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過去編
百年の恋、もしくは隠された希望
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インデッセに寂しい冬が来た。暖炉を焚いても温まらない執務室で、スピネ王子は国家予算の資料を熟読していた。
「今年は気候にも恵まれ、例年よりは作物の収穫率がよかったと」
スピネの秘書、バナジ・ペンタゴンが飲み物を運んできた。あたたかい香りにスピネは資料から顔を上げた。
「ベグテクタのレモンを砂糖漬けにし、お湯で割ったものでございます。甘酸っぱくなかなかの美味でございますよ。レモンは疲労回復に効くといいますしね」
スピネは微笑むと礼をいった。
「ありがとう、いただくよ」
スピネはレモンの香りを楽しむと、ホットレモンを口にした。
「うん、美味だよ。からだが温まる」
穏やかな表情になったスピネに、ペンタゴンはひとときの安心を得た。
「最近の王子はずっと眉間に皺を刻んでおられました。ついさっきもです」
スピネは思わず自分の眉間に障る。
「酷い顔だったか? 」
「滅相もありません。ただ、仕事にいささか熱心すぎるかと。働き過ぎはからだに毒でございます」
スピネは苦笑し、資料に目をやった。
「私が足掻いたところですぐにはどうにもならないのは分かっているのだがな」
自虐をスピネは零した。
「ペンタゴンの言う通り、例年に比べれば今年は豊作と言って許されるだろう。だが、それでも自国の民を賄うにはまだ厳しい。作物の出来も他国に比べると劣ってしまうから輸出しても赤字だろう」
「インデッセはまだ新しいに近い国でございます。土がよくなるにはまだ幾年かかかってしまうでしょう。それでも耕し続ければここは他の国にも負けない、いいものが育つでしょう。時間はかかります。その時間を繋ぐ為にルリ様を妻にし、ベグテクタと同盟を結んだのでございましょう? 」
スピネはカップを傾け、ホットレモンを揺らした。暖炉の薪が折れる音が響く。
「そうだ。だがいかんせん、オードとの貿易に金がかかり過ぎている。律儀に毎年利子も増えていく。強欲な奴らだ。この夏、ベグテクタでオードの王に会ったとき、お前も聞いただろう?父上が生きている間に利子の支払いが終わる目処はなさそうですな、王子殿も大変ですなと笑いながら言いやがった。律儀に侮辱を忘れない男だ、あの王は」
スピネの口は弧を描いていたが、瞳には憎しみが宿っていた。
「王の体調もここ数日は安定しております。」
「だが、冬を越すのは厳しいだろう? 」
ペンタゴンははっきりと答えられなかった。インデッセの王、トテールは一年前から病に伏していた。医者もあと半年もつかどうかと診断している。トテールが倒れてからは、スピネが代わりに王の執務をこなしている。
「父上は甘すぎたのだ。だからオードにつけいれられた」
「しかし、あの飢餓のときにオードの輸入がなければもっとひどい状態になっていたでしょう。王は民のことを考え、苦渋の選択をしたのです」
「それでもそれが原因でオードにはベグテクタとインデッセは傷を舐め合っていると笑われているのだ。我が国はまだ選べる立場にいないということだ。情けない。オードどころか、アベンチュレ、ベグテクタのはるか後ろを付いていくのに精一杯だ。追いかけるだけでは駄目だ。他の国が持っていない何かをインデッセが持たない限り、この苦しい現状を打破することはできない」
「他の国が持っていないもの、ですか」
「ああ、作物でも、鉱石でも何か……」
スピネの眉間に皺が戻る。ペンタゴンは国の将来を考え過ぎるスピネを心配することしかできなかった。ペンタゴンはスピネの後ろの壁にかかっていたタペストリーが昨日と変わっていることに気が付いた。
「ルリ様はまた新しいのを」
タペストリーのことをいっているのに気が付いたスピネは振り返って、今朝渡されたタペストリーをペンタゴンと共に眺めた。
「ああ、最近仕上げるのが速くなった」
「それに腕を上げましたね。今回の作品は今までの一番私は好きでございます」
