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第9話 メンターと弟子
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新しい研究室は、以前の薄暗い物置とは別世界だった。
魔導灯の明るい光に照らされた広々とした空間には、精密な測定機器や分析装置が整然と並んでいる。シグレ・マカレアの協力で確保されたこの「共同研究室」は、レオンが夢見ていた理想的な実験環境そのものだった。
「すばらしい……本格的な実験ができる」
レオンは興奮を隠せずに、新しい設備を見回している。魔素濃度測定器、温度調節機能付きの培養槽、さらには顕微鏡を改良したような精密観察装置まで揃っていた。
「気に入ったかい?」
シグレが研究室の奥から声をかける。銀髪の研究者は、いつものように悠然とした笑みを浮かべていた。
「はい、ありがとうございます。これだけの設備があれば、もっと詳しい分析ができそうです」
「それは良かった。さあ、早速始めようか。フィルミナちゃんの協力も必要だ」
フィルミナは研究室の隅で、興味深そうに機器類を眺めていた。人型になってから数日が経ち、彼女の言語能力は飛躍的に向上している。
「レオン様、この光る箱は何ですか?」
「あれは魔素濃度測定器だよ。君の体がどれくらいの魔素を含んでいるかを調べることができる」
「わあ……すごいです」
フィルミナの純粋な驚きを見て、レオンは微笑む。彼女のこの反応が、研究への情熱をさらに掻き立てた。
---
「まずは基礎データの取得から始めましょう」
シグレが魔素測定器の前にフィルミナを案内する。
「少し光が当たるかもしれないが、痛くはないから安心してくれ」
「はい……あ」
測定器から発せられた淡い光がフィルミナを包む。すると、機器の数値が急激に跳ね上がった。
「これは……」シグレの表情が変わる。「魔素濃度が8000を超えている。通常の魔法生物の10倍以上だ」
レオンは首を傾げる。「でも、フィルミナはとても安定している。数値が高いのに暴走したりしないのはなぜでしょう?」
「それが君の研究の核心部分だと思う。通常、これだけの魔素を保持していれば、制御不可能になるはずなんだ」
二人は興味深げにデータを眺めた。レオンにとっては魔法世界の常識はまだ理解が浅いが、シグレの驚きから、これが異常な事態であることは分かる。
「もしかして……」レオンが仮説を口にする。「魔素を単純に蓄積しているのではなく、循環させているのかもしれません」
「循環?」
「前世の知識でいうと、生物の代謝システムのように……魔素を取り込んで、必要な分だけ使って、余剰分は放出する。そういう仕組みがあるとしたら」
シグレの目が輝いた。「それは革命的な発想だ。魔素を制御する新しい理論の可能性がある」
---
実験は予想以上に順調に進んだ。
レオンの直感的な仮説をもとに、二人は魔素の流れを可視化する実験を行った。特殊な魔導薬品をフィルミナに少量摂取してもらい、その動きを観察する。
「見てください、シグレさん」
レオンが指差す先で、フィルミナの体内に美しい光の流れが現れていた。魔素が規則正しく循環し、一定のパターンを描いている。
「信じられない……まるで生きた魔法陣のようだ」
シグレは感嘆の声を上げる。だが、レオンにとってはむしろ納得のいく光景だった。
「やっぱりそうか。これは血液循環に似ている。心臓のような中枢があって、そこから全身に魔素を送って、また戻ってくる」
「君の発想は本当に独特だな。我々魔法研究者は、魔素を『蓄える』ものだと考えてきた。だが君は『循環させる』ものだと考える」
「単純に蓄積するだけなら、いつかは限界が来ます。でも循環させることで、効率的に使えるようになる」
レオンは興奮気味に説明を続ける。彼の前世の生物学知識が、この異世界の魔法理論と結びついて、新しい理解を生み出していた。
「では、この循環システムを人工的に再現できれば……」
「他のスライムにも応用できるかもしれませんね」
二人の議論は白熱した。フィルミナは自分が実験材料として扱われていることを気にする様子もなく、むしろ楽しそうに光る自分の体を眺めている。
---
「レオン様、私もお手伝いできることはありますか?」
フィルミナの申し出に、レオンは考え込む。
