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獣の憂い
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ある日の夕方、ルシアが運んできた知らせはクラウスにとって意外なものではなかった。
「殿下に来週開かれるカルロッタ王国主催の弓技大会について伝えて参りました」
「ロスティヤ帝国の皇帝夫妻が来ることも?」
「はい、お伝えしました」
「それで、リズベッタは喜んだのか?」
ルシアは首を横に振る。
やはり、そうか。
クラウスの中で、ある懸念が確実なものとなった。
リズベッタと半月の間、過ごしてきて気づいたのだが、彼女はとにかく自己肯定感が低いのだ。
クラウスが彼女になにをしようとしても「私のような者には必要ありません」「私よりクラウス様がお受け取りください」と拒否する。
これだけなら自己主張が弱い謙遜しがちな性格である可能性もあるが、彼女は自身の体が傷つくことに抵抗を持っていなかった。
怪我をしたところで気にする様子がないし、クラウスが切り伏せるぞと脅したときも怯える様子がなかった。
人生を諦めているように見える。
これはクラウスにとって意外な事実であった。
なぜならば、彼女が嫁いでくる前に「ロスティヤ帝国の皇女は傲慢で男癖が悪い」と王宮へ貢物を捧げに来た行商人が発言していたからだ。
単に独り歩きした噂を聞いたのか、あるいはその皇女とはリズベッタのことではないのか……。
いずれにしてもクラウスにとってリズベッタは守るべき存在であった。齢十九歳にして、戦死した父の跡を継ぎ、自ら兵士を率いて戦争を終結させたクラウスにとって、誰かから”奪う”のではなく”与える”という経験は無縁な存在であった。しかし、リズベッタが嫁いできたことによって状況が変わったのだ。
今は”与えたい存在”がいる。
リズベッタと二人でカルロッタ王国をより良い国にする。それがクラウスの願いであった。
これはきっと俺にも誰かを救えるという証明だ。
「ルシア、君の親戚はロスティヤ帝国の貴族だろう?」
「はい、そのとおりでございます」
「我が国に嫁いでくる前のリズベッタについてなにも知らないのか?」
「恐縮ですが、殿下についてはほとんど存じません、陛下
昔から国事には参加せず、いつも人前に姿を見せていませんから」
「リズベッタが引きこもるような性格には思えないが……」
いつも遠慮気味なリズベッタであったが、王妃としての役割はしっかりこなそうと努力していた。
「リズベッタには無理して参加する必要はないと伝えてくれ」
「承知いたしました」
やはり、実家でなにかあったのだろうか……?
***
――凄い。こんなに大きな催しに出席するのは初めて。
数多の王国から代表者が集まる平和の式典。
弓技大会の会場でリズベッタは自身が一番眺めの良い席に座っていることが信じられなかった。
今までは部屋にこもっているか、会場の隅で眺めているように父から命じられていたが、今では違う。
私は自由だ。堂々と用意された席に座れる。
誰にも邪魔だと罵られない。
居場所がある。これ以上に嬉しいことはない。
王妃としての生活は分からないことばかりだけど、ひとつひとつ完璧にできるよう頑張ろう。
読み書き、楽器、詩作、礼儀作法まで、最低限、特権階級の女性にふさわしい教養を与えられてきたリズベッタであったが、将来を期待されていなかったため政治面に関しては殆ど知識が無かった。もしクラウスの身になにかあった場合、リズベッタが国をまとめなければならない。
クラウスは毎日、国のために身を粉にして頑張っているのだ。自身も見習わなくては、とリズベッタは思う。
リズベッタが幸福に包まれながら各国の代表が弓の腕を競いあう様子を眺めていると、幼い少女の声が近づいてきた。
「お久しぶりですわぁ」
暖かかった胸が一瞬で凍りつく。
むせ返りそうになるほどの嫌悪感と恐怖心がリズベッタを支配した。
「久しぶりね、ナナ」
これ見よがしに派手なドレス。全身を彩るジュエリー。
かつて、毎日のように見ていた妹の姿がそこにはあった。
ナナは片手で口を隠しながらニンマリと笑う、
「ここだとプライベートな会話はできないし、二人で会場の隅にでも行きましょう」
ナナはくすりと笑ってからリズベッタの手を取り、会場の隅へと向かう。
リズベッタは高台にある王妃用の席から離れる前に、近くに居たエリシアに「すぐに戻ってくるからね」と伝言を残した。
