契約妻と無言の朝食

野地マルテ@2月27日『帝国後宮録』発売

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昨日までと、まるで別人




 それから、私は隣の簡易シャワー室で身を清めてから別邸にある自室へと戻った。地方領主のトップである伯爵は多忙だ。伯爵家の執務室というのはそこで生活が可能なぐらい、なんでもあるものらしい。エリオンも締日の前は、よく執務室に泊まりこんで仕事をしているそうだ。
 ウチの実家も貴族家だったが、父はもっとのんびり仕事をしていたような気がする。だからうちは貧乏だったのかもしれないが。


 自分の部屋に戻るまで、胸元を隠すようにとエリオンから大判のストールのようなものを渡され、頭の奥がしびれるほど恥ずかしかった。彼は何故ああも淡々としていられるのだろうか。
 あんなことをしたばかりだというのに。
 私はエリオンの目をみることが出来なかった。

 部屋に戻ってからはドレスから夜着に着替えた。昼食と夕食はいつも私一人で食べている。給仕係の年嵩の侍女に、体調がいまいちだから昼食はいらないと断りを入れ、私はしばし眠ることにした。

 ひとり、ベッドに潜り込む。
 一人で使うにはあきらかに広すぎる、まだ新しい四柱式の天蓋付きの寝台。結婚初日の夜は、鼓動の音がはっきり聞こえそうなぐらい、ものすごく緊張したことを今でもはっきり覚えている。
 でも二日たち三日たち、一週間経ってもエリオンは夫婦の寝室には現れず、いつしか私はぐっすり眠れるようになってしまった。

 どうして旦那様エリオンは今まで私に手出しをしなかったのだろうか。枕に顔をうずめ、考えても答えはでない。私のことが好きだったら、とっくに抱いていてもおかしくないはず。なぜ、今朝のタイミングでエリオンは私を抱いたのか。
 彼のお兄さんがエヴニールに戻ってくると言っていた。そのことがきっかけで、私と添い遂げることに決めたのだろうか。
 枕の端を握りしめ、ぐぬぬと唸る。いくら一人で考えても答えが出るはずもない。

 エリオンの考えはよく分からないが、少なくとも私のことは生理的には嫌ではないのだろう。私のあんなところを舐めることが出来たのだから。

 するすると自然と手は脚の間へとおりていく。身体を洗う時にしか触れないあの場所を舐められると、あそこまで気持ちよくなれるとは今まで知らなかった。

 結婚生活を続ければ、また同じことをしてもらえるのだろうか。そんな不埒なことを考えながら、布地ごしに股の間に触れるが、やはり自分の手だと気持ちよくなれない。

 同意の上とはいえ、半端無理やり犯されたようなものなのに。エリオンにされたことを思い出しながら私は意識を手放していった。



 ◆



 夢を見た。
 エリオンに夜着を脱がされて、無理やり犯される夢だ。最初、隘路を剛直で貫かれた時は痛くて苦しくて辛かったのに、股の間が粗相をしたようにぐっしょり濡れるともどかしい快感に襲われて、私は泣きわめいた。
 夢だとわかっていても、私は覚えたての快楽の熱に浮かされてしまう。

 目覚めたいのに、目覚めたくない──そんな淫夢から私を引きずり下ろそうとする手が、私の肩をぐっと掴んだ。

「……アレクシア! 大丈夫か?」

 しっかり掴まれた肩、はっきり呼ばれた名前に私はぱっと目を見開く。そこにいたのは、今朝方私に快楽を叩きこんだ張本人、エリオンだった。

 叫び出しそうになったが、手で口を押さえ必死に堪えた。

 ──何で旦那様エリオンがこんなところに⁉︎

 この半年間、今までエリオンは一度も夫婦の寝室に現れたことはない。なのに何故。今日は本当にどうしたのだろうか。
 見た夢の影響で私は息を乱していた。呼吸を整えながらエリオンを見上げる。
 私を見下ろす、彼の眉尻は下がっていた。

「うなされていたから無理やり起こしてしまった。……すまない」
「いいえ、ありがとうございます……」

 部屋の中はすっかり薄暗くなっていた。
 私はずいぶん長い時間眠っていたらしい。全身びっしょり汗をかいてしまい、夜着が肌にはりついて気持ちが悪い。股の間もべとべとする。いやらしい夢をみてしまったからだろうか。

 もう喉はからからだ。
 それなりに長い時間眠ったはずなのに身体が重い。ゆっくり、上体を起こした。

「君が昼食を断ったと聞いて……。果実水とリンゴを持ってきたんだ」

 ふとベッドサイドにある小テーブルの上を見ると、橙色をした瓶とガラスのコップ、そしてまあるい陶器に盛り付けられた角切りの蜜リンゴが見えた。
 エリオンは瓶の蓋を開けると、コップに三分の二ほど中身をとぷとぷ注いで手渡してくれた。
 喉がからからに乾いていた私はそれを無言で受け取り、一気に飲み干してしまった。乾ききった喉を通る甘酸っぱい液体にごくりと喉を鳴らす。オレンジの果実水には粒はなく、ほのかに冷えていて飲みやすかった。
 はしたないなと思ったけど、エリオンは表情を変えることなく、コップに二杯目を注いでくれた。
 彼にこんな面倒見の良い一面があったとは。確かにエヴニールの私設兵団の人たちは彼の人柄を褒めていたけれど、今まではピンとくることはなかった。

「リンゴも食べるといい」

 まるい器を渡される。
 たまに朝食に出る蜜入りの赤いリンゴ。ヨーグルトと蜂蜜がかけられていて、私はここで出る朝食のなかでこれが一番好きだった。
 私の実家領だと、甘くて柔らかなリンゴはとれなかった。実家領ではぱりっとした歯触りの酸っぱい青リンゴが主流で、エヴニールで初めて赤いリンゴを口にした時はあまりの美味しさにほっぺたが落ちるかと思った。
 あまりにも私がニコニコしながら食べるので、家令のお爺さんがどうやって赤いリンゴを作るのか、説明してくれた事はよく覚えている。赤くて甘いリンゴを作るのはとても手間がかかるらしく、ウチで作るのは無理だなと思った。実家にエヴニール産の赤いリンゴを送ったら、すごく喜ばれたっけ。

 病気でもないのに、ベッドに入りながら食べるのは行儀が悪いなと思いながらも、角切りにされたリンゴに銀のフォークを突き立てて、口に入れる。安定の美味しさだった。みずみずしい歯触りと後から感じる蜜の濃厚な甘さが堪らない。思わず口元が綻んでしまう。

 私がリンゴを食べている間、エリオンは寝室の灯りをつけてくれた。
 今の彼はまるで私の家族のように甲斐甲斐しい。
 ほんとうに急にどうしたのだろう。
 昨日までと、まるで別人だ。

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