可愛い悪魔の飼いならし方

文字の大きさ
11 / 35
第一章

無理難題

しおりを挟む
 恋は人を馬鹿にする。

 それは世間では定説みたいに言われていることで、まあ、そうなんだろうな。という場面は長く生きている間に幾度も見た。だから、そういうものなんだなと納得はしていて、でもそれはユーゴにとっては自分には関係のない世界の話……だったのだけれど。

「ユーゴ様! ユーゴ様! お忘れものです!」
「え? ……あっ」

 レイに頼まれていた品物を受け取って、仕立て屋を出ようとしたところで後ろから呼び止められ、ユーゴは足を止めた。振り返ると、カウンターの中から出てきた女性の店主が、ホッとしたような顔をして息をつく。

「お釣り、お忘れです。レイ様に叱られますよ?」
「あ…。えっと、すみません」

 革製のトレイに乗った銀貨を集めてポケットに突っ込みながら、クスクスと聞こえた笑い声にチラっと彼女の顔を盗み見る。でも、目の前の彼女は曖昧な笑みを浮かべてはいるものの、声は出していない。逆の方に顔を向けると開いたドアの向こう、奥の部屋で針仕事をしているはずの女の子たちがふたり、顔を覗かせユーゴを笑っていた。ユーゴがふたりに気付いたことに気付くと、ひらひらとこちらに手を振ってくる。

「レイ様がお出かけになってもう三日ですもんね」
「ユーゴ様はレイ様がいないと途端にぼんやりなさるから」
「今朝の礼拝も、詩篇の場所間違えて読んでたって、おばあちゃん言ってましたよ」
「こら! あなたたち! 失礼よ。仕事に戻りなさい」

 口々に好きなことを言っていた女の子たちが、店主に叱られてはぁいと不満げな返事を残して奥に引っ込む。
 ここはレイの馴染みの店でユーゴも度々世話になっているのもあって、店主も店員も気安い。すみませんね。と申し訳なさそうな顔をした店主に、いえ。と、ユーゴは曖昧に笑った。
 ぼんやりしてるのも今朝の礼拝でヘマをしたのも、本当のことだ。

「今日は雨で足元が悪いですし、気を付けてお帰りになってくださいね。あの子たちじゃないですけどユーゴ様、レイ様がいらっしゃらない日は本当にうわの空ですから」

 重ねてそんな恥ずかしいことを言われながら店を送り出され、傘をさす。鈍色の空から降り注ぐ雨粒が、パタパタと音を立てて傘の生地を叩いた。濡れないようにと荷物をぎゅっと胸に抱えて、ユーゴはふうと大きなため息をつく。


 あの夜から二ヶ月と少しが過ぎた。
 生活自体はそれほど変わりないけれど別々だった寝室は一緒になり、ただの居候だったユーゴはレイの恋人になっていた。公言したわけではないけれど、『ゆーちゃんはおれの!』という態度を隠さないレイのおかげで、町の人々もそういうものだと思っているらしい。恥ずかしいけれど嬉しくて変な気分だとユーゴは思う。
 そんなレイは教団の会合とやらに呼ばれて隣国まで出かけていて、三日前から留守だ。

『ゆーちゃんおるから安心やし』

 そんなふうに信頼されるのは嬉しい。
 でも、離れているのはちょっと寂しい。

『なるべく早く帰るから! ゆーちゃん餓死したら大変!』

 そんなに簡単に餓死なんてしない。大体、五日くらいで戻ると聞いたし、そのくらい全然大丈夫。
 そうは言ったけれど。

『だってこの前、三日間留守にしたときやって、ゆーちゃんボーッとしてるし元気なかったって町の人もみんな心配してたし!───それに、おれがおらんときにお腹空いて、それで誰かから補給とか、嫌やし』

