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第3話 培養実験の開始
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朝の光が研究室の窓から差し込む中、レオンは瓶の中のスライムを観察していた。
「おはよう、スライム1号」
青白く光るゼリー状の体は、ゆらゆらと形を変えながら瓶の中を漂っている。まるで挨拶に応えるかのように、ぷるんと震えた。
「今日から本格的な観察を始めるよ」
レオンは机の上に、昨夜から準備していた道具を並べ始めた。ガラス管、金属の枠、魔素を含んだ水晶のレンズ——すべて自作の器具だ。
(まずは顕微鏡もどきを完成させないと)
前世の知識を頼りに、レンズを組み合わせていく。この世界には顕微鏡という概念がないらしく、図書館でも関連する資料は見つからなかった。
「レンズの焦点距離を調整して……ここに魔素増幅陣を刻めば……」
ブツブツと呟きながら作業を進める。魔法の知識はないが、この世界の魔導具の仕組みをなんとなく理解し始めていた。
コンコン。
ノックの音に顔を上げると、リヴィエルが朝食のトレイを持って入ってきた。
「坊ちゃま、また朝から研究ですか」
「あ、リヴィエル。見て見て、顕微鏡もどきがもうすぐ完成するんだ!」
目を輝かせるレオンに、リヴィエルは呆れたような溜息をついた。内心では、昨日の騒動のことを思い出して頭が痛くなっていた。
「それより、昨日の件で城中が大騒ぎですよ」
「昨日?」
「下水路でスライムを従えたって」
リヴィエルの言葉に、レオンは首を傾げた。
「従えたって言うか、瓶に入れただけなんだけど……」
「その『だけ』が問題なんです」
リヴィエルはトレイを置きながら説明した。
「普通、スライムは瓶になんて入りません。魔物は基本的に人間の道具を嫌いますから」
「へえ、そうなんだ」
レオンは興味深そうにスライム1号を見つめた。確かに、なぜあんなにすんなり瓶に入ったのだろう。
(もしかして、何か特別な個体なのかな?)
研究者としての好奇心がさらに燃え上がる。
「とにかく、朝食を食べてください」
リヴィエルが差し出したサンドイッチを受け取りながら、レオンは作業を続けた。片手で食べ、片手でレンズを調整する器用さは、前世で培ったものだ。
「できた!」
最後の部品をはめ込むと、レオンは完成した顕微鏡もどきを掲げた。真鍮の筒に複数のレンズが組み込まれ、台座には小さな魔法陣が刻まれている。
「これで細胞レベルの観察ができるはず!」
「さいぼう?」
リヴィエルが首を傾げる。
「あ、えっと……すごく小さい、生き物を作っている粒みたいなもの」
説明しながら、レオンはスライム1号から少量のサンプルを採取した。小さなガラス板に乗せ、顕微鏡の下にセットする。
接眼レンズを覗き込むと——
「うおおおお!」
レオンの歓声が研究室に響いた。
「見える! 細胞が見える!」
レンズの向こうには、前世では見たことのない光景が広がっていた。
半透明の細胞は、規則的な六角形をしており、その中心には青白く光る核のようなものがある。さらに驚くべきことに、細胞と細胞の間を、髪の毛よりも細い光の糸が繋いでいた。
「これは……魔素の流れ?」
光の糸は脈動するように明滅し、細胞から細胞へと何かを伝達しているように見える。前世の生物学では説明できない、この世界特有の構造だった。
「すごい……これが魔法生物の仕組みか」
夢中になって観察を続けるレオン。その姿を見て、リヴィエルは小さく微笑んだ。
(本当に、研究が好きなんですね)
主人の純粋な探究心は、見ていて気持ちがいい。たとえそれが周囲に誤解を与えるとしても。
観察を一段落させたレオンは、次の実験の準備を始めた。
「よし、次は培養だ」
棚から様々な試薬を取り出す。この世界の錬金術師が使う材料と、台所から拝借した調味料、そして庭で採取した薬草。それらを前世の知識に基づいて調合していく。
