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年末の大掃除と癒しの時
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「年末の大掃除、だるいわぁ~」
「本当! 寒いし、面倒よねぇ」
ティンエルジュ家が運営する染め物工場にて。
パートタイマーで働く領民の女性達が、ため息混じりに愚痴をこぼす。
眉をハの字に下げる女性達のなか、一人の女性が勢いよく腕を上げた。
「私! 旦那様が遊びにいらっしゃる妄想をして、大掃除を乗り切っているわよ!」
「それ……いいわね!」
「汚いお部屋に入ってもらうわけにはいかないもの!」
女性達はきゃあきゃあと黄色い声をあげる。
いつまでも体型と美貌を維持しているアレスは、領民女性達の憧れだった。
「……ですって、旦那様」
「掃除は好きだから、汚いままでいてくれたほうがいいけどな。大掃除なら、いくらでも手伝うぞ」
領民女性達の様子を後ろから見ていたリオノーラは、そっと彼女達に手のひらの先を向ける。
隣にいたアレスは、握り拳を作っている。彼の言葉はおそらく本気だ。
「……リオノーラはどうなんだ? 母子寮の部屋の様子は」
「うっ……!」
聞かれたくないことを聞かれてしまったリオノーラは、質素なエプロンドレスに包まれた胸をおさえる。
「……旦那様に見せられる状態じゃないですね……。特に調理台の換気扇なんか、油でギトギトです」
「はは、それは期待できるなぁ」
俯くリオノーラに、アレスは白い歯を見せて笑った。
◆
──数日後。
「掃除屋でーす」
リオノーラと末っ子長男のエミリオが暮らす母子寮の部屋に、掃除道具を担いだアレスがやってきた。
母子寮には、成人男性は入れない規定になっている。
アレスは口覆いをしたロングヘアの南方美女に化けていた。
「いつもながら違和感ゼロですね……」
「……まぁ、如何にもその辺にいそうな南方女に化けてるからな。どこからどうみてもただの掃除屋にしか見えないだろう」
「掃除屋」
掃除屋は殺し屋の隠語である。
複雑な気持ちになりながら、リオノーラはアレスを部屋に案内する。
「エミリオはいないのか?」
「ええ、年末が近いですし、お世話になった先生達に挨拶に行きたいと言っていたので、そのまま預けました」
エミリオは託児所が好きだった。母と二人きりで母子寮の部屋にいるよりも、先生やお友達と遊べる託児所を好んだ。
「掃除が終わったら迎えに行こう」
窓をすべて開け、部屋に空気が通るようにする。
アレスは慣れた手つきで換気扇を外すと、持ち込んだ道具で洗浄をはじめる。
リオノーラは後ろから、作業の様子を覗き込む。
「旦那様、私も何かお手伝いすることは……?」
「近所のカフェでゆっくりしてきたらどうだ? 来客があっても俺が対応する。だいたい一時間ぐらいで水まわりの掃除は終わるから」
ここにいてもできることはないらしい。
リオノーラはコートを羽織り、財布を手にすると「じゃあ、行ってきまーす」と頭をぺこぺこ下げながら、部屋を後にした。
「……ぷはぁ、美味しい」
近所にあるカフェのオープンテラスにて。
リオノーラは桃色や紫色の細かい花弁がのったティーラテを堪能していた。
ふわふわ泡のラテの下には、香り高い紅茶が。紅茶はスパイスがほのかに効いていて、後味は少しだけぴりっとする。
「癒される……」
見た目にも華やかな熱いティーラテを飲んでいると、ストレスでこわばった身体や心がほぐれていく。
こんな癒しの時間を作ってくれた夫には感謝しかなかった。
紅茶で身体を温めた後は、本屋に寄った。
今の時期は新刊が多い。甘く蕩けるような展開が期待できる恋愛小説をいくつか買うと、リオノーラはほくほく顔で母子寮の部屋に戻った。
「終わったぞ」
口覆いに長い人差し指をかけながら、アレスは言った。
母子寮の部屋の調理台や浴室、手洗いは、本当にここが自分達が暮らす部屋なのかと疑いたくなるぐらいピカピカになっていた。
リオノーラは忙しなく首を巡らせる。
「えっ、すごくないですか? 本業超えてません? めちゃくちゃ早いし……」
「殺し屋は、手早く部屋を綺麗にできて当たり前だからな。……じゃあ、エミリオを迎えに行ってくる。公園に寄るから少し戻りは遅くなる。夕飯は三人で何か食べに行こう」
アレスは淡々とした口調でそう言うと、袋を担いで出ていった。どこかで女装を一旦解除するのだろう。
水まわりだけでなく、リビングもほどよく片付いている。
リオノーラは加熱機器に水を入れたヤカンを置く。お茶の準備をしながら、口元を綻ばせる。
(し、幸せ……!)