 そんなことは絶対しないと言ったのだけれどレイは聞かなくて、結局、出発の前の夜は頭のてっぺんからつま先まで泣きが入るほど丁寧に愛されてしまった。
 そんなことをちょっと思い出して、ユーゴは熱くなる頬を隠すように、視線を地面に向ける。
 レイと身体を重ねた回数は、もうとうに両手の指では足りない数になった。
 正直、そんなことをして大丈夫なのかと、ユーゴはいつも心配になるのだけれど、レイは『ヘーキ。おれ、丈夫やもん』と、聞く耳を持たない。確かに何処にも異変はないようだけれど、普通に考えて、異種で交わって負担になるのはレイの方だ。
 まあ、そんなことを言ってみても、甘くて美味しくて気持ちが良くて、最後には夢中になってしまっているのはいつもユーゴの方なのだけれど。

 そんなことをつらつら考えながら歩いているうちに、雨は上がっていた。
 用済みになった傘をパチンと閉じると視界が開けて、もうすぐそこに我が家が見える。
 ポケットに仕舞っておいた鍵を取り出しながら近づいて、玄関のドアを開けようと鍵穴に鍵を差し込んで…、と、中に人の気配があることに気付いて、あ! とユーゴは少し乱暴にドアを開いた。

「おかえり! ゆーちゃん! ただいまっ」

 音に気付いたレイがそう言いながら、リビングに続く廊下をパタパタと走ってくる。あわてて傘を傘立てに置くと、細長い身体が体当たりするみたいにユーゴに飛びついてきた。咄嗟のことに堪えきれなくて、足が二、三歩たたらを踏む。

「おかえりなさい。早かったね」
「うん。急いで帰ってきた」

 ぎゅうぎゅうときつく抱きしめられて、それと同じくらい、きゅうと胸が痛む。痛いくらいの強さが心地よくて、ユーゴはほうと深く息をついた。

「でね、帰ってきたばっかりやけど、三日後にまた、出かけるよ」
「…え」
「今度はゆーちゃんも一緒!」
「え。な、何で…?」

 いつものことだけれど、レイの話は言いたいことが先で経緯や説明が後回しだ。わけがわからなくて首を傾げると、えっとね、とやっと解説が始まる。

「審査通ったんよ」
「審査って?」
「前に言ったじゃん。推薦状書くって」

 推薦状…?
 推薦状とは、あの、前にレイが言っていたユーゴを祭司に推薦するとかいう話のことだろうか。

「そう。それ! で、本部からOKですって返事きたの」

 は?

「だからね、正式な辞令もらいに、本部に行くんよ」

 はぁああああっ??!
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

超絶美形な悪役として生まれ変わりました

みるきぃ
BL
転生したのは人気アニメの序盤で消える超絶美形の悪役でした。

【BL】捨てられたSubが甘やかされる話

橘スミレ
BL
 渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。  もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。  オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。  ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。  特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。  でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。  理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。  そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!  アルファポリス限定で連載中  二日に一度を目安に更新しております

甘々彼氏

すずかけあおい
BL
15歳の年の差のせいか、敦朗さんは俺をやたら甘やかす。 攻めに甘やかされる受けの話です。 〔攻め〕敦朗(あつろう)34歳・社会人 〔受け〕多希(たき)19歳・大学一年

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

悪役令嬢の兄でしたが、追放後は参謀として騎士たちに囲まれています。- 第1巻 - 婚約破棄と一族追放

大の字だい
BL
王国にその名を轟かせる名門・ブラックウッド公爵家。 嫡男レイモンドは比類なき才知と冷徹な眼差しを持つ若き天才であった。 だが妹リディアナが王太子の許嫁でありながら、王太子が心奪われたのは庶民の少女リーシャ・グレイヴェル。 嫉妬と憎悪が社交界を揺るがす愚行へと繋がり、王宮での婚約破棄、王の御前での一族追放へと至る。 混乱の只中、妹を庇おうとするレイモンドの前に立ちはだかったのは、王国騎士団副団長にしてリーシャの異母兄、ヴィンセント・グレイヴェル。 琥珀の瞳に嗜虐を宿した彼は言う―― 「この才を捨てるは惜しい。ゆえに、我が手で飼い馴らそう」 知略と支配欲を秘めた騎士と、没落した宰相家の天才青年。 耽美と背徳の物語が、冷たい鎖と熱い口づけの中で幕を開ける。

処理中です...