「うーん……そうだね。君自身が一番よく分かるだろうから、体の変化があったら教えてほしい」
「分かりました!」
フィルミナは嬉しそうに頷く。その純粋な笑顔を見て、レオンは改めて思う。彼女は単なる実験対象ではない。意志を持った存在なのだと。
「ところで、レオン」シグレが真剣な顔で口を開く。「君の理論をもとに、もう少し大規模な実験をしてみたいのだが」
「大規模な実験?」
「複数のスライムを同時に培養して、君の循環理論が一般的に適用できるかを確認したい。もしそれが成功すれば……」
シグレの言葉に、レオンの心が躍った。より多くの実験材料があれば、さらに詳しい研究ができる。
「ぜひやってみましょう」
「よし、では明日から準備を始めよう。君の直感に賭けてみる価値がある」
---
その夜、研究室を片付けながら、レオンは一日の成果を振り返っていた。
シグレという優秀な研究者とのコラボレーションは、想像以上に刺激的だった。彼の魔法理論と自分の前世知識が組み合わさることで、全く新しい発見が生まれる。
「今日は楽しかったですね」
フィルミナが寄り添ってくる。彼女の体はほんのりと温かく、魔素の循環によるものだとレオンは理解していた。
「うん、とても有意義だった。明日からもっと本格的な実験が始まる」
「私も頑張ります」
フィルミナの純粋な意気込みに、レオンは微笑む。彼女のおかげで、この研究は単なる学術的興味以上の意味を持つようになっていた。
「レオン様?」
「なに?」
「シグレ様は、とても驚いていましたね。私、そんなにすごいのですか?」
レオンは少し考えてから答える。
「君は確かに特別だ。でも、それは君が生まれ持った特別さじゃなくて……君と僕が一緒に作り上げた特別さなんだと思う」
フィルミナの頬がほんのり赤くなる。それが恥ずかしさなのか、魔素の反応なのかは分からないが、レオンには美しく見えた。
---
翌朝、リヴィエルが朝食を運んできた時、彼女の表情は複雑だった。
「坊ちゃま、昨日はお疲れ様でした」
「リヴィエル、どうかした?元気がないね」
「いえ……その、シグレ様との研究はいかがでしたか?」
リヴィエルの声には、わずかな不安が混じっている。レオンは彼女の心配を察した。
「とても順調だったよ。シグレさんは優秀な研究者だし、僕の理論をすぐに理解してくれる」
「そう……ですか」
「リヴィエルも心配しなくていい。君はずっと僕の一番の支援者だから」
その言葉に、リヴィエルの表情が少し明るくなる。
「ありがとうございます、坊ちゃま」
朝食を済ませると、レオンは再び研究室に向かった。今日から始まる大規模実験への期待で胸が高鳴る。
---
研究室では、シグレが既に準備を進めていた。
「おはよう、レオン。見てくれ、昨夜のうちに新しいスライムを6体確保した」
培養槽には、様々なサイズの青いスライムがゆっくりと蠢いている。
「これだけあれば、比較実験ができますね」
「そうだ。君の循環理論を検証するには最適な数だ」
二人は早速実験を開始した。各スライムに異なる濃度の魔素供給を行い、その反応を観察する。
「興味深い……」レオンが培養槽を覗き込む。「3号と5号の反応が似ている。でも、1号は全く違うパターンを示してる」
「個体差があるということかもしれない。人間でも血液型が違うように」
シグレの指摘に、レオンは膝を打つ。
「そうか!スライムにも『魔素型』のようなものがあるのかもしれません」
「魔素型……面白い概念だ」
実験は予想を上回る成果を見せていた。レオンの直感的な仮説が、実証データによって裏付けられていく。
「レオン、君の理論は正しかった。この循環システムは、確実に存在する」
シグレの言葉に興奮するレオン。だが、彼にとってはこれは自然な結果だった。
「当然の結果だと思います。生物なら循環システムがあって当たり前ですから」
その何気ない一言に、シグレは衝撃を受けた。
「当然……そうか、君にとってはこれが『当然』なのか」
「はい?」
「レオン、君は気づいているか?君が今やっていることは、魔法学の根本概念を覆すような革命的発見なんだ」
レオンは首を傾げる。彼にとって、これは前世の知識を応用しただけの当たり前の観察だった。
「でも、基本的な生物学の知識があれば、誰でも同じ結論に達すると思いますが」
「その『基本的な生物学』というものを、我々は知らなかった。君が教えてくれるまで」
