契約妻と無言の朝食

野地マルテ

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私は貴方のことが嫌い

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 ううっと小さく呻く声がした。
 はっと顔を上げると、そこにはうっすら翡翠色の瞳を開けているエリオンがいた。
 
「旦那様……!」
「アレクシア……。……顔に傷が出来てしまったな、すまない……守りきれなくて……」

 掠れた声で謝罪するエリオンに、ふるふると大きく首を横に振る。
 じんわり広がる安堵感で胸がいっぱいになる。やっと、エリオンが目を開けてくれた。
 このまま死んじゃったらどうしようかと思った。

「すまなかった……。この数日、俺は君に金を残したいばかりに酷いことをしてしまった」

 エリオンはどこか痛むのか、ずっと顔を顰めている。絞り出すような声に涙がとまらない。
 意識を取り戻してくれて、本当に良かった。

「金を残す……?」
「どこから説明をすればいいか……。聞いてくれるだろうか?」

 エリオンの手を取り、うんうんと頷く。目覚めたばかりの怪我人に何か話をさせるのは良くないんじゃないかと思ったが、この機会を逃すと彼はまた黙りを決め込んでしまうんじゃないかと思い、怖かった。

「はい……。話してください。でも、無理はしないでくださいね」

 私はエリオンの手を握る、両手の力を強めた。



 ◆


 エヴニール家の当主になる際、最初は結婚するつもりは無かったとエリオンはつぶやいた。

「貴族の社交場には妻帯が必須だと兄から言われても、俺は結婚に乗り気じゃなかった……。女性は面倒な生き物だと俺は思いこんでいて、妻の相手なんか出来ないと兄に言ったのだが……気がついたら、兄は君の家と期限付きの婚姻関係を結んでいた」

 そうだろうなと思った。
 はじめて私と会ったエリオンは、死んだ魚のような目をしていたから。
 私の地味な顔や毛色を見て、さぞやがっかりしたのだろう。
 私はお世辞にも美人とは言えないから。
 事実をかなしく思い、俯いていると、エリオンはまたとんでもないことを言い出した。

「女性の美の基準はよく分からないが、はじめて逢った君の腰回りの線はいいなと思った」

 ──こいつぅ……。

 なんでこの人は人の身体ばかり見ているのか。いや、まだ若い男なんだから色欲で女性を見るのは仕方がないのかもしれないが、それをわざわざ口に出して言うか普通。
 やっぱりこの人はおかしい。
 いくら顔がよくても、女性の身体についてアレコレ言うのは許されないだろう。

「他の女性と比べないでください! 不愉快です!」
「他の女性? 俺は誰かと君を比べてなんかいないし、そもそも君としか性的な経験はしていないが……」
「嘘! そんな嘘、通用しませんよ!」
「嘘って……。俺は結婚が決まって、王宮から来た閨指導員に猛特訓をさせられたんだ。毎日毎日、蒟蒻芋粉で作った女性器に指を入れさせられて、こんなもん何が楽しいのかと思ったが……」

 私との結婚が決まり、義兄がエリオンのためにと呼んだ閨指導員は五十代の夫婦だった。彼らはありとあらゆる性技を彼に叩き込んだらしい。

「五十代の夫婦のまぐわいを毎日見させられた」
「……」
「子どもを作る行為はなんて大変なんだろうと思ったし、ぜったいにしたくないと思っていたんだが……」

 しかしまだ二十歳の健康的な女性である私がお嫁に来て、それはそれはエリオンは高まったらしい。いかに性的に私の存在が刺さったのか嬉々として語られたが、とうぜん嬉しくない。性的な対象として見られないのも辛いが、そういう目でしか見られないのも微妙だ。

 が、エリオンには私に手出し出来ない事情があったらしい。

 彼は結婚前から、武力蜂起──つまり植民地で反乱が起き次第、西国へ行くことになっていたのだ。

「俺は兄がエヴニールへ戻り次第、西国の植民地へと出征する。反乱軍との戦いはたいへん厳しいと聞いている。俺は西国で命を落とすかもしれない……。それを考えると、君と仲良くするのはよくない事だと思ったんだ」

