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第1部 剣聖 羽鳴由佳
3 青の魔女
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──目覚めたとき、ここは水族館かと思った。
海の底のような深い青に囲まれた部屋。壁に埋め込まれた水槽にはキラキラと色を変化させる小魚が泳いでいる。
「……うゥ、ぐェッ」
ベッドから起き上がろうとして、全身の痛みに変な声が出た。
半裸状態で包帯ぐるぐる巻き。痛みをこらえながらようやく上体を起こして状況を確認する。
壁紙、絨毯、カーテン、全てが鮮やかな青。テーブルも椅子もチェストも青だが、金で縁取りがしており、とても高価そうに見えた。ベッド横のサイドテーブルには優しい光が灯ったアロマランプ。電気がないはずのこの世界で、天井や水槽にオシャレな淡い間接照明。
ふいにわたしは元の世界を思い出した。わたしが青春を謳歌していたあの部屋のことを。
──わたしの部屋といえば、時代劇関連の雑誌や写真集が散乱し、壁にはちょんまげの俳優のポスターがべたべた貼ってある。
ブリキのペールには大小いくつもの木刀や模擬刀が突き刺さっており、自分で言うのもなんだが地獄のような散らかり具合。
比較しても仕方がないと自嘲気味につぶやくとガチャリ、とドアが開いた。
ティーセットをトレイに載せて現れたのは真っ青なロ―ブに身を包んだ若い女性だった。ロ―ブといっても胸元が大胆に開き、太ももには強烈なスリットが入っている。どちらかといえばチャイナドレスに近いか? 長いブロンドの髪にウィッチハットを被り、見た目はまんま魔女だ。
「あら、目が覚めたのね。でもまだ完治してないんだから寝てないとダメよ。あぁ、安心して。ここはセペノイアの青い館。病院みたいなところだから」
ティーセットをテーブルに置き、その装いとは対照的な紅い瞳で微笑みかける。
わたしの頭の中にダダダダ、と文字が打ち込まれた。《青の魔女》《奇跡の癒し手》《深淵の魔術士》カーラ・ヴィジェ=ルブラン。
寝起きにこのダダダダはキツイが、それにしてもこの二つ名の数はなんだ。この半年で何人もの願望者に会ってきたが、こんなのは初めてだ。
「驚いた? これでも減ったほうなんだけどね。あなたは……《剣聖》羽鳴由佳。珍しいわね、これ本名じゃないの?」
「……本名です。姿や能力は理想どうりなんですけど、名前はいいイメージ湧かなかったせいかな」
わたしは正直に答えた。願望者だが悪人には見えないし、あのクサれガンマンとの戦いで負傷したわたしを治療してくれたようだ。何より、すべてを見透かしてしまいそうなあの紅い瞳の前では、隠し事をしても無駄に思えた。
「悪いことじゃないわ。あまりにこの世界に定着しすぎると元の姿も名前も忘れてしまう……。わたしみたいにね」
カ―ラは少し淋しそうに言い、椅子に腰かけながら続けた。
「わたしたち願望者は望んだ姿、能力をこの世界で行使できる。その力は想いの強さ。ああなりたい、こうなりたいっていう、願望……または思い込みね。だけど、万能ってわけじゃないわ。心の底では『こんなことあり得ない』って想いも必ずある。だから不死身とか無敵の願望者は存在しない」
「……はい。知っています。ここに来て半年……いろんな願望者と話したり、戦ったりしたんで。あと、この世界で広く認識された者が強いと聞きました。人助けをしたり、他の願望者を倒して名を上げたり」
「そう、悪名を広めたり……あなたとやりあった奴みたいに。わたしたち願望者はそうやって強くならないと、他の願望者や魔物の餌食になる」
事実、シエル=イデアルで願望者が嫌われる一番の原因は、願望者同士の抗争、そして魔物を引き寄せるという理由からだ。これには諸説あるが、元々この世界にはいない異物を排除しようと、何らかの力が働いている、と言われている。
「わたし……負けたんですよね。どうして助けてくれたんですか?」
願望者は協力するより、いがみ合うほうが圧倒的に多い。
この世界で名を上げるには願望者を倒すのが一番手っ取り早いし、初見の頭の中ダダダダ、があると妙に闘争心が高まる。