シグレの言葉に、レオンは自分の立場を理解し始める。彼の前世知識は、この世界では革命的な新理論なのだ。
「つまり……僕がシグレさんに教えていることになるのですか?」
「そうだ。君は私の師だ、レオン」
その瞬間、立場が逆転した。年上で経験豊富なシグレが、10歳の王子を師として仰ぐという奇妙な構図。
だが、レオンにとってそれは困惑でしかなかった。
「でも、僕はまだまだ分からないことばかりです。魔法のことも、この世界のことも」
「知識に年齢は関係ない。君が持っている視点こそが、我々に必要なものなんだ」
---
午後の実験でも、レオンの「当然」の推論が次々と的中していく。
スライムの活性化パターン、魔素吸収の効率性、培養環境の最適化——すべてが彼の前世知識に基づく直感通りの結果を示していた。
「信じられない……」シグレが測定データを見つめる。「君の予測精度は90%を超えている」
「たまたまです」
「たまたまでこの精度は出ない。君には、我々とは根本的に異なる思考体系がある」
シグレの評価に、レオンは戸惑う。彼にとっては基礎的な科学的思考法でしかないのに、この世界ではそれが革命的だと言われる。
「レオン、君に提案がある」
「なんでしょう?」
「君の理論を体系化して、論文として発表しないか?これは魔法学界に大きな衝撃を与えるだろう」
論文発表——レオンの心が躍った。前世では大学院生として研究論文を書いていたが、この世界で再び学術的な貢献ができるとは思っていなかった。
「ぜひやってみたいです」
「よし、では明日から論文の構成を考えよう。『魔素循環理論とスライム進化の新たな理解』とでもタイトルをつけるか」
---
その日の夕方、実験を終えて研究室を出る時、レオンは不思議な気分だった。
朝はシグレに教わる立場だったのに、夕方には逆に教える立場になっている。師弟関係が一日で入れ替わってしまった。
「フィルミナ、君はどう思う?」
「どういうことですか?」
「僕がシグレさんの師だって言われたんだ」
フィルミナは少し考えてから答える。
「レオン様は、最初から私の先生でした。だから、シグレ様の先生になっても不思議じゃないです」
その純粋な答えに、レオンは救われた気がした。確かに、フィルミナにとって彼は最初から導く存在だった。
「ありがとう、フィルミナ」
「でも……」フィルミナが続ける。「レオン様が有名になったら、私のことを忘れませんか?」
その不安そうな表情に、レオンは慌てる。
「そんなことない!君がいなかったら、この研究は始まらなかった。君は僕の一番大切な……」
「大切な?」
フィルミナの期待に満ちた瞳に、レオンは言葉を詰まらせる。彼女にとって自分がどんな存在なのか、まだはっきりとは理解できていなかった。
「大切な……研究パートナーだ」
「研究パートナー……」フィルミナは少し寂しそうに微笑む。「はい、頑張ります」
---
その夜、自室で一日を振り返りながら、レオンは考え込んでいた。
シグレとの共同研究は大成功だった。だが、それは同時に新たな責任を背負うことも意味していた。師として、論文著者として、そして革命的理論の提唱者として。
「明日からは、もっと本格的になるな」
窓の外では夜空に星が瞬いている。前世でも、こうして夜更けに論文のことを考えていた。あの時と今と、状況は全く違うが、知識を追求する情熱は変わらない。
ふと、フィルミナの表情を思い出す。彼女の不安そうな顔、そして寂しそうな微笑み。
研究が発展することは喜ばしいが、それが彼女を置き去りにしてしまうのなら……
レオンは首を振る。今はまだ、そんなことを考える時ではない。まずは目の前の研究に集中しよう。
だが、心の奥では既に予感していた。この研究の発展が、彼らの関係性を大きく変えていくことを。
そして、その変化は思っているよりもずっと早く訪れるであろうことを——
魔導灯の明るい光に照らされた広々とした空間には、精密な測定機器や分析装置が整然と並んでいる。シグレ・マカレアの協力で確保されたこの「共同研究室」は、レオンが夢見ていた理想的な実験環境そのものだった。
「すばらしい……本格的な実験ができる」
レオンは興奮を隠せずに、新しい設備を見回している。魔素濃度測定器、温度調節機能付きの培養槽、さらには顕微鏡を改良したような精密観察装置まで揃っていた。
「気に入ったかい?」
シグレが研究室の奥から声をかける。銀髪の研究者は、いつものように悠然とした笑みを浮かべていた。
