転生王子はスライムを育てたい ~最弱モンスターが世界を変える科学的飼育法~

宵町あかり

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第2話 最弱モンスターとの邂逅

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カサカサ。

 書類をめくる音が、研究室に響いた。

「生息地は……湿度が高くて、魔素濃度が低い場所……」

 レオンは古い文献を読みながら、ぶつぶつと呟いていた。朝から研究室にこもって、スライムの生態について調べ続けている。

 机の上には、帝国図書館から借りてきた資料が山積みだった。『下級魔物図鑑』『帝都下水道管理報告書』『魔素汚染地域調査書』——どれも埃をかぶった、誰も読まないような本ばかり。

「そうか、下水路か!」

 レオンは勢いよく立ち上がった。内心では、前世の生物学知識と照らし合わせて、スライムの生息条件が腑に落ちた感覚があった。

(湿度が高くて、有機物が豊富で、適度に暗い環境……まさに下水路は理想的じゃないか)

 彼は素早く準備を始めた。採集用の瓶、観察用のレンズ、簡易的な魔素測定器——すべて自作の道具だ。

「よし、これで——」

「坊ちゃま、何をなさっているんですか?」

 振り返ると、リヴィエルが腕を組んで立っていた。その灰色の瞳には、明らかな疑いの色が浮かんでいる。

「えっと、その……散歩?」

「採集道具を持って、ですか?」

 リヴィエルの視線が、レオンの手に持った布袋に注がれる。瓶がガチャガチャと音を立てた。

「……まさか、また城を抜け出そうとしているんじゃ」

「そ、そんなことないよ! ただ、ちょっと城下町の様子を見てこようかなって」

 レオンは必死に誤魔化そうとした。しかし、リヴィエルの表情は険しくなるばかりだ。内心では、この状況を切り抜ける方法を必死に考えていた。

「昨日も『魔素を浄化するスライムの可能性』とか言って、夜中まで起きていたじゃないですか。今度は何を企んでいるんです?」

「企んでなんかいないよ! 純粋な学術的興味で——」

「却下です」

 リヴィエルは即座に言い切った。

「王族が勝手に城下町をうろつくなんて、警備上の問題もありますし、第一、不衛生です。特に下水路なんて論外です」

「え? 下水路なんて一言も言ってないよ?」

 レオンの言葉に、リヴィエルは溜息をついた。

「顔に書いてあります」

 内心では、主人の考えていることが手に取るように分かる自分に、複雑な感情を抱いていた。長年の付き合いとはいえ、ここまで理解してしまうのは、メイドとしてどうなのだろうか。

 レオンは諦めきれずに食い下がった。

「でも、実際に観察しないと研究は進まないんだ! スライムの生態を解明することは、魔素汚染問題の解決にも繋がるかもしれないし——」

「それなら、正式に調査隊を組織すればいいじゃないですか」

「そんな大げさなことしたら、兄上にまた何か言われるよ」

 ユリオスの名前を出すと、リヴィエルの表情が少し和らいだ。彼女も、第一王子の小言にレオンが悩まされているのは知っている。

 しばらくの沈黙の後、リヴィエルは深い溜息をついた。

「……分かりました。ただし、私も同行します」

「本当!?」

 レオンの顔がぱっと明るくなった。

「そして、1時間以内に帰ってくること。危険な場所には近づかないこと。誰にも見つからないようにすること。いいですね?」

「うん! 約束する!」

 レオンは嬉しそうに頷いた。内心では、ついに本物のスライムを観察できる喜びで胸がいっぱいだった。

 

 城を抜け出すのは、思ったより簡単だった。

 使用人用の通路を使い、リヴィエルが見張りの注意を引いている隙に、レオンは素早く外へ出た。フードを深くかぶり、質素な服装に着替えた彼は、ただの街の子供にしか見えない。