「基本培地に、魔素を含んだ水晶の粉末を加えて……」
ビーカーの中で、透明な液体が淡く光り始めた。
「糖分の代わりに蜂蜜エキス、アミノ酸の代わりに……えっと、この世界では何が相当するかな」
試行錯誤しながら、培養液を作っていく。時折、液体が泡立ったり、色が変わったりするが、レオンは動じない。
「あ、そうだ。成長促進のために、微量の魔素触媒も加えてみよう」
青い粉末を一つまみ加えると、培養液全体が蛍光色に輝いた。
「綺麗だなあ……」
うっとりと見つめるレオン。リヴィエルは一歩後ずさった。
(なんか、危険な気がするんですけど……)
完成した培養液を、大きめのガラス容器に注ぐ。そして、スライム1号から分離した一部を、そっと培養液に浮かべた。
「さあ、どんな風に成長するかな」
わくわくしながら見守るレオン。
すると——
ぷくぷくぷく。
投入されたスライムの欠片が、みるみるうちに膨らみ始めた。
「お、早速反応が!」
レオンは興奮して身を乗り出した。
10秒で元の2倍、30秒で3倍、1分後には5倍の大きさに成長している。しかも、ただ大きくなるだけではない。表面に複雑な模様が浮かび上がり、内部構造も変化しているようだ。
「これは予想以上だ! 成長速度が速すぎる!」
慌ててノートに記録を取り始めるレオン。グラフを描き、数値を書き込み、スケッチも添える。
その時、ドアが勢いよく開いた。
「レオン!」
入ってきたのは、第一王子ユリオスだった。
16歳のユリオスは、弟とは対照的に威厳のある佇まいをしている。金色の髪は完璧に整えられ、深紅のマントが優雅に翻る。その青い瞳は、いつも通り厳しい光を宿していた。
「兄上」
レオンは振り返ったが、すぐに視線を培養容器に戻した。
「今、大事な観察中なので——」
「聞いているか!」
ユリオスの声が研究室に響いた。
「お前が下水路でスライムを従えたという話が、城中に広まっている」
「ああ、それなら誤解です」
レオンはあっさりと答えた。視線は相変わらず培養容器に釘付けだ。
「見てください、もう10倍の大きさに! この成長曲線は指数関数的で——」
「レオン!」
ユリオスは弟の肩を掴んだ。
「王族が下水路などという不浄な場所に行くなど、体面に関わる」
「でも、スライムの生息地はそこしか——」
「問題はそこではない!」
ユリオスは苛立たしげに髪をかき上げた。内心では、この弟の行動原理が全く理解できずにいた。
(なぜ最弱の魔物などに興味を持つ? もっと有益なことに時間を使えばいいものを)
「お前の行動は、アルケイオス家の名を——」
ぐにゅう。
奇妙な音が、ユリオスの言葉を遮った。
振り返ると、培養容器の中でスライムが異常な成長を遂げていた。もはや容器いっぱいに膨れ上がり、今にも溢れそうだ。
「わあ! すごい成長だ!」
レオンは歓声を上げた。
「予想の20倍以上の速度で成長してる! これは大発見だよ!」
「お、おい……それ、大丈夫なのか?」
ユリオスが後ずさる。威厳も何もあったものではない。
ぼこん!
ついに、スライムが培養容器から溢れ出した。ゼリー状の体が床に広がり、ゆらゆらと波打っている。
「きゃあああ!」
リヴィエルが悲鳴を上げた。
「坊ちゃま! なんてことを!」
「大丈夫、大丈夫」
レオンは慌てずに、別の大きな容器を持ってきた。
「ほら、こっちにおいで」
優しく声をかけると、不思議なことにスライムは素直に新しい容器へと移動し始めた。まるでレオンの言葉を理解しているかのように。
「……今、スライムが言うことを聞いたか?」
ユリオスが信じられないという顔をしている。
「うん、なんだか意思疎通ができる気がするんだ」
レオンはにこにこしながら答えた。
「もしかしたら、培養液の効果で知能が向上したのかも」
「知能……だと?」
ユリオスの顔が青ざめた。内心では、とんでもないものが生まれてしまったのではないかという恐怖を感じていた。
(最弱の魔物に知能を与える……それは禁忌ではないのか?)