会場の隅にある大木の下にたどり着くと、
「良かった、お姉様が幸せそうで。安心したわ」
「えぇ、私は幸せよ。だってクラウス様は貴方が思っているような方では無かったから」
「まぁ、そんなに強がっちゃって」
「本当のことだもの」
リズベッタが無表情で答えると、ナナは下唇を噛み締めた。
「なによ、妃になったからって調子に乗っちゃって。今までは『あっちに行け』って追い払うだけで、なにも言い返してこなかったのに。言っとくけどね、私は無能な姉を持ったせいで散々苦労してきたのよ」
ナナが睨みつけながら呟くと、遠い方から男の声が近寄ってきた。
「リズ、姿が見えないから心配したよ。こんなところでなにをしているんだ?」
「クラウス様……?」
リズベッタの放った一言に、ナナの表情が凍りつく。
「この娘は誰だ?」
「妹のナナです」
「ほう……」
品定めをするように、まじまじとナナを見つめるクラウス。ナナ本人は気が気でない様子であった。
「あまりお前とは似ていないな」
「腹違いの妹ですので、そのせいかもしれません」
「なるほど」
紅玉のような瞳が、ナナを見つめる。
クラウスの美しさに言葉を失ったのであろうか。怯えていたナナの表情が緩んできた。
「まぁ、どっちにしろ俺の親戚であることに変わりはない。レディ・ナナ、君に会えて光栄だ」
「いっ、いえ、こちらこそ……」
「では、挨拶も済んだことだし観戦に戻ることにしよう。主賓であるお前が居ない状態では選手たちもやる気を無くしてしまうぞ」
「主賓は私ではなくクラウス様です」
「お前は俺の嫁なのだから同列に扱われるべきだ」
クラウスは一瞬で興味の先をナナからリズベッタに切り替えた。彼に手を引かれ、リズベッタは居るべき場所に戻る。
仲睦まじい二人の様子を見送るナナは、親指の爪を噛みしめた。
「許さない……許さない。お姉様が幸せだなんて、絶対に……」
ナナはしばらくの間、ブツブツと文句を述べていたが、ハッとなにかに気づいたかのように目を見開いてから「アハハ」と笑い声を上げた。
「分かった。いい事思いついた。邪魔なら潰しちゃえばいいのよ」
「殿下に来週開かれるカルロッタ王国主催の弓技大会について伝えて参りました」
「ロスティヤ帝国の皇帝夫妻が来ることも?」
「はい、お伝えしました」
「それで、リズベッタは喜んだのか?」
ルシアは首を横に振る。
やはり、そうか。
クラウスの中で、ある懸念が確実なものとなった。
リズベッタと半月の間、過ごしてきて気づいたのだが、彼女はとにかく自己肯定感が低いのだ。
クラウスが彼女になにをしようとしても「私のような者には必要ありません」「私よりクラウス様がお受け取りください」と拒否する。
これだけなら自己主張が弱い謙遜しがちな性格である可能性もあるが、彼女は自身の体が傷つくことに抵抗を持っていなかった。
怪我をしたところで気にする様子がないし、クラウスが切り伏せるぞと脅したときも怯える様子がなかった。
人生を諦めているように見える。
これはクラウスにとって意外な事実であった。
なぜならば、彼女が嫁いでくる前に「ロスティヤ帝国の皇女は傲慢で男癖が悪い」と王宮へ貢物を捧げに来た行商人が発言していたからだ。
単に独り歩きした噂を聞いたのか、あるいはその皇女とはリズベッタのことではないのか……。
いずれにしてもクラウスにとってリズベッタは守るべき存在であった。齢十九歳にして、戦死した父の跡を継ぎ、自ら兵士を率いて戦争を終結させたクラウスにとって、誰かから”奪う”のではなく”与える”という経験は無縁な存在であった。しかし、リズベッタが嫁いできたことによって状況が変わったのだ。
今は”与えたい存在”がいる。
リズベッタと二人でカルロッタ王国をより良い国にする。それがクラウスの願いであった。
これはきっと俺にも誰かを救えるという証明だ。
「ルシア、君の親戚はロスティヤ帝国の貴族だろう?」
「はい、そのとおりでございます」
「我が国に嫁いでくる前のリズベッタについてなにも知らないのか?」
「恐縮ですが、殿下についてはほとんど存じません、陛下
昔から国事には参加せず、いつも人前に姿を見せていませんから」
「リズベッタが引きこもるような性格には思えないが……」
いつも遠慮気味なリズベッタであったが、王妃としての役割はしっかりこなそうと努力していた。
「リズベッタには無理して参加する必要はないと伝えてくれ」
「承知いたしました」
やはり、実家でなにかあったのだろうか……?
