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第一章
アーベントロート
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無理無理無理、絶対、無理!!!
だってだってだって、そんなの全然、聞いてないっ!!
ユーゴが祭司になるとかいう話は、あの日、いいとも駄目とも言わないまま終わっていた。やるともやらないとも言わないままなんとなく、レイがいない日にレイの代わりを引き受けて祭司の真似事はしていた。それはまあ、そう、なんだけれど。
『だって、ずうっとこのままってわけにはいかんし』
そう…なんだろうな。とはユーゴだって思ってはいた。
祭司は大体、十年前後で勤務地が変わる。聞くまでもなく昔からそういう制度だから、ユーゴもそれは知っていたし、だからレイもそのうち移動しなければならないという予想はつく。
それでも悪魔が素性を隠して祭司になんて、荒唐無稽な話だ。でもレイとずっと一緒にいたいなら、それは本当はそう悪くない提案なのかもしれない。同じ祭司ならば一緒に移動してもおかしくないし、越した先であれこれ素性を探られる可能性も低くなる。でも。
『嫌なんはわかるけど、どうしても最初の一回は本部で辞令受けんとなんやもん。大丈夫やから。辞令出す祭司はおれの友達やし、みんな優しいし。ね?』
そうは言っても魔物と相対する教団の本部だ。もちろん周りは祭司だらけ。万が一バレたら……と思うと、承諾なんて出来るわけない。
『本当に大丈夫やって。ゆーちゃん心配しすぎ!』
心配なんてするに決まってる!
だって万が一バレて捕まったらどうする気なのか。ユーゴが捕まるのは、嫌だけど、まあいい。ユーゴが心配してるはレイの方だ。
もしもバレてレイに害が及んだら?
そう思うと、とても首は縦に振れない。
『あー。ゆーちゃん信じてないんやろ? おれ、本当の本当に偉いんやからね! おれに罰下せる程の人なんてほんの一握りしかおらんよ』
ひとりでもいるなら、駄目に決まってる!
そう、思っていたのに。
結局、食い下がられて、最終的にはベッドの中でぐずぐずになるまで甘やかされて、聞き入れて、しまった。
事の経緯を思い出してユーゴはまた特大のため息をついた。
ここまで来て、もう嫌も何もないんだけどと思いながらぐるり周りを見渡す。
降り立ったアーベントロートの駅は思ったより近代的で、人の数も多い。改札を抜けて外に出ると不安しかないユーゴの心とは裏腹に、今日の空は晴天で潮風に乗って吹いてくる初夏の風も気持ちが良かった。
今ユーゴはがいるのはレイと住んでいるリオンの町から汽車で三時間ほどの港町、アーベントロートだ。ここから明日、船に乗って教団本部のある国、ルイーズに渡ることになっている。
本部での謁見は二十日後。三日もあれば余裕で行ける距離なのに、何でこんなに急いで出発するのか、ユーゴは不思議だったのだけれど。
『え? ああ。船で行くんよ。あー。えっとね、ぐるーっと大回りしてくから十五日かかるの。友達がやってる船会社の船なんやけど、すごいんよ! 中にプールあったり、カジノあったり、ショーも見れるの。すごく人気のプラチナチケットで、めっちゃ頼んで何とかしてもらったんよ。だけどさぁ、前日までにチケット受け取っておかないとなんやけど、おれ仕事で夜にしかアーベントロートに着かないんよね。旅券の引換所が閉まるまでに行けそうになくて……。ゆーちゃんにお願いしていい?』
頭痛しかしなかった。
ゆーちゃんと行く初めての旅行だから張り切って考えたんよ。なんてニコニコ笑顔で言われてしまえば怒ることもできない。留守の間、教会はどうするのかと訊けばすでに代わりの祭司を手配してあると言うし、段々抵抗する気も失せてきて、乞われるままユーゴはレイよりひと足はやく家を出てきたのだ。
大きな荷物は昨日のうちに送ってあるから、今、手元にある荷持は着替えが一式入ったトランクがひとつ。それを手に教えてもらった道順通りにすすんで行くと、そのうち海が見えてくる。ひさびさに見る海にちょっと感動しながら、海沿いにある指定された店で小切手とチケットを交換した。
