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逃亡編
転落の幕明け
しおりを挟む十月十日の早朝。アイド・クレースはメイド服に身を包むと、気持ち足早で廊下を歩いた。そしてメト王女の寝室の扉をノックする。
「はい」
「失礼します」
アイドは寝室に入る。メトはすでにベッドから離れ窓辺にいた。
「今日はいいお天気ね、アイド」
朝の澄んだ日光を浴びながらメトは、アイドを振り向いた。
「そうですね、メト様」
微笑を浮かべ、アイドはメトの傍へゆく。メトはアイドがいつもと違う事に気が付いた。
「何かあったの? 」
「ご報告があります」
アイドから話を聞くとメトは目を丸くし、口を押えた。
「まさか、城人になっていたなんて……」
「今は八局棟の拘束室に入れられています」
メトはしばし黙った。そしてすぐに決断した。
「アイド、彼女を助けます」
アイドは主の顔を見る。その瞳に迷いはなかった。
「手を貸してくれない? 」
「もちろんです。確か彼女はバリミア・コイズと親しくしております」
「ちょうどいいわ。バリミアを呼んで来て。その人を逃がします。それがミトスがこの世界に残した唯一の願いだから」
(十月十一日 午前)
「安い仕事をするな。前にそう言ったのを覚えているか、カンダ」
無機質な部屋にあるのは四角いテーブル。それに椅子が二つ。その椅子のひとつにシズは座り、もうひとつにはハクエンが座っている。その間にテーブル。テーブルの横にカラミンが腕組みして立っている。ここは八局室。
「お前はなぜここにいるか分かっているか?」
なぜ私はここにいる? シズは考える。
「サウザン氏は重傷だよ。顔が腫れあがってろくに喋る事ができない」
サウザンをタコ殴りにして何日経ったか、シズは分からなかった。一日も経っていないようにも思えるし一週間過ぎたようにも思える。自分の手を見ればまた包帯が巻かれていた。今度は両手だ。あんなにちゃんと人を殴ったのはこっちに来て初めてだと、シズは思い返す。
「顔を上げてくれないか? 」
シズは自分の手を眺め続けた。
「一言くらい話してくれてもいいんじゃないか? 」
話なんかもうどうでもいい。シズは思った。
「ハートフィールドが死んだ事と関係あるのだろう? 彼が死ぬ前日にお前は俺達に話すことがあったのだろう?」
その話はシズにはもう、どうでもよかった。今さらしたってしょうがない。ハクエン局長にことごとくだんまりを決め込んでいると、カラミンがシズの襟元を掴み引き上げた。不愉快極まりないというカラミンの顔が、シズの目に映った。
「いつまでその態度でいるつもりだよ。いい加減にしろ」
いつものようなヘラヘラした様子を微塵も感じさせなかった。
「カラミン、落ち着け」
ハクエンがカラミンを制す。カラミンは舌打ちをして渋々、シズから手を離した。私の腰は椅子へと戻り、目はまた手を映した。
「自分がした事分かってんの? カンダ? お前は四局だよ。四局個人が勝手に家に乗り込んで半殺しにして。そんな事許されると思ってないよね?」
態度を変えないシズにカラミンは、苛立ちを帯びた叱責を投げつけて来た。
「知るかよ」
シズは何も考えていなかった。勝手に口が投げやりにそう言っていた。
「私はただ帰りたいから四局なったんだよ」
「どういう意味だ? 」
ハクエンが聞く。そのままの意味だよ、局長。そう言葉にする前に、シズは頬に何かを感じた。サウザン氏をボコボコにしてから、シズはうっとおしいぐらいに涙が出る。止まったと思えば、些細な事で流れる。そのせいで目は赤く腫れてみっともない事になっている。
「帰りたかっただけだよ、私は」
それだけだった。シズがここで生きていた理由はそれだけだった。けれどシズの十八年間は、生まれた時から奪われていた。それなのに、シズは帰れると思っていた。不安になっても、揺らぎそうになっても、帰ると思い続けた。シズは過去が返って来るとでも思っていた。そんなことありえないのに。もうここにシズの生きる意味はなかった。なんで、自分が今、生きているのかもわからなかった。
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