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32 炎の中で
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城からわたしを追いかけてくる者はいない。
アレックス王へ報せるのを優先したのかもしれない。
これもわたしにとっては都合が良かった。
でも、我ながら短絡すぎるとも思った。
わたし一人でジェシカが捕われている場所に着いても何が出来る?
ウィリアムの言っていた通りに危害を加えられるか捕まえられるか。何か交渉の道具にされるに違いなかった。
「それでもジェシカの無事を優先しなければ」
わたしはどうなってもいい。
ジェシカと入れ替わりで人質になってもかまわない。
彼女さえ無事でいてくれれば。
とにかくそれだけを考えながら馬を走らせる。
丘の向こうにポツンと建っている教会を見つけた。
今は誰も寄り付かない古びた廃墟。
あそこにジェシカが。
周囲には誰もいないように見える。だけどわたしが近づいているのは犯人らには分かっているだろう。
近くの老木に馬を繋ぎ、わたしは廃教会の入口へ。
ギシリと嫌な音を立てる短い階段を上り、扉を開けた。
薄暗く、埃くさい建物の中。
奥の祭壇に複数の人間が待ち構えていた。いずれもフードを目深に被った人物たち。
オークニーの使節団を襲撃した者たちと同じ風体だった。
「ジェシカ……ジェシカは無事なのですか」
問いかけると、その中心にいた人物がフードをめくって顔を露わにする。
緑髪でそばかすのある少女。召使いとして城に潜入していたハリエットだ。
その正体はロージアンの王女。わたしが近づこうとすると「止まって」とこちらを睨む。
「ハリエット。いえ、ロージアンのエレイン王女。ジェシカを返してください」
「その名を……気安く呼ばないで。あのアレックス王に復讐して国を取り戻し、再興するまではその名は名乗らないことにしてるんだから」
ハリエットはそう言って仲間に合図。
集団の背後からロープで縛られたジェシカが連れられてきた。
「ジェシカ! よかった、無事で……」
それ以上言葉が出なかった。涙が溢れそうになるけれど、それはぐっと我慢する。
まだジェシカを返してもらったわけではない。
「レイラッ! バカ! なんでこんなヤツらの言うことなんか聞いてここに来たの⁉ わたしのことなんて放っておけばいいのに!」
ジェシカが本気で怒っている。それが嬉しかった。元気でなんでもはっきり言う、いつものジェシカだ。
「おとなしくしろっ」
ハリエットの仲間がロープを引っ張り、ジェシカがヒザをつく。
「やめてください! 彼女に乱暴にしないで!」
わたしがさらに近づこうとすると、ハリエットは短剣を取り出してジェシカの首元に突きつける。
「動かないでって言ったでしょう。時間がないわ、レイラ。あなたにはやってもらいたいことがあるの」
「彼女を返してもらえるのならなんでもします。人質にするならわたしを」
「そうね、今のあなたになら利用価値があるわね。なんたってあのアレックス王の部屋に毎晩行くほどの仲ですものね」
「…………」
「フフ、驚いた? 城の中にはまだわたしたちの仲間がいて情報収集は続けてるの。ジェシカを連れて城を抜け出すことも可能」
ここで短剣を突きつけられているのにも構わず、ジェシカがわたしに謝りだした。
「ごめんなさい、レイラ。城の中で逃げ回っている途中で声をかけられたの。ブリジェンドに帰してやるって。わたし、全然そんな気なかったのにその時は……」
「いいんです、ジェシカ。わたしも間違っていました。あなたには本当のことを話すべきだったのです。ハリエットのことも。大事な親友なのに……」
ダン、とイラついたようにハリエットが足踏みをする。
「ちょっと二人とも勝手に話さないでくれる? 時間が無いのに」
わたしとジェシカは口をつぐむ。
怒らせれば何をするか分からない。そんな焦った様子が伝わってきた。
「あとはタイミングね。レイラ、あんたがここにいることはすぐにアレックス王に伝わる。仲良くなった大事な王妃様を助けにここへ踏み込んだが最後、ロージアンからの増援がここを急襲する」
「目的はアレックス王……でも、そんなことが可能なのですか」
現在ロージアンはダラムに併合されている。
いわば多くの民が監視下にある状況。
もし反ダラムの仲間がいたとしてもそれを組織化し、さらに国境を越えて王都近くまで来るのは不可能に思えた。
ハリエットはクスクスと笑う。
「本来のわたしたちだけの力じゃ無理ね。でもね、それをハノーヴァーが支援したとしたらどうかしら?」
ハノーヴァー? ロージアンの残党と接触して工作活動を行っていた?
