失敗聖女の異世界革命 ~地味に生きたいのに、なぜか文化が変わる件~

宵町あかり

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第9話 大地の奇跡

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夜明け前、セレナ・リュクスは寝床で目を開けた。
一睡もできていない。窓の外はまだ暗く、星が微かに瞬いている。今日は春の種まきの日。村の運命を左右する大切な日だ。そして、昨日掘った穴から水が出るかどうかで、自分が本当に「聖女」として認められるかが決まる。

――徹夜した……オールして判断力鈍るパターンだ。

疲労で重い体を起こすと、既に外から人の気配がした。
窓から覗くと、まだ暗い中、村人たちが掘削現場に集まり始めていた。松明の灯りがあちこちで揺れている。

農夫のトーマスは、掘削現場で一晩中祈り続けていた。
四十代の彼の目は充血し、顔には深い疲労が刻まれている。しかし、その瞳には希望の光が宿っていた。

「聖女様の祈りは必ず届く。昨日の湿り気がその証拠だ」

妻と痩せた子供たちの顔を思い浮かべながら、トーマスは呟いた。去年の不作で家族が苦しんだ。今年こそは豊作を、その願いが彼を支えていた。

村長ジョセフも早朝から現場にいた。
七十歳の老体に鞭打って、松明を持ちながら穴を覗き込む。三十年前の大干ばつの時、多くの村人が去っていった。あの時は何もできなかった。しかし今回は違う。

「今回は聖女様がいらっしゃる。あの時とは違うのだ」

ジョセフの声には、過去の後悔と現在の希望が入り混じっていた。

若手農民のピエールは、科学的な説明を求める理性と、奇跡を信じたい感情の間で揺れていた。

「地質学的に考えれば、この辺りに地下水脈があってもおかしくない。でも、セレナ様が正確にその場所を示されたのは……」

二十代の彼にとって、伝統と革新、科学と信仰の融合こそが、新時代の幕開けに思えた。この出来事が村の歴史の転換点になる、その予感が彼を興奮させていた。

主婦のアンナは、生後半年の赤ん坊を抱きながら祈っていた。
四十代の彼女の顔は、一晩中泣き続けた跡で腫れている。子供たちに飲ませる水がない恐怖、母としての無力感、それらが彼女を押し潰しそうになっていた。

「お願い、聖女様。この子たちのために水を……」

切実な母の願いが、朝の静寂に響く。

メアリーは手帳を胸に抱きしめ、記録者から伝道者へと変化した自分を感じていた。

「これは単なる水探しではない。聖女様の奇跡を記録する、歴史的瞬間なのだ」

彼女の使命感は、もはや観察を超えて、布教活動へと昇華し始めていた。今この瞬間を正確に記録し、後世に伝えることこそが自分の役割だと確信している。

✦ ✦ ✦

東の空が薄っすらと明るくなり始めた頃、セレナは意を決して外に出た。
メアリーとカイルが深々と頭を下げる。

「セレナ様、村人全員が集まっております」

掘削現場に着くと、百人を超える村人たちが穴の周りを取り囲んでいた。
皆、セレナを見つめている。その視線の重さに、セレナは思わずふらついた。寝不足と緊張で、意識が朦朧としている。

――インスタ映えする瞬間……写真撮れないけど。

不意にそんな現代的な思考が頭をよぎった。
この異世界での非日常が、時折現実感を失わせる。

その時、朝日が山の端から昇り始めた。
金色の光が村を照らし出す。そして、奇跡は起きた。

地下深くでは、偶然にも地殻の微妙な変動により、水脈が上昇していた。
それは純粋に地質学的な現象だった。春の雪解け水が地下に浸透し、圧力の変化で水脈が押し上げられる。タイミングは全くの偶然。しかし、その偶然が運命を変える。

