転生王子はスライムを育てたい ~最弱モンスターが世界を変える科学的飼育法~

宵町あかり

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第13話 帝国を変える最弱

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 朝の研究室に、いつもより重い空気が漂っていた。

「えーっと、何だかみんな難しい顔をしているけれど……昨日の夜、何かあったの?」

 レオンは首をかしげながら、培養槽の前に立つフィルミナに声をかけた。彼女の表情にも、普段の明るさとは違う何かが宿っている。

「レオン様、昨夜遅くに東方連合から正式な抗議文書が届いたそうです」

 リヴィエルが書類の束を持って現れ、その中から一通の封書を取り出した。蝋印には見慣れない紋章が刻まれている。

「抗議文書? 僕に?」

「はい。内容は……」リヴィエルは文書を開き、眉をひそめた。「『帝国による生物兵器開発疑惑について、即座なる説明と査察受け入れを要求する』とあります」

 レオンは目を丸くした。生物兵器? 彼の頭の中では、前世の記憶がざわめいている。確かに生物学的研究が軍事転用される例は多かった。だが、それと自分のスライム研究にどんな関係があるというのだろう。

「それって、僕のスライム研究のことを言ってるの?」

「どうやらそのようですね」シグレが研究室に入ってきた。「昨日の公開実験の反響が、予想以上に大きかったようです。特に、フィルミナの戦闘能力を見せた部分が……」

「でも、あれはただの護身術の実演だったのに」

 レオンは困惑した。確かに昨日、フィルミナには簡単な戦闘技術を披露してもらった。だが、それは彼女の運動能力を示すためのものであって、軍事的な意図など微塵もなかった。

「レオン様」フィルミナが不安そうに彼の袖を引いた。「私、何か悪いことをしてしまったのでしょうか?」

「とんでもない!」レオンは慌てて首を振る。「君は何も悪くないよ。ただ、周りの人たちが誤解をしているだけだ」

 しかし、心の奥で彼は理解し始めていた。自分が「ただの研究」と思っていることが、この世界ではどれほど革新的で、同時に危険視される可能性があるのかを。

---

「殿下、お時間をいただけますでしょうか」

 ヴァレンタス宰相が、いつになく神妙な表情で研究室を訪れたのは昼過ぎのことだった。彼の後ろには、見慣れない制服を着た男性が控えている。

「こちらは外務省の調査官、マルクス・フォン・リーベルト殿です」

 マルクスと名乗った男性は、鋭い目つきでレオンとフィルミナを見回した。

「殿下、単刀直入に申し上げます。あなたの研究について、他国から深刻な懸念が示されています。特に、人工生命体の軍事利用の可能性について」

「軍事利用?」レオンは眉をひそめた。「僕は生物学的な研究をしているだけです。軍事なんて考えたこともありません」

「しかし、昨日の実演では明らかに戦闘能力を——」

「あれは護身術です」レオンは少し語気を強めた。「フィルミナは一人の人間として、自分を守る術を身につけただけです」

 マルクスの視線がフィルミナに向けられる。彼女は不安そうにレオンの後ろに隠れた。

「人間、ですか?」マルクスは冷笑を浮かべる。「人工的に作られた存在を、人間と呼ぶのは適切でしょうか」

 レオンの表情が変わった。前世で培った生命倫理に対する確固たる信念が、胸の奥で熱くなる。

「フィルミナは人工的に生まれたかもしれません。でも、彼女には感情があり、意志があり、痛みを感じ、喜びを知っています」レオンは一歩前に出た。「生まれ方が違うからといって、その存在の価値が変わるものではありません」

