転生王子はスライムを育てたい ~最弱モンスターが世界を変える科学的飼育法~

宵町あかり

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第10話 兄との対立

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「第三王子レオン・アルケイオス殿下にお伝えいたします」

厳格な石造りの廊下に、使者の声が響いた。レオンは実験室で魔素濃度の調整をしていたところだったが、手を止めて振り返る。

「はい」

「第一王子ユリオス殿下がお呼びです。至急、殿下の私室までお越しください」

使者は深々と頭を下げたが、その表情には緊張が漂っていた。皇宮の使者が緊張するということは、ただ事ではない。

「分かりました。すぐに向かいます」

レオンは実験器具を片付けながら、フィルミナに振り返った。

「フィルミナ、少し兄上のところに行ってくる。リヴィエルと一緒に待っていてくれ」

「はい、レオン様。でも...」

フィルミナの表情に不安が宿る。第八話の宮廷会議以来、城内の空気は微妙に変わっていた。廊下を歩く貴族たちの視線、使用人たちの会話の微妙な間。何かが変わろうとしている。

「大丈夫だ」レオンがフィルミナの頭を撫でた。「ただの兄弟の話し合いだよ」

リヴィエルが心配そうに口を開く。

「坊ちゃま、第一王子殿下は最近政務でお忙しくされています。もしかすると...」

「政治的な話だろうね」レオンが肩をすくめた。「でも、僕は研究者だから。兄上の心配は杞憂だと分かってもらえるはず」

---

ユリオスの私室は、レオンの実験室とは対照的だった。重厚な調度品に囲まれ、壁には帝国の歴史を描いた絵画が並んでいる。机上には山積みの公文書と、各地から届いた報告書が整然と分類されていた。

