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第23話 第二の覚醒
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深夜、静寂に包まれていた研究室に、突如として激しい光が満ちた。
フィルミナの体が、太陽のような輝きを放ち始めていた。その光は青白く、脈動するように強弱を繰り返し、まるで巨大な心臓の鼓動のようだった。光と共に、甘い花の香りが部屋中に広がり、まるで春の花園に迷い込んだかのような錯覚を覚えた。光が肌に触れると、温かい絹のような感触があり、全身が優しく包まれているような安心感が生まれた。
「フィルミナ!」
隣室で仮眠を取っていたレオンが、光に気づいて飛び込んできた。眩しさに目を細めながらも、必死にフィルミナに近づこうとする。
しかし、彼女の体から放たれる光の圧力が、物理的な壁となって立ちはだかった。熱はないが、まるで柔らかい綿に押し返されるような不思議な感触で、触れることすらできない。
「レオン……」
フィルミナの声が、かすかに聞こえた。しかし、それは現実の声ではなく、精神の中に直接響いてくる声だった。その声には、鈴の音のような清らかさと、深い海の底から響くような重厚さが同時に存在していた。
「私の中で、何かが……目覚めようとしている」
その瞬間、帝都中のスライムが動き始めた。
城下町では、パニックが広がっていた。
民家の軒下で飼われていた観賞用スライム、下水道に潜んでいた野生のスライム、商人が運んでいた荷物の中に紛れ込んでいたスライム──ありとあらゆるスライムが、一斉に研究室のある方角へと向かって移動を始めたのだ。
「侵略だ! スライムの大軍が攻めてくる!」
夜警の一人が、恐慌状態で叫んだ。
「光の姫が、ついに帝国を乗っ取るつもりだ!」
別の市民が続けた。
「いや、これは第三王子殿下の軍事演習だ! 夜間奇襲訓練に違いない!」
さらに別の声が上がる。
「まさか、ユリオス殿下との継承権争いが、ついに表面化したのか!?」
しかし、スライムたちは誰も襲わなかった。ただ、整然と、まるで見えない糸に引かれるように、研究室へと向かっていく。その様子は、不気味でありながら、どこか荘厳でもあった。石畳を這うスライムたちの音は、まるで静かな雨音のようで、夜の静寂に奇妙な調和をもたらしていた。
リヴィエルは、研究室の窓から外を見下ろしていた。月明かりに照らされた通りを、無数のスライムが流れるように進んでいく光景は、幻想的ですらあった。
「これは……」
彼女は振り返り、光に包まれたフィルミナを見た。
「フィルミナ様が、全てを呼んでいる。まさか、帝国統一の第一歩?」
彼女は首を振った。
「いえ、坊ちゃまにそんな野心はないはず……でも、世間はそうは見ないでしょうね」
シグレは観測機器の前で、信じられないような数値を見つめていた。
「共鳴周波数が、理論値を超えている……」
彼女の手は震えていた。科学者としての興奮と、未知への恐怖が入り混じっていた。手に汗がにじみ、ペンを持つ指が滑る。
「これは、個体としての覚醒じゃない。種全体に影響を与える、何か根源的な変化が起きている」
プリマも、フィルミナのすぐ傍で、同じように光り輝いていた。二体の光が共鳴し、螺旋を描きながら天井へと伸びていく。その光の渦は、まるで二匹の龍が天に昇るような壮大な光景だった。
ガイウスが慌てて飛び込んできた。
「シグレ先生! これは新型魔法兵器の暴走ですか!?」
「違います! これは生物学的な……」
「では、第三王子殿下が禁忌の召喚術を!?」
「だから違うと……」
その時、フィルミナの意識が、深い場所へと沈んでいった。
精神の深淵で、フィルミナは再び「母体」と対面していた。
