転生王子はスライムを育てたい ~最弱モンスターが世界を変える科学的飼育法~

宵町あかり

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第23話 第二の覚醒

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 深夜、静寂に包まれていた研究室に、突如として激しい光が満ちた。

 フィルミナの体が、太陽のような輝きを放ち始めていた。その光は青白く、脈動するように強弱を繰り返し、まるで巨大な心臓の鼓動のようだった。光と共に、甘い花の香りが部屋中に広がり、まるで春の花園に迷い込んだかのような錯覚を覚えた。光が肌に触れると、温かい絹のような感触があり、全身が優しく包まれているような安心感が生まれた。

「フィルミナ!」

 隣室で仮眠を取っていたレオンが、光に気づいて飛び込んできた。眩しさに目を細めながらも、必死にフィルミナに近づこうとする。

 しかし、彼女の体から放たれる光の圧力が、物理的な壁となって立ちはだかった。熱はないが、まるで柔らかい綿に押し返されるような不思議な感触で、触れることすらできない。

「レオン……」

 フィルミナの声が、かすかに聞こえた。しかし、それは現実の声ではなく、精神の中に直接響いてくる声だった。その声には、鈴の音のような清らかさと、深い海の底から響くような重厚さが同時に存在していた。

「私の中で、何かが……目覚めようとしている」

 その瞬間、帝都中のスライムが動き始めた。

 城下町では、パニックが広がっていた。

 民家の軒下で飼われていた観賞用スライム、下水道に潜んでいた野生のスライム、商人が運んでいた荷物の中に紛れ込んでいたスライム──ありとあらゆるスライムが、一斉に研究室のある方角へと向かって移動を始めたのだ。

「侵略だ! スライムの大軍が攻めてくる!」

 夜警の一人が、恐慌状態で叫んだ。

「光の姫が、ついに帝国を乗っ取るつもりだ!」

 別の市民が続けた。

「いや、これは第三王子殿下の軍事演習だ! 夜間奇襲訓練に違いない!」

 さらに別の声が上がる。

「まさか、ユリオス殿下との継承権争いが、ついに表面化したのか!?」

 しかし、スライムたちは誰も襲わなかった。ただ、整然と、まるで見えない糸に引かれるように、研究室へと向かっていく。その様子は、不気味でありながら、どこか荘厳でもあった。石畳を這うスライムたちの音は、まるで静かな雨音のようで、夜の静寂に奇妙な調和をもたらしていた。

 リヴィエルは、研究室の窓から外を見下ろしていた。月明かりに照らされた通りを、無数のスライムが流れるように進んでいく光景は、幻想的ですらあった。

「これは……」

 彼女は振り返り、光に包まれたフィルミナを見た。

「フィルミナ様が、全てを呼んでいる。まさか、帝国統一の第一歩?」

 彼女は首を振った。

「いえ、坊ちゃまにそんな野心はないはず……でも、世間はそうは見ないでしょうね」

 シグレは観測機器の前で、信じられないような数値を見つめていた。

「共鳴周波数が、理論値を超えている……」

 彼女の手は震えていた。科学者としての興奮と、未知への恐怖が入り混じっていた。手に汗がにじみ、ペンを持つ指が滑る。

「これは、個体としての覚醒じゃない。種全体に影響を与える、何か根源的な変化が起きている」

 プリマも、フィルミナのすぐ傍で、同じように光り輝いていた。二体の光が共鳴し、螺旋を描きながら天井へと伸びていく。その光の渦は、まるで二匹の龍が天に昇るような壮大な光景だった。

 ガイウスが慌てて飛び込んできた。

「シグレ先生! これは新型魔法兵器の暴走ですか!?」

「違います! これは生物学的な……」

「では、第三王子殿下が禁忌の召喚術を!?」

「だから違うと……」

 その時、フィルミナの意識が、深い場所へと沈んでいった。

 精神の深淵で、フィルミナは再び「母体」と対面していた。

 しかし、以前とは違っていた。母体の姿が、より鮮明に見えた。それは巨大なスライムでありながら、その内部に無数の記憶と意識が渦巻いている、生きた図書館のような存在だった。その存在から放たれる圧倒的な知識の香り——古い羊皮紙とインク、そして時間そのものの匂いが、フィルミナの意識を包み込んだ。