「失礼いたします、兄上」

レオンが扉をノックして入室すると、ユリオスは窓際に立って外を眺めていた。金髪が夕日に照らされ、その横顔は帝国の未来を背負う者の重みを感じさせる。

「レオン...来たか」

ユリオスが振り返る。深紅の瞳には、普段の冷静さとは違う感情が宿っていた。怒りか、それとも失望か。

「お忙しい中すみません。お呼びでしたね」

レオンが軽く頭を下げる。彼にとって、これは単なる兄弟の会話だった。しかし、ユリオスの表情を見て、少し違和感を覚える。

「座れ」

ユリオスが応接用の椅子を指差した。レオンが腰を下ろすと、ユリオスも向かいの椅子に座る。しばしの沈黙が流れた。

「レオン、お前の研究について話したい」

ユリオスの声は低く、威厳に満ちていた。第一王子として、帝国の将来を考える立場からの発言だった。

「研究ですか?」レオンが首をかしげる。「何かご質問があれば、喜んでお答えしますが」

「質問ではない」ユリオスが立ち上がった。「忠告だ」

レオンの眉がわずかに動く。忠告とは穏やかではない。

「その研究を止めろ」

ユリオスの言葉は断言調だった。部屋の空気が一瞬で張り詰める。

「止める?」レオンが困惑した。「なぜです?父上からは継続の許可をいただいていますが」

「父上は甘すぎる」ユリオスが拳を握った。「お前が何をしているのか、本当に分かっているのか?」

レオンは純粋な疑問を顔に浮かべた。

「スライムの培養と育成です。基礎的な生物学研究ですよ」

「基礎的?」ユリオスの声に苛立ちが混じる。「人工生命体を作り出すことが基礎的だと?」

「ええ」レオンが当然のように答えた。「培養環境を整えて、適切な栄養を与えて、魔素濃度を調整しただけです。前世...じゃなくて、以前勉強した知識の応用です」

ユリオスは弟の無邪気な返答に言葉を失った。

---

「レオン、お前は分かっていない」

ユリオスが窓際に歩いて行く。夕日が西の空を染め、城下町に影を落としていた。

「お前の研究は帝国に混乱をもたらしている」

「混乱?」レオンが眉をひそめた。「具体的にはどのような...」

「保守派と革新派の対立が激化している」ユリオスが振り返った。「お前の『人工生命体』を巡って、宮廷が二分されているのだ」

レオンは本気で理解できないという表情を見せた。

「でも、それは学術的な議論でしょう?新しい発見があれば、議論が起きるのは当然です」

「学術的?」ユリオスが苦笑いを浮かべた。「カドリア王国と東方連合から調査団が来ていることを忘れたか?」

「ああ、あの研究者の方々ですね」レオンが明るく答えた。「同じ分野の専門家とお話しできて、とても有意義でした」

ユリオスの表情が厳しくなった。

「あれは調査団ではない。スパイだ」

「え?」

レオンが驚いた顔をする。彼の世界観では、研究者は純粋に学術的な興味で動くものだった。

「お前の技術を盗み取るために来たのだ。そして、その技術を軍事利用する可能性を探っている」

「軍事利用?」レオンが首を振った。「そんなことをする理由がありません。フィルミナは戦うために生まれたわけではありませんよ」

「お前がそう思っていても、他国はそうは考えない」

ユリオスがレオンの前に立った。深紅の瞳が弟を見据える。

「人工的に兵士を作り出す技術。不死身の肉体を持つ戦闘員の量産。敵国にとって、これほど魅力的な技術はない」

レオンの表情が曇った。

「そんな...フィルミナは優しい子です。誰かを傷つけるなんて」

「問題はフィルミナ個人ではない」ユリオスが声を荒らげた。「技術そのものが問題なのだ」

---

「それに」ユリオスが続けた。「お前は帝国内の政治情勢も理解していない」

レオンが困った顔で聞き返す。

「政治情勢?」

「ヴァレンタス宰相が動いている」

その名前を聞いて、レオンの表情が少し引き締まった。宮廷会議での宰相の威圧的な雰囲気は印象に残っている。

「宰相閣下がどうかしましたか?」

「お前の研究を危険視している。神への冒涜だ、帝国秩序の破壊だ、と主張している」

ユリオスが歩きながら説明する。

「そして、保守派の貴族たちがそれに同調している。お前を帝国から追放すべきだという声さえ上がっている」

レオンが驚愕した。

「追放?でも、僕は何も悪いことをしていません」

「悪いことをしていないかどうかではない」ユリオスが立ち止まった。「問題は、お前の存在が帝国の安定を脅かすということだ」

「安定を脅かす?」

レオンには理解できなかった。研究をしているだけなのに、なぜそんなことになるのか。

「お前は革新派の旗印になってしまった」ユリオスが説明した。「彼らはお前を『新時代の象徴』として担ぎ上げようとしている」

「でも、僕は政治には興味がありません」

「それが問題だ」ユリオスの声に苛立ちが募る。「お前の無自覚さが、かえって状況を悪化させている」

レオンは混乱していた。純粋に研究をしていただけなのに、いつの間にか政治的な争いの中心に立たされている。

「兄上、僕はどうすれば...」

「研究を止めろ」ユリオスが再び断言した。「フィルミナとやらを処分して、元の生活に戻れ」

その瞬間、レオンの表情が変わった。

---

「処分?」

レオンの声に、今まで聞いたことのない強さが宿った。

「フィルミナを処分するということですか?」

ユリオスは弟の変化に気づいたが、引き下がらなかった。

「そうだ。所詮は実験体だろう?」

「違います」

レオンが立ち上がった。普段の穏やかな表情は消え、研究者としての信念が露わになる。