「はい、ありがとうございます。これだけの設備があれば、もっと詳しい分析ができそうです」
「それは良かった。さあ、早速始めようか。フィルミナちゃんの協力も必要だ」
フィルミナは研究室の隅で、興味深そうに機器類を眺めていた。人型になってから数日が経ち、彼女の言語能力は飛躍的に向上している。
「レオン様、この光る箱は何ですか?」
「あれは魔素濃度測定器だよ。君の体がどれくらいの魔素を含んでいるかを調べることができる」
「わあ……すごいです」
フィルミナの純粋な驚きを見て、レオンは微笑む。彼女のこの反応が、研究への情熱をさらに掻き立てた。
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「まずは基礎データの取得から始めましょう」
シグレが魔素測定器の前にフィルミナを案内する。
「少し光が当たるかもしれないが、痛くはないから安心してくれ」
「はい……あ」
測定器から発せられた淡い光がフィルミナを包む。すると、機器の数値が急激に跳ね上がった。
「これは……」シグレの表情が変わる。「魔素濃度が8000を超えている。通常の魔法生物の10倍以上だ」
レオンは首を傾げる。「でも、フィルミナはとても安定している。数値が高いのに暴走したりしないのはなぜでしょう?」
「それが君の研究の核心部分だと思う。通常、これだけの魔素を保持していれば、制御不可能になるはずなんだ」
二人は興味深げにデータを眺めた。レオンにとっては魔法世界の常識はまだ理解が浅いが、シグレの驚きから、これが異常な事態であることは分かる。
「もしかして……」レオンが仮説を口にする。「魔素を単純に蓄積しているのではなく、循環させているのかもしれません」
「循環?」
「前世の知識でいうと、生物の代謝システムのように……魔素を取り込んで、必要な分だけ使って、余剰分は放出する。そういう仕組みがあるとしたら」
シグレの目が輝いた。「それは革命的な発想だ。魔素を制御する新しい理論の可能性がある」
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実験は予想以上に順調に進んだ。
レオンの直感的な仮説をもとに、二人は魔素の流れを可視化する実験を行った。特殊な魔導薬品をフィルミナに少量摂取してもらい、その動きを観察する。
「見てください、シグレさん」
レオンが指差す先で、フィルミナの体内に美しい光の流れが現れていた。魔素が規則正しく循環し、一定のパターンを描いている。
「信じられない……まるで生きた魔法陣のようだ」
シグレは感嘆の声を上げる。だが、レオンにとってはむしろ納得のいく光景だった。
「やっぱりそうか。これは血液循環に似ている。心臓のような中枢があって、そこから全身に魔素を送って、また戻ってくる」
「君の発想は本当に独特だな。我々魔法研究者は、魔素を『蓄える』ものだと考えてきた。だが君は『循環させる』ものだと考える」
「単純に蓄積するだけなら、いつかは限界が来ます。でも循環させることで、効率的に使えるようになる」
レオンは興奮気味に説明を続ける。彼の前世の生物学知識が、この異世界の魔法理論と結びついて、新しい理解を生み出していた。
「では、この循環システムを人工的に再現できれば……」
「他のスライムにも応用できるかもしれませんね」
二人の議論は白熱した。フィルミナは自分が実験材料として扱われていることを気にする様子もなく、むしろ楽しそうに光る自分の体を眺めている。
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「レオン様、私もお手伝いできることはありますか?」
フィルミナの申し出に、レオンは考え込む。
「うーん……そうだね。君自身が一番よく分かるだろうから、体の変化があったら教えてほしい」
「分かりました!」
フィルミナは嬉しそうに頷く。その純粋な笑顔を見て、レオンは改めて思う。彼女は単なる実験対象ではない。意志を持った存在なのだと。
「ところで、レオン」シグレが真剣な顔で口を開く。「君の理論をもとに、もう少し大規模な実験をしてみたいのだが」
「大規模な実験?」
「複数のスライムを同時に培養して、君の循環理論が一般的に適用できるかを確認したい。もしそれが成功すれば……」
シグレの言葉に、レオンの心が躍った。より多くの実験材料があれば、さらに詳しい研究ができる。