赤を基調とし、白い花で模様づけているタペストリーは落ち着いた執務室を明るくした。
「暇にさせているからな。それでいて熱心だ。ルリはいい子だよ」
それはスピネの本心からの言葉であった。実際、スピネの妹であるラズ王女もルリには懐いていた。ルリより三つ下のラズは歳も近く、よくお茶会を二人で開いていた。
「ルリ様と言えば、最近、鏡泉の方によく行かれるそうですよ」
「あの地下の泉か? 危なくはないか? 人気がないから何かあったらすぐには助けられないぞ」
「左様です。メイド長もそれを心配してジルに事あるごとにいいつけているのですが、ルリ様はお転婆なところがありますしね。中々言うことを聞いてくれないそうで。メイド長はジルの気持ちも分かるそうで困っています」
「板挟みのジルも大変だな」
スピネは笑った。
「まあ、元気がないよりは元気があった方がいいからな。しかし、何かあってはいけない。私から注意するとしよう」
スピネは椅子から立ち上がる。
「外を歩くのは気晴らしにもなるしな」
「ええ。外套を準備いたします」
「ああ、あと手袋も」
「承知しております」
「ダイアス、半年の間に随分大きくなったわね」
外套を羽織り、耳宛てに手袋、マフラーを巻いたルリは泉の縁に立つダイアスの傍にしゃがみ込んだ。ダイアスの銀の輝きはますます増していた。大きさも半年前まではジルの掌に乗るぐらいだったのに今では五歳児ぐらいの大きさまでに成長していた。
「お前、寒くないの? 私のマフラー貸してあげようか? 」
「いらん。そんなものなくても体温は保てる」
ダイアスは偉そうに言った。
「へぇ、すごいねお前は。羨ましいよ」
「ルリ様そろそろ戻りましょう。この寒い中ここにいたら風邪をひいてしまいます。メイド長にもまた怒られてしまいます」
ルリと似たような恰好をしたジルはダイアスを厄介者にやる目つきで見た。ジルの目には最初と変わらず、ダイアスは桃色に見えた。
「もう少し」
ルリはごねる。
「もう戻りましょう」
ジルは厳しく言い付けた。
「じゃあダイアス、私の部屋へ来てよ。招待するわ」
ダイアスが「嫌だ」と断る前にジルが叫んだ。
「いけません! 」
ジルの叱責にルリの肩が跳ねる。
「今年は気候にも恵まれ、例年よりは作物の収穫率がよかったと」
スピネの秘書、バナジ・ペンタゴンが飲み物を運んできた。あたたかい香りにスピネは資料から顔を上げた。
「ベグテクタのレモンを砂糖漬けにし、お湯で割ったものでございます。甘酸っぱくなかなかの美味でございますよ。レモンは疲労回復に効くといいますしね」
スピネは微笑むと礼をいった。
「ありがとう、いただくよ」
スピネはレモンの香りを楽しむと、ホットレモンを口にした。
「うん、美味だよ。からだが温まる」
穏やかな表情になったスピネに、ペンタゴンはひとときの安心を得た。
「最近の王子はずっと眉間に皺を刻んでおられました。ついさっきもです」
スピネは思わず自分の眉間に障る。
「酷い顔だったか? 」
「滅相もありません。ただ、仕事にいささか熱心すぎるかと。働き過ぎはからだに毒でございます」
スピネは苦笑し、資料に目をやった。
「私が足掻いたところですぐにはどうにもならないのは分かっているのだがな」
自虐をスピネは零した。
「ペンタゴンの言う通り、例年に比べれば今年は豊作と言って許されるだろう。だが、それでも自国の民を賄うにはまだ厳しい。作物の出来も他国に比べると劣ってしまうから輸出しても赤字だろう」
「インデッセはまだ新しいに近い国でございます。土がよくなるにはまだ幾年かかかってしまうでしょう。それでも耕し続ければここは他の国にも負けない、いいものが育つでしょう。時間はかかります。その時間を繋ぐ為にルリ様を妻にし、ベグテクタと同盟を結んだのでございましょう? 」
スピネはカップを傾け、ホットレモンを揺らした。暖炉の薪が折れる音が響く。
「そうだ。だがいかんせん、オードとの貿易に金がかかり過ぎている。律儀に毎年利子も増えていく。強欲な奴らだ。この夏、ベグテクタでオードの王に会ったとき、お前も聞いただろう?父上が生きている間に利子の支払いが終わる目処はなさそうですな、王子殿も大変ですなと笑いながら言いやがった。律儀に侮辱を忘れない男だ、あの王は」