 私と仲良くすれば、自分が死んだ時に私が悲しむと思い、エリオンは敢えて私と距離を取ったらしい。
 ワケが分からない。
 今は戦乱の世だ。
 皆が皆、いつ命を落とすか分からない世に生きている。
 いつか来る永遠の別れを恐れて、距離を空けるなんて馬鹿げた考えだ。

「それで、結婚から半年間も私を無視したんですか?」
「ああ……」
「……私、あなたと一言も口をきかなくても、あなたが死んだらとても悲しんだと思います」

 彼の兄ほどではないにせよ、エリオンもこの屋敷の人達から愛されている。そんな愛されている存在が亡くなったら、私は辛く思っただろう。たとえ、自分の存在を無視されていたとしてもだ。

「毎日、一緒に朝ごはんを食べてた人が亡くなったら辛いですよ……」
「アレクシア……」
「……私にそんな気なんか使わなくても良かったのに」

 すんと鼻を鳴らす。短い間でも、私はエリオンと仲良くしたかった。たとえ死に別れたとしても、仲良くしたせいで悪い方向へ転ぶ事なんかなかっただろう。
 エリオンと私とでは、徹底的に考え方が違うのだ。

 ここで一つの疑問が浮かぶ。
 エリオンは死に別れる事を恐れて私と距離を取っていたのに、なぜ、急に添い遂げようと言い出したのか。

「俺が西国の植民地で戦死した場合、妻には多額の死亡補償金が入る。しかしこれは無期限の婚姻を交わした相手にのみ、入る金なんだ。契約妻には支払われない。俺はその事を知って、いてもたっても居られなかった。すぐにでも君と無期限の婚姻関係を結ばねばならないと思った」
「それで私を抱いたのですか……?」
「閨指導員から、俺は筋がいいと言われていたんだ。性的に迫れば落ちない女はいないと言われて……間に受けてしまった」

 ──なんですって……!

 もうムカムカした。身体だけ貪られても、心はついていかないのに。
 何より腹が立つのは、私にお金を残すために、婚姻契約を二年の有期から無期限にしようとしたことだ。

 この人は、死んで利益が出る契約を私と結ぼうとした。
 私に、何の説明もなく!

「旦那様のばか!」
「あ、アレクシア?」
「ばか、ばかぁ! 貴方が死んで出る、お金なんかいらない‼︎」

 どんどんとベッドの上を叩く。

「私、二年間だけでも、短い間だけでも、あなたと仲良くしたくてお嫁に来たのに! どうして何でも自分一人で決めて、勝手にすすめちゃうの? 信じられない! ……私、ぜったいに貴方と別れますから‼︎」

 いきなりわあわあ喚き出した私に、エリオンはあっけにとられている。もう最悪だ。
 エリオンはエリオンなりの考えがあって、私と距離を置いていた。それは分かる。でも、半年間も口をきかないなんてあんまりだ。朝の挨拶だけ交わす夫婦なんて、夫婦じゃない。
 心が通いあってないのに、死亡補償金のためだけに無期限の婚姻関係を結ぶのも嫌だ。エリオンの死なんか一縷も望みたくないのに。

「ごめん、アレクシア! 俺は……俺はその……!」
「言い訳なんか聞きたくない! 絶対に西国から生きて帰るって、誓って! 謝罪なんかもう聞きたくないの! 私はあなたのことが嫌いだけど、大嫌いだけどっ! あなたにぜったいに死んでほしくない! 生きてっっ‼︎」

 部屋に私の泣き声が響く。
 もう最悪だ。

「ああ、ああ、誓うよ。……絶対に生きて帰る」

 私の手を取り、握りしめ、エリオンは言う。
 西国へ出征するという話も、もっと早くに聞きたかった。どうして何も言ってくれないのか。義兄が戻ってきても、エリオンはここにいると思っていたのに、ひどい裏切りだ。かなしい。つらい。肝心なことを何も言ってくれないこんな薄情な人と、真の夫婦になんかなれない。

 私はエリオンが嫌いだ──。
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