旅費は教団持ち。とは聞いていたけれど、小切手に書かれたゼロの多さにまた頭痛がする。
「大丈夫なんかな……。これ」
店を出て今日宿泊予定の宿に向かいながら、懐に入れたチケットを押さえて思わず呟いてしまった。
と。
「おいっ。おまえ」
不意に後ろから腕を掴まれて、ユーゴは驚いて振り返った。
物盗りか? と、サッと身構えて、それから視界に映った人の姿にパチパチと目を瞬かせる。
そこにいたのは、少年とも少女とも見て取れる可愛らしい顔立ちの小柄な若者だった。ユーゴより頭ふたつ分身長が低い。白いシャツに千鳥格子のひざ丈のパンツとサスペンダー。肩に付かない長さの髪は緩くウェーブがかかっていて、パンツと同系色のキャスケットを被っている。十代後半くらいに見えるその顔に、ユーゴはまったく見覚えがなかった。
「ちょっとこっち来い」
「え…? は?」
「いいから!!」
思いのほか強い力で掴まれた腕をぐいぐいと引かれ、バランスを失った足が縺れる。転びそうになりながら、近くの路地裏に連れ込まれたユーゴは、その少年(声が低かったからたぶんそうだろう)の顔をもう一度よく見て、やっぱり知らない人だと首を傾げた。
「あの…」
「これ、アンタだろ」
そう言って、少年がポケットから取り出した紙をユーゴに差し出す。何だろうと訝しく思いながら四つに畳まれた紙片を開いて、中に見えた文字と絵にユーゴはギクリと身体を強張らせた。
紙には『重要参考人』と大きく書かれた文字と、レイに拾われる以前のユーゴを描いたと思われる似顔絵。それからその下に、この似顔絵の人物がコズレルで起こった児童連続殺人事件の重要参考人である旨と、魔物かもしれないという注意書きが記されていた。
マズい…っ。
咄嗟に、目の前の少年をどうしようかと計算が働く。
レイに迷惑はかけられない。……殺してしまうべきだろうか。
そんな考えが頭を過った途端、待って待って! と少年が両の腕を大きく振った。
「同種だよ。敵じゃない」
慌てたようにそう言ってサッと脱いだキャスケットの下から、ピョコっと二つの耳が現れる。ふさふさした茶色の耳は、たぶん、狼のそれだ。
ユーゴが目を丸くしていると、少年はそれをまたキャスケットの中にしまってぐっとこちらを見上げてきた。
「それ、そこに書かれてるのって」
「僕じゃない! 僕は、何も…っ。別の誰かが」
「そっか」
まあ、アンタ血の匂いしないもんな。と少年は言って、それから、魔物が濡れ衣着せられるのもよくあることだし。と視線を伏せた。
「でも、さ。そんな手配書が出回ってるのに、アンタなんかめっちゃ目立ってるから気になって」
「え?」
言われてユーゴは自分の身体を見下ろした。
グレンチェックのスーツに淡く赤みの入ったカラーシャツと濃茶のタイ。それから濃色の中折れ帽。それはどれもいつもの黒衣だと祭司だとすぐにわかってしまって逆に危ないから。とレイが用意してくれたものだ。生地は上等だしお洒落だけれど色も形も一般的で、特に奇抜ではないと思う、けど。
「いや。そうじゃなくて……なんつーか」
少年の言っていることがよくわからずに首を傾げると、まあいいから、こっち。とまた腕を引かれる。どうしようかと少し迷いながら、でも珍しく好意的な同種に興味を引かれて、ユーゴは大人しくその後をついて行くことにした。
路地裏から出て、何度か道を曲がって。そうして連れて行かれた先は小さな店だった。中に入るとすぐにショーケースが並んでいて、そこに飾られた指輪や時計でここが宝飾店なのがわかる。
「あれ? タフィーじゃない。もう出発したんじゃなかったの?」
店のドアが開いたのに気付いた店主らしき人物が、カウンターの向こうから声をかけてきた。その声に、少年はペコとお辞儀を返す。どうやらタフィーというのがこの少年の名前らしい。
「あー…。うん。そのつもりだったんだけど」
タフィーはそう返して、チラと隣に立つユーゴに視線を向けてきた。
