可愛い悪魔の飼いならし方

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第一章

拾われる

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 (おなか、すいたな…)

 夜の気配を漂わせはじめた空を見るともなしに見上げて、ユーゴは小さく息をついた。
 カンカンカンと日没を報せる鐘の音が、町の中に響いている。街灯がちらほらとつきはじめ、早じまいの店は扉を閉め、かわりに酒を出す店の明かりが夜道を照らした。
 冬が近くなったこの時期、日が沈むと空気は途端に冷たい。直に座っている地面も背中を預けているレンガ造りの家の外壁も、急速に冷えていく気がしてユーゴはふるりと身体を震わせた。
 家路を急ぐ人々が目の前を行き交うけど、道端にうずくまって座るユーゴのことなど誰も気に止めない。むしろかかわり合いになるのを厭うように、避けて先を急ぐように歩いていく。
 当然か、とユーゴは少しだけ口の端を上げた。
女子供ならまだしも、ユーゴは男だし痩せぎすだが上背もある。もしもユーゴが通行人なら、今の自分みたいな男は間違いなく見て見ぬふりをするだろうと思った。
 艶のないパサパサの髪にカサカサの肌。着ているものもお世辞にも綺麗とは言い難い。土と埃で汚れたベージュ色の外套の肩口は穴が開いていて、その周囲には乾いた血が赤黒い染みを作っていた。そんな身なりでは、人々の反応も当然だと思えた。

(死ぬのかな…)

 そう考えて、まあ、それでもいいかな。とぼんやり思う。空腹はとうに限界を越えていて、もう指先ひとつ動かすのも億劫だった。



 ユーゴは人間ではない。魔物という生き物だ。人間はそれを更に細かく分類して、羽根が白ければ天使、黒ければ悪魔、呪術を巧みに操る者は魔女、人よりも他の生き物に姿形が近ければ、狼男や人魚。様々な呼び方をしているが、ユーゴからしてみれば全部同種だ。
 人に近い容姿でありながら、全く違うことわりの中で生きる者たち。人間の精気を糧として、不老で、病気もしないし付いた傷も瞬きのうちに癒える。そういう性質の生き物であることに変わりはない。
 けれど分類された名前が違えば、人間の反応は全く違う。
 漆黒の羽根に柘榴の色をした瞳。小さい時に失って今はないが、本来ならば耳の上にある黒耀石のような二本の角。そんな本来の容姿からすれば、ユーゴは人間が言うところの悪魔だ。人間が一番忌み嫌う魔物。今は魔力でそれらを隠し、人間と同じ姿形をしているけれど。
 たぶん、じきにこの擬態を保つこともできなくなる。
 ユーゴはまたひとつ息を零した。


 ユーゴが十五年近く暮らしていた町を追われたのは、ほんの数日前のことだ。
 それ以来、いや、それ以前から何ヶ月もまともな食事をしていない。
 魔物にとって最大の敵は飢えだ。他の生き物の精気を吸えずにいれば、いずれ死ぬ。あまりの空腹に耐えかねて家畜や野生動物を狩ってもみたけれど、飢えを満たすには程遠かった。やっぱり狩るなら人間。死にたくなかったら目の前を歩いている人間を攫うなりして精気を吸った方がいい。わかってはいるけれど。

(無理、だな…)

 ユーゴは昔から狩りが苦手だ。
 基本的に魔物は、その特徴的な容姿を隠し人間に紛れて生活している。そうして暮らす中で獲物を物色して、催眠をかけたり言葉で拐かしたり、あるいは力尽くで攫って狩るのだ。普通の魔物ならば造作もないことだけれど。
 でも魔力の源である角を失くしたユーゴには、生命力に溢れた人間を狩るのは至難の業だった。だからいつもは病気や怪我、老いで弱った人間をこっそりと自然死に見せかけて狩る。そうやって糧を得ていた。
 ついこの前までいた町でも同じだ。町の学校で子供たちに読み書きを教えながら、ひっそりと静かに暮らしていた。何年経っても容姿の変わらないユーゴを、町の人たちが少し不審に思っているのを感じて、そろそろ潮時だなとは思っていたけれど。