十分にあり得る話だ。実際にロージアンは三国の中で最もダラムに敵対し、裏ではハノーヴァーとなんらかの密約を結んでいたという。
「この大陸に混乱をもたらすつもりですか。彼らはロージアンの復興など考えていませんよ。この地を侵略し、我が物としようとしているだけです」
「! ……知ったふうな口を。お互いの目的が一致してるから利用しているだけよ。そのためにはまずアレックス王を始末しないと」
ハリエットの口ぶりからするとアレックス王の病までは知られていないようだった。
この場で話してしまえば暗殺を断念するかも? いや、そうすればハノーヴァー側にそれが伝わってしまう。
強大な力を持ちながら回りくどい工作や諜報に留まっているのはまだアレックス王の力を恐れているから。
彼が悪名と共に広めたダラムの軍事力と苛烈さがそれをためらわせているのだ。
ここで廃教会の外からハリエットの仲間が駆け込んできた。
「来ました、アレックス王です。手勢は少数」
「来たわね。その二人はここに縛りつけて」
ハリエットが命じ、わたしとジェシカは柱に縛りつけられる。
「もうすぐ……もうすぐよ。わたしたちはここの秘密の地下道から抜け出す。アレックス王がここに着いた時にはもう手遅れ。ロージアンとハノーヴァーの軍勢に包囲されて一巻の終わり」
床の一部を引き剥がすと階段が現れた。
そこへ下りながらハリエットが上品に手を振る。
「さようなら。シェトランドとブリジェンドの元王女のお二人。もう会うこともないでしょうけど。いつか落ち着いたら墓ぐらいは建ててあげるわ」
最後尾の一人が壁や床にジャブジャブと液体を撒く。臭いからして油だとすぐ分かった。
そして火の灯った松明を放り投げた。
ゴッ、と辺りは炎に包まれる。
ジェシカが悲鳴をあげた。火の手はまだ柱までは遠いけれど、それも時間の問題。
いや、その前に煙で息が持たないかも。
身をよじるけれど、ロープは少しも緩む様子はない。
「ゴホッ、ゴホッ、ごめ、ごめんなさい、レイラ。わたしのせいだわ。わたしがあいつらの口車に乗ったから」
煙のせいなのか自責の念からか、大粒の涙を流しながらジェシカが謝る。
わたしは首を横に振りながらジェシカを励ます。
「ゴホッ……あ、あなたのせいではありません。それと諦めてはいけませんよ。もうすぐアレックス王が」
助けに来てくれるはず。でもその時は敵の軍勢に囲まれ、アレックス王が危機に。
それならわたしのことは見捨ててほしい。でもジェシカだけは──。
煙を吸い込んでしまったためか、意識が朦朧としてきた。
視界が狭くなり、ジェシカの声も聞こえなくなる。
火の爆ぜる音や建材が砕ける音があれだけ聞こえていたというのに。
これが死ぬ前なのだろうか。ここで終わり? 煙に巻かれて死ぬのか、炎に焼かれるのか。はたまた崩れてくる天井や壁に押しつぶされるのか。
恐怖感だとかハリエットに対する恨みはなかった。
ただ後悔。ジェシカを巻き込んでしまったこと。
わたしにはまだやるべきことがあったのではなかったか。
その為に今まで諦めないで様々な試練を乗り越えてきたのではなかったのか。
突然、視界が明るくなった。
右頬にはっきりする痛み。そして目の前には銀髪の男性の姿。
「おい、起きろ。しっかりしろ。今助けてやる」
アレックス王だ。顔を煤だらけにしながらわたしを縛っているロープを剣で切り落とした。
ジェシカのほうもロープが切られ、ひとりの騎士が抱えていた。
それはわたしが城で気絶させたウィリアムだった。
「陛下っ、こちらに地下へ下りる階段が!」
大柄の兵士が叫んでいる。あれはフロスト?