悩みのタネだった大掃除が終わって、今夜は食事の準備をしなくてもいい。アレスとエミリオが戻ってくるまで、自由時間ができた。この状況が幸せでないのなら、幸せが何なのかリオノーラは分からない。
「嬉しいっ、嬉しい嬉しいっ!」
熱い紅茶を淹れて、買ったばかりの恋愛小説を開く。
若い男女が出会い、ジレジレする展開をにやにやしながら読み進める。至福の時だった。
(旦那様に何かお返ししないとな~)
いつも世話になった礼を考えるのだが、礼をする前にまた世話になってしまい、結局幾許かのお金を渡して終わってしまう。「大したことはしてない」とアレスは常に言うが、充分すぎるほど大したことだ。
二日後には、上の娘達の学校も休みに入る。きっとまた、アレスの世話になることが増えるだろう。
そんなこんなで、今年も終わっていく。
一年が経つのは早いなと思いながら。
<完>
-------------
今年も野地の作品をお読みいただき、ありがとうございました!
皆様も良いお年をお迎えください!
「本当! 寒いし、面倒よねぇ」
ティンエルジュ家が運営する染め物工場にて。
パートタイマーで働く領民の女性達が、ため息混じりに愚痴をこぼす。
眉をハの字に下げる女性達のなか、一人の女性が勢いよく腕を上げた。
「私! 旦那様が遊びにいらっしゃる妄想をして、大掃除を乗り切っているわよ!」
「それ……いいわね!」
「汚いお部屋に入ってもらうわけにはいかないもの!」
女性達はきゃあきゃあと黄色い声をあげる。
いつまでも体型と美貌を維持しているアレスは、領民女性達の憧れだった。
「……ですって、旦那様」
「掃除は好きだから、汚いままでいてくれたほうがいいけどな。大掃除なら、いくらでも手伝うぞ」
領民女性達の様子を後ろから見ていたリオノーラは、そっと彼女達に手のひらの先を向ける。
隣にいたアレスは、握り拳を作っている。彼の言葉はおそらく本気だ。
「……リオノーラはどうなんだ? 母子寮の部屋の様子は」
「うっ……!」
聞かれたくないことを聞かれてしまったリオノーラは、質素なエプロンドレスに包まれた胸をおさえる。
「……旦那様に見せられる状態じゃないですね……。特に調理台の換気扇なんか、油でギトギトです」
「はは、それは期待できるなぁ」
俯くリオノーラに、アレスは白い歯を見せて笑った。
◆
──数日後。
「掃除屋でーす」
リオノーラと末っ子長男のエミリオが暮らす母子寮の部屋に、掃除道具を担いだアレスがやってきた。
母子寮には、成人男性は入れない規定になっている。
アレスは口覆いをしたロングヘアの南方美女に化けていた。
「いつもながら違和感ゼロですね……」
「……まぁ、如何にもその辺にいそうな南方女に化けてるからな。どこからどうみてもただの掃除屋にしか見えないだろう」
「掃除屋」
掃除屋は殺し屋の隠語である。
複雑な気持ちになりながら、リオノーラはアレスを部屋に案内する。
「エミリオはいないのか?」
「ええ、年末が近いですし、お世話になった先生達に挨拶に行きたいと言っていたので、そのまま預けました」
エミリオは託児所が好きだった。母と二人きりで母子寮の部屋にいるよりも、先生やお友達と遊べる託児所を好んだ。
「掃除が終わったら迎えに行こう」
窓をすべて開け、部屋に空気が通るようにする。