そういえば、カーラの時にはそんな気持ちの高ぶりがなかった。負傷していたせいだろうか。
「助けてここまで運んだのはわたしじゃないわ。わたしは願望者同士の争いには興味が無いの。ここで病気やケガを治したり、魔物が寄り付かないように結界を張ったり……そんなことでも十分名声を得ることはできるわ」
カチャカチャとティーセットを触りながら、カーラはもう一つの問いに答える。
「その、クレイグってやつは消失したわ。ま、あなたはこうして無事なんだから、あなたの勝ちでいいんじゃないの?」
「消失……死んだってことですか?」
聞き慣れない言葉と、悪党とはいえあのイカれガンマンを殺してしまったのかと動揺する。
カーラは肯定も否定もせず、ティーカップに紅茶らしきものを注ぐ。
湯気が立ちのぼり、甘く優しい香りが部屋に広がった。
のどの渇きと甘い香りにつられ、差し出された紅茶? をわたしはグイッと飲み干した。香りに反して予想外に苦い。その表情を見てカーラがクスクス笑う。
「薬湯だから。苦いぶん、効果は保証するわ」
アロマランプに照らされたカーラの顔に、同性ながらドキッとしてしまった。よく見るとすごい美人だし、モデル並みのスタイルで特に胸が……わたしもあれぐらいの願望があれば、ああなっていたのだろうか。
そんなことを考えているうちにまぶたが重くなってきた。視界が狭くなっていく中で、カーラが顔を近づけて囁く。
「わたしのもうひとつの二つ名、教えてあげる。《久遠の予言者》……厳密に言えば予言というよりアドバイスなんだけど。あなたは必ず会わなければならない人物が二人いる。《覇王》と《解放の騎士》。この二人に会うことであなたの運命は大きく変化するわ」
「《覇王》……《解放の……》」
意識が遠のいていく。まだ聞きたいことがあるのに。消失とは何なのか、わたしをここまで運んだのは誰なのか。
「おやすみ、かわいい《剣聖》さん。あなたがこの世界で何を成すのか──見せてちょうだい。わたしはあなたが望むかぎり、あなたの味方でいてあげるから」
カーラの顔がさらに近づき、頬に温かいような冷たいような不思議な感触。わたしの意識はそれで完全に落ちていった。
──深くて暗い、青色の底へ。
海の底のような深い青に囲まれた部屋。壁に埋め込まれた水槽にはキラキラと色を変化させる小魚が泳いでいる。
「……うゥ、ぐェッ」
ベッドから起き上がろうとして、全身の痛みに変な声が出た。
半裸状態で包帯ぐるぐる巻き。痛みをこらえながらようやく上体を起こして状況を確認する。
壁紙、絨毯、カーテン、全てが鮮やかな青。テーブルも椅子もチェストも青だが、金で縁取りがしており、とても高価そうに見えた。ベッド横のサイドテーブルには優しい光が灯ったアロマランプ。電気がないはずのこの世界で、天井や水槽にオシャレな淡い間接照明。
ふいにわたしは元の世界を思い出した。わたしが青春を謳歌していたあの部屋のことを。
──わたしの部屋といえば、時代劇関連の雑誌や写真集が散乱し、壁にはちょんまげの俳優のポスターがべたべた貼ってある。
ブリキのペールには大小いくつもの木刀や模擬刀が突き刺さっており、自分で言うのもなんだが地獄のような散らかり具合。
比較しても仕方がないと自嘲気味につぶやくとガチャリ、とドアが開いた。
ティーセットをトレイに載せて現れたのは真っ青なロ―ブに身を包んだ若い女性だった。ロ―ブといっても胸元が大胆に開き、太ももには強烈なスリットが入っている。どちらかといえばチャイナドレスに近いか? 長いブロンドの髪にウィッチハットを被り、見た目はまんま魔女だ。
「あら、目が覚めたのね。でもまだ完治してないんだから寝てないとダメよ。あぁ、安心して。ここはセペノイアの青い館。病院みたいなところだから」
ティーセットをテーブルに置き、その装いとは対照的な紅い瞳で微笑みかける。
わたしの頭の中にダダダダ、と文字が打ち込まれた。《青の魔女》《奇跡の癒し手》《深淵の魔術士》カーラ・ヴィジェ=ルブラン。
寝起きにこのダダダダはキツイが、それにしてもこの二つ名の数はなんだ。この半年で何人もの願望者に会ってきたが、こんなのは初めてだ。
