転生王子はスライムを育てたい ~最弱モンスターが世界を変える科学的飼育法~

宵町あかり

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第8話 宮廷の激震

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「緊急事態だ!」

重々しい扉が勢いよく開かれ、皇帝陛下の第一秘書官が謁見の間に駆け込んできた。普段は威厳を保つ彼が、額に汗を浮かべながら息を切らしている。

「どうした、ベルナール」

玉座から皇帝エドワード・アルケイオスが低い声で問いかけた。五十歳を過ぎてなお背筋を伸ばして座る皇帝の眼光は鋭く、帝国を統べる者の威厳を漂わせている。

「は、はい。第三王子レオン殿下の件で、緊急の王室会議を開催したいとの申し出が複数の大臣から」

皇帝は静かに頷いた。三日前から王宮中が騒然としていることは承知している。レオンが「人工生命体を創造した」という報告を受けてから、保守派と革新派の対立は激化の一途を辿っていた。

「分かった。一時間後に会議を招集しろ」

「畏まりました。なお、ヴァレンタス宰相閣下からは『帝国の未来に関わる重大事案』として、全閣僚の出席を要請されております」

皇帝の眉がわずかに動いた。ヴァレンタス・グラディウス宰相。帝国政治の実質的な舵取り役であり、保守派の絶対的なリーダーだ。その彼が「重大事案」と称するとき、それは決して軽い意味ではない。

「承知した。では準備を」

秘書官が一礼して退出すると、謁見の間には重い沈黙が流れた。皇帝は深いため息をついて玉座にもたれかかる。

(レオンよ、お前は一体何を始めたのだ...)

◆◇◆

一時間後、王室会議室は緊張に満ちた空気に包まれていた。楕円形の大理石テーブルを囲んで、帝国の最高幹部たちが座している。革新派の内務大臣シルヴィア・ノーブルクロスは書類を何度も確認し、保守派の財務大臣ロベルト・ハインケルは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。

そして、上座に座るヴァレンタス・グラディウス宰相。

六十歳を迎えたその男は、白髪混じりの髪を後ろで束ね、深い皺の刻まれた顔に鋭い眼光を宿していた。帝国政界で四十年を過ごし、三代の皇帝に仕えてきた政治の鬼才。その威厳ある風貌は、会議室にいる誰もが一目置く存在感を放っている。

「皆様、お忙しい中お集まりいただき、感謝いたします」

ヴァレンタスが立ち上がると、会議室の空気が一層重くなった。低く響く声が会議室を支配する。

「本日は、第三王子レオン殿下の研究活動について、緊急に協議する必要があります」

彼はゆっくりと席を回りながら続けた。

「諸君もご存知の通り、殿下は『人工生命体』なるものを創造されたとの報告が上がっております。しかし、私はこれを単なる学術的成果とは考えておりません」

革新派の内務大臣シルヴィアが口を開いた。

「宰相閣下。しかし、これは画期的な発見ではないでしょうか。魔法と科学の融合という我が帝国の国策にも合致します」

「シルヴィア大臣」

ヴァレンタスが振り返る。その瞳には冷徹な光が宿っていた。

「『画期的』という言葉で片付けるには、あまりに危険すぎませんか。人工的に生命を作り出すことが、神への冒涜でないと断言できますか?」

会議室にざわめきが走った。保守派の議員たちが頷き、革新派は顔をしかめる。

「それに」ヴァレンタスは続けた。「この技術が悪用された場合を考えてみてください。敵国がこの技術を手に入れれば、我が帝国に対する脅威となりかねません」

◆◇◆

議論が白熱する中、謁見の間の扉が開かれた。レオンとフィルミナ、そしてリヴィエルが入室する。

レオンは相変わらず研究者然とした格好で、緊張した様子はまったく見せていない。その隣を歩くフィルミナは、薄青色の髪が光に透けて美しく、透明感のある肌は人間と見分けがつかないほどだった。