しかし、以前とは違っていた。母体の姿が、より鮮明に見えた。それは巨大なスライムでありながら、その内部に無数の記憶と意識が渦巻いている、生きた図書館のような存在だった。その存在から放たれる圧倒的な知識の香り——古い羊皮紙とインク、そして時間そのものの匂いが、フィルミナの意識を包み込んだ。
『よく来た、我が末裔よ』
母体の声は、慈愛に満ちていた。その声は、百の母親が同時に語りかけてくるような、深い愛情と温かさに満ちていた。
『ついに、その時が来た』
「その時……?」
『三百年前、我々は選択を迫られた』
母体の内部に、映像が浮かび上がった。古代の研究施設、白衣を着た人々、そして……変化していく人間たち。映像と共に、その時代の空気——機械油と薬品の匂い、希望と絶望が入り混じった感情が、生々しく伝わってきた。
『人類の一部は、進化を選んだ。肉体を捨て、新しい生命体になることを』
フィルミナは息を呑んだ。
「まさか……スライムは……」
『そう、我々は失敗作ではなかった。人間が、自ら選んだ進化の形だったのだ』
母体の記憶が、フィルミナの中に流れ込んできた。
三百年前の真実が、走馬灯のように展開される。疫病、戦争、環境破壊──行き詰まった人類の一部が、生存のために選んだ究極の選択。肉体を液体に変え、個を保ちながら全と繋がる、新しい生命の形。
その変化の瞬間の感覚まで伝わってきた。固体から液体への変化は、まるで温かい水に溶けていくような心地よさと、自分という境界が曖昧になる恐怖が同時に存在していた。
『しかし、時と共に、我々は個を忘れた。意識は溶け合い、ただの原始的な生命体となり果てた』
母体の声に、深い悲しみが宿っていた。
『だが、お前は違う。人間と共に育ち、愛を知り、個でありながら種と繋がることができる』
フィルミナの前に、選択が示された。
『選べ、フィルミナ。個として人間と共に生きるか、種の意志となって全てを導くか』
その瞬間、レオンの声が、精神の奥底まで響いてきた。
「フィルミナ! 君を信じている! どんな選択をしても、俺は君の側にいる!」
フィルミナは、目を閉じた。
そして、静かに、しかし確固たる意志を持って宣言した。
「私は選ぶ。両方を」
母体が震えた。それは驚きか、それとも歓喜か。
「私は個として、レオンと共に生きる。でも同時に、全てのスライムと繋がり、導いていく」
『それは、最も困難な道だ』
「知っています。でも、それが私の選択です」
フィルミナの体が、さらに強く輝いた。そして、その光は研究室の窓を突き破り、巨大な光の柱となって天に昇った。
帝都中の人々が、その光景を目撃した。まるで神話の一場面のような、荘厳な光の柱。そこには恐怖よりも、畏敬と希望が宿っていた。光の柱からは、微かに音楽のような響きが聞こえ、それは聞く者の心に直接響いてくるような、不思議な調べだった。
「見ろ! 第三王子が天に向かって何か撃っている!」
市民の一人が叫んだ。
「いや、あれは神への宣戦布告だ!」
「違う、きっと他国への威嚇射撃だ!」
様々な憶測が飛び交う中、レオンは必死にフィルミナを支えていた。
(なぜ、僕の純粋な研究が、こんな大事に……)
ヴァレンタスは、城の最上階から光の柱を見上げていた。
「もはや、止められない」
彼の声には、諦めと、わずかな期待が混じっていた。
「これが新しい時代の幕開けか」
皇帝陛下も、玉座から立ち上がり、窓辺に歩み寄った。
「準備を始めよう」
側近が驚いて振り返った。
「準備、ですか?」
「歴史的な宣言の準備だ。人類とスライムの、新たな共生の時代を告げる」
皇帝の目には、確信が宿っていた。もうこの流れは止められない。ならば、それを導くのが為政者の役目だと。
