可愛い悪魔の飼いならし方

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第一章

はじめての餌付け-1

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『しょうがねぇよな。弱いヤツは死ぬしかないんだよ』

 そう言ったのは誰だったろう。
 ユーゴを捕まえて切り刻んで遊んでいた人間だったか、通りすがりの意地悪な悪魔だったか。
 思い出せない。思い出したくもないけれど。

 そんなことを考えた途端、眠りは解け、ふわりと意識が浮上した。
 ぎゅうと身を縮めるように丸まると、ファサと柔らかい感触が肌に触れる。それが自分の羽根だと気付くまでに少しかかって、それからゆっくりと瞼を開けた。
 ユーゴはその身を守るように黒い羽根を広げて自分自身を包んでいた。まだ生きてるんだ、と他人事のようにぼんやりと思う。飢餓状態で酷使した羽根はボロボロであちこち隙間が開いていて、そこから光が差していた。

 ここは、何処だろう…?

 ふと浮かんだ疑問にユーゴは怯えた。
 おかしい。さっきまで外にいたはずだ。けれど今見える光は暖色で、たぶん蝋燭の明かりなのだろう。いつものような底冷えする寒さも感じないし、何か柔らかいものの上に寝ているのもわかる。
 でも、理由がわからない。

 怖い。

 もうすぐ死ぬって段階にいてまだ怖いなんて感情が沸くんだと少しおかしく思いながら、ユーゴは羽根の隙間から外の様子を窺った。
 木製のテーブルの上に銀色の燭台が乗っていて、蝋燭の光が揺らめいている。その奥は書架が並んでいて、少しだけ空いたスペースのレンガ造りの壁に、黒い天鵞絨のタペストリーが掛かっていた。銀糸で神の威光を模した図形が刺繍されている。
 サッと背筋が冷たくなった。

 逃げた方がいい。
 どういう経緯でここにいるのかはわからないけれど、ここが人間の住む家の中らしいことはわかる。
 まだ、飛べるだろうか? 羽根すら仕舞っておけないということは、本当にもう限界が近いということだ。でも、人間のおもちゃになるのはどうしても嫌だった。
 ユーゴは萎えた身体を奮い立たせるようにぐっと奥歯を噛み、ゆっくりと身体を起こした。鉛でも飲んだのかと思うほど身体が重く、ギシギシとあちこちが痛む。それでもなんとか肩甲骨に力を入れて、羽根が動くかどうかを確かめた。
 と。
 不意にガチャとドアが開く音がして、誰かの声が聞こえた。

「あーっ! 良かった! 気が付いた!?」

 驚いてユーゴは咄嗟にぎゅっと羽根を元通り繭のように閉めた。気配に気づかなかったことに心の中で舌打ちをして、早鐘を打つ胸を押さえる。
 カツカツと足音がした。あー。やっぱり悪魔やったんね。と言いながら声の主はユーゴの頭側にまわると、羽根の隙間から中を覗き込んでくる。柔らかなブラウンの瞳とぱちり目が合う。さっき話しかけてきた男だ。

「大丈夫。なんもせんよ。怖がらんで」

 瞳の色と同じ柔らかな声がそう言って、ユーゴの羽根をそっと撫でた。

「触るな……っ!!」

 発した自分の声は、気持ちとは裏腹にひどく弱々しかった。
 上手く動かない身体を無理に動かして後ずさるけど、すぐに背中が壁に当たる。そこにきて初めて、自分がベッドのようなものの上に寝かされていたことに気付いた。

「なんもせんて。殺す気ならもうとっくに殺しとるか、逃げんように縛るくらいはしとるよ」

 穏やかに物騒なことを言われて、ユーゴはふるりと身を震わせた。

「もう羽根も隠せんて、ホンマに死にかけなんやね」

 変わらず穏やかにそう言って、男がまたユーゴの羽根を撫でる。恐怖で身体が縮こまり、どうにかして逃げないとという考えばかりが頭の中をぐるぐると駆け巡った。
 視界が狭くてよく見えないけれど、周囲をぐるりと本棚が埋め尽くしているところをみるとここは書庫らしい。そのせいか、目に映る限り部屋の中に窓は見当たらない。出入口らしいドアは、男の背後だ。目の前の男を突き飛ばしてドアまで飛んでそこから逃げる。出来るだろうか。でも、出来たとしても、外に他の人間がいればアウトだ。そこを更に突破できるほど、自分に体力が残っているとユーゴには思えなかった。

「大丈夫やから、怖がらんで」

 なおも優しく男が語りかけてくる。
 男の言葉にはあちこちの言葉を混ぜたような妙な訛りがあって、なんだか気が抜けた。どうしようかと迷って、ユーゴは少しだけ力を抜いてぴったりと閉じていた羽根をわずかに開いてみる。

「いい子やね」

 そう言った男は端正な顔でニコッと笑って、またユーゴの羽根を撫でる。触られたくなくて、また少し身を退いた。

 やっぱり綺麗な男だった。
 緩くウェーブのかかったプラチナブロンドにくっきりした二重の目。スッと鼻筋の通った鼻梁。形のいい唇。肌は陶器のように滑らかで染みひとつない。ユーゴと同じくらいの長身に黒衣を纏ってる。そこに施された刺繍と胸に付けたバッジの図形から、恐らく彼は神に仕える者、祭司なのだろうと推測できた。しかもバッジの数が多い。位が高い、ということだ。