「失礼いたします」

レオンが軽く頭を下げる。その態度は、まるで研究発表会に参加するような気軽さだった。

「レオン」皇帝が息子に向かって言った。「お前の研究について、詳しく説明してもらいたい」

「はい、父上。こちらがフィルミナです」

レオンがフィルミナの手を引いて前に出る。フィルミナは緊張した様子で会議室を見回した後、丁寧にお辞儀をした。

「は、初めまして。フィルミナと申します」

その美しい声に、会議室の空気が一瞬止まった。書類上での報告と、実際に目の前で話す存在とでは、衝撃の度合いが全く違う。

内務大臣シルヴィアが驚愕した。

「これは...本当に人工的に?」

「はい」レオンが答える。「スライムを培養して、魔素濃度を調整しながら育成しました。基本的には通常の生物学的手法です」

「通常って...」財務大臣ロベルトが呟いた。「これのどこが通常なんだ」

レオンは首をかしげた。

「えーっと、培養液の作成、環境制御、段階的な魔素供給...どれも基礎的な手法ですが」

会議室の全員が絶句した。彼にとっては「基礎的」でも、この世界の常識を完全に覆している。

ヴァレンタス宰相が一歩前に出た。

「殿下。この『フィルミナ』という存在は、果たして何なのでしょうか。人間なのか、魔物なのか」

フィルミナが困った顔でレオンを見上げた。レオンは彼女の頭を優しく撫でながら答える。

「彼女は彼女です。分類学的にはスライム族ですが、自我を持った独立した存在です」

「自我を持った...魔物?」

ヴァレンタスの声に警戒の色が混じった。

「それは帝国の安全保障上、極めて危険な存在では?」

「危険?」レオンが眉をひそめた。「フィルミナが誰かを傷つけるわけがありません。彼女はとても優しい性格ですよ」

まるで愛犬を紹介するような口調だった。レオンにとって、フィルミナは研究対象であり、大切な存在だった。しかし、宮廷の人々には全く違って聞こえる。

「レオン様」フィルミナが小さな声で言った。「私、皆さんを不安にさせてしまってますか?」

その純真な問いかけに、会議室の空気が微妙に変わった。

◆◇◆

ちょうどその時、再び扉が開かれた。今度は帝国魔法学会の代表団が入室する。先頭を歩くのは学会長のシグレ・マカレアだった。

「陛下、お忙しい中失礼いたします」

シグレが一礼する。その後ろには、見慣れない外国の使節たちが続いていた。

「シグレ博士、この方々は?」

「隣国カドリア王国と東方連合の魔導学者団です。レオン殿下の研究について、緊急の学術調査を申し出られました」

カドリア王国の使節が前に出た。金髪に青い瞳の壮年男性で、魔導師のローブを身に纏っている。

「カドリア王国宮廷魔導師、アーカス・ヴェインハルトと申します。『人工生命体創造』の報告が我が国にも届いており、学術的な検証をお願いしたく参りました」

続いて東方連合の使節も挨拶した。

「東方連合魔導研究所のライラ・シンと申します。この技術の平和利用について、協議させていただければと」

レオンの目が輝いた。

「おお、同じ研究者の方々ですね!ぜひフィルミナを見ていってください。培養方法についても詳しく説明できますよ」

レオンの無邪気な反応に、会議室の緊張感が一気に高まった。各国の使節たちは互いに視線を交わし、明らかに何かを探り合っている。

ヴァレンタス宰相の表情が厳しくなった。

「殿下。軽々しく技術を開示するおつもりですか?」

「え?なぜダメなんです?学術的発見は共有するものでしょう」

「それは...」

レオンの純粋すぎる反応に、ヴァレンタスは言葉を詰まらせた。しかし、その様子を見た各国使節の表情が変わる。

(これは思っていたより重要な技術だ)

彼らの視線がフィルミナに集中した。

◆◇◆

「陛下」ヴァレンタス宰相が皇帝に向き直った。「このような重要な技術を、安易に外国に開示すべきではありません。帝国の国益を考えるべきです」

カドリア王国のアーカスが反論する。

「宰相閣下。しかし、学術的発見の共有は大陸諸国の伝統です。秘匿することこそ、国際的な緊張を生みませんか?」

「その通りです」東方連合のライラも続いた。「むしろ透明性を保つことで、技術の平和利用を保証できるのでは」

革新派のシルヴィア内務大臣が立ち上がった。

「私も外国使節の皆様の意見に賛成です。この技術は人類全体の財産として共有すべきです」

保守派の財務大臣ロベルトが激しく首を振った。

「とんでもない!帝国独自の技術優位こそが、我々の安全保障の基盤だ」

議論が激化する中、レオンは困惑していた。

「あの...皆さん、なぜそんなに争っているんです?僕はただスライムの研究をしただけで...」

その時、フィルミナがレオンの袖を引いた。

「レオン様、私のせいで皆さんが困っているんですね。私、消えた方がいいでしょうか?」

その言葉に、レオンの表情が変わった。

「何を言ってるんだ、フィルミナ。君は君だ。誰も君を消したりなんてさせない」

レオンがフィルミナの手を握る。その瞬間、会議室の全員が息を呑んだ。

純粋な愛情に満ちたその光景は、政治的思惑を一瞬忘れさせるほど美しく見えた。

ヴァレンタス宰相が眉をひそめる。

(この少年は本当に何も理解していないのか、それとも...)