三人だけでこの燃え盛る廃教会に飛び込んで来たのだろうか。
「崩れるぞ、そこへ飛び込めっ」
最後に聞こえたのはアレックス王の声。
そして衝撃音。ここでわたしは完全に気を失った。
アレックス王へ報せるのを優先したのかもしれない。
これもわたしにとっては都合が良かった。
でも、我ながら短絡すぎるとも思った。
わたし一人でジェシカが捕われている場所に着いても何が出来る?
ウィリアムの言っていた通りに危害を加えられるか捕まえられるか。何か交渉の道具にされるに違いなかった。
「それでもジェシカの無事を優先しなければ」
わたしはどうなってもいい。
ジェシカと入れ替わりで人質になってもかまわない。
彼女さえ無事でいてくれれば。
とにかくそれだけを考えながら馬を走らせる。
丘の向こうにポツンと建っている教会を見つけた。
今は誰も寄り付かない古びた廃墟。
あそこにジェシカが。
周囲には誰もいないように見える。だけどわたしが近づいているのは犯人らには分かっているだろう。
近くの老木に馬を繋ぎ、わたしは廃教会の入口へ。
ギシリと嫌な音を立てる短い階段を上り、扉を開けた。
薄暗く、埃くさい建物の中。
奥の祭壇に複数の人間が待ち構えていた。いずれもフードを目深に被った人物たち。
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「ジェシカ……ジェシカは無事なのですか」
問いかけると、その中心にいた人物がフードをめくって顔を露わにする。
緑髪でそばかすのある少女。召使いとして城に潜入していたハリエットだ。
その正体はロージアンの王女。わたしが近づこうとすると「止まって」とこちらを睨む。
「ハリエット。いえ、ロージアンのエレイン王女。ジェシカを返してください」
「その名を……気安く呼ばないで。あのアレックス王に復讐して国を取り戻し、再興するまではその名は名乗らないことにしてるんだから」
ハリエットはそう言って仲間に合図。
集団の背後からロープで縛られたジェシカが連れられてきた。
「ジェシカ! よかった、無事で……」
それ以上言葉が出なかった。涙が溢れそうになるけれど、それはぐっと我慢する。
まだジェシカを返してもらったわけではない。
「レイラッ! バカ! なんでこんなヤツらの言うことなんか聞いてここに来たの⁉ わたしのことなんて放っておけばいいのに!」
ジェシカが本気で怒っている。それが嬉しかった。元気でなんでもはっきり言う、いつものジェシカだ。
「おとなしくしろっ」
ハリエットの仲間がロープを引っ張り、ジェシカがヒザをつく。
「やめてください! 彼女に乱暴にしないで!」
わたしがさらに近づこうとすると、ハリエットは短剣を取り出してジェシカの首元に突きつける。
「動かないでって言ったでしょう。時間がないわ、レイラ。あなたにはやってもらいたいことがあるの」
「彼女を返してもらえるのならなんでもします。人質にするならわたしを」
「そうね、今のあなたになら利用価値があるわね。なんたってあのアレックス王の部屋に毎晩行くほどの仲ですものね」
「…………」
「フフ、驚いた? 城の中にはまだわたしたちの仲間がいて情報収集は続けてるの。ジェシカを連れて城を抜け出すことも可能」
ここで短剣を突きつけられているのにも構わず、ジェシカがわたしに謝りだした。
「ごめんなさい、レイラ。城の中で逃げ回っている途中で声をかけられたの。ブリジェンドに帰してやるって。わたし、全然そんな気なかったのにその時は……」
「いいんです、ジェシカ。わたしも間違っていました。あなたには本当のことを話すべきだったのです。ハリエットのことも。大事な親友なのに……」
ダン、とイラついたようにハリエットが足踏みをする。
「ちょっと二人とも勝手に話さないでくれる? 時間が無いのに」
わたしとジェシカは口をつぐむ。
怒らせれば何をするか分からない。そんな焦った様子が伝わってきた。
「あとはタイミングね。レイラ、あんたがここにいることはすぐにアレックス王に伝わる。仲良くなった大事な王妃様を助けにここへ踏み込んだが最後、ロージアンからの増援がここを急襲する」
「目的はアレックス王……でも、そんなことが可能なのですか」
現在ロージアンはダラムに併合されている。
いわば多くの民が監視下にある状況。
もし反ダラムの仲間がいたとしてもそれを組織化し、さらに国境を越えて王都近くまで来るのは不可能に思えた。
ハリエットはクスクスと笑う。
「本来のわたしたちだけの力じゃ無理ね。でもね、それをハノーヴァーが支援したとしたらどうかしら?」
ハノーヴァー? ロージアンの残党と接触して工作活動を行っていた?