「それと、レオンに伝えよ。『研究成果を軍事転用する気はないか』と」
「陛下、まさか……」
「冗談だ。あの子に、そんな野心はあるまい」
生命解放団のアジトでも、騒然としていた。
「あの光は……最終段階か?」
リーダーが呟いた。しかし、その声には以前のような狂信的な響きはなかった。
「いや、違う。これは……始まりだ」
団員の一人が、涙を流しながら光を見上げていた。
「美しい……これが、本当の共生なのか」
別の団員が叫んだ。
「でも、これは第三王子の陰謀かもしれない! 帝国支配の第一歩だ!」
「いや、きっと愛の力だ」
「何を馬鹿なことを……」
議論は尽きなかった。
東方連合の使節団も、宿舎から光の柱を見つめていた。
「想像以上だ」
使節団長が息を呑んだ。
「これは、もはや技術の問題ではない。哲学の、いや存在そのものの問題だ」
「我が国への軍事的脅威となり得ますな」
副使が進言した。
「いや、これを味方につければ……」
光が収まり始めた時、フィルミナの体に劇的な変化が起きた。
透明だった体が、人間とほぼ同じ形になっていた。顔立ちもより鮮明になり、髪のような構造も形成されていた。しかし、その全てが半透明の、光を宿した物質でできていた。触れると、まるで生きた水晶のような感触があり、微かに脈動していた。彼女の瞳は、深い海の底のような青から、時折虹色に変化し、見る者を魅了した。
美しく、神秘的で、人間でもスライムでもない、新しい存在。
「フィルミナ……」
レオンが、恐る恐る手を伸ばした。今度は、光の圧力はなかった。彼の手が、フィルミナの頬に触れた。
温かかった。人間と同じ体温があった。そして、その肌は絹のように滑らかで、触れた瞬間、二人の心が直接繋がったような感覚が生まれた。
「レオン……私、感じる」
フィルミナの声が、現実の声として響いた。その声には、以前にはなかった深みと、無数の存在と繋がっている者特有の重層的な響きがあった。
「帝都中の、いえ、もっと遠くのスライムたちとも繋がっている。でも、私は私のまま」
シグレが震える声で言った。
「これは……新種の生命体の誕生だ。いや、もしかすると、人類の次なる進化の形かもしれない」
エルヴィーラが興奮して叫んだ。
「第三王子殿下は、新人類を創造したのですか!?」
レオンは頭を抱えた。
「違う、これは偶然の産物で……」
研究室の扉が勢いよく開かれた。
そこには、旅装束に身を包んだ若い女性が立っていた。カドリア王国の紋章を身に着けている。彼女からは、異国の香水——薔薇と香辛料が混じった複雑な香りが漂っていた。
「初めまして、レオン様、フィルミナ様」
彼女は優雅に一礼した。
「カドリア王国第二王女、アリシアと申します」
レオンは困惑した。まさか、こんなタイミングで。
アリシアは、フィルミナを見て、一瞬息を呑んだ。しかし、すぐに理性的な表情を取り戻した。
「驚きました。報告とは全く違う」
「報告?」
「はい。スライムを兵器化したとか、人類置換計画とか」
アリシアは苦笑した。
「でも、これは……もっと素晴らしい何かですね」
彼女は一歩前に出た。
「もしかして、愛の力で進化を遂げたのですか?」
レオンとフィルミナは同時に顔を赤らめた。
「そ、そんなわけでは……」
「愛……? それは、どういう……」
二人の反応を見て、アリシアは確信した。
(なるほど、これは政治的野心ではなく、本当に純粋な研究と……感情の産物なのね)
リヴィエルが、お茶を用意しながら口を開いた。
「申し訳ございませんが、王女様がいらした目的は……」
「ああ、それは」
アリシアが振り返ろうとした時、また新たな来訪者の声が響いた。
「緊急報告!」
帝国軍の伝令が飛び込んできた。汗だくで、鎧が激しく鳴っている。
「古代遺跡から、謎の信号が発信されています!」