「フィルミナは独立した存在です。自我を持ち、感情を持ち、僕を信頼してくれている大切な存在です」

「存在?」ユリオスが冷笑した。「スライムが進化しただけの化け物ではないか」

「化け物ではありません!」

レオンが初めて兄に対して声を荒らげた。その迫力に、ユリオスが一瞬ひるむ。

「フィルミナは...フィルミナです。分類とか種族とか、そんなことは関係ありません」

レオンの青緑の瞳に、強い意志の光が宿っていた。

「彼女は僕を『レオン様』と呼んで、毎朝嬉しそうに挨拶してくれます。実験の手伝いをして、一緒に新しい発見を喜んでくれます。そんな彼女を処分しろだなんて...」

ユリオスが眉をひそめた。

「お前、まさかその化け物に...」

「化け物と呼ぶな!」

レオンの怒りが爆発した。普段は温厚な彼が、これほど激しく感情を露わにするのは珍しいことだった。

「フィルミナは僕が守ります。誰にも渡しません」

---

しばしの沈黙が流れた。ユリオスは弟の変貌に戸惑っていた。いつも研究に夢中で、政治的なことには無関心だった弟が、これほど強い意志を見せるとは。

「レオン」ユリオスが冷静な声で言った。「お前は帝国の王子だ。個人的な感情よりも、国家の利益を考えるべきではないか?」

「国家の利益?」レオンが振り返った。「僕の研究が帝国にとって不利益だとは思えません」

「現実を見ろ」ユリオスが立ち上がった。「お前のせいで宮廷は混乱し、他国は帝国を警戒している。これのどこが利益だ?」

レオンは少し考えた後、静かに答えた。

「知識の発展は、短期的には混乱をもたらすかもしれません。でも、長期的には必ず人類の役に立ちます」

「理想論だ」ユリオスが首を振った。「現実の政治はそんなに甘くない」

「だからこそ、僕は政治家ではなく研究者なんです」

レオンの答えに、ユリオスは言葉を失った。

「僕は帝国の未来のために研究をしています。でも、それは政治的な意味での未来ではありません。知識と技術による、より良い世界のためです」

ユリオスの深紅の瞳に、複雑な感情が宿った。弟の純粋さと、現実の厳しさのギャップ。

「レオン、お前は...」

「僕は研究を続けます」レオンが断言した。「フィルミナを守り、新しい発見を追求します」

そして、一歩前に出る。

「兄上がそれを止めようとするなら...」

レオンの瞳に、決意の光が宿った。

「僕は兄上と戦うことになってしまいます」

---

ユリオスは弟の言葉に衝撃を受けた。いつも穏やかで、争いを好まない弟が、自分に「戦う」と宣言したのだ。

「戦う、だと?」

ユリオスの声に困惑が混じる。

「僕だって、大切なものを守るためなら戦います」レオンが真剣な表情で答えた。「フィルミナは...僕にとって、それほど大切な存在なんです」

ユリオスは弟を見詰めた。この純粋な研究者が、政治的な争いに巻き込まれることを望んではいない。しかし、彼の頑固さも理解した。

「分かった」ユリオスがため息をついた。「今日のところは引き下がろう」

レオンが少し安堵の表情を見せる。

「ただし」ユリオスが続けた。「お前が何を選択しようと、帝国の安定が第一だ。いずれ決断の時が来る」

レオンは頷いた。

「その時は、僕なりの答えを見つけます」

ユリオスが窓際に戻る。夕日はもう西の地平線近くまで沈んでいた。

「行け、レオン。お前の『大切な存在』が心配しているだろう」

レオンが一礼して部屋を出ていく。扉が閉まった後、ユリオスは独り言ちた。

「純粋すぎるお前が、この複雑な世界で生き抜けるのか...」

---

レオンが実験室に戻ると、フィルミナが心配そうに迎えた。

「レオン様、お帰りなさい。お疲れ様でした」

「ただいま、フィルミナ」

レオンが彼女の頭を撫でる。その温かい感触に、先ほどの緊張が和らいだ。

「第一王子殿下とは、どのような...」リヴィエルが気遣わしげに尋ねる。

「ちょっとした意見の違いだよ」レオンが微笑んだ。「でも、大丈夫だ」

フィルミナが不安そうに見上げる。

「レオン様、私のせいで何か...」

「君のせいじゃない」レオンが彼女の手を握った。「君は何も悪くない」

「でも...」

「フィルミナ」レオンが真剣な表情になった。「僕は君を守る。どんなことがあっても」

フィルミナの紫の瞳に涙が浮かんだ。

「レオン様...」

「君は僕にとって、とても大切な存在だ。研究対象とか、実験体とか、そんなことじゃない」

レオンの言葉に、フィルミナの頬がほんのり赤くなった。

「大切な...存在...」

彼女にとって、それは愛情の告白のように聞こえた。しかし、レオンは研究者としての純粋な愛情を表現しただけだった。

リヴィエルがため息をつく。

「坊ちゃま、もう少し状況を理解していただかないと...」

「分かってるよ、リヴィエル」レオンが振り返った。「でも、僕には僕の道がある」

そして、実験室の窓から夜空を見上げる。星が瞬き始めていた。

「研究を続ければ、もっと大きな嵐が来るかもしれない。でも、それでも僕は進む」

フィルミナが彼の隣に立った。

「私も、レオン様と一緒に」

「ありがとう、フィルミナ」

レオンが微笑む。その笑顔は、嵐の前の静けさの中で、希望の光のように輝いていた。

しかし、宮廷の奥深くでは、ヴァレンタス宰相が密かに次の手を準備していた。純粋な研究者と、複雑な政治の世界。その衝突は、やがて帝国全体を巻き込む大きな変化をもたらすことになる。

兄との対立は、レオンにとって新たな決意の始まりだった。
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