「ぜひやってみましょう」
「よし、では明日から準備を始めよう。君の直感に賭けてみる価値がある」
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その夜、研究室を片付けながら、レオンは一日の成果を振り返っていた。
シグレという優秀な研究者とのコラボレーションは、想像以上に刺激的だった。彼の魔法理論と自分の前世知識が組み合わさることで、全く新しい発見が生まれる。
「今日は楽しかったですね」
フィルミナが寄り添ってくる。彼女の体はほんのりと温かく、魔素の循環によるものだとレオンは理解していた。
「うん、とても有意義だった。明日からもっと本格的な実験が始まる」
「私も頑張ります」
フィルミナの純粋な意気込みに、レオンは微笑む。彼女のおかげで、この研究は単なる学術的興味以上の意味を持つようになっていた。
「レオン様?」
「なに?」
「シグレ様は、とても驚いていましたね。私、そんなにすごいのですか?」
レオンは少し考えてから答える。
「君は確かに特別だ。でも、それは君が生まれ持った特別さじゃなくて……君と僕が一緒に作り上げた特別さなんだと思う」
フィルミナの頬がほんのり赤くなる。それが恥ずかしさなのか、魔素の反応なのかは分からないが、レオンには美しく見えた。
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翌朝、リヴィエルが朝食を運んできた時、彼女の表情は複雑だった。
「坊ちゃま、昨日はお疲れ様でした」
「リヴィエル、どうかした?元気がないね」
「いえ……その、シグレ様との研究はいかがでしたか?」
リヴィエルの声には、わずかな不安が混じっている。レオンは彼女の心配を察した。
「とても順調だったよ。シグレさんは優秀な研究者だし、僕の理論をすぐに理解してくれる」
「そう……ですか」
「リヴィエルも心配しなくていい。君はずっと僕の一番の支援者だから」
その言葉に、リヴィエルの表情が少し明るくなる。
「ありがとうございます、坊ちゃま」
朝食を済ませると、レオンは再び研究室に向かった。今日から始まる大規模実験への期待で胸が高鳴る。
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研究室では、シグレが既に準備を進めていた。
「おはよう、レオン。見てくれ、昨夜のうちに新しいスライムを6体確保した」
培養槽には、様々なサイズの青いスライムがゆっくりと蠢いている。
「これだけあれば、比較実験ができますね」
「そうだ。君の循環理論を検証するには最適な数だ」
二人は早速実験を開始した。各スライムに異なる濃度の魔素供給を行い、その反応を観察する。
「興味深い……」レオンが培養槽を覗き込む。「3号と5号の反応が似ている。でも、1号は全く違うパターンを示してる」
「個体差があるということかもしれない。人間でも血液型が違うように」
シグレの指摘に、レオンは膝を打つ。
「そうか!スライムにも『魔素型』のようなものがあるのかもしれません」
「魔素型……面白い概念だ」
実験は予想を上回る成果を見せていた。レオンの直感的な仮説が、実証データによって裏付けられていく。
「レオン、君の理論は正しかった。この循環システムは、確実に存在する」
シグレの言葉に興奮するレオン。だが、彼にとってはこれは自然な結果だった。
「当然の結果だと思います。生物なら循環システムがあって当たり前ですから」
その何気ない一言に、シグレは衝撃を受けた。
「当然……そうか、君にとってはこれが『当然』なのか」
「はい?」
「レオン、君は気づいているか?君が今やっていることは、魔法学の根本概念を覆すような革命的発見なんだ」
レオンは首を傾げる。彼にとって、これは前世の知識を応用しただけの当たり前の観察だった。
「でも、基本的な生物学の知識があれば、誰でも同じ結論に達すると思いますが」
「その『基本的な生物学』というものを、我々は知らなかった。君が教えてくれるまで」
シグレの言葉に、レオンは自分の立場を理解し始める。彼の前世知識は、この世界では革命的な新理論なのだ。
「つまり……僕がシグレさんに教えていることになるのですか?」
「そうだ。君は私の師だ、レオン」
その瞬間、立場が逆転した。年上で経験豊富なシグレが、10歳の王子を師として仰ぐという奇妙な構図。