『よく来た、我が末裔よ』

 母体の声は、慈愛に満ちていた。その声は、百の母親が同時に語りかけてくるような、深い愛情と温かさに満ちていた。

『ついに、その時が来た』

「その時……?」

『三百年前、我々は選択を迫られた』

 母体の内部に、映像が浮かび上がった。古代の研究施設、白衣を着た人々、そして……変化していく人間たち。映像と共に、その時代の空気——機械油と薬品の匂い、希望と絶望が入り混じった感情が、生々しく伝わってきた。

『人類の一部は、進化を選んだ。肉体を捨て、新しい生命体になることを』

 フィルミナは息を呑んだ。

「まさか……スライムは……」

『そう、我々は失敗作ではなかった。人間が、自ら選んだ進化の形だったのだ』

 母体の記憶が、フィルミナの中に流れ込んできた。

 三百年前の真実が、走馬灯のように展開される。疫病、戦争、環境破壊──行き詰まった人類の一部が、生存のために選んだ究極の選択。肉体を液体に変え、個を保ちながら全と繋がる、新しい生命の形。

 その変化の瞬間の感覚まで伝わってきた。固体から液体への変化は、まるで温かい水に溶けていくような心地よさと、自分という境界が曖昧になる恐怖が同時に存在していた。

『しかし、時と共に、我々は個を忘れた。意識は溶け合い、ただの原始的な生命体となり果てた』

 母体の声に、深い悲しみが宿っていた。

『だが、お前は違う。人間と共に育ち、愛を知り、個でありながら種と繋がることができる』

 フィルミナの前に、選択が示された。

『選べ、フィルミナ。個として人間と共に生きるか、種の意志となって全てを導くか』

 その瞬間、レオンの声が、精神の奥底まで響いてきた。

「フィルミナ! 君を信じている! どんな選択をしても、俺は君の側にいる!」

 フィルミナは、目を閉じた。

 そして、静かに、しかし確固たる意志を持って宣言した。

「私は選ぶ。両方を」

 母体が震えた。それは驚きか、それとも歓喜か。

「私は個として、レオンと共に生きる。でも同時に、全てのスライムと繋がり、導いていく」

『それは、最も困難な道だ』

「知っています。でも、それが私の選択です」

 フィルミナの体が、さらに強く輝いた。そして、その光は研究室の窓を突き破り、巨大な光の柱となって天に昇った。

 帝都中の人々が、その光景を目撃した。まるで神話の一場面のような、荘厳な光の柱。そこには恐怖よりも、畏敬と希望が宿っていた。光の柱からは、微かに音楽のような響きが聞こえ、それは聞く者の心に直接響いてくるような、不思議な調べだった。

「見ろ! 第三王子が天に向かって何か撃っている!」

 市民の一人が叫んだ。

「いや、あれは神への宣戦布告だ!」

「違う、きっと他国への威嚇射撃だ!」

 様々な憶測が飛び交う中、レオンは必死にフィルミナを支えていた。

(なぜ、僕の純粋な研究が、こんな大事に……)