「あ、えっと、そちらは?」
自分のことだと気付いて、ユーゴは慌てて頭を下げた。すると隣に立つタフィーが、あー。えっと。と、また迷うようにチラリとユーゴを見上げる。ユーゴもユーゴでここに何故連れてこられたのかもわからなくて、タフィーと店主をチラチラと交互に見返してしまった。
顎のラインで切り揃えられた真っ黒なストレートの髪に、ぱっちりとした二重の大きな瞳。年齢も性別も感じさせない中性的な雰囲気だけれど、声を聞く限りこの人も男性だ。もしかしたらこの人も魔物なのかもしれない。
「あ、れ? 失礼ですが、何処かで……、あ…っ!!」
首を傾げユーゴをじっと見ていた瞳が見開かれ、それから、タフィー! タフィー! と慌てたように少年を呼ぶ。呼ばれたタフィーは、うん。と返事をすると、わかる? と逆に質問をした。
「間違ってたらごめんなさいだけど、もしかして、この人…?」
そう言って店主が手元の引き出しを開け、ひらりと一枚の紙を取り出す。さっきタフィーがユーゴに見せたのと同じものだ。咄嗟に身を固くしたユーゴの腕を掴んだタフィーが、この人も同種で仲間だから大丈夫。と、前を見たまま声をかけてくる。それから目の前の店主にも、コイツの仕業じゃないよ。と彼の気持ちを代弁してくれた。
「そう。うん。いや…、言われなきゃ、わかんない、かなって感じだけど。アンタが神妙な顔して連れてきたから、ワケありなのかなって考えたら、なんとなく」
「そっか。俺、歩いてて、なんかめっちゃ目立つ人いるなぁって思って見てたらすぐわかったけど。でさ、それなのにコイツ、何の警戒もしてない感じでフラフラ歩いてたから、びっくりして連れてきた」
「それ、単純に好みの問題じゃないの? 顔がいいしスタイルもいいし、つい見ちゃうのもわかるけど。でも、まあ……だいぶ変わってるけど、そうね。見る人が見れば、わかるかも、ね」
「うん。だからエリヤさん、なんとかしてくれないかなって思って」
そうねぇ。と言ってカウンターの中から出てきたエリヤとよばれた店主は、ユーゴの目の前に立つと頭ひとつ低い位置から、じっとこちらを見上げてきた。
美人だな、と素直に思う。横にいるタフィーもそうだけれど、やっぱり魔物は綺麗だ。それでもレイには及ばないけれどと考えて、そんなことを思う自分に頬が熱くなる。
「うーん。眼鏡でもかけてみる?」
そう提案してきたエリヤはぐるりと店内を見回して、ショーケースの中から眼鏡をふたつ天鵞絨張りのトレイに乗せると、ユーゴたちの元に戻ってきた。そこには薄いべっ甲のフレームがついた丸眼鏡と、細い金縁のフレームを同じく金のチェーンで繋いだ片眼鏡が乗っていた。どちらも華奢で、顔を隠すという用途には向かなそうに見える。
「肉眼ではほとんど見えないけど、フレームの内側の方に掛けてる人の顔が認識しづらくなるように術が施してあるから」
勧められて手に取ってみると、たしかに内側に何か文字のような細工がしてある。
「片眼鏡の方が似合いそう」
横から口を出したタフィーをチラリと見て、ユーゴは丸眼鏡の方を手に取った。値札がついていないことに内心怯えながら、試しに掛けてみる。それは驚くほどに軽くて、細いフレームは視界もあまり遮らない。これで目立つと言われた顔を隠せるのなら、と、ユーゴはふうと深く息をついた。
ゆーちゃんも欲しいもの買ったらええよ。とレイから過分にお金は貰っている。でも、使う気は全然、なかったのだけれど。
「あの、じゃあ、こちらをいただきたいと思うんですが、お幾らですか?」
ユーゴが訊ねると、こっちも掛けてみなよ。とまた横からタフィーが口を出す。無言で首を振ると、タフィーがつまらなさそうに口を尖らせそた。
だって片眼鏡はきっと、レイにあの人を思い起させる。だから。
「そう。じゃあ、ええと、そうね」
少し考えるように上を見て、それから近くの紙とペンを取ったエリヤが、サラサラと金額を記していく。増えていくゼロの数にめまいを感じながら、ユーゴは震える手で懐から財布を取り出した。
だってだってだって、そんなの全然、聞いてないっ!!