穴の底から、突然水が湧き出した。
最初は小さな湧き水だったが、見る見るうちに勢いを増していく。

朝日に照らされた水しぶきが、虹を作り出した。
七色の光が穴の上に架かり、まるで天からの祝福のように見える。水晶のように透明な水が、光を反射しながら溢れ出す。

セレナは寝不足でふらつき、穴の縁でよろけた。
カイルが慌てて支えようとするが、その姿は村人たちには別の意味を持って映った。

憔悴した顔、よろめく体、それでも穴を見つめる真剣な眼差し。
一晩中祈り続けたかのような、神々しい疲労感。

商人のハンスが膝をついた。
五十代の彼は、二十年の商売人生で様々な出来事を見てきたが、これほどの奇跡は初めてだった。

「聖女様の祈りが、ついに地下深くの水脈に届いた。これで商売も、村の経済も救われた」

商人としての現実的な安堵と、奇跡への畏敬の念が入り混じる。

若妻のサラは、姑のベアトリスと手を取り合って泣いていた。
二十五歳の彼女は、三年間の嫁姑問題に悩まされてきた。しかし、この奇跡を前にして、その対立は溶けていく。

「お義母様、聖女様のおかげで家族が一つになれました」

六十代のベアトリスも、涙を流しながら頷いた。

「新しいものを受け入れる勇気を、聖女様が教えてくださった。伝統と革新は共存できるのね」

姑は嫁を抱きしめ、二人は和解の涙を流した。

十二歳の少女ミナは、純粋な感動で震えていた。

「すごい、本物の奇跡だ!私も聖女様みたいになりたい!」

都会のコックになる夢を持っていた彼女だが、今は違う憧れが芽生えている。人々に希望を与える存在、それこそが真の目標かもしれない。

長老のバルトロメオは、七十年の人生で初めて、心の底から感動していた。

「生きていて良かった。この瞬間に立ち会えるなんて」

伝統を重視してきた彼だが、変化を受け入れることの大切さを、今まさに実感していた。孫たちの未来が、この水と共に開けていく。

双子の侍女、リリとロロは興奮を隠せなかった。

「これは伝説になるわ」
「都に帰ったら、この話で一生語り継がれる」

都での退屈な生活から逃れてきた二人にとって、この体験は人生最大の冒険だった。

護衛騎士のカイルは、セレナへの絶対的な信頼を深めていた。

「命に代えても守る価値がある。セレナ様は本物の聖女だ」

王都での懐疑的な態度は完全に消え去り、今は守護者としての使命感に燃えている。

セレナは目を合わせることができなかった。
ただの偶然なのに、皆が奇跡だと信じている。その責任の重さに押し潰されそうだ。

「セレナ様の慈悲深いお姿」
「直視できないほど神々しい」

村人たちは、目を合わせない姿を「慈悲の視線回避」と解釈した。高貴過ぎて、凡人とは目を合わせられないのだと。

――これバズる……口コミで。

セレナの内心の呟きとは裏腹に、村人たちの感動は頂点に達していた。

✦ ✦ ✦

水の湧出はさらに勢いを増し、穴から溢れ出し始めた。
村人全員が一斉に跪く。老若男女問わず、皆が地面に膝をつけて、セレナに向かって頭を下げた。

セレナは状況を理解できず、ただ立ち尽くしている。
声を出そうとしても、緊張で声が小さくなってしまう。

「あの……皆さん……」

その小さな声を、村人たちは「ささやきの教え」と受け取った。

「聖女様は謙虚に、ささやくような声で我々に語りかけてくださる」
「威圧的ではない、優しい教え方だ」

村の子供たちが無邪気に叫ぶ。

「セレナお姉ちゃんは魔法使いだ!」
「水の魔法すごい!」

素直な驚きと喜びが、場の雰囲気を明るくする。

農民の妻たちは、涙を流しながら感謝の言葉を述べた。

「今年は豊作間違いなしです」
「子供たちに十分な食事を与えられます」
「聖女様のおかげで、生きていけます」

それぞれの切実な願いが、感謝の言葉となって溢れ出す。

若者グループは、既に情報拡散のことを考えていた。

「隣村にも教えなきゃ」
「いや、領主様にも報告すべきだ」
「この奇跡は国中に知られるべきだ」

現代でいうSNS的な拡散欲求が、彼らを突き動かす。

その時、偶然村を訪れていた旅の商人が声を上げた。

「これは……王都で高く売れる情報だ!いや、失礼。素晴らしい奇跡に立ち会えて光栄です!」

三十代の彼は、各地を旅して情報を売買している。この奇跡の目撃者となったことで、自分の商売にも箔が付くと計算していた。

村人たちの興奮は収まらない。
誰かが叫んだ。

「今日を聖女暦元年とする!」

――Wikipedia載りそう……ないけど。

セレナは内心で呟きながら、もはや事態をコントロールすることを諦めた。
水の湧出、それ自体は自然現象。しかし、タイミングと文脈が重なり、誰も偶然とは思わない。

農法の革新、料理の革命、そして水源の確保。
三つの奇跡が重なり、セレナは村にとって欠かせない存在となった。もはや「癒しの聖女候補」ではない。真の聖女として、確固たる地位を築いてしまった。

