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番外編① 初デート
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日曜日の午前十時。
僕は、駅前の時計塔の下で、何度目かの深呼吸をしていた。
今日は冬貴と、恋人として迎える初めてのデートだ。
とはいえ、恋人になった実感なんてまだほとんどない。
手をつないだことも、名前を呼び捨てにしたこともない。 それでも昨日の夜、「明日は二人で出かけよう」と言われたときのあの笑顔を思い出すだけで、胸の奥がじんわり熱くなる。
冬貴は遅刻なんて絶対しない。 そう分かっているのに、時計の針が少しでも進むたび、僕の心拍数も一緒に上がっていった。
「嶺」
名前を呼ばれた瞬間、反射的に顔を上げる。 相変わらず、誰が見ても完璧な恋人の姿がそこにあった。 淡いグレーのシャツにジャケットを羽織り、黒のパンツ。シンプルなのに、何を着ても様になる。 それなのに、目が合った途端、少しだけ照れたように口元が緩むのを見て、僕は思わず固まった。
「そんなに見つめられると、緊張するな」
「……あ、ごめん」
「謝らなくていい。俺も、今日の嶺を見た瞬間、言葉を失った」
冬貴の声は穏やかで、どこか甘い。 こんなふうに面と向かって褒められるのは慣れていないから、どう返せばいいのか分からず、視線を逸らすしかなかった。
今日の目的地は街の外れにある大型ショッピングモール。 生徒会の買い出し以外で街に出て外出することは滅多にないから、二人で歩く街並みは妙に新鮮だった。 並んで歩くたび、手が何度も触れ合う。 それだけで鼓動が跳ねて、まるで小学生の恋愛みたいだと自分で可笑しくなる。
「嶺はこういう場所、好き?」
「……人が多いのは、あんまり得意じゃないけど」
「俺も」
「えっ」
意外すぎて思わず振り返ると、冬貴は肩をすくめた。
「生徒会長なんてやってると、人前に立つことが多いだろう?でも実は、ああいうのは全部仕事として割り切ってやってるだけで、俺個人としては人混みも注目も好きじゃない」
「……そうなんだ」
「意外だった?」
「うん、ちょっと」
そう言うと、冬貴は小さく笑った。 その笑顔が、どこか子供っぽくて、いつもの完璧な会長の顔ではなくて――胸の奥がきゅっと締め付けられた。
映画館の前に着いたのは昼前。 冬貴が選んだのは、恋愛映画でもアクションでもなく、淡い青春ドラマだった。 予想外すぎて驚いたけれど、彼の横顔はスクリーンよりもずっと印象的で、結局、内容はほとんど覚えていない。
暗闇の中で、手の甲が何度も触れた。 そのたびに、心臓が跳ねて、映画の音が遠のいた。
エンドロールが流れ出す頃、僕はもう自分の手をどうしていいか分からなかった。 けれど、冬貴はただ静かに笑って、ほんの少しだけ僕の小指に触れた。 それだけで、世界が止まったように感じた。
映画の後、少し遅めのランチを取った。 駅近くのカフェで、パスタを食べながら、他愛もない話をした。 学校のこと、生徒会のこと、昔話、そして親衛隊の話。
冬貴はどんな話題でも穏やかに笑って聞いてくれる。 でもその笑顔の奥に、時折ほんの一瞬だけ、寂しげな影が差す。 その理由を聞けないまま、時間だけが過ぎていった。
帰り道。 夕焼けが街を染める頃、駅へ向かう途中で冬貴が急に立ち止まった。
「嶺、少しだけ寄り道してもいい?」
「え、あ……はい」
連れて行かれたのは、小さな公園だった。 誰もいないベンチに腰を下ろすと、冬貴はしばらく黙ったまま空を見上げていた。 その横顔は、どこか迷いを孕んでいるように見えた。
「……俺、ひとつ言わなきゃいけないことがある」
「え?」
心臓が嫌なほど跳ねた。 沈黙が続く。 冬貴は手を膝の上でぎゅっと握りしめて、目を伏せたまま言った。
「俺、恋人らしいことが何一つ分からないんだ」
「え……?」
「今まで、誰かと“ちゃんと”付き合ったことがない。……好きになる前に、関係を持って、終わらせてきた。 その方が楽だったから。傷つかずに済むと思ってた」