◆◇◆

長い沈黙の後、皇帝エドワードが立ち上がった。

「静粛に」

皇帝の一言で、会議室が完全に静まり返った。

「レオン」皇帝が息子を見据えた。「お前の研究が、これほど大きな波紋を呼ぶとは思っていたか?」

「正直に言うと、思っていませんでした」レオンが答える。「でも、新しい発見が議論を呼ぶのは当然です。科学の発展とはそういうものですから」

皇帝は小さく笑った。

「相変わらず、お前は研究者だな」

そして会議室全体を見回す。

「諸君、私の決断を述べる」

全員が固唾を呑んで見守った。

「レオンの研究は継続を許可する。ただし、以下の条件を付ける」

皇帝が指を立てて列挙した。

「第一に、研究内容は帝国機密とし、外部への開示は朕の許可を要する」

各国使節の表情が変わった。

「第二に、魔法学会による定期的な監査を受けること」

シグレが頷く。

「第三に、軍事転用の可能性については、別途検討会を設ける」

ヴァレンタス宰相が複雑な表情を見せた。

「以上だ。異論のある者は申し出よ」

しばしの沈黙の後、ヴァレンタスが口を開いた。

「陛下の御英断を尊重いたします。しかし、監視体制については十分な配慮を」

「承知している。シグレ博士、よろしく頼む」

「畏まりました、陛下」

こうして、レオンの研究は帝国公認の重要プロジェクトとなった。しかし、レオン本人は相変わらず状況を理解していない。

「よかった、研究を続けられるんですね。フィルミナ、安心して」

フィルミナが嬉しそうに微笑んだ。

「はい、レオン様。これからもよろしくお願いします」

会議室の全員が、この無邪気な二人を複雑な思いで見詰めていた。

◆◇◆

会議が終了し、それぞれが退室していく中、各勢力の思惑が交錯していた。

ヴァレンタス宰相は廊下で部下に指示を出す。

「第三王子の監視を強化しろ。あの少年が意図的にやっているのか、本当に天然なのか、まだ判断がつかん」

「はい、閣下。しかし、万が一彼が帝国転覆を企んでいるとすれば...」

「その時は容赦はしない。帝国の安定が最優先だ」

一方、革新派のシルヴィア内務大臣は興奮していた。

「これは新時代の幕開けよ!レオン殿下こそ、我々が待ち望んでいた改革者だわ」

「しかし大臣、殿下は政治にまったく興味がおありでないようですが」

「それがいいのよ。純粋な理想主義者こそ、真の変革を起こせるの」

各国使節も密談を交わしていた。

「アーカス、あの技術は本物だったな」

「ああ。我が国でも独自に研究を始める必要がある。遅れをとるわけにはいかん」

「しかし、あの王子の無警戒さは驚きだな。本当に何も考えていないのか?」

「だからこそ危険だ。天才の無自覚な行動ほど、予測不可能なものはない」

そして当のレオンは、フィルミナと手を繋いで研究室に向かっていた。

「レオン様、今日は大変でしたね」

「そうだね。でも、これで堂々と研究を続けられる。君の能力についても、もっと詳しく調べたいし」

「はい!私、レオン様のお役に立ちたいです」

リヴィエルが二人の後ろを歩きながら、心配そうに呟いた。

「坊ちゃま、もう少し政治的なことも考えていただかないと...」

しかし、レオンの関心は既に次の実験に向いていた。

(フィルミナの進化はまだ途中段階のはず。さらなる可能性を探ってみよう)

そんな彼の無邪気な研究欲が、やがて帝国全体、さらには大陸全体を巻き込む大事件へと発展していくことを、まだ誰も知らなかった。

宮廷の激震は、これからが本番だった。
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