 そんなある日事件が起こった。
 ユーゴの生徒がひとり、森の中で変わり果てた姿で死んでいるのが発見されたのだ。その惨い遺体の状態から、野犬か何かに襲われたんだろうと噂されていたけれど。ひとり、またひとりと子供の犠牲者が増え、誰かが魔物の仕業かもしれないと言い出した。
 それはユーゴも思っていたことだった。
 悪魔も他の魔物も普通は人間の精気を吸うだけで事足りるのに、こうやって食べ散らかすのを好む連中が一定数いる。ひどく迷惑な話だった。しかも狙われたのは子供ばかり。そうなってくると、以前に行方不明になった子や本当に野犬に襲われて亡くなった子、すべてが魔物の仕業だったのではないかと噂が立ち、犯人捜しがはじまった。
 そこよりも大きな街から数人の警官も派遣され、静かな田舎町は急に騒々しくなった。色んな目撃情報が寄せられる中、人間による殺人と魔物による被害の両面から捜査は行われ、次第に子供たちに近いユーゴにも疑いの目が向いた。
 ユーゴは元々、子供は食べない主義だ。だからユーゴの仕業ではない。
 けれどそんなことが言えるわけもなく、日々見張られているような生活の中、通常の病人を狩る食事もできなくなった。
 本当は、そうなった時点で逃げれば良かったのだ。
 けれど自分の教え子たちが狙われているのだと思うと、ユーゴはなんとなく町を離れることができなかった。犯人は杳として知れず、犠牲者ばかりが増えた。
 どうすることもできない日々が続き、ユーゴは見る見る瘦せ衰えた。元々細身だった身体は更に細くなり、髪も肌も艶を失っていく。そしてある日、我慢できない程の空腹に、仕方なく町の外れに近い家の家畜を狩った。動物たちを騒がせないために魔力を使おうと、人間の擬態を解いた。
 それが、失敗だった。

 月の綺麗な夜だった。
 町人に食事を目撃されて、ユーゴは追われた。

 あっという間、銀製の武器を持った人々が、ユーゴを探して町の中をうろついた。
 悪魔退治には銀製の武器というのは人々の常識だ。鉄も胴も平気だけれど、銀製のものでついた傷だけは治りが悪い。それで死んだりはしないが、傷がつけば狩りがしにくくなる。だから悪魔は銀を嫌う。それを人間がどこまで理解しているのかはわからないけれど。
 さらに盛大に山狩りが行われ、ユーゴは町を離れるしかなかった。捕まれば何をされるかわからない。個体としての能力は悪魔の方が上でも、数の力には到底敵わない。
 徒歩で移動して捕まる可能性と、飛んで失う体力を天秤にかけて後者を取った。
 隠していた黒い羽根を広げ、ユーゴは夜空を飛んだ。月明りに照らされたその姿は、人々にもよく見えた。いくつもの鈍い銃声とユーゴを呪う人々の声が、暗い森に響いていた。可能な限り避けてはいたものの、一発が肩に、もう一発が太ももを貫いた。
 悪魔だって痛みは感じる。吐き気がする程の激痛に耐え、肩に残った弾丸を爪と指を使って抉り出しながら全力で飛んだ。
 遠くへ。できるだけ、遠くへ。
 そうしてこの町に辿り着いて、なんとか羽根を仕舞い、けれどそこで動けなくなってしまったのだ。

(もう、いいか)

 もしここで人を狩ったとしても、すぐに見つかって捕まる。そうすればどの道待っているのは死だ。
 どちらにしても死んでしまうなら、痛くない方がいい。けど、それならもう少し人のいない所に移動しないと。でも、瞼が重い。だから、少し、ほんの、少しだけ。
 そう思ってゆっくりと瞼を閉じたときだった。

「大丈夫ですか?」

 誰かの声が聞こえた。
 頭上で何かがキラッと光った気がして、ゆるゆると瞼をあげる。
 男の人だった。薄く開いた瞳に、街灯の光を反射して光る、プラチナブロンドの髪が映る。こちらを見下ろしている瞳は、柔らかなブラウンだ。

「大丈夫ですか?」

 もう一度、その男が問うた。
 答えないユーゴに、大丈夫じゃなさそうやね。とため息をつく。

 綺麗な人だな。と思った。
 魔物も人間も、長く生きている間にたくさんの人を見たけど、こんなに綺麗な人はあまり見たことがない。
 思わずじっとその姿を凝視していたせいか、ぱちりとその男と目が合った。あわてて反らそうとすると、その男の目が驚いたように丸く開いて、形のいい唇が綺麗な弧を描くのが見えた。
 途端、急に頭を動かしたせいなのか、くるりと視界が回り、風景がぐにゃりと歪む。その後も、その男は何かを言っていたようだったけど。

 限界だった。

 目の前が急速に暗くなって、意識が遠のく。
 ガクガクと身体を揺さぶられている感触はしたけれど、どうすることも出来ない。
 そのまま、真っ暗な空間に落ちていくようにユーゴはその意識を手放した。
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