ユーゴが祭司になるとかいう話は、あの日、いいとも駄目とも言わないまま終わっていた。やるともやらないとも言わないままなんとなく、レイがいない日にレイの代わりを引き受けて祭司の真似事はしていた。それはまあ、そう、なんだけれど。
『だって、ずうっとこのままってわけにはいかんし』
そう…なんだろうな。とはユーゴだって思ってはいた。
祭司は大体、十年前後で勤務地が変わる。聞くまでもなく昔からそういう制度だから、ユーゴもそれは知っていたし、だからレイもそのうち移動しなければならないという予想はつく。
それでも悪魔が素性を隠して祭司になんて、荒唐無稽な話だ。でもレイとずっと一緒にいたいなら、それは本当はそう悪くない提案なのかもしれない。同じ祭司ならば一緒に移動してもおかしくないし、越した先であれこれ素性を探られる可能性も低くなる。でも。
『嫌なんはわかるけど、どうしても最初の一回は本部で辞令受けんとなんやもん。大丈夫やから。辞令出す祭司はおれの友達やし、みんな優しいし。ね?』
そうは言っても魔物と相対する教団の本部だ。もちろん周りは祭司だらけ。万が一バレたら……と思うと、承諾なんて出来るわけない。
『本当に大丈夫やって。ゆーちゃん心配しすぎ!』
心配なんてするに決まってる!
だって万が一バレて捕まったらどうする気なのか。ユーゴが捕まるのは、嫌だけど、まあいい。ユーゴが心配してるはレイの方だ。
もしもバレてレイに害が及んだら?
そう思うと、とても首は縦に振れない。
『あー。ゆーちゃん信じてないんやろ? おれ、本当の本当に偉いんやからね! おれに罰下せる程の人なんてほんの一握りしかおらんよ』
ひとりでもいるなら、駄目に決まってる!
そう、思っていたのに。
結局、食い下がられて、最終的にはベッドの中でぐずぐずになるまで甘やかされて、聞き入れて、しまった。
事の経緯を思い出してユーゴはまた特大のため息をついた。
ここまで来て、もう嫌も何もないんだけどと思いながらぐるり周りを見渡す。
降り立ったアーベントロートの駅は思ったより近代的で、人の数も多い。改札を抜けて外に出ると不安しかないユーゴの心とは裏腹に、今日の空は晴天で潮風に乗って吹いてくる初夏の風も気持ちが良かった。
今ユーゴはがいるのはレイと住んでいるリオンの町から汽車で三時間ほどの港町、アーベントロートだ。ここから明日、船に乗って教団本部のある国、ルイーズに渡ることになっている。
本部での謁見は二十日後。三日もあれば余裕で行ける距離なのに、何でこんなに急いで出発するのか、ユーゴは不思議だったのだけれど。
『え? ああ。船で行くんよ。あー。えっとね、ぐるーっと大回りしてくから十五日かかるの。友達がやってる船会社の船なんやけど、すごいんよ! 中にプールあったり、カジノあったり、ショーも見れるの。すごく人気のプラチナチケットで、めっちゃ頼んで何とかしてもらったんよ。だけどさぁ、前日までにチケット受け取っておかないとなんやけど、おれ仕事で夜にしかアーベントロートに着かないんよね。旅券の引換所が閉まるまでに行けそうになくて……。ゆーちゃんにお願いしていい?』
頭痛しかしなかった。
ゆーちゃんと行く初めての旅行だから張り切って考えたんよ。なんてニコニコ笑顔で言われてしまえば怒ることもできない。留守の間、教会はどうするのかと訊けばすでに代わりの祭司を手配してあると言うし、段々抵抗する気も失せてきて、乞われるままユーゴはレイよりひと足はやく家を出てきたのだ。
大きな荷物は昨日のうちに送ってあるから、今、手元にある荷持は着替えが一式入ったトランクがひとつ。それを手に教えてもらった道順通りにすすんで行くと、そのうち海が見えてくる。ひさびさに見る海にちょっと感動しながら、海沿いにある指定された店で小切手とチケットを交換した。
旅費は教団持ち。とは聞いていたけれど、小切手に書かれたゼロの多さにまた頭痛がする。
「大丈夫なんかな……。これ」
店を出て今日宿泊予定の宿に向かいながら、懐に入れたチケットを押さえて思わず呟いてしまった。
と。
「おいっ。おまえ」
不意に後ろから腕を掴まれて、ユーゴは驚いて振り返った。
物盗りか? と、サッと身構えて、それから視界に映った人の姿にパチパチと目を瞬かせる。
そこにいたのは、少年とも少女とも見て取れる可愛らしい顔立ちの小柄な若者だった。ユーゴより頭ふたつ分身長が低