シグレが機器を確認した。確かに、強力な魔力反応が記録されていた。測定器の針が激しく振れ、まるで地震計のようだった。
「場所は?」
「帝都から北東に三日の距離です。そして……」
伝令は息を整えた。
「信号は、明らかに言語のパターンを持っています。まるで、誰かがメッセージを送っているような」
フィルミナが、はっとした表情を見せた。彼女の体が微かに震え、内部の光が脈動した。
「聞こえる……『同胞よ、目覚めの時が来た』」
全員が、フィルミナを見つめた。
「まさか、第二の覚醒個体が!?」
シグレが驚愕した。
「となると、帝国は二体の超存在を手に入れることに……」
ガイウスが呟いた。
「これで軍事バランスは完全に帝国優位に……」
レオンは深く、深くため息をついた。
(僕はただ、スライムの生態を研究したかっただけなのに……)
新たな謎が、彼らの前に立ち現れていた。第二の覚醒は終わったが、それは更なる冒険の始まりを告げていた。
そして、その冒険もきっと、壮大な誤解と勘違いに満ちたものになるだろう。
フィルミナの体が、太陽のような輝きを放ち始めていた。その光は青白く、脈動するように強弱を繰り返し、まるで巨大な心臓の鼓動のようだった。光と共に、甘い花の香りが部屋中に広がり、まるで春の花園に迷い込んだかのような錯覚を覚えた。光が肌に触れると、温かい絹のような感触があり、全身が優しく包まれているような安心感が生まれた。
「フィルミナ!」
隣室で仮眠を取っていたレオンが、光に気づいて飛び込んできた。眩しさに目を細めながらも、必死にフィルミナに近づこうとする。
しかし、彼女の体から放たれる光の圧力が、物理的な壁となって立ちはだかった。熱はないが、まるで柔らかい綿に押し返されるような不思議な感触で、触れることすらできない。
「レオン……」
フィルミナの声が、かすかに聞こえた。しかし、それは現実の声ではなく、精神の中に直接響いてくる声だった。その声には、鈴の音のような清らかさと、深い海の底から響くような重厚さが同時に存在していた。
「私の中で、何かが……目覚めようとしている」
その瞬間、帝都中のスライムが動き始めた。
城下町では、パニックが広がっていた。
民家の軒下で飼われていた観賞用スライム、下水道に潜んでいた野生のスライム、商人が運んでいた荷物の中に紛れ込んでいたスライム──ありとあらゆるスライムが、一斉に研究室のある方角へと向かって移動を始めたのだ。
「侵略だ! スライムの大軍が攻めてくる!」
夜警の一人が、恐慌状態で叫んだ。
「光の姫が、ついに帝国を乗っ取るつもりだ!」
別の市民が続けた。
「いや、これは第三王子殿下の軍事演習だ! 夜間奇襲訓練に違いない!」
さらに別の声が上がる。
「まさか、ユリオス殿下との継承権争いが、ついに表面化したのか!?」
しかし、スライムたちは誰も襲わなかった。ただ、整然と、まるで見えない糸に引かれるように、研究室へと向かっていく。その様子は、不気味でありながら、どこか荘厳でもあった。石畳を這うスライムたちの音は、まるで静かな雨音のようで、夜の静寂に奇妙な調和をもたらしていた。
リヴィエルは、研究室の窓から外を見下ろしていた。月明かりに照らされた通りを、無数のスライムが流れるように進んでいく光景は、幻想的ですらあった。
「これは……」
彼女は振り返り、光に包まれたフィルミナを見た。
「フィルミナ様が、全てを呼んでいる。まさか、帝国統一の第一歩?」
彼女は首を振った。
「いえ、坊ちゃまにそんな野心はないはず……でも、世間はそうは見ないでしょうね」
シグレは観測機器の前で、信じられないような数値を見つめていた。
「共鳴周波数が、理論値を超えている……」
彼女の手は震えていた。科学者としての興奮と、未知への恐怖が入り混じっていた。手に汗がにじみ、ペンを持つ指が滑る。
