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大人になる前に
しおりを挟むカーテンの隙間から柔らかな光が差し込んでいる。朝…というにはもう日が高そうだと、寝起きのぼんやりとした頭で爽真は考えた。
それから、ハッと気付いて首を巡らせ、枕元に置かれたシルバーのリボンがかかった包みを見つけて、ほうと深くため息をつく。
(良かった。夢じゃなかった)
まだ熱があるのか、相変わらず身体はあちこちギシギシと痛んだけれど、昨日に比べればだいぶ楽になった。
(泣いてたなぁ)
南の島に行こう。と約束した。
馬鹿だと言われはしたけれど、爽真は本気だし、凛も嫌だとは言ってなかった…はず。
なのに、泣いた。
あの凛が、だ。
聞いた爽真の方が号泣してしまったほど悲しかった、彼の前世の話をしたときだって、凛は涙ひと粒零さなかった。淡々と事実だけを語る姿が人形みたいで、余計に胸が痛かった覚えがある。
その凛が、泣いていた。
(凛……)
爽真はゴロリと寝返りを打って、自分の指先をじっと見る。拭った頬の柔らかさを反芻して、凛の涙の理由を考えた。
凛に出会ってから八年。指折り数えてみても、両の指で足りるほどしか会ったことがない。それでも誰より大切だと思うし、好きだと思う。
初めて会ったあの夜、爽真は一目で凛に恋をした。
子供だったし勘違いだって言う人もいるだろうけれど、そんなことはないと爽真は思う。その証拠に、爽真の凛への『好き』は毎年新記録を更新中だ。
凛を好きでいることについて、悩みがなかったわけじゃない。むしろ人一倍悩んでいる。だって年の差とか性別以前に、住む世界が違うのだ。
滅多に会えない『特別』を、『愛情』と勘違いしてるのかもしれないと思ったこともある。自分の気持ちを確かめたくて、同級生の女の子と付き合ってみたりもした。――結果、相手の女の子を傷つけただけだったけれど。
近付くだけでドキドキして、笑ってくれるだけで嬉しくて。そんな相手を爽真は凛しか知らなかった。
人の話を聞いていないだの、なんでもすぐに忘れると、親や友達に呆れられたりする爽真だけど、凛と話したことなら、細かな表情や所作まで鮮明に覚えている。もしかしらたら、爽真の中を占める凛の記憶の容量が大きすぎて、他のことが入る隙がないんじゃないかと思えるほど。
最初に会ったときはずいぶんツンとした態度を取っていた凛だけど、年を追うごとに軟化して、今はかなり親密になったと思う。キスくらいなら、笑って許してくれるんじゃないかな? と思える程度には。
だから凛が爽真に対して、少なからず好意を持ってくれている自信はあった。
(じゃあ、なんで泣いたんだろ……?)
嬉しくて泣いた…が、爽真としてはいちばん望ましい理由だけれど、それだけじゃないんだろうということは、爽真にだって察しがつく。
凛は話しはじめればペラペラとよくしゃべるくせに、肝心なことは言おうとしない。せわしなく繰り返す瞬きや、落ち着きをなくす所作や表情で、なにかあるのはまるわかりなのに。
「そんなに、頼りにならないかなぁ」
爽真と凛の前に積み上がった問題は、きっと爽真にはどうにもできない。それでも、爽真に話して欲しかった。
凛は、寒さの中につらい記憶を抱え、冬の檻にずっと閉じ込められている。
そこから凛を連れ出してあげたかった。たとえ何もできなくても、ひとり悲しい顔をさるくらいなら、ふたりで一緒に悩みたかった。「困ったね」と笑いながら言い合いたかった。
次に会える保証すら、どこにもないのだ。
ゆうべ、一度だけ母親が爽真の様子を覗きに来た。
爽真はギョッとした。けれど凛は逃げも隠れもせず、ベッドの横に座って、爽真の右の手を握っている。
どう言い訳しようかと必死で考えている爽真を余所に、母親は息子の顔を覗き込むと『大丈夫?』と、心配そうに声をかけてきた。その様子は本当にいつも通りの母親で、すぐ隣に凛が座っているのに、気にする素振りもない。
驚きとか不安感とか、色んなものが湧いてきて喉が詰まった。どうしていいかわからずに、ただコクコク首を動かすと、何かあったらすぐ呼びなさいね。と言って、母親はあっさり部屋を出て行ったのだ。
本当に見えてないんだ。とその不自然な態度と動線を見て、爽真ははじめて理解した。
大人には見えない。と凛に聞いてはいたけれど、見えないというのがどういう状態なのかを深く考えたことはなかったのだ。
本能的に障害物があるとわかるのか、母親の身体は勝手に凛を避けて歩いていたけれど、本人がそれを不思議に感じている様子は微塵も感じられなかった。
目の当たりにした現実は結構ショックで、凛は自分とは違う理のなかで生きているのだ、と改めて思い知るのと同時、大人になったら自分もああなってしまうのかと思うと、怖くてしかたがなかった。
(大人って、いつからなんだろ)
去年は凛と目線が変わらなくなっていた。今年はきっと、凛の身長を越していたと思う。声だって低くなった。
爽真はあと三年で十八歳になる。法律的には、『大人』、だ。
(もう、時間がないのかもしれない…)
ギュッと奥歯を噛んで、手のひらを拳の形に握る。
昔は凛に近づきたくて、早く大人になりたいと思っていた。
けれど、今は。
夜の次は必ず朝が来る。一年経てば爽真は必ずひとつ歳をとる。
止まることのない時間の流れが、恨めしかった。
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