「兄上も触ってみます? ぷにぷにして気持ちいいですよ」
「い、いらん!」
ユリオスは慌てて手を振った。次期皇帝としての威厳など、どこかに吹き飛んでしまっている。
「とにかく、これ以上騒ぎを起こすな! いいな!」
捨て台詞を残して、ユリオスは逃げるように研究室を出て行った。
ドアが閉まると、レオンは肩をすくめた。
「相変わらず、頭が固いなあ」
「坊ちゃま、それより……」
リヴィエルが震え声で指さした先を見ると、新しい容器の中でスライムがまた成長を始めていた。
「あ、また大きくなってる」
レオンは嬉しそうに観察を再開した。
「この成長速度なら、もっと大きな水槽が必要かな。リヴィエル、倉庫に使ってない水槽ってあったっけ?」
「そういう問題じゃないと思うんですが……」
リヴィエルは頭を抱えた。このままでは、城中がスライムだらけになってしまうのではないか。
しかし、レオンの瞳に宿る純粋な喜びを見ると、止める気にはなれなかった。
(まあ、坊ちゃまが楽しそうなら……)
そんなことを考えていると、スライムがぷるんと震えた。
よく見ると、その表面に小さな突起ができている。まるで、何かを感じ取ろうとしているかのように、突起が周囲を探っていた。
「あれ? これって……」
レオンが目を見開いた。
「もしかして、感覚器官の萌芽?」
慌てて顕微鏡で観察する。すると、突起の部分に神経細胞に似た構造が形成されつつあることが分かった。
「すごい……本当に知性が芽生え始めてる」
震える手でノートに記録を取る。これは、生物学的に見ても驚異的な発見だった。
単純な原生生物が、わずか数時間で感覚器官を発達させる。前世の常識では考えられない進化速度だ。
「スライム1号、君は一体何者なんだ?」
レオンが問いかけると、スライムは再びぷるんと震えた。
まるで、その問いに答えようとしているかのように。
夕方になる頃には、スライムは水槽いっぱいに成長していた。
透明だった体は、淡い青色を帯び始めている。表面には複数の感覚器官らしきものが形成され、内部には脈動する核のような構造も見える。
「今日一日で、ここまで成長するなんて」
レオンは満足げに観察記録を見返していた。ページ数は既に20ページを超えている。
「明日はどんな変化を見せてくれるかな」
期待に胸を膨らませながら、レオンはスライムに話しかけた。
「おやすみ、スライム1号。また明日ね」
すると——
ぷる、ぷる。
スライムが二回震えた。まるで「おやすみ」と返事をしているかのように。
「……今、返事した?」
レオンは目を丸くした。
もう一度話しかけてみる。
「スライム1号?」
ぷる。
「本当だ! 返事してる!」
レオンは興奮のあまり飛び跳ねた。
「リヴィエル! 見て! スライム1号が返事を——」
振り返ると、リヴィエルは既に気絶していた。
「あれ? リヴィエル?」
慌てて駆け寄るレオン。どうやら、スライムの急成長と知性の芽生えが、彼女の常識の限界を超えてしまったらしい。
「大丈夫かな……」
とりあえずソファに寝かせて、毛布をかける。
窓の外では、夕日が城を赤く染めていた。
研究室には、レオンとスライム、そして気絶したリヴィエルだけが残されている。
静かな空間で、スライムがゆらゆらと揺れていた。
その姿は、どこか満足げに見える。まるで、ようやく理解者に出会えたことを喜んでいるかのように。
レオンも、優しくスライムを見つめていた。
「これからよろしくね、相棒」
ぷるん。
スライムの返事が、夕暮れの研究室に響いた。
第三王子とスライムの、奇妙な友情が芽生えた瞬間だった。
翌日、城では新たな噂が広まることになる。
「第三王子が、スライムと会話している」
「それも、まるで友達のように」
「いや、きっと古代の精霊語に違いない」
「さすがレオン様、我々には理解できない次元で……」
勘違いは、ますます大きくなっていく。