だが、レオンにとってそれは困惑でしかなかった。
「でも、僕はまだまだ分からないことばかりです。魔法のことも、この世界のことも」
「知識に年齢は関係ない。君が持っている視点こそが、我々に必要なものなんだ」
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午後の実験でも、レオンの「当然」の推論が次々と的中していく。
スライムの活性化パターン、魔素吸収の効率性、培養環境の最適化——すべてが彼の前世知識に基づく直感通りの結果を示していた。
「信じられない……」シグレが測定データを見つめる。「君の予測精度は90%を超えている」
「たまたまです」
「たまたまでこの精度は出ない。君には、我々とは根本的に異なる思考体系がある」
シグレの評価に、レオンは戸惑う。彼にとっては基礎的な科学的思考法でしかないのに、この世界ではそれが革命的だと言われる。
「レオン、君に提案がある」
「なんでしょう?」
「君の理論を体系化して、論文として発表しないか?これは魔法学界に大きな衝撃を与えるだろう」
論文発表——レオンの心が躍った。前世では大学院生として研究論文を書いていたが、この世界で再び学術的な貢献ができるとは思っていなかった。
「ぜひやってみたいです」
「よし、では明日から論文の構成を考えよう。『魔素循環理論とスライム進化の新たな理解』とでもタイトルをつけるか」
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その日の夕方、実験を終えて研究室を出る時、レオンは不思議な気分だった。
朝はシグレに教わる立場だったのに、夕方には逆に教える立場になっている。師弟関係が一日で入れ替わってしまった。
「フィルミナ、君はどう思う?」
「どういうことですか?」
「僕がシグレさんの師だって言われたんだ」
フィルミナは少し考えてから答える。
「レオン様は、最初から私の先生でした。だから、シグレ様の先生になっても不思議じゃないです」
その純粋な答えに、レオンは救われた気がした。確かに、フィルミナにとって彼は最初から導く存在だった。
「ありがとう、フィルミナ」
「でも……」フィルミナが続ける。「レオン様が有名になったら、私のことを忘れませんか?」
その不安そうな表情に、レオンは慌てる。
「そんなことない!君がいなかったら、この研究は始まらなかった。君は僕の一番大切な……」
「大切な?」
フィルミナの期待に満ちた瞳に、レオンは言葉を詰まらせる。彼女にとって自分がどんな存在なのか、まだはっきりとは理解できていなかった。
「大切な……研究パートナーだ」
「研究パートナー……」フィルミナは少し寂しそうに微笑む。「はい、頑張ります」
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その夜、自室で一日を振り返りながら、レオンは考え込んでいた。
シグレとの共同研究は大成功だった。だが、それは同時に新たな責任を背負うことも意味していた。師として、論文著者として、そして革命的理論の提唱者として。
「明日からは、もっと本格的になるな」
窓の外では夜空に星が瞬いている。前世でも、こうして夜更けに論文のことを考えていた。あの時と今と、状況は全く違うが、知識を追求する情熱は変わらない。
ふと、フィルミナの表情を思い出す。彼女の不安そうな顔、そして寂しそうな微笑み。
研究が発展することは喜ばしいが、それが彼女を置き去りにしてしまうのなら……
レオンは首を振る。今はまだ、そんなことを考える時ではない。まずは目の前の研究に集中しよう。
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『異世界の女神は誘拐犯なんだ』とリヒトに話し、神社の宮司の孫の理人に異世界でも生きられるように日本人ならではの力を授けてくれた。
ここから『異世界でたった1人の日本人、理人の物語』がスタートする
「『異世界でたった1人の日本人』 私達を蔑ろにしチート貰ったのだから返して貰いますね」が好評だったのですが...昔に書いて小説らしくないのでしっかり書き始めました。
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