十分にあり得る話だ。実際にロージアンは三国の中で最もダラムに敵対し、裏ではハノーヴァーとなんらかの密約を結んでいたという。
「この大陸に混乱をもたらすつもりですか。彼らはロージアンの復興など考えていませんよ。この地を侵略し、我が物としようとしているだけです」
「! ……知ったふうな口を。お互いの目的が一致してるから利用しているだけよ。そのためにはまずアレックス王を始末しないと」
ハリエットの口ぶりからするとアレックス王の病までは知られていないようだった。
この場で話してしまえば暗殺を断念するかも? いや、そうすればハノーヴァー側にそれが伝わってしまう。
強大な力を持ちながら回りくどい工作や諜報に留まっているのはまだアレックス王の力を恐れているから。
彼が悪名と共に広めたダラムの軍事力と苛烈さがそれをためらわせているのだ。
ここで廃教会の外からハリエットの仲間が駆け込んできた。
「来ました、アレックス王です。手勢は少数」
「来たわね。その二人はここに縛りつけて」
ハリエットが命じ、わたしとジェシカは柱に縛りつけられる。
「もうすぐ……もうすぐよ。わたしたちはここの秘密の地下道から抜け出す。アレックス王がここに着いた時にはもう手遅れ。ロージアンとハノーヴァーの軍勢に包囲されて一巻の終わり」
床の一部を引き剥がすと階段が現れた。
そこへ下りながらハリエットが上品に手を振る。
「さようなら。シェトランドとブリジェンドの元王女のお二人。もう会うこともないでしょうけど。いつか落ち着いたら墓ぐらいは建ててあげるわ」
最後尾の一人が壁や床にジャブジャブと液体を撒く。臭いからして油だとすぐ分かった。
そして火の灯った松明を放り投げた。
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ジェシカが悲鳴をあげた。火の手はまだ柱までは遠いけれど、それも時間の問題。
いや、その前に煙で息が持たないかも。
身をよじるけれど、ロープは少しも緩む様子はない。
「ゴホッ、ゴホッ、ごめ、ごめんなさい、レイラ。わたしのせいだわ。わたしがあいつらの口車に乗ったから」
煙のせいなのか自責の念からか、大粒の涙を流しながらジェシカが謝る。
わたしは首を横に振りながらジェシカを励ます。
「ゴホッ……あ、あなたのせいではありません。それと諦めてはいけませんよ。もうすぐアレックス王が」
助けに来てくれるはず。でもその時は敵の軍勢に囲まれ、アレックス王が危機に。
それならわたしのことは見捨ててほしい。でもジェシカだけは──。
煙を吸い込んでしまったためか、意識が朦朧としてきた。
視界が狭くなり、ジェシカの声も聞こえなくなる。
火の爆ぜる音や建材が砕ける音があれだけ聞こえていたというのに。
これが死ぬ前なのだろうか。ここで終わり? 煙に巻かれて死ぬのか、炎に焼かれるのか。はたまた崩れてくる天井や壁に押しつぶされるのか。
恐怖感だとかハリエットに対する恨みはなかった。
ただ後悔。ジェシカを巻き込んでしまったこと。
わたしにはまだやるべきことがあったのではなかったか。
その為に今まで諦めないで様々な試練を乗り越えてきたのではなかったのか。
突然、視界が明るくなった。
右頬にはっきりする痛み。そして目の前には銀髪の男性の姿。
「おい、起きろ。しっかりしろ。今助けてやる」
アレックス王だ。顔を煤だらけにしながらわたしを縛っているロープを剣で切り落とした。
ジェシカのほうもロープが切られ、ひとりの騎士が抱えていた。
それはわたしが城で気絶させたウィリアムだった。
「陛下っ、こちらに地下へ下りる階段が!」
大柄の兵士が叫んでいる。あれはフロスト?
三人だけでこの燃え盛る廃教会に飛び込んで来たのだろうか。
「崩れるぞ、そこへ飛び込めっ」
最後に聞こえたのはアレックス王の声。
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