あまりに正直な告白に、言葉が出なかった。 冬貴の声は、いつもの堂々としたものじゃなく、どこか震えていた。
「でも、本当に好きだった嶺と一緒にいると、今までみたいに割り切れない。 ……うまく笑えないし、胸が苦しくなる。 今日も、何度も手を伸ばそうとして、できなかった。 こんなの、初めてなんだ」
ああ、この人は本当に不器用なんだ。 いつも完璧で、何でもできるように見えていたのに、こんなふうに迷って、怯えていたなんて。
気がつけば、僕は小さく息を吸って、冬貴の手をそっと取っていた。
「……僕も、分かんない」
「え?」
「恋人って、何をすればいいのか、正解なんてないと思うし。でも、冬貴といるときだけ、心が落ち着く。だから、ゆっくり覚えていけばいいじゃない。二人で」
冬貴は一瞬、驚いたように目を見開いた。 そして、ほんの少しだけ肩の力を抜いて、ふっと笑った。
「嶺は、ずるいな」
「ずるくない」
「……こんな俺を、受け入れてくれるなんて」
「当たり前だよ」
その言葉が口から零れた瞬間、冬貴が僕の手を強く握り返した。 冷たい指先が、少しずつ温もりを帯びていく。 頬が熱くなる。
冬貴の顔が近づいて、僕は反射的に目を閉じた。
唇が触れる直前、微かに震えた息が僕の耳をかすめた。 それだけで、もう心臓が爆発しそうだった。
その夜。 寮に戻ると、冬貴は「少し寄っていかない?」と照れたように言った。
結局、二人で紅茶を飲みながら、今日のことを何度も話した。 笑って、照れて、沈黙して、また笑う。 そんな時間が、何よりも愛おしかった。
「嶺」
「ん?」
「俺、本当に、嶺と出会えてよかった」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がふっと温かくなった。 不器用だった初恋。 でも、これからゆっくり育てていける、心からそう思えた。
窓の外には、春の夜風が吹いていた。 どこか遠くで、桜の花びらが散っていく音が聞こえた気がした。
初デートは、うまくいかないくらいでいい。 ぎこちなさの中にしか、本当の“好き”は隠れていないのだから。
とはいえ、恋人になった実感なんてまだほとんどない。
手をつないだことも、名前を呼び捨てにしたこともない。 それでも昨日の夜、「明日は二人で出かけよう」と言われたときのあの笑顔を思い出すだけで、胸の奥がじんわり熱くなる。
冬貴は遅刻なんて絶対しない。 そう分かっているのに、時計の針が少しでも進むたび、僕の心拍数も一緒に上がっていった。
「嶺」
名前を呼ばれた瞬間、反射的に顔を上げる。 相変わらず、誰が見ても完璧な恋人の姿がそこにあった。 淡いグレーのシャツにジャケットを羽織り、黒のパンツ。シンプルなのに、何を着ても様になる。 それなのに、目が合った途端、少しだけ照れたように口元が緩むのを見て、僕は思わず固まった。
「そんなに見つめられると、緊張するな」
「……あ、ごめん」
「謝らなくていい。俺も、今日の嶺を見た瞬間、言葉を失った」
冬貴の声は穏やかで、どこか甘い。 こんなふうに面と向かって褒められるのは慣れていないから、どう返せばいいのか分からず、視線を逸らすしかなかった。
今日の目的地は街の外れにある大型ショッピングモール。 生徒会の買い出し以外で街に出て外出することは滅多にないから、二人で歩く街並みは妙に新鮮だった。 並んで歩くたび、手が何度も触れ合う。 それだけで鼓動が跳ねて、まるで小学生の恋愛みたいだと自分で可笑しくなる。
「嶺はこういう場所、好き?」
「……人が多いのは、あんまり得意じゃないけど」
「俺も」
「えっ」
意外すぎて思わず振り返ると、冬貴は肩をすくめた。
「生徒会長なんてやってると、人前に立つことが多いだろう?でも実は、ああいうのは全部仕事として割り切ってやってるだけで、俺個人としては人混みも注目も好きじゃない」
「……そうなんだ」
「意外だった?」
「うん、ちょっと」