***
――凄い。こんなに大きな催しに出席するのは初めて。
数多の王国から代表者が集まる平和の式典。
弓技大会の会場でリズベッタは自身が一番眺めの良い席に座っていることが信じられなかった。
今までは部屋にこもっているか、会場の隅で眺めているように父から命じられていたが、今では違う。
私は自由だ。堂々と用意された席に座れる。
誰にも邪魔だと罵られない。
居場所がある。これ以上に嬉しいことはない。
王妃としての生活は分からないことばかりだけど、ひとつひとつ完璧にできるよう頑張ろう。
読み書き、楽器、詩作、礼儀作法まで、最低限、特権階級の女性にふさわしい教養を与えられてきたリズベッタであったが、将来を期待されていなかったため政治面に関しては殆ど知識が無かった。もしクラウスの身になにかあった場合、リズベッタが国をまとめなければならない。
クラウスは毎日、国のために身を粉にして頑張っているのだ。自身も見習わなくては、とリズベッタは思う。
リズベッタが幸福に包まれながら各国の代表が弓の腕を競いあう様子を眺めていると、幼い少女の声が近づいてきた。
「お久しぶりですわぁ」
暖かかった胸が一瞬で凍りつく。
むせ返りそうになるほどの嫌悪感と恐怖心がリズベッタを支配した。
「久しぶりね、ナナ」
これ見よがしに派手なドレス。全身を彩るジュエリー。
かつて、毎日のように見ていた妹の姿がそこにはあった。
ナナは片手で口を隠しながらニンマリと笑う、
「ここだとプライベートな会話はできないし、二人で会場の隅にでも行きましょう」
ナナはくすりと笑ってからリズベッタの手を取り、会場の隅へと向かう。
リズベッタは高台にある王妃用の席から離れる前に、近くに居たエリシアに「すぐに戻ってくるからね」と伝言を残した。
会場の隅にある大木の下にたどり着くと、
「良かった、お姉様が幸せそうで。安心したわ」
「えぇ、私は幸せよ。だってクラウス様は貴方が思っているような方では無かったから」
「まぁ、そんなに強がっちゃって」
「本当のことだもの」
リズベッタが無表情で答えると、ナナは下唇を噛み締めた。
「なによ、妃になったからって調子に乗っちゃって。今までは『あっちに行け』って追い払うだけで、なにも言い返してこなかったのに。言っとくけどね、私は無能な姉を持ったせいで散々苦労してきたのよ」
ナナが睨みつけながら呟くと、遠い方から男の声が近寄ってきた。
「リズ、姿が見えないから心配したよ。こんなところでなにをしているんだ?」
「クラウス様……?」
リズベッタの放った一言に、ナナの表情が凍りつく。
「この娘は誰だ?」
「妹のナナです」
「ほう……」
品定めをするように、まじまじとナナを見つめるクラウス。ナナ本人は気が気でない様子であった。
「あまりお前とは似ていないな」
「腹違いの妹ですので、そのせいかもしれません」
「なるほど」
紅玉のような瞳が、ナナを見つめる。
クラウスの美しさに言葉を失ったのであろうか。怯えていたナナの表情が緩んできた。
「まぁ、どっちにしろ俺の親戚であることに変わりはない。レディ・ナナ、君に会えて光栄だ」
「いっ、いえ、こちらこそ……」
「では、挨拶も済んだことだし観戦に戻ることにしよう。主賓であるお前が居ない状態では選手たちもやる気を無くしてしまうぞ」
「主賓は私ではなくクラウス様です」
「お前は俺の嫁なのだから同列に扱われるべきだ」
クラウスは一瞬で興味の先をナナからリズベッタに切り替えた。彼に手を引かれ、リズベッタは居るべき場所に戻る。
仲睦まじい二人の様子を見送るナナは、親指の爪を噛みしめた。
「許さない……許さない。お姉様が幸せだなんて、絶対に……」
ナナはしばらくの間、ブツブツと文句を述べていたが、ハッとなにかに気づいたかのように目を見開いてから「アハハ」と笑い声を上げた。
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