初恋の人が親衛隊になるなんて聞いてない!

tomoe97

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番外編① 初デート

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日曜日の午前十時。
僕は、駅前の時計塔の下で、何度目かの深呼吸をしていた。
今日は冬貴と、恋人として迎える初めてのデートだ。
とはいえ、恋人になった実感なんてまだほとんどない。

手をつないだことも、名前を呼び捨てにしたこともない。
それでも昨日の夜、「明日は二人で出かけよう」と言われたときのあの笑顔を思い出すだけで、胸の奥がじんわり熱くなる。

冬貴は遅刻なんて絶対しない。
そう分かっているのに、時計の針が少しでも進むたび、僕の心拍数も一緒に上がっていった。

「嶺」

 名前を呼ばれた瞬間、反射的に顔を上げる。
 相変わらず、誰が見ても完璧な恋人の姿がそこにあった。
 淡いグレーのシャツにジャケットを羽織り、黒のパンツ。シンプルなのに、何を着ても様になる。
 それなのに、目が合った途端、少しだけ照れたように口元が緩むのを見て、僕は思わず固まった。

「そんなに見つめられると、緊張するな」

「……あ、ごめん」

「謝らなくていい。俺も、今日の嶺を見た瞬間、言葉を失った」

 冬貴の声は穏やかで、どこか甘い。
 こんなふうに面と向かって褒められるのは慣れていないから、どう返せばいいのか分からず、視線を逸らすしかなかった。

 今日の目的地は街の外れにある大型ショッピングモール。
 生徒会の買い出し以外で街に出て外出することは滅多にないから、二人で歩く街並みは妙に新鮮だった。
 並んで歩くたび、手が何度も触れ合う。
 それだけで鼓動が跳ねて、まるで小学生の恋愛みたいだと自分で可笑しくなる。

「嶺はこういう場所、好き?」

「……人が多いのは、あんまり得意じゃないけど」

「俺も」

「えっ」

 意外すぎて思わず振り返ると、冬貴は肩をすくめた。

「生徒会長なんてやってると、人前に立つことが多いだろう?でも実は、ああいうのは全部仕事として割り切ってやってるだけで、俺個人としては人混みも注目も好きじゃない」

「……そうなんだ」

「意外だった?」

「うん、ちょっと」

 そう言うと、冬貴は小さく笑った。
 その笑顔が、どこか子供っぽくて、いつもの完璧な会長の顔ではなくて――胸の奥がきゅっと締め付けられた。

 映画館の前に着いたのは昼前。
 冬貴が選んだのは、恋愛映画でもアクションでもなく、淡い青春ドラマだった。
 予想外すぎて驚いたけれど、彼の横顔はスクリーンよりもずっと印象的で、結局、内容はほとんど覚えていない。
 暗闇の中で、手の甲が何度も触れた。
 そのたびに、心臓が跳ねて、映画の音が遠のいた。
 エンドロールが流れ出す頃、僕はもう自分の手をどうしていいか分からなかった。
 けれど、冬貴はただ静かに笑って、ほんの少しだけ僕の小指に触れた。
 それだけで、世界が止まったように感じた。

 映画の後、少し遅めのランチを取った。
 駅近くのカフェで、パスタを食べながら、他愛もない話をした。
 学校のこと、生徒会のこと、昔話、そして親衛隊の話。
 冬貴はどんな話題でも穏やかに笑って聞いてくれる。
 でもその笑顔の奥に、時折ほんの一瞬だけ、寂しげな影が差す。
 その理由を聞けないまま、時間だけが過ぎていった。
 帰り道。
 夕焼けが街を染める頃、駅へ向かう途中で冬貴が急に立ち止まった。

「嶺、少しだけ寄り道してもいい?」

「え、あ……はい」

 連れて行かれたのは、小さな公園だった。
 誰もいないベンチに腰を下ろすと、冬貴はしばらく黙ったまま空を見上げていた。
 その横顔は、どこか迷いを孕んでいるように見えた。

「……俺、ひとつ言わなきゃいけないことがある」

「え?」

 心臓が嫌なほど跳ねた。
 沈黙が続く。
 冬貴は手を膝の上でぎゅっと握りしめて、目を伏せたまま言った。

「俺、恋人らしいことが何一つ分からないんだ」

「え……?」

「今まで、誰かと“ちゃんと”付き合ったことがない。……好きになる前に、関係を持って、終わらせてきた。
その方が楽だったから。傷つかずに済むと思ってた」

 あまりに正直な告白に、言葉が出なかった。
 冬貴の声は、いつもの堂々としたものじゃなく、どこか震えていた。

「でも、本当に好きだった嶺と一緒にいると、今までみたいに割り切れない。
 ……うまく笑えないし、胸が苦しくなる。
 今日も、何度も手を伸ばそうとして、できなかった。
 こんなの、初めてなんだ」

 
ああ、この人は本当に不器用なんだ。
 いつも完璧で、何でもできるように見えていたのに、こんなふうに迷って、怯えていたなんて。
 気がつけば、僕は小さく息を吸って、冬貴の手をそっと取っていた。

「……僕も、分かんない」

「え?」

「恋人って、何をすればいいのか、正解なんてないと思うし。でも、冬貴といるときだけ、心が落ち着く。だから、ゆっくり覚えていけばいいじゃない。二人で」

 冬貴は一瞬、驚いたように目を見開いた。
そして、ほんの少しだけ肩の力を抜いて、ふっと笑った。

「嶺は、ずるいな」

「ずるくない」

「……こんな俺を、受け入れてくれるなんて」

「当たり前だよ」

 その言葉が口から零れた瞬間、冬貴が僕の手を強く握り返した。
 冷たい指先が、少しずつ温もりを帯びていく。
 頬が熱くなる。


 冬貴の顔が近づいて、僕は反射的に目を閉じた。
 唇が触れる直前、微かに震えた息が僕の耳をかすめた。
 それだけで、もう心臓が爆発しそうだった。



 その夜。
 寮に戻ると、冬貴は「少し寄っていかない?」と照れたように言った。

 結局、二人で紅茶を飲みながら、今日のことを何度も話した。
 笑って、照れて、沈黙して、また笑う。
 そんな時間が、何よりも愛おしかった。

「嶺」

「ん?」

「俺、本当に、嶺と出会えてよかった」

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がふっと温かくなった。
 不器用だった初恋。
 でも、これからゆっくり育てていける、心からそう思えた。

 窓の外には、春の夜風が吹いていた。
 どこか遠くで、桜の花びらが散っていく音が聞こえた気がした。

初デートは、うまくいかないくらいでいい。
ぎこちなさの中にしか、本当の“好き”は隠れていないのだから。


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