そう言うと、冬貴は小さく笑った。 その笑顔が、どこか子供っぽくて、いつもの完璧な会長の顔ではなくて――胸の奥がきゅっと締め付けられた。
映画館の前に着いたのは昼前。 冬貴が選んだのは、恋愛映画でもアクションでもなく、淡い青春ドラマだった。 予想外すぎて驚いたけれど、彼の横顔はスクリーンよりもずっと印象的で、結局、内容はほとんど覚えていない。
暗闇の中で、手の甲が何度も触れた。 そのたびに、心臓が跳ねて、映画の音が遠のいた。
エンドロールが流れ出す頃、僕はもう自分の手をどうしていいか分からなかった。 けれど、冬貴はただ静かに笑って、ほんの少しだけ僕の小指に触れた。 それだけで、世界が止まったように感じた。
映画の後、少し遅めのランチを取った。 駅近くのカフェで、パスタを食べながら、他愛もない話をした。 学校のこと、生徒会のこと、昔話、そして親衛隊の話。
冬貴はどんな話題でも穏やかに笑って聞いてくれる。 でもその笑顔の奥に、時折ほんの一瞬だけ、寂しげな影が差す。 その理由を聞けないまま、時間だけが過ぎていった。
帰り道。 夕焼けが街を染める頃、駅へ向かう途中で冬貴が急に立ち止まった。
「嶺、少しだけ寄り道してもいい?」
「え、あ……はい」
連れて行かれたのは、小さな公園だった。 誰もいないベンチに腰を下ろすと、冬貴はしばらく黙ったまま空を見上げていた。 その横顔は、どこか迷いを孕んでいるように見えた。
「……俺、ひとつ言わなきゃいけないことがある」
「え?」
心臓が嫌なほど跳ねた。 沈黙が続く。 冬貴は手を膝の上でぎゅっと握りしめて、目を伏せたまま言った。
「俺、恋人らしいことが何一つ分からないんだ」
「え……?」
「今まで、誰かと“ちゃんと”付き合ったことがない。……好きになる前に、関係を持って、終わらせてきた。 その方が楽だったから。傷つかずに済むと思ってた」
あまりに正直な告白に、言葉が出なかった。 冬貴の声は、いつもの堂々としたものじゃなく、どこか震えていた。
「でも、本当に好きだった嶺と一緒にいると、今までみたいに割り切れない。 ……うまく笑えないし、胸が苦しくなる。 今日も、何度も手を伸ばそうとして、できなかった。 こんなの、初めてなんだ」
ああ、この人は本当に不器用なんだ。 いつも完璧で、何でもできるように見えていたのに、こんなふうに迷って、怯えていたなんて。
気がつけば、僕は小さく息を吸って、冬貴の手をそっと取っていた。
「……僕も、分かんない」
「え?」
「恋人って、何をすればいいのか、正解なんてないと思うし。でも、冬貴といるときだけ、心が落ち着く。だから、ゆっくり覚えていけばいいじゃない。二人で」
冬貴は一瞬、驚いたように目を見開いた。 そして、ほんの少しだけ肩の力を抜いて、ふっと笑った。
「嶺は、ずるいな」
「ずるくない」
「……こんな俺を、受け入れてくれるなんて」
「当たり前だよ」
その言葉が口から零れた瞬間、冬貴が僕の手を強く握り返した。 冷たい指先が、少しずつ温もりを帯びていく。 頬が熱くなる。
冬貴の顔が近づいて、僕は反射的に目を閉じた。
唇が触れる直前、微かに震えた息が僕の耳をかすめた。 それだけで、もう心臓が爆発しそうだった。
その夜。 寮に戻ると、冬貴は「少し寄っていかない?」と照れたように言った。
結局、二人で紅茶を飲みながら、今日のことを何度も話した。 笑って、照れて、沈黙して、また笑う。 そんな時間が、何よりも愛おしかった。
「嶺」
「ん?」
「俺、本当に、嶺と出会えてよかった」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がふっと温かくなった。 不器用だった初恋。 でも、これからゆっくり育てていける、心からそう思えた。
窓の外には、春の夜風が吹いていた。 どこか遠くで、桜の花びらが散っていく音が聞こえた気がした。
初デートは、うまくいかないくらいでいい。 ぎこちなさの中にしか、本当の“好き”は隠れていないのだから。
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