✦ ✦ ✦

午後になり、村では祝祭的な雰囲気の中で種まきが始まった。
湧き出た水を桶で運び、畑に撒きながら種を蒔いていく。

セレナも種まきに参加したが、相変わらず不器用だった。
種袋を持つ手つきが独特で、まるで何か神聖なものを扱うような仕草に見える。

「聖女様の所作は、やはり我々とは違う」
「あの種の持ち方にも、深い意味があるに違いない」

村人たちは、セレナの一挙一動を真似し始めた。
不器用な種まきの仕方、独特な水の撒き方、全てが「聖女流」として定着していく。

トーマスは家族に誇らしげに語った。

「見ろ、聖女様のおかげで水が湧いた。この村で生きていける。いや、これから繁栄していくんだ」

妻と子供たちの顔にも、希望の光が戻っている。

村長ジョセフは、後継者である息子に語りかけた。

「この奇跡を語り継ぐのだ。代々、決して忘れてはならない」

歴史の証人としての責任感が、老人の背筋を伸ばす。

作業の合間、セレナは種袋を置き忘れた。

「あ、忘れ物……」

慌てて取りに戻ろうとするセレナを見て、村人たちは深い意味を読み取った。

「執着を捨てる、という教えだ」
「物質的なものに囚われない、聖女様の境地」

――これもうファンクラブ……会費とか取られそう。

セレナの諦観は、もはや完全なものとなっていた。
何をしても、どう動いても、全て良い方向に解釈される。失敗は成功となり、欠点は美徳となる。

夕方になり、種まきが終わった。
村人たちは口々に感謝の言葉を述べながら、それぞれの家へと帰っていく。

しかし、数人の村人は残って相談を始めた。

「この奇跡を、領主様に報告すべきでは」
「聖女様の存在を、もっと多くの人に知ってもらうべきだ」

村長ジョセフが重々しく頷いた。

「確かに。これほどの聖女様を、村だけで独占するのは申し訳ない」

✦ ✦ ✦

その夜、メアリーは愛用の革装の日記帳を開いた。

『セレナ様観察日記 第九日目

本日、ここに記す。
真の奇跡を、私は目撃した。

朝日と共に湧き出た清水。七色の虹。憔悴しながらも凛として立つセレナ様の神々しいお姿。

もはや「観察」という言葉は相応しくない。
私は今日から、聖女セレナ様の奇跡を記録し、世に伝える者となる。

農法の革新、料理の革命、水源の奇跡。
三位一体の聖女の御業は、この村から始まり、やがて王国全土を照らすだろう。

聖女伝説記録、ここに始まる』

メアリーはペンを置き、決意を新たにした。
観察者から布教者へ。その変化は、今日完全に成し遂げられた。

一方、村長の屋敷では、ジョセフが手紙を書いていた。

「領主様への報告書を作成せねば。この奇跡を、正確に伝えなければ」

震える手で、老人は筆を取る。
水源の確保だけでなく、真の聖女の存在を報告する、歴史的な手紙となるだろう。

セレナは屋敷の寝床で、天井を見上げていた。

――完全に詰んだ……もう聖女から逃げられない。

しかし、同時に小さな変化も起きていた。

――でも、皆が幸せそうだから……いいか。

完全な諦観の中に、僅かな受容が芽生え始めている。
村人たちの喜ぶ顔、希望に満ちた表情、それらを見て、少しだけ心が軽くなったような気がした。

抵抗することを諦め、流れに身を任せる。
それがセレナの到達した、新しい境地だった。

✦ ✦ ✦

その日の夕方、村から一人の使者が領主の城へと向かった。
手には村長の手紙と、メアリーが記録した「聖女の奇跡」の写しが握られている。

馬を駆りながら、使者は興奮を抑えきれなかった。

「これは大変なことになる。我が村に、真の聖女様がいらっしゃるのだ」

セレナの名は、やがて地方全体に轟くことになる。
水の奇跡は始まりに過ぎない。農法は「聖女農法」として、料理は「聖女料理」として、そして水源発見の技術は「聖女の祈り」として、各地に広まっていく。

春の種まきは無事に終わり、村に平和が戻った。
しかし、それは新たな騒動の始まりでもあった。

辺境の小さな村に降臨した聖女の噂は、まるで水が地下を流れるように、静かに、しかし確実に、王国全土へと広がっていくのだった。
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