 ヴァレンタスは、城の最上階から光の柱を見上げていた。

「もはや、止められない」

 彼の声には、諦めと、わずかな期待が混じっていた。

「これが新しい時代の幕開けか」

 皇帝陛下も、玉座から立ち上がり、窓辺に歩み寄った。

「準備を始めよう」

 側近が驚いて振り返った。

「準備、ですか?」

「歴史的な宣言の準備だ。人類とスライムの、新たな共生の時代を告げる」

 皇帝の目には、確信が宿っていた。もうこの流れは止められない。ならば、それを導くのが為政者の役目だと。

「それと、レオンに伝えよ。『研究成果を軍事転用する気はないか』と」

「陛下、まさか……」

「冗談だ。あの子に、そんな野心はあるまい」

 生命解放団のアジトでも、騒然としていた。

「あの光は……最終段階か?」

 リーダーが呟いた。しかし、その声には以前のような狂信的な響きはなかった。

「いや、違う。これは……始まりだ」

 団員の一人が、涙を流しながら光を見上げていた。

「美しい……これが、本当の共生なのか」

 別の団員が叫んだ。

「でも、これは第三王子の陰謀かもしれない! 帝国支配の第一歩だ!」

「いや、きっと愛の力だ」

「何を馬鹿なことを……」

 議論は尽きなかった。

 東方連合の使節団も、宿舎から光の柱を見つめていた。

「想像以上だ」

 使節団長が息を呑んだ。

「これは、もはや技術の問題ではない。哲学の、いや存在そのものの問題だ」

「我が国への軍事的脅威となり得ますな」

 副使が進言した。

「いや、これを味方につければ……」

 光が収まり始めた時、フィルミナの体に劇的な変化が起きた。

 透明だった体が、人間とほぼ同じ形になっていた。顔立ちもより鮮明になり、髪のような構造も形成されていた。しかし、その全てが半透明の、光を宿した物質でできていた。触れると、まるで生きた水晶のような感触があり、微かに脈動していた。彼女の瞳は、深い海の底のような青から、時折虹色に変化し、見る者を魅了した。

 美しく、神秘的で、人間でもスライムでもない、新しい存在。

「フィルミナ……」

 レオンが、恐る恐る手を伸ばした。今度は、光の圧力はなかった。彼の手が、フィルミナの頬に触れた。

 温かかった。人間と同じ体温があった。そして、その肌は絹のように滑らかで、触れた瞬間、二人の心が直接繋がったような感覚が生まれた。

「レオン……私、感じる」

 フィルミナの声が、現実の声として響いた。その声には、以前にはなかった深みと、無数の存在と繋がっている者特有の重層的な響きがあった。

「帝都中の、いえ、もっと遠くのスライムたちとも繋がっている。でも、私は私のまま」

 シグレが震える声で言った。

「これは……新種の生命体の誕生だ。いや、もしかすると、人類の次なる進化の形かもしれない」

 エルヴィーラが興奮して叫んだ。

「第三王子殿下は、新人類を創造したのですか!?」

 レオンは頭を抱えた。

「違う、これは偶然の産物で……」

 研究室の扉が勢いよく開かれた。

 そこには、旅装束に身を包んだ若い女性が立っていた。カドリア王国の紋章を身に着けている。彼女からは、異国の香水——薔薇と香辛料が混じった複雑な香りが漂っていた。

「初めまして、レオン様、フィルミナ様」

 彼女は優雅に一礼した。

「カドリア王国第二王女、アリシアと申します」

 レオンは困惑した。まさか、こんなタイミングで。

 アリシアは、フィルミナを見て、一瞬息を呑んだ。しかし、すぐに理性的な表情を取り戻した。

「驚きました。報告とは全く違う」

「報告?」

「はい。スライムを兵器化したとか、人類置換計画とか」

 アリシアは苦笑した。

「でも、これは……もっと素晴らしい何かですね」

 彼女は一歩前に出た。

「もしかして、愛の力で進化を遂げたのですか?」

 レオンとフィルミナは同時に顔を赤らめた。

「そ、そんなわけでは……」

「愛……? それは、どういう……」

 二人の反応を見て、アリシアは確信した。

(なるほど、これは政治的野心ではなく、本当に純粋な研究と……感情の産物なのね)

 リヴィエルが、お茶を用意しながら口を開いた。

「申し訳ございませんが、王女様がいらした目的は……」

「ああ、それは」

 アリシアが振り返ろうとした時、また新たな来訪者の声が響いた。

「緊急報告!」

 帝国軍の伝令が飛び込んできた。汗だくで、鎧が激しく鳴っている。

「古代遺跡から、謎の信号が発信されています!」

 シグレが機器を確認した。確かに、強力な魔力反応が記録されていた。測定器の針が激しく振れ、まるで地震計のようだった。

「場所は?」

「帝都から北東に三日の距離です。そして……」

 伝令は息を整えた。

「信号は、明らかに言語のパターンを持っています。まるで、誰かがメッセージを送っているような」

 フィルミナが、はっとした表情を見せた。彼女の体が微かに震え、内部の光が脈動した。

「聞こえる……『同胞よ、目覚めの時が来た』」

 全員が、フィルミナを見つめた。

「まさか、第二の覚醒個体が!?」

 シグレが驚愕した。

「となると、帝国は二体の超存在を手に入れることに……」

 ガイウスが呟いた。

「これで軍事バランスは完全に帝国優位に……」

 レオンは深く、深くため息をついた。

(僕はただ、スライムの生態を研究したかっただけなのに……)

 新たな謎が、彼らの前に立ち現れていた。第二の覚醒は終わったが、それは更なる冒険の始まりを告げていた。

 そして、その冒険もきっと、壮大な誤解と勘違いに満ちたものになるだろう。
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