなたに無理をさせたくないし、傷つけたくないと過度に配慮されている。不器用なんです、あの方は。ボロボロに傷ついたあなたの心を癒す方法はないかと、心理学の本を読み漁ったり、その手の学者を頼ったこともある」
「そうでしたの……」
「単純すぎるバカでしょう? クソ真面目なんです。過度に心配して、接触を控えればいいってモンでもないでしょうに」
──ば、ばか……?
アノックの腹心の家令、ヴァレットは少々口が悪い。いや、だいぶ悪い。
ヴァレットは整えられた白い口髭を指先で押さえ、ふむと目を細めた。
「私はアノック様相手なら大丈夫なんですけど……」
「それは分かりますよ。十分伝わってきます。マガリー様も、アノック様のことをお好きでいらっしゃる。家令から見ても、お互いを想い合う良い関係だなと思いますよ」
「ほ、本当ですか!」
「はい。両片思い、焦ったいことこの上ないです。早くくっつけと思いますが……。あのバカはそう簡単にはマガリー様に手出しはしないでしょうね。あの方はこの家を継ぐ前は近衛騎士だったのです。そりゃあもう、職務態度は真面目そのものだったのですよ? 騎士や王家の方々の間では有名な堅物でした」
「近衛……!」
近衛は王家専門の護衛だ。
近衛騎士は出身である家柄の良さはもちろんのこと、職務や生活態度の真面目さも求められる。
アノックの礼儀正しさ、隙のない身のこなしを思い出し、なるほどと思った。
ただのお坊ちゃん育ちではない──どこか芯が感じられる彼の過去が知れて嬉しく感じると共に、一ヶ月もここにいるのにまだまだ知らないことが多いと感じて、また落ち込んでしまう。
何せアノックは若き領主。
毎日多忙で視察も多い。
二、三日顔を見れないこともざらだった。
「それが、嫡男であったアノック様のお兄様が急に家を出ることになりましてねえ。急遽次男のアノック様がこの侯爵家を継ぐことになったのです」
「……お兄様に何かあったのですか?」
「ああ、よくある話ですよ。娼婦に入れあげたのです。家の金を使い込んで廃嫡になりました」
「そ、そ、それは……」
アノック様のお父様はさぞや頭を抱えたことだろう。長男は娼婦に入れあげて家の金を使い込み、継いだ次男は悪名高い私を妻に選んでしまった。
先日、現在静養地で暮らしているアノック様のお父様に結婚のご挨拶に上がったが、特に責められることもなく、むしろ温かく迎えてもらったので、そんな事情は気付きもしなかった。
思わず、目の前にいるヴァレットに深々と頭を下げてしまった。
「申し訳ありません……私なんかが……!」
「マガリー様が謝られる必要はありませんよ。それに、マガリー様はきちんとしたお家の歴としたお嬢様ではありませんか。アノック様の奥方として不足はございません」
「……世間はそうは見ないでしょう」
私のせいで、この侯爵家まで悪く言われたらと思うと涙が出そうになる。
スンと鼻を鳴らすと、床を踏みしめるような足音が近づいてきた。
「お、件の直情バカが来ましたよ、マガリー様」
顔を上げると、そこには不機嫌そうな顔をしたアノックがいた。
よっぽど急いでいたのか、いつもきちんとしている彼には珍しく、黄金に輝く髪が少し乱れていた。
「──ヴァレット、マガリーに何を言った? 彼女がお前に頭を下げる謂れなどないはずだ」
「私はただ、マガリー様のお悩みを伺っていただけです」
「そうです! ヴァレットは私の話を聞いて下さっていただけで……私が勝手に謝っただけですわ!」
妻となる女性が家令に頭を下げている姿を見たら、それは主人として心穏やかではいられないだろう。私はまた余計なことをしてしまった。
「困ったことがあったら、いつでも私に直接言って欲しいのに……」
「申し訳ございません……」
アノックに言っても改善されないことなので、ヴァレットを頼ったのだ。
しかし、アノックはよかれと思って私と一定の距離を置き、接触を避けているのも事実。
気まずくなり、視線をそらす。
私はどうしていつも上手くやれないのだろうか。この一月間、アノックは毎日のようにとても良くしてくれるのに、私は彼にぜんぜん何も返せていない。
このままでは婚約を破棄されて、家に帰されてしまうかもしれない。そう思うと胸が苦しくなった。
そんな気まずい私たちの様子を見かねて、家令のヴァレットは助け舟を出してくれたのだが、それはとんでもない提案だった。
「……アノック様、マガリー様は貴方様に触りたいと毎日ムラムラしているのに、それを許されないので悩んでいるのですよ?」
「は?」
「ヴァッ⁉︎」
──いきなり何を言うのぉぉぉ~~‼︎
この口の悪い家令は、とんでもないことを言い出した。
でも言わんとしてることは間違っていない。たしかに私はムラムラしているかもしれない。アノックの長い指先に触れたいとか、その大きな手で頭や頰を撫でられたいとか、細い腰に後ろから抱きつきたいとか、フロックコートの下はどんな身体をしているのかとか色々妄想をしては止まらなかった。夜寝る前に考えてしまい、ドキドキが止まらなくて眠れなくなったこともある。
でも自分が淫乱ではないかと思い、悩んでもいた。いやらしい妄想をしているから、人々から魔性だと呼ばれるのかもしれないと。
「私に触りたい?」
「女性は産む性ですから、男性とはまた違う性欲があります。マガリー様はアノック様に触りたくて泣くほど悩んでおいでなのです」
「だが……」
「妻の性欲を満たすのも夫の務めですよ? それに欲求の拒否は離縁事由にもなりますし」
「マガリー、触っていいぞ!」
「ひえっ⁉︎」
──違う、そういうことじゃないわ!
ヴァレットから、接触の拒否は離縁の原因になると言われて、急にアノックは自分に触れ触れと言ってきた。
違う、そういうことじゃないのだ。一方的に彼に触りたいわけじゃない。
確かにアノックと触れ合いたいが、ヴァレットの提案だとまるで私が痴女のようだ。
いや、実際痴女なのかもしれないが。
「こんな真っ昼間ではマガリー様も恥ずかしいでしょうから、夜、貴方様の寝室に呼んであげてはいかがですか?」
「う~~ん……。式もまだだし、間違いがあっては困るのだが……」
「では、女性でも簡単に出来る捕縛の本をマガリー様にお渡しします。縛られていれば、アノック様がもよおしても安心ですよ」
「さすがヴァレットは賢いな!」
「ほ……ばく?」
いや、私は手を繋いだり、挨拶のキスがしたいだけだ。そんなハードな夜の行為までは望んでいない。
このあと、ヴァレットから本と縄、そして鞭棒を渡されて私が絶叫したのは言うまでもない。
何回も言うが、私は魔性の女でも女王様でもない。
思い思われる関係に憧れるただの女だ。
色気があるのは外見だけで、中身はこの通りウブウブのウブだった。
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