「驚いた? これでも減ったほうなんだけどね。あなたは……《剣聖》羽鳴由佳。珍しいわね、これ本名じゃないの?」
「……本名です。姿や能力は理想どうりなんですけど、名前はいいイメージ湧かなかったせいかな」
わたしは正直に答えた。願望者だが悪人には見えないし、あのクサれガンマンとの戦いで負傷したわたしを治療してくれたようだ。何より、すべてを見透かしてしまいそうなあの紅い瞳の前では、隠し事をしても無駄に思えた。
「悪いことじゃないわ。あまりにこの世界に定着しすぎると元の姿も名前も忘れてしまう……。わたしみたいにね」
カ―ラは少し淋しそうに言い、椅子に腰かけながら続けた。
「わたしたち願望者は望んだ姿、能力をこの世界で行使できる。その力は想いの強さ。ああなりたい、こうなりたいっていう、願望……または思い込みね。だけど、万能ってわけじゃないわ。心の底では『こんなことあり得ない』って想いも必ずある。だから不死身とか無敵の願望者は存在しない」
「……はい。知っています。ここに来て半年……いろんな願望者と話したり、戦ったりしたんで。あと、この世界で広く認識された者が強いと聞きました。人助けをしたり、他の願望者を倒して名を上げたり」
「そう、悪名を広めたり……あなたとやりあった奴みたいに。わたしたち願望者はそうやって強くならないと、他の願望者や魔物の餌食になる」
事実、シエル=イデアルで願望者が嫌われる一番の原因は、願望者同士の抗争、そして魔物を引き寄せるという理由からだ。これには諸説あるが、元々この世界にはいない異物を排除しようと、何らかの力が働いている、と言われている。
「わたし……負けたんですよね。どうして助けてくれたんですか?」
願望者は協力するより、いがみ合うほうが圧倒的に多い。
この世界で名を上げるには願望者を倒すのが一番手っ取り早いし、初見の頭の中ダダダダ、があると妙に闘争心が高まる。
そういえば、カーラの時にはそんな気持ちの高ぶりがなかった。負傷していたせいだろうか。
「助けてここまで運んだのはわたしじゃないわ。わたしは願望者同士の争いには興味が無いの。ここで病気やケガを治したり、魔物が寄り付かないように結界を張ったり……そんなことでも十分名声を得ることはできるわ」
カチャカチャとティーセットを触りながら、カーラはもう一つの問いに答える。
「その、クレイグってやつは消失したわ。ま、あなたはこうして無事なんだから、あなたの勝ちでいいんじゃないの?」
「消失……死んだってことですか?」
聞き慣れない言葉と、悪党とはいえあのイカれガンマンを殺してしまったのかと動揺する。
カーラは肯定も否定もせず、ティーカップに紅茶らしきものを注ぐ。
湯気が立ちのぼり、甘く優しい香りが部屋に広がった。
のどの渇きと甘い香りにつられ、差し出された紅茶? をわたしはグイッと飲み干した。香りに反して予想外に苦い。その表情を見てカーラがクスクス笑う。
「薬湯だから。苦いぶん、効果は保証するわ」
アロマランプに照らされたカーラの顔に、同性ながらドキッとしてしまった。よく見るとすごい美人だし、モデル並みのスタイルで特に胸が……わたしもあれぐらいの願望があれば、ああなっていたのだろうか。
そんなことを考えているうちにまぶたが重くなってきた。視界が狭くなっていく中で、カーラが顔を近づけて囁く。
「わたしのもうひとつの二つ名、教えてあげる。《久遠の予言者》……厳密に言えば予言というよりアドバイスなんだけど。あなたは必ず会わなければならない人物が二人いる。《覇王》と《解放の騎士》。この二人に会うことであなたの運命は大きく変化するわ」
「《覇王》……《解放の……》」
意識が遠のいていく。まだ聞きたいことがあるのに。消失とは何なのか、わたしをここまで運んだのは誰なのか。
「おやすみ、かわいい《剣聖》さん。あなたがこの世界で何を成すのか──見せてちょうだい。わたしはあなたが望むかぎり、あなたの味方でいてあげるから」
カーラの顔がさらに近づき、頬に温かいような冷たいような不思議な感触。わたしの意識はそれで完全に落ちていった。
──深くて暗い、青色の底へ。
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