「これは、個体としての覚醒じゃない。種全体に影響を与える、何か根源的な変化が起きている」
プリマも、フィルミナのすぐ傍で、同じように光り輝いていた。二体の光が共鳴し、螺旋を描きながら天井へと伸びていく。その光の渦は、まるで二匹の龍が天に昇るような壮大な光景だった。
ガイウスが慌てて飛び込んできた。
「シグレ先生! これは新型魔法兵器の暴走ですか!?」
「違います! これは生物学的な……」
「では、第三王子殿下が禁忌の召喚術を!?」
「だから違うと……」
その時、フィルミナの意識が、深い場所へと沈んでいった。
精神の深淵で、フィルミナは再び「母体」と対面していた。
しかし、以前とは違っていた。母体の姿が、より鮮明に見えた。それは巨大なスライムでありながら、その内部に無数の記憶と意識が渦巻いている、生きた図書館のような存在だった。その存在から放たれる圧倒的な知識の香り——古い羊皮紙とインク、そして時間そのものの匂いが、フィルミナの意識を包み込んだ。
『よく来た、我が末裔よ』
母体の声は、慈愛に満ちていた。その声は、百の母親が同時に語りかけてくるような、深い愛情と温かさに満ちていた。
『ついに、その時が来た』
「その時……?」
『三百年前、我々は選択を迫られた』
母体の内部に、映像が浮かび上がった。古代の研究施設、白衣を着た人々、そして……変化していく人間たち。映像と共に、その時代の空気——機械油と薬品の匂い、希望と絶望が入り混じった感情が、生々しく伝わってきた。
『人類の一部は、進化を選んだ。肉体を捨て、新しい生命体になることを』
フィルミナは息を呑んだ。
「まさか……スライムは……」
『そう、我々は失敗作ではなかった。人間が、自ら選んだ進化の形だったのだ』
母体の記憶が、フィルミナの中に流れ込んできた。
三百年前の真実が、走馬灯のように展開される。疫病、戦争、環境破壊──行き詰まった人類の一部が、生存のために選んだ究極の選択。肉体を液体に変え、個を保ちながら全と繋がる、新しい生命の形。
その変化の瞬間の感覚まで伝わってきた。固体から液体への変化は、まるで温かい水に溶けていくような心地よさと、自分という境界が曖昧になる恐怖が同時に存在していた。
『しかし、時と共に、我々は個を忘れた。意識は溶け合い、ただの原始的な生命体となり果てた』
母体の声に、深い悲しみが宿っていた。
『だが、お前は違う。人間と共に育ち、愛を知り、個でありながら種と繋がることができる』
フィルミナの前に、選択が示された。
『選べ、フィルミナ。個として人間と共に生きるか、種の意志となって全てを導くか』
その瞬間、レオンの声が、精神の奥底まで響いてきた。
「フィルミナ! 君を信じている! どんな選択をしても、俺は君の側にいる!」
フィルミナは、目を閉じた。
そして、静かに、しかし確固たる意志を持って宣言した。
「私は選ぶ。両方を」
母体が震えた。それは驚きか、それとも歓喜か。
「私は個として、レオンと共に生きる。でも同時に、全てのスライムと繋がり、導いていく」
『それは、最も困難な道だ』
「知っています。でも、それが私の選択です」
フィルミナの体が、さらに強く輝いた。そして、その光は研究室の窓を突き破り、巨大な光の柱となって天に昇った。
帝都中の人々が、その光景を目撃した。まるで神話の一場面のような、荘厳な光の柱。そこには恐怖よりも、畏敬と希望が宿っていた。光の柱からは、微かに音楽のような響きが聞こえ、それは聞く者の心に直接響いてくるような、不思議な調べだった。
「見ろ! 第三王子が天に向かって何か撃っている!」
市民の一人が叫んだ。
「いや、あれは神への宣戦布告だ!」
「違う、きっと他国への威嚇射撃だ!」