「助けてあげようか?」

 思いがけない言葉が耳に届いて、聞き間違いか? とユーゴは何度も瞬きをした。

「困っている人がいたら助けなさいっていうのが、神様の教えなんよ」

 ニコニコとそんなことを言われてユーゴは困惑した。
 ユーゴのような悪魔や魔物は祭司とは対極に位置している。正直、こちら側はそんなふうに思ってはいないけど、少なくとも人間側はそうだと思っている。
 神様というのは人間が考えた架空の生き物だ。だから神を模した図形も聖なる水も祈りもユーゴは少しも怖くない。なのにその祭司を筆頭にして悪魔や魔物を狩りに来るから、いいイメージはなかった。
 まああちら側からしたら悪魔や魔物は人間をエサにしているわけだから、同じように忌むべきものと認識されていて当然なのだけれど。
 それなのに目の前の男は神様の教えだからユーゴを助けようか? などと言う。馬鹿にも程がある。

「あ。そのかわりね、もう人間を殺しちゃアカンよ?」

 やっぱり、本当に馬鹿なのかもしれない。だってそれでは食事ができない。
 ユーゴが眉を顰めると男は、ええと、と首を傾げた。

「悲鳴とか血肉とか、そういうのが好きなタイプ?」

 その問いにユーゴは益々眉を顰めて首を横に振った。
 魔物にはそれぞれ好みの食事スタイルがある。基本的には人間の精気さえ吸えればいいのだけれど、そこに苦痛とか恐怖とかそういうスパイスを加えたがる輩も多い。女子供を犯して悲鳴を聞きたがる者もいる。
 でもユーゴはどちらも嫌いだ。
 ユーゴの狩りのターゲットは基本的に老人か病人だし、精気も眉間に口を当てて吸うだけだ。それなら力の弱いユーゴでも確実に狩れるし、何より死にたがってる人間が多い。精気の味も量も質も悪いけれど、気持ち的にはその方がずっと楽だった。
 町を追われる前、最後に食べた人間も枯れ枝のような老人だ。ベッドから起き上がることもままならなかった老人は、施錠されていたはずの窓から入ってきたユーゴを見て『やっとお迎えがきた』と静かに微笑っていた。
 それを教えると、優しいんやね。と男は微笑んだ。

「うん。やっぱりいい子みたいやし、助けてあげる」

 そう言って差し出された手を、胡乱な目でユーゴは一瞥した。

「……どうやって?」

 助けると言いながら人間は殺すななどと言う。矛盾している。それで騙しているつもりなのだろうか。死にかけの悪魔なんて、おもちゃにするくらいしか使い道がない。
 何をされるのだろうと、ユーゴは震えた。

 それというのも、まだ小さい頃にユーゴは一度人間に捕まったことがある。生まれたてに近くまだまだ無知で、何も知らなかった。そんな彼を自分の背丈の三倍ほどもある男が数人、寄ってたかってユーゴをおもちゃにしたのだ。
 刺した傷はどのくらいの早さで再生するのか。火傷はどうか。狭い小屋のような建物の中で首輪と手枷足枷をつけられ、好奇心と加虐心の赴くまま何日も実験された。足を折られ、爪を剥がれ、肉を削がれ。それが治るとまた別の個所を試される。真っ赤になった鉄の棒を肌に押し付けられ、角を折られ、羽根を毟られ…。
 散々いいようにされてボロボロになったユーゴを足蹴にして嗤いながら、最後は見世物小屋に売るのだと男たちは言っていた。
 あの時はまだ余力があって、男たちが油断した隙に逃げることができたけれど。
 自分の血と皮膚の焦げる匂い。気が遠くなる程の激痛。それを見て嗤う男たちの声。
 …………吐き気が、する。

「そうやねぇ。じゃあ、おれの精気を分けてあげる」
「……え?」
「だって、じゃあこの人をどうぞ。って他人を差し出すわけにもいかんし。でも人間の精気がないと死んじゃうし」

 そうだけれど。でも。

「ちょっとだけやからね! 全部吸ったらアカンよ? ……ほら。口、開けて?」

 口……?

「うん。眉間はさ、エネルギーがいちばん集まってるとこやから。そんなとこから一気にいっぱい吸うからすぐ死んじゃうんよ。だからそこは避けて、他のとこからちょっとずつ吸ったら平気なんやって……知り合いが言っとった」

 目の前の男の言葉にユーゴは戸惑った。騙そうとしてるのか本気で言っているのか、ニコニコと笑う能天気な顔からは判別できない。
 そんなことを試したことのある馬鹿が知り合いにいるということだろうか? そうだとしてもその人間がたまたま平気だっただけで、自分が大丈夫だという確証なんて何処にもないだろうに。

「大丈夫やって。痛いことなんてせんから。ちょっとチュッてするだけ。……それに、祭司って美味しいんやろ? おれ、美味しいんやない?」

 そういう噂はユーゴも聞いたことがあった。
 純粋な人間ほど美味しいのだという。子供が狙われやすいのも同じ理由だ。祭司は純粋に神を信仰している者が多いし、大人なぶん、量も味も質も高いらしい。それを求めて祭司を専門に狩る魔物もいたり、魔物に捧げるために攫う人間もいるなんて噂もあった。それほど美味ということなのだろう。
 まあ、ユーゴは生きるだけで精一杯で、食事に味や質を求めたことはないけれど。

「味見、してみん?」

 ギシっとベッドが軋んだ音を立てた。四つん這いになった男が、ゆっくりとユーゴに近寄ってくる。
 逃げ場はもうなかった。
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