転生王子はスライムを育てたい ~最弱モンスターが世界を変える科学的飼育法~

宵町あかり

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第39話 凍てつく大地

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 馬車が止まった。レオンは外に降り立つ。

 瞬間、肺を突き刺すような冷気が体を包んだ。

「これは...予想以上だな」

 吐く息が白く凍る。目の前に広がるのは白一色の世界で、氷の大地が地平線まで続いている。風が咆哮するように吹き抜け、耳を劈く音と肌を刺す寒さが襲ってくる。

 レオンは懐から温度計を取り出した。

「氷点下30度...記憶保存に最適な環境だ」

 科学者の目で環境を分析する。湿度、風速、気圧——全てを記録していく。

 プリマが肩の上で震えた。

「とても近い...この先に」

 虹色の体が激しく明滅している。フィルミナとテラも同じことを感じていた。

「強い共鳴...」

「...記憶が、蘇りそう」

 リヴィエルがレオンの隣に立ち、剣を抜いて警戒態勢を取る。

「レオン様、気をつけて」

 その声には心配が滲んでいた。護衛としての責任と——もう一つの、言葉にできない想い。

 マリーナが雪を触っていた。

「冷たい~、でもキレイ~」

 天然の発言に周囲が苦笑する。

 レオンは氷原を見渡した。風が巻き上げる雪、きらめく氷の結晶、遠くに見える氷の山脈——凍てつく美しさが、自然の作り出す完璧な造形として広がっている。

「こんな環境で、何が待っているんだろう」

 科学者の好奇心が疼いた。

 氷原の奥で、レオンたちは巨大な氷像群を発見した。

「これは...」

 レオンの目が驚きに見開かれる。人間のような形をした氷像が数十体、まるで時が止まったかのように立ち尽くしている。

「古代の彫刻...? いや」

 レオンは近づいて観察を始めた。温度計を当てて表面温度を測定する。

「通常より10度低い...局所的な冷却が行われている」

 次に虫眼鏡で結晶構造を確認すると、六角形の配列が完璧に整っている。

「この規則性...自然凍結ではあり得ない」

 魔力探知器を使うと微弱な反応が検出された。

「魔力が...保存されている?」

 レオンの頭の中で仮説が構築される。急速冷凍による完全保存——前世の知識で言えば、クライオニクス、冷凍保存技術の魔法版だ。

 プリマが氷像に反応した。

「この中に...何かいます」

 テラが震える声で呟く。

「...記憶が、蘇る」

 300年前の光景が脳裏をよぎる。レオンは仮説を口にした。

「もしかして、これは記憶検出反応の応用か?」

 その瞬間、護衛の兵士が色めき立った。

「殿下、これは古代兵器の起動コードでは!」

「まさか...伝説の兵器が眠っているのか」

 勘違いが始まった。フィルミナが心配そうにレオンを見る。

「レオン様、近づきすぎです」

 だが、レオンの関心は別のところにあった。

 その時だった。レオンが微弱な気配を感じ取った。氷像の奥から——

「これは...」

 レオンの心が躍る。科学者の本能がそう告げていた。

「新種のスライム個体の気配だ!」

 前世の記憶が一気に蘇った。清潔な実験室、顕微鏡を覗く日々、培養液の中で育つ細胞——でも、それだけじゃなかった。失敗の記憶も蘇る。培養技術の限界、保存方法の模索、何度も何度も試した実験。

 でも——届かなかった命たちがいた。

 難病の少女。彼女の細胞を培養し、治療法を探していた。でも、間に合わなかった。保存技術が未熟すぎた。あの時の無力感、悔しさ、自分の知識の限界——胸が締め付けられる。