でも、レオンにとってはそんなことはどうでもよかった。
大切なのは、目の前の小さな命の成長を見守ること。
転生王子とスライムの研究生活は、まだ始まったばかりだった。
「おはよう、スライム1号」
青白く光るゼリー状の体は、ゆらゆらと形を変えながら瓶の中を漂っている。まるで挨拶に応えるかのように、ぷるんと震えた。
「今日から本格的な観察を始めるよ」
レオンは机の上に、昨夜から準備していた道具を並べ始めた。ガラス管、金属の枠、魔素を含んだ水晶のレンズ——すべて自作の器具だ。
(まずは顕微鏡もどきを完成させないと)
前世の知識を頼りに、レンズを組み合わせていく。この世界には顕微鏡という概念がないらしく、図書館でも関連する資料は見つからなかった。
「レンズの焦点距離を調整して……ここに魔素増幅陣を刻めば……」
ブツブツと呟きながら作業を進める。魔法の知識はないが、この世界の魔導具の仕組みをなんとなく理解し始めていた。
コンコン。
ノックの音に顔を上げると、リヴィエルが朝食のトレイを持って入ってきた。
「坊ちゃま、また朝から研究ですか」
「あ、リヴィエル。見て見て、顕微鏡もどきがもうすぐ完成するんだ!」
目を輝かせるレオンに、リヴィエルは呆れたような溜息をついた。内心では、昨日の騒動のことを思い出して頭が痛くなっていた。
「それより、昨日の件で城中が大騒ぎですよ」
「昨日?」
「下水路でスライムを従えたって」
リヴィエルの言葉に、レオンは首を傾げた。
「従えたって言うか、瓶に入れただけなんだけど……」
「その『だけ』が問題なんです」
リヴィエルはトレイを置きながら説明した。
「普通、スライムは瓶になんて入りません。魔物は基本的に人間の道具を嫌いますから」
「へえ、そうなんだ」
レオンは興味深そうにスライム1号を見つめた。確かに、なぜあんなにすんなり瓶に入ったのだろう。
(もしかして、何か特別な個体なのかな?)
研究者としての好奇心がさらに燃え上がる。
「とにかく、朝食を食べてください」
リヴィエルが差し出したサンドイッチを受け取りながら、レオンは作業を続けた。片手で食べ、片手でレンズを調整する器用さは、前世で培ったものだ。
「できた!」
最後の部品をはめ込むと、レオンは完成した顕微鏡もどきを掲げた。真鍮の筒に複数のレンズが組み込まれ、台座には小さな魔法陣が刻まれている。
「これで細胞レベルの観察ができるはず!」
「さいぼう?」
リヴィエルが首を傾げる。
「あ、えっと……すごく小さい、生き物を作っている粒みたいなもの」
説明しながら、レオンはスライム1号から少量のサンプルを採取した。小さなガラス板に乗せ、顕微鏡の下にセットする。
接眼レンズを覗き込むと——
「うおおおお!」
レオンの歓声が研究室に響いた。
「見える! 細胞が見える!」
レンズの向こうには、前世では見たことのない光景が広がっていた。
半透明の細胞は、規則的な六角形をしており、その中心には青白く光る核のようなものがある。さらに驚くべきことに、細胞と細胞の間を、髪の毛よりも細い光の糸が繋いでいた。
「これは……魔素の流れ?」
光の糸は脈動するように明滅し、細胞から細胞へと何かを伝達しているように見える。前世の生物学では説明できない、この世界特有の構造だった。
「すごい……これが魔法生物の仕組みか」
夢中になって観察を続けるレオン。その姿を見て、リヴィエルは小さく微笑んだ。
(本当に、研究が好きなんですね)
主人の純粋な探究心は、見ていて気持ちがいい。たとえそれが周囲に誤解を与えるとしても。
観察を一段落させたレオンは、次の実験の準備を始めた。
「よし、次は培養だ」
棚から様々な試薬を取り出す。この世界の錬金術師が使う材料と、台所から拝借した調味料、そして庭で採取した薬草。それらを前世の知識に基づいて調合していく。
「基本培地に、魔素を含んだ水晶の粉末を加えて……」