様々な憶測が飛び交う中、レオンは必死にフィルミナを支えていた。
(なぜ、僕の純粋な研究が、こんな大事に……)
ヴァレンタスは、城の最上階から光の柱を見上げていた。
「もはや、止められない」
彼の声には、諦めと、わずかな期待が混じっていた。
「これが新しい時代の幕開けか」
皇帝陛下も、玉座から立ち上がり、窓辺に歩み寄った。
「準備を始めよう」
側近が驚いて振り返った。
「準備、ですか?」
「歴史的な宣言の準備だ。人類とスライムの、新たな共生の時代を告げる」
皇帝の目には、確信が宿っていた。もうこの流れは止められない。ならば、それを導くのが為政者の役目だと。
「それと、レオンに伝えよ。『研究成果を軍事転用する気はないか』と」
「陛下、まさか……」
「冗談だ。あの子に、そんな野心はあるまい」
生命解放団のアジトでも、騒然としていた。
「あの光は……最終段階か?」
リーダーが呟いた。しかし、その声には以前のような狂信的な響きはなかった。
「いや、違う。これは……始まりだ」
団員の一人が、涙を流しながら光を見上げていた。
「美しい……これが、本当の共生なのか」
別の団員が叫んだ。
「でも、これは第三王子の陰謀かもしれない! 帝国支配の第一歩だ!」
「いや、きっと愛の力だ」
「何を馬鹿なことを……」
議論は尽きなかった。
東方連合の使節団も、宿舎から光の柱を見つめていた。
「想像以上だ」
使節団長が息を呑んだ。
「これは、もはや技術の問題ではない。哲学の、いや存在そのものの問題だ」
「我が国への軍事的脅威となり得ますな」
副使が進言した。
「いや、これを味方につければ……」
光が収まり始めた時、フィルミナの体に劇的な変化が起きた。
透明だった体が、人間とほぼ同じ形になっていた。顔立ちもより鮮明になり、髪のような構造も形成されていた。しかし、その全てが半透明の、光を宿した物質でできていた。触れると、まるで生きた水晶のような感触があり、微かに脈動していた。彼女の瞳は、深い海の底のような青から、時折虹色に変化し、見る者を魅了した。
美しく、神秘的で、人間でもスライムでもない、新しい存在。
「フィルミナ……」
レオンが、恐る恐る手を伸ばした。今度は、光の圧力はなかった。彼の手が、フィルミナの頬に触れた。
温かかった。人間と同じ体温があった。そして、その肌は絹のように滑らかで、触れた瞬間、二人の心が直接繋がったような感覚が生まれた。
「レオン……私、感じる」
フィルミナの声が、現実の声として響いた。その声には、以前にはなかった深みと、無数の存在と繋がっている者特有の重層的な響きがあった。
「帝都中の、いえ、もっと遠くのスライムたちとも繋がっている。でも、私は私のまま」
シグレが震える声で言った。
「これは……新種の生命体の誕生だ。いや、もしかすると、人類の次なる進化の形かもしれない」
エルヴィーラが興奮して叫んだ。
「第三王子殿下は、新人類を創造したのですか!?」
レオンは頭を抱えた。
「違う、これは偶然の産物で……」
研究室の扉が勢いよく開かれた。
そこには、旅装束に身を包んだ若い女性が立っていた。カドリア王国の紋章を身に着けている。彼女からは、異国の香水——薔薇と香辛料が混じった複雑な香りが漂っていた。
「初めまして、レオン様、フィルミナ様」
彼女は優雅に一礼した。
「カドリア王国第二王女、アリシアと申します」
レオンは困惑した。まさか、こんなタイミングで。
アリシアは、フィルミナを見て、一瞬息を呑んだ。しかし、すぐに理性的な表情を取り戻した。
「驚きました。報告とは全く違う」
「報告?」
「はい。スライムを兵器化したとか、人類置換計画とか」
アリシアは苦笑した。
「でも、これは……もっと素晴らしい何かですね」
彼女は一歩前に出た。