 城下町は、朝の活気に満ちていた。

 石畳の通りには、様々な露店が並んでいる。魔法で浮遊する看板が、きらきらと光を放ちながら商品を宣伝していた。魔導式の調理器具で焼かれた肉の香ばしい匂いが漂ってくる。

「すごい……」

 レオンは目を輝かせながら歩いていた。城の中とは違う、生き生きとした世界がそこにはあった。

「坊ちゃま、きょろきょろしないでください」

 隣を歩くリヴィエルが小声で注意した。彼女も使用人の服装に着替えているが、その凛とした雰囲気は隠しきれていない。

「でも、面白いものがたくさんあるよ! あれ見て、魔素で動く風車だ!」

「だから目立つって言ってるんです」

 リヴィエルは内心で、このまま何事もなく帰れることを祈っていた。しかし、その願いは早くも崩れ去ろうとしていた。

「あれ? あの子、どこかで見たような……」

「髪の色が珍しいわね。灰金色なんて」

「まさか、王子様じゃ……」

 通りすがりの人々が、ひそひそと囁き始めた。レオンは全く気づいていないが、その独特な髪色は、いくらフードで隠しても目立ってしまう。

「坊ちゃま、急ぎましょう」

 リヴィエルは焦りながら、レオンの袖を引いた。内心では、なぜこんな無謀な計画に同意してしまったのかと後悔していた。

 二人は足早に、目的地へと向かった。

 城下町の裏通りを抜け、次第に人通りが少なくなっていく。建物も立派な石造りから、古びた木造へと変わっていった。

 そして、ついに目的地が見えてきた。

「あった! 下水路の入り口だ!」

 レオンは興奮した声を上げた。石造りの古い排水口から、湿った空気が漂ってくる。苔むした石壁には、微かに魔素の残滓が光っていた。

「本当にここに入るんですか?」

 リヴィエルは顔をしかめた。下水路特有の臭いが鼻をついてくる。内心では、王子をこんな不潔な場所に連れてきてしまったことへの罪悪感と、それでも止められない自分への苛立ちを感じていた。

「うん! 文献によると、スライムは魔素汚染の副産物として、こういう場所に発生しやすいんだ」

 レオンは臆することなく、排水口に近づいていく。そして、目を凝らして暗闇を覗き込んだ。

「……いた」

 その呟きは、震えていた。

 排水路の奥、湿った石壁に、青白く光る何かが蠢いていた。ゼリー状の体は、ゆっくりと形を変えながら、壁を這っている。

「うおお……ついに来た! 本物のスライムだ!」

 レオンは思わず叫んだ。内心では、前世でも見たことのない生物を目の前にして、研究者としての血が騒いでいた。

「この状況で叫ぶな!」

 リヴィエルが慌てて口を塞ごうとした。しかし、もう遅かった。

「何事だ!」

 近くを巡回していた衛兵が、声を聞きつけて駆けつけてきた。そして、排水口の前にいる二人を見て、目を見開いた。

「ま、まさか……レオン様!?」

 フードが風でめくれ、灰金色の髪が露わになっていた。

「げっ」

 レオンは観察に夢中で、状況を理解していなかった。瓶を取り出し、慎重にスライムに近づいていく。

「何をなさっているのですか!? こんな場所で——」

 衛兵の言葉は、次の光景を見て止まった。

 レオンが瓶を差し出すと、スライムはまるで吸い込まれるように、するりとその中に入っていった。青白い光が、ガラス越しに脈動している。

「……今、何が」

 衛兵は言葉を失った。内心では、これまで見たことのない光景に、畏怖の念を抱いていた。

(まさか、古代の召喚術!? 瓶一つで魔物を従えるなんて……)