ビーカーの中で、透明な液体が淡く光り始めた。
「糖分の代わりに蜂蜜エキス、アミノ酸の代わりに……えっと、この世界では何が相当するかな」
試行錯誤しながら、培養液を作っていく。時折、液体が泡立ったり、色が変わったりするが、レオンは動じない。
「あ、そうだ。成長促進のために、微量の魔素触媒も加えてみよう」
青い粉末を一つまみ加えると、培養液全体が蛍光色に輝いた。
「綺麗だなあ……」
うっとりと見つめるレオン。リヴィエルは一歩後ずさった。
(なんか、危険な気がするんですけど……)
完成した培養液を、大きめのガラス容器に注ぐ。そして、スライム1号から分離した一部を、そっと培養液に浮かべた。
「さあ、どんな風に成長するかな」
わくわくしながら見守るレオン。
すると——
ぷくぷくぷく。
投入されたスライムの欠片が、みるみるうちに膨らみ始めた。
「お、早速反応が!」
レオンは興奮して身を乗り出した。
10秒で元の2倍、30秒で3倍、1分後には5倍の大きさに成長している。しかも、ただ大きくなるだけではない。表面に複雑な模様が浮かび上がり、内部構造も変化しているようだ。
「これは予想以上だ! 成長速度が速すぎる!」
慌ててノートに記録を取り始めるレオン。グラフを描き、数値を書き込み、スケッチも添える。
その時、ドアが勢いよく開いた。
「レオン!」
入ってきたのは、第一王子ユリオスだった。
16歳のユリオスは、弟とは対照的に威厳のある佇まいをしている。金色の髪は完璧に整えられ、深紅のマントが優雅に翻る。その青い瞳は、いつも通り厳しい光を宿していた。
「兄上」
レオンは振り返ったが、すぐに視線を培養容器に戻した。
「今、大事な観察中なので——」
「聞いているか!」
ユリオスの声が研究室に響いた。
「お前が下水路でスライムを従えたという話が、城中に広まっている」
「ああ、それなら誤解です」
レオンはあっさりと答えた。視線は相変わらず培養容器に釘付けだ。
「見てください、もう10倍の大きさに! この成長曲線は指数関数的で——」
「レオン!」
ユリオスは弟の肩を掴んだ。
「王族が下水路などという不浄な場所に行くなど、体面に関わる」
「でも、スライムの生息地はそこしか——」
「問題はそこではない!」
ユリオスは苛立たしげに髪をかき上げた。内心では、この弟の行動原理が全く理解できずにいた。
(なぜ最弱の魔物などに興味を持つ? もっと有益なことに時間を使えばいいものを)
「お前の行動は、アルケイオス家の名を——」
ぐにゅう。
奇妙な音が、ユリオスの言葉を遮った。
振り返ると、培養容器の中でスライムが異常な成長を遂げていた。もはや容器いっぱいに膨れ上がり、今にも溢れそうだ。
「わあ! すごい成長だ!」
レオンは歓声を上げた。
「予想の20倍以上の速度で成長してる! これは大発見だよ!」
「お、おい……それ、大丈夫なのか?」
ユリオスが後ずさる。威厳も何もあったものではない。
ぼこん!
ついに、スライムが培養容器から溢れ出した。ゼリー状の体が床に広がり、ゆらゆらと波打っている。
「きゃあああ!」
リヴィエルが悲鳴を上げた。
「坊ちゃま! なんてことを!」
「大丈夫、大丈夫」
レオンは慌てずに、別の大きな容器を持ってきた。
「ほら、こっちにおいで」
優しく声をかけると、不思議なことにスライムは素直に新しい容器へと移動し始めた。まるでレオンの言葉を理解しているかのように。
「……今、スライムが言うことを聞いたか?」
ユリオスが信じられないという顔をしている。
「うん、なんだか意思疎通ができる気がするんだ」
レオンはにこにこしながら答えた。
「もしかしたら、培養液の効果で知能が向上したのかも」
「知能……だと?」
ユリオスの顔が青ざめた。内心では、とんでもないものが生まれてしまったのではないかという恐怖を感じていた。
(最弱の魔物に知能を与える……それは禁忌ではないのか?)