「もしかして、愛の力で進化を遂げたのですか?」
レオンとフィルミナは同時に顔を赤らめた。
「そ、そんなわけでは……」
「愛……? それは、どういう……」
二人の反応を見て、アリシアは確信した。
(なるほど、これは政治的野心ではなく、本当に純粋な研究と……感情の産物なのね)
リヴィエルが、お茶を用意しながら口を開いた。
「申し訳ございませんが、王女様がいらした目的は……」
「ああ、それは」
アリシアが振り返ろうとした時、また新たな来訪者の声が響いた。
「緊急報告!」
帝国軍の伝令が飛び込んできた。汗だくで、鎧が激しく鳴っている。
「古代遺跡から、謎の信号が発信されています!」
シグレが機器を確認した。確かに、強力な魔力反応が記録されていた。測定器の針が激しく振れ、まるで地震計のようだった。
「場所は?」
「帝都から北東に三日の距離です。そして……」
伝令は息を整えた。
「信号は、明らかに言語のパターンを持っています。まるで、誰かがメッセージを送っているような」
フィルミナが、はっとした表情を見せた。彼女の体が微かに震え、内部の光が脈動した。
「聞こえる……『同胞よ、目覚めの時が来た』」
全員が、フィルミナを見つめた。
「まさか、第二の覚醒個体が!?」
シグレが驚愕した。
「となると、帝国は二体の超存在を手に入れることに……」
ガイウスが呟いた。
「これで軍事バランスは完全に帝国優位に……」
レオンは深く、深くため息をついた。
(僕はただ、スライムの生態を研究したかっただけなのに……)
新たな謎が、彼らの前に立ち現れていた。第二の覚醒は終わったが、それは更なる冒険の始まりを告げていた。
そして、その冒険もきっと、壮大な誤解と勘違いに満ちたものになるだろう。
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気がつくと、俺は森の中に立っていた。目の前には実体化した女神がいて、ここがステータスやスキルの存在する異世界だと告げてくる。女神は俺に特典として【鑑定】と、魔物の『ドロップ急所』が見える眼を与えて消えた。 この世界では、魔物は倒した際に稀にアイテムやスキルを落とす。俺の眼には、魔物の体に赤い光の点が見えた。そこを攻撃して倒せば、【鑑定】で表示されたレアアイテムが確実に手に入るのだ。 俺は実験のために、森でオークに襲われているエルフの少女を見つける。オークのドロップリストには『剛力の腕輪(攻撃力+500)』があった。俺はエルフを助けるというよりも、その腕輪が欲しくてオークの急所を剣で貫く。 オークは光となって消え、俺の手には強力な腕輪が残った。 腰を抜かしていたエルフの少女、リーナは俺の圧倒的な一撃と、伝説級の装備を平然と手に入れる姿を見て、俺に同行を申し出る。 俺は効率よく強くなるために、彼女を前衛の盾役として採用した。 こうして、欲しいドロップ品を狙って魔物を狩り続ける、俺の異世界冒険が始まる。
12/23 HOT男性向け1位
転生辺境の雑用兵、知らぬ間に世界最強になっていた件 〜追放されたけど美女たちに囲まれて安寧生活〜
eringi
ファンタジー
辺境軍の雑用兵として転生した青年・レオン。異世界に転生したのに、剣も魔法も地味でパッとしない日々。ところが彼の“地味な努力”が、実は世界の理をゆるがすほどの能力だと気づく者が次々と現れる。貴族令嬢、魔族の姫、神官少女──気づけばハーレム状態に。追放された元仲間が破滅していく流れの中、本人だけは「俺、そんな強いかな?」と首をかしげる。無自覚最強×ざまぁ×追放後スローライフ×英雄伝説が交錯する、異世界逆転ストーリー。
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