「よし! いい個体が採れた!」

 レオンは満足そうに瓶を掲げた。中でスライムが、ぷるぷると震えている。

「観察が楽しみだなあ。まずは基本的な性質から調べて、それから培養条件を——」

「レオン様! まさか、穢れの浄化を!?」

 衛兵が感動した声を上げた。

「下水路の魔素汚染を、自ら清めようとなさっていたのですね! なんという御心!」

「え? いや、違——」

「すぐに城へ報告いたします! 第三王子が、民のために自ら動かれたと!」

 衛兵は敬礼すると、興奮した様子で走り去っていった。

「……坊ちゃま」

 リヴィエルの声が、妙に低い。

「うん?」

「帰りましょう。今すぐに」

 彼女の表情を見て、レオンもようやく事態の深刻さに気づいた。しかし、もう手遅れだった。

 通りの向こうから、人々が集まってくるのが見えた。

「王子様が魔素汚染を!」

「自ら下水路の浄化を!」

「なんて慈悲深い……」

 瞬く間に、二人は人だかりに囲まれた。

「王子様! その瓶の中身は?」

「封印なさった穢れですか?」

「古の魔法をお使いに?」

 矢継ぎ早の質問に、レオンは困惑するばかりだった。

「いや、これはただのスライムで……」

「ただのスライム!?」

 人々がざわめいた。

「最弱の魔物に、深い意味が……」

「きっと、謙遜なさっているのね」

「慢心を戒める教えかもしれない」

 勘違いは、どんどん大きくなっていく。リヴィエルは内心で頭を抱えていた。

(どうしてこうなるのよ……)

「とにかく、城に戻らないと」

 レオンは瓶を大事に抱えながら、人混みをかき分けようとした。しかし、人々の視線は熱を帯びるばかりだ。

「王子様の研究が、我々を救ってくださる」

「魔素汚染のない世界が来るのね」

「さすがは王家の血筋……」

 称賛と誤解の声に包まれながら、レオンとリヴィエルはなんとか城への道を進んだ。

 レオンは瓶の中のスライムを見つめながら、内心で複雑な気持ちになっていた。

(ただ研究したいだけなのに、どうしてこんなことに……)

 しかし同時に、手の中で脈動する未知の生命体への興奮も抑えられなかった。

 リヴィエルは、主人の横顔を見ながら溜息をついた。内心では、これからも続くであろう騒動の日々を思い、早くも疲労を感じていた。

 それでも、レオンの瞳に宿る純粋な輝きを見ると、なぜか憎めないのだった。

(まったく、世話の焼ける坊ちゃまです)

 城門が見えてきた頃には、二人の後ろに長い行列ができていた。

 衛兵たちも、何事かと門を開け放つ。

「レオン様のご帰還だ!」

「英雄的な行いをなさったそうだ!」

 城内にも、噂は瞬く間に広まっていく。

 レオンは瓶を抱えたまま、真っ直ぐ研究室へ向かった。周囲の騒ぎなど、もはや耳に入っていない。

「素晴らしい観察個体だ……」

 研究室のドアを開けながら、レオンは呟いた。

「これで本格的な研究が始められる」

 リヴィエルは疲れ果てた様子で、ドアに寄りかかった。

「坊ちゃま、とりあえず手を洗ってください」

「後でね。まず観察環境を整えないと」

 レオンは早速、机の上に器具を並べ始めた。瓶の中のスライムは、新しい環境に興味を示すように、ゆらゆらと形を変えている。

「よし、これからは君の時代だ——」

 レオンは瓶を光にかざしながら、満面の笑みを浮かべた。

「名付けて、スライム1号!」

 リヴィエルは深い、深い溜息をついた。

「……お願いだから、人に見せないでくださいね?」

 しかし、そんな願いが叶うはずもないことを、彼女は心のどこかで理解していた。

 窓の外では、まだ人々の興奮した声が聞こえている。

 第三王子レオンが最弱モンスターを従えたという噂は、瞬く間に帝都中に広まっていった。

 それが、とんでもない誤解の始まりだということを、まだ誰も知らない。

 研究室の片隅で、スライム1号が小さく震えた。

 まるで、これから起こる騒動を予感しているかのように——。
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