 でも、今は違う。魔法という新たな手段がある。前世では不可能だったことが、できるかもしれない。

「完全保存された標本として研究できる!」

 興奮が体を駆け抜けた。これは千載一遇のチャンスだ。失われる記憶を救い、大切な想いを未来に残せる——それが科学者としての使命だ。

 レオンは研究ノートを開いた。手が震えている。興奮じゃない——これはやり直せるかもしれないという希望と、あの時救えなかった命たちへの贖罪だ。

 ペンを走らせ、仮説を書き連ねる。

『仮説:氷点下での魔力固定による生体保存』

『解凍方法:段階的温度上昇+魔力活性化』

『保存条件:温度維持+魔力循環』

『データ収集:結晶構造、魔力パターン、生体反応』

 頭の中が研究計画で埋め尽くされる。解凍の手順、温度管理の方法、データ記録の形式——全てが明確になっていく。前世の失敗を、今度こそ——

「素晴らしい...この個体は貴重な研究対象だ!」

 レオンは氷像に近づき、手を伸ばして触れようとする。温度、硬度、魔力反応——全てを記録したい。

「前世の技術を応用すれば、完全解凍も可能かもしれない」

 科学者としての純粋な探究心と、失われた命たちへの想い——それがレオンを動かしていた。

 フィルミナが慌てて止めようとする。

「レオン様、それは...研究対象じゃ」

 声が震えている。テラも必死に警告する。

「...違います、あれは...私たちの」

 言葉が続かない。プリマが共鳴を送った。

「レオン様、危険です! あれは標本なんかじゃ...」

 だが、レオンには届かない。研究への情熱——いや、贖罪への想いが全てを覆い隠していた。

「記録を取らないと...」

 ノートに記述を続ける。

 リヴィエルが剣を抜いた。何かが近づいている。冷気が一段と強まり、氷像の奥から白銀の光が瞬いた。

 フィルミナが叫んだ。

「レオン様、下がって!」

 だが、レオンは気づかない。研究ノートに夢中で、危険を感じ取れない。

「この個体の魔力パターンは...特殊だな」

 呟きながら、さらに近づく。プリマが必死に共鳴を送る。

「レオン様、お願い...気づいて」

 でも——科学者の目には、研究対象しか映らなかった。

 テラが氷像に触れた。

 瞬間——記憶が激流のように流れ込んだ。

 300年前。春の日だった。

 麦畑が風に揺れている。子供たちの笑い声、市場の賑わい——人間とスライムが共に暮らしていた幸せな平和な世界。畑を耕す農夫の足元でスライムが土を柔らかくし、水場ではスライムが水を浄化し、人々が感謝の言葉を述べている。夕暮れ時、家族が集まって食事をする。テーブルの隅に小さなスライムがいて、子供が優しく撫でている。

「ありがとうね」

 温かい言葉。共生の日々。

 でも——ある日、空が暗くなった。突然の寒波が世界を襲った。凍てつく風が吹き、麦畑が一夜で氷に覆われる。子供たちの笑い声が消え、市場は閉ざされ、人々が凍えながら震えている。

「このままでは...全員死ぬ」

 絶望が広がった。

 その時——白銀の光が現れた。美しい存在。氷を操り、寒波を制御する力。人々は歓喜した。

「救世主だ!」

「助かった...!」

 でも、次第に——声が変わっていった。

「この力を研究できれば」

「有用な能力だ」

「実験に使えるのでは」

 優しかった目が冷たくなり、感謝の言葉が観察の視線に変わった。

 そして——ある日、会議が開かれた。

「失敗作だ。期待外れだった」

「用済みだ。処分しよう」

「極北に追放すれば、自然に消えるだろう」

 救世主は置き去りにされた。誰も振り返らなかった。共に生きた日々は忘れられた。

「私たちは...見捨てた」

 テラの涙が頬を伝う。スライムたちも共犯だった。声を上げなかった。守らなかった。

「あの人は...まだここに」

 テラの声が震える。300年間、ずっと——一人で。

 レオンが振り返った。

「テラ? どうした?」

 心配の声。でも、その目は——まだ研究者の目だった。標本を見る目。300年前の人々と同じ目。

 フィルミナが唇を噛んだ。

「レオン様...あなたは優しい人なのに」

 でも、今は気づいていない。目の前の存在が人であることに。

 マリーナが氷像に触れた。

「ねえ~、これ綺麗~」

 好奇心のままに。瞬間——氷が広がった。

「冷た...」

 マリーナの体が氷に包まれていく。

「マリーナ!」

 レオンが駆け寄った。科学者の目が瞬時に切り替わる。

 魔法を発動し、温度を上昇させる。慎重に、段階的に——前世の知識、低体温症の治療法を応用する。急激な温度変化は危険だ。ゆっくりと体の中心から温め、魔力を循環させて血流を促し、心臓の動きを確認——

 マリーナが目を開けた。

「あれ~、寝てた~?」

 天然の発言。レオンは安堵のため息をついた。

「良かった...」

 護衛の兵士たちが騒然となった。

「蘇生術だ!」

「死者を蘇らせた...!」

 また、勘違いが広がる。

 マリーナが震える声で警告した。

「あれは...危険」

 氷像を指差す。

「近づいちゃダメ...」

 リヴィエルがレオンに抱きついた。

「レオン様、ご無事で...」

 胸に顔を埋める。内心、こんなに怖かったのは初めてだった。レオン様を失うかもしれない恐怖、抑えきれない想い——安堵の涙が頬を伝う。

「もう...無茶しないでください」

 小さな声で懇願する。レオンは優しく微笑んだ。

「ごめん、心配かけたね」

 その笑顔が、リヴィエルの心をまた揺らした。

---

 夜。焚き火を囲んで、一行は夜営の準備をしていた。

 レオンは明日の計画を立てている。

「明日、本格的に調査する」

 研究ノートを見つめる。フィルミナが静かに呟いた。

「...気をつけて」

 その声には言葉にできない何かがあった。

 プリマが震えた。

「何か、来る」

 共鳴がさらに強まっている。氷原の彼方で白銀の影が動いた。冷気が一段と強まる。

 リヴィエルが剣を握った。

「何が来ても、守ります」

 レオンを見つめる目には、決意と想いが込められていた。

 遠くで氷が軋む音がした。何かが近づいている。

 明日——運命の出会いが待っている。
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