アレスは慣れた手つきで換気扇を外すと、持ち込んだ道具で洗浄をはじめる。
リオノーラは後ろから、作業の様子を覗き込む。
「旦那様、私も何かお手伝いすることは……?」
「近所のカフェでゆっくりしてきたらどうだ? 来客があっても俺が対応する。だいたい一時間ぐらいで水まわりの掃除は終わるから」
ここにいてもできることはないらしい。
リオノーラはコートを羽織り、財布を手にすると「じゃあ、行ってきまーす」と頭をぺこぺこ下げながら、部屋を後にした。
「……ぷはぁ、美味しい」
近所にあるカフェのオープンテラスにて。
リオノーラは桃色や紫色の細かい花弁がのったティーラテを堪能していた。
ふわふわ泡のラテの下には、香り高い紅茶が。紅茶はスパイスがほのかに効いていて、後味は少しだけぴりっとする。
「癒される……」
見た目にも華やかな熱いティーラテを飲んでいると、ストレスでこわばった身体や心がほぐれていく。
こんな癒しの時間を作ってくれた夫には感謝しかなかった。
紅茶で身体を温めた後は、本屋に寄った。
今の時期は新刊が多い。甘く蕩けるような展開が期待できる恋愛小説をいくつか買うと、リオノーラはほくほく顔で母子寮の部屋に戻った。
「終わったぞ」
口覆いに長い人差し指をかけながら、アレスは言った。
母子寮の部屋の調理台や浴室、手洗いは、本当にここが自分達が暮らす部屋なのかと疑いたくなるぐらいピカピカになっていた。
リオノーラは忙しなく首を巡らせる。
「えっ、すごくないですか? 本業超えてません? めちゃくちゃ早いし……」
「殺し屋は、手早く部屋を綺麗にできて当たり前だからな。……じゃあ、エミリオを迎えに行ってくる。公園に寄るから少し戻りは遅くなる。夕飯は三人で何か食べに行こう」
アレスは淡々とした口調でそう言うと、袋を担いで出ていった。どこかで女装を一旦解除するのだろう。
水まわりだけでなく、リビングもほどよく片付いている。
リオノーラは加熱機器に水を入れたヤカンを置く。お茶の準備をしながら、口元を綻ばせる。
(し、幸せ……!)
悩みのタネだった大掃除が終わって、今夜は食事の準備をしなくてもいい。アレスとエミリオが戻ってくるまで、自由時間ができた。この状況が幸せでないのなら、幸せが何なのかリオノーラは分からない。
「嬉しいっ、嬉しい嬉しいっ!」
熱い紅茶を淹れて、買ったばかりの恋愛小説を開く。
若い男女が出会い、ジレジレする展開をにやにやしながら読み進める。至福の時だった。
(旦那様に何かお返ししないとな~)
いつも世話になった礼を考えるのだが、礼をする前にまた世話になってしまい、結局幾許かのお金を渡して終わってしまう。「大したことはしてない」とアレスは常に言うが、充分すぎるほど大したことだ。
二日後には、上の娘達の学校も休みに入る。きっとまた、アレスの世話になることが増えるだろう。
そんなこんなで、今年も終わっていく。
一年が経つのは早いなと思いながら。
<完>
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今年も野地の作品をお読みいただき、ありがとうございました!
皆様も良いお年をお迎えください!
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