「兄上も触ってみます? ぷにぷにして気持ちいいですよ」
「い、いらん!」
ユリオスは慌てて手を振った。次期皇帝としての威厳など、どこかに吹き飛んでしまっている。
「とにかく、これ以上騒ぎを起こすな! いいな!」
捨て台詞を残して、ユリオスは逃げるように研究室を出て行った。
ドアが閉まると、レオンは肩をすくめた。
「相変わらず、頭が固いなあ」
「坊ちゃま、それより……」
リヴィエルが震え声で指さした先を見ると、新しい容器の中でスライムがまた成長を始めていた。
「あ、また大きくなってる」
レオンは嬉しそうに観察を再開した。
「この成長速度なら、もっと大きな水槽が必要かな。リヴィエル、倉庫に使ってない水槽ってあったっけ?」
「そういう問題じゃないと思うんですが……」
リヴィエルは頭を抱えた。このままでは、城中がスライムだらけになってしまうのではないか。
しかし、レオンの瞳に宿る純粋な喜びを見ると、止める気にはなれなかった。
(まあ、坊ちゃまが楽しそうなら……)
そんなことを考えていると、スライムがぷるんと震えた。
よく見ると、その表面に小さな突起ができている。まるで、何かを感じ取ろうとしているかのように、突起が周囲を探っていた。
「あれ? これって……」
レオンが目を見開いた。
「もしかして、感覚器官の萌芽?」
慌てて顕微鏡で観察する。すると、突起の部分に神経細胞に似た構造が形成されつつあることが分かった。
「すごい……本当に知性が芽生え始めてる」
震える手でノートに記録を取る。これは、生物学的に見ても驚異的な発見だった。
単純な原生生物が、わずか数時間で感覚器官を発達させる。前世の常識では考えられない進化速度だ。
「スライム1号、君は一体何者なんだ?」
レオンが問いかけると、スライムは再びぷるんと震えた。
まるで、その問いに答えようとしているかのように。
夕方になる頃には、スライムは水槽いっぱいに成長していた。
透明だった体は、淡い青色を帯び始めている。表面には複数の感覚器官らしきものが形成され、内部には脈動する核のような構造も見える。
「今日一日で、ここまで成長するなんて」
レオンは満足げに観察記録を見返していた。ページ数は既に20ページを超えている。
「明日はどんな変化を見せてくれるかな」
期待に胸を膨らませながら、レオンはスライムに話しかけた。
「おやすみ、スライム1号。また明日ね」
すると——
ぷる、ぷる。
スライムが二回震えた。まるで「おやすみ」と返事をしているかのように。
「……今、返事した?」
レオンは目を丸くした。
もう一度話しかけてみる。
「スライム1号?」
ぷる。
「本当だ! 返事してる!」
レオンは興奮のあまり飛び跳ねた。
「リヴィエル! 見て! スライム1号が返事を——」
振り返ると、リヴィエルは既に気絶していた。
「あれ? リヴィエル?」
慌てて駆け寄るレオン。どうやら、スライムの急成長と知性の芽生えが、彼女の常識の限界を超えてしまったらしい。
「大丈夫かな……」
とりあえずソファに寝かせて、毛布をかける。
窓の外では、夕日が城を赤く染めていた。
研究室には、レオンとスライム、そして気絶したリヴィエルだけが残されている。
静かな空間で、スライムがゆらゆらと揺れていた。
その姿は、どこか満足げに見える。まるで、ようやく理解者に出会えたことを喜んでいるかのように。
レオンも、優しくスライムを見つめていた。
「これからよろしくね、相棒」
ぷるん。
スライムの返事が、夕暮れの研究室に響いた。
第三王子とスライムの、奇妙な友情が芽生えた瞬間だった。
翌日、城では新たな噂が広まることになる。
「第三王子が、スライムと会話している」
「それも、まるで友達のように」
「いや、きっと古代の精霊語に違いない」
「さすがレオン様、我々には理解できない次元で……」
勘違いは、ますます大きくなっていく。
でも、レオンにとってはそんなことはどうでもよかった。
大切なのは、目の前の小さな命の成長を見守ること。
転生王子とスライムの研究生活は、まだ始まったばかりだった。
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ありがとうございます
主人公の神代理人(かみしろ りひと)はクラスの異世界転移に巻き込まれた。
転移前に白い空間にて女神イシュタスがジョブやスキルを与えていたのだが、理人の番が来た時にイシュタスの顔色が変わる。「貴方神臭いわね」そう言うと理人にだけジョブやスキルも与えずに異世界に転移をさせた。
ジョブやスキルの無い事から早々と城から追い出される事が決まった、理人の前に天照の分体、眷属のアマ=テラス事『テラスちゃん』が現れた。
『異世界の女神は誘拐犯なんだ』とリヒトに話し、神社の宮司の孫の理人に異世界でも生きられるように日本人ならではの力を授けてくれた。
ここから『異世界でたった1人の日本人、理人の物語』がスタートする
「『異世界でたった1人の日本人』 私達を蔑ろにしチート貰ったのだから返して貰いますね」が好評だったのですが...昔に書いて小説らしくないのでしっかり書き始めました。
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