 研究室に緊張が走る。シグレが咳払いをして口を開いた。

「調査官殿、学術的な立場から申し上げますが、レオン殿下の研究は純粋な科学探究です。私が保証いたします」

「シグレ博士」マルクスは振り返る。「あなたもこの研究に関わっている以上、中立な証言者とは言えませんね」

---

 夕方、調査官たちが去った後の研究室は、まるで嵐が過ぎ去った後のような静寂に包まれていた。

「レオン様」フィルミナが小さな声で話しかけてくる。「私がいることで、レオン様にご迷惑をおかけしているのですね」

 その言葉を聞いて、レオンの胸に鋭い痛みが走った。フィルミナが自分を責めている姿を見ることほど、辛いことはなかった。

「何を言っているんだ」レオンは即座に否定した。「君は僕にとって、かけがえのない存在だ。それは昨日も言ったばかりじゃないか」

 フィルミナの頬が薄く紅潮する。彼女にとって、レオンのその言葉は特別な意味を持っていた。

「でも……」

「でも、何もない」レオンは彼女の手を取った。「僕は君を守る。それが僕の研究者としての、いや、一人の人間としての責任だ」

 リヴィエルがそっと息を飲むのが聞こえた。彼女の心に、複雑な感情が渦巻いている。レオン様の優しさは分かっている。でも、それがフィルミナに向けられる時、なぜこんなにも胸が締め付けられるのだろう。

「リヴィエル」レオンが振り返る。「君にも迷惑をかけてしまって申し訳ない」

「いえ、そんな」リヴィエルは慌てて首を振る。「私はレオン様のお側にいることが務めですから」

 その時、研究室のドアが勢いよく開かれた。

「レオン!」

 現れたのはユリオスだった。彼の表情は、いつになく深刻だ。

「兄上……」

「お前のせいで、帝国が外交的危機に陥っている」ユリオスは激しい口調で言った。「東方連合だけでなく、カドリア王国からも懸念が示された。このままでは——」

「僕は何も悪いことはしていません」レオンは毅然として言い返した。「純粋な学術研究を続けているだけです」

「学術研究?」ユリオスは鼻で笑った。「お前の『研究』が引き起こしている事態の深刻さが分からないのか」

「分からないなら、説明してください」レオンの声に、これまでにない強さが宿った。「僕の研究の何が、そんなに問題なんですか」

 ユリオスは言葉に詰まった。確かに、レオンの研究そのものに非があるわけではない。問題は、その研究の持つ可能性と、それに対する他国の恐怖だった。

「お前は……お前は分かっていない」ユリオスは搾り出すように言った。「政治というものを、外交というものを、何も理解していない」

「確かに僕は政治には詳しくありません」レオンは認めた。「でも、科学に国境はありません。知識は人類共通の財産であるべきです」

 ユリオスは息を呑んだ。弟のその言葉に、彼は既視感を覚えていた。それは、幼い頃のレオンが時折見せていた、純粋で理想主義的な一面だった。

---

 その夜、レオンは一人で培養室にいた。小さなスライムたちが、規則正しく脈動している。彼らを見ていると、心が落ち着いた。

「こんな小さな生き物が、世界を脅かすだって?」

 彼は苦笑いを浮かべた。前世の知識から言えば、スライムは確かに未知の可能性を秘めている。だが、それは恐怖の対象ではなく、驚異と感謝の対象であるべきだった。

「レオン様」

 振り返ると、フィルミナが立っていた。

「まだ起きていたのか」

「はい。レオン様がこちらにいらっしゃるのが分かりましたから」フィルミナは培養槽のそばに歩み寄る。「私の兄弟たちですね」

「兄弟?」

「同じ方法で生まれたから、きっと家族のようなものだと思うんです」フィルミナは優しい笑顔を浮かべた。「みんな、とても平和そうですね」

 レオンは彼女の言葉に心を打たれた。フィルミナにとって、これらのスライムは確かに家族なのかもしれない。そして、彼女自身も、彼らと同じように純粋で平和的な存在なのだ。