スピネの口は弧を描いていたが、瞳には憎しみが宿っていた。
「王の体調もここ数日は安定しております。」
「だが、冬を越すのは厳しいだろう? 」
ペンタゴンははっきりと答えられなかった。インデッセの王、トテールは一年前から病に伏していた。医者もあと半年もつかどうかと診断している。トテールが倒れてからは、スピネが代わりに王の執務をこなしている。
「父上は甘すぎたのだ。だからオードにつけいれられた」
「しかし、あの飢餓のときにオードの輸入がなければもっとひどい状態になっていたでしょう。王は民のことを考え、苦渋の選択をしたのです」
「それでもそれが原因でオードにはベグテクタとインデッセは傷を舐め合っていると笑われているのだ。我が国はまだ選べる立場にいないということだ。情けない。オードどころか、アベンチュレ、ベグテクタのはるか後ろを付いていくのに精一杯だ。追いかけるだけでは駄目だ。他の国が持っていない何かをインデッセが持たない限り、この苦しい現状を打破することはできない」
「他の国が持っていないもの、ですか」
「ああ、作物でも、鉱石でも何か……」
スピネの眉間に皺が戻る。ペンタゴンは国の将来を考え過ぎるスピネを心配することしかできなかった。ペンタゴンはスピネの後ろの壁にかかっていたタペストリーが昨日と変わっていることに気が付いた。
「ルリ様はまた新しいのを」
タペストリーのことをいっているのに気が付いたスピネは振り返って、今朝渡されたタペストリーをペンタゴンと共に眺めた。
「ああ、最近仕上げるのが速くなった」
「それに腕を上げましたね。今回の作品は今までの一番私は好きでございます」
赤を基調とし、白い花で模様づけているタペストリーは落ち着いた執務室を明るくした。
「暇にさせているからな。それでいて熱心だ。ルリはいい子だよ」
それはスピネの本心からの言葉であった。実際、スピネの妹であるラズ王女もルリには懐いていた。ルリより三つ下のラズは歳も近く、よくお茶会を二人で開いていた。
「ルリ様と言えば、最近、鏡泉の方によく行かれるそうですよ」
「あの地下の泉か? 危なくはないか? 人気がないから何かあったらすぐには助けられないぞ」
「左様です。メイド長もそれを心配してジルに事あるごとにいいつけているのですが、ルリ様はお転婆なところがありますしね。中々言うことを聞いてくれないそうで。メイド長はジルの気持ちも分かるそうで困っています」
「板挟みのジルも大変だな」
スピネは笑った。
「まあ、元気がないよりは元気があった方がいいからな。しかし、何かあってはいけない。私から注意するとしよう」
スピネは椅子から立ち上がる。
「外を歩くのは気晴らしにもなるしな」
「ええ。外套を準備いたします」
「ああ、あと手袋も」
「承知しております」
「ダイアス、半年の間に随分大きくなったわね」
外套を羽織り、耳宛てに手袋、マフラーを巻いたルリは泉の縁に立つダイアスの傍にしゃがみ込んだ。ダイアスの銀の輝きはますます増していた。大きさも半年前まではジルの掌に乗るぐらいだったのに今では五歳児ぐらいの大きさまでに成長していた。
「お前、寒くないの? 私のマフラー貸してあげようか? 」
「いらん。そんなものなくても体温は保てる」
ダイアスは偉そうに言った。
「へぇ、すごいねお前は。羨ましいよ」
「ルリ様そろそろ戻りましょう。この寒い中ここにいたら風邪をひいてしまいます。メイド長にもまた怒られてしまいます」
ルリと似たような恰好をしたジルはダイアスを厄介者にやる目つきで見た。ジルの目には最初と変わらず、ダイアスは桃色に見えた。
「もう少し」
ルリはごねる。
「もう戻りましょう」
ジルは厳しく言い付けた。
「じゃあダイアス、私の部屋へ来てよ。招待するわ」
ダイアスが「嫌だ」と断る前にジルが叫んだ。
「いけません! 」
ジルの叱責にルリの肩が跳ねる。
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