「フィルミナ」

「はい」

「君は、自分が生まれてきて良かったと思う?」

 フィルミナは少し考えてから答えた。

「はい。レオン様に出会えましたから」

 その純粋な答えに、レオンの心は温かくなった。同時に、彼女を守りたいという気持ちが、より一層強くなる。

「僕も、君に出会えて良かった」レオンは微笑んだ。「君のおかげで、僕は本当に大切なものが何かを学んでいる」

 フィルミナの目が潤んだ。彼女には、その言葉の深い意味が完全には理解できなかった。だが、レオンの温かい気持ちは確実に伝わっていた。

---

 翌朝、皇帝からの急使が研究室を訪れた。

「レオン殿下、陛下がお呼びです」

 王座の間には、いつもより多くの貴族と官僚が集まっていた。皇帝アルカディウスは、重々しい表情で玉座に座っている。

「レオン」皇帝が口を開いた。「お前の研究について、重要な決定を下さねばならん」

 レオンの心臓が早鐘を打った。

「陛下」

「他国からの圧力は日増しに強くなっている」皇帝は続けた。「このままでは、帝国の外交関係に深刻な影響が及びかねん」

 会議室がざわめいた。多くの貴族たちが、レオンに非難がましい視線を向けている。

「しかし」皇帝の声が響いた。「同時に、お前の研究の価値も理解している」

 今度は、別の方向からざわめきが起こった。

「よって、朕は以下のように決定する」皇帝は立ち上がった。「レオンの研究は継続を許可する。ただし、国際的な透明性を確保するため、定期的な公開報告を義務付ける」

 レオンは安堵の息を漏らした。研究の継続が認められたのだ。

「また」皇帝は続けた。「この研究が帝国にもたらす可能性を適切に評価するため、特別委員会を設置する」

 ヴァレンタス宰相が一歩前に出た。

「陛下、その委員会の構成は——」

「委員長はシグレ・マカレア博士とする」皇帝の言葉に、会議室が再びざわめいた。「副委員長は……レオン、お前だ」

 レオンは驚いて皇帝を見上げた。

「僕が、ですか?」

「そうだ」皇帝は微笑んだ。「自分の研究について、お前以上に理解している者はいない。そして、お前以上にその責任を負うべき者もいない」

 会議の後、レオンは複雑な気持ちで研究室に戻った。研究の継続は認められたが、同時に大きな責任も負うことになった。

「レオン様」フィルミナが心配そうに駆け寄ってくる。「どうでしたか?」

「研究を続けられることになった」レオンは微笑んだ。「でも、これからはもっと多くの人に見守られながらの研究になりそうだ」

「それは、いいことですか?」

「分からない」レオンは正直に答えた。「でも、悪いことではないと思う」

 リヴィエルがお茶を持ってきながら言った。

「レオン様、副委員長のお務め、大変ですね」

「そうだね」レオンは苦笑いした。「僕が『最弱』だと思っていた研究が、いつの間にか『帝国を変える』ことになってしまった」

 シグレが研究室に入ってきて、その言葉を聞いた。

「レオン君」シグレは真剣な表情で言った。「君の研究は確かに帝国を変える可能性を持っている。いや、すでに変え始めている」

「でも、僕はただ——」

「君がただスライムを育てたかっただけだということは分かっている」シグレは微笑んだ。「でも、純粋な探究心が時として世界を変えるのだよ」

 レオンは培養槽を見つめた。そこには、相変わらず平和にゆらめくスライムたちがいる。彼らが、本当に世界を変える力を持っているのだろうか。

「フィルミナ」レオンが呼びかけた。

「はい」

「君は、世界を変えたいと思う?」

 フィルミナは少し考えてから答えた。

「世界のことはよく分かりません。でも、レオン様が幸せでいられる世界になればいいなと思います」

 その答えに、レオンは微笑んだ。彼女の純粋さが、複雑になりがちな状況を、いつもシンプルな真実に戻してくれる。

「そうだね」レオンは頷いた。「それが一番大切なことかもしれない」

 夕日が研究室の窓から差し込み、培養槽を金色に染めていた。小さなスライムたちが、その光の中で静かに脈動している。

 レオンは知らなかった。この瞬間、帝国の首都だけでなく、隣国の王宮でも、さらに遠い大陸の学者たちの間でも、「転生王子のスライム研究」について熱い議論が交わされていることを。

 彼の「最弱」な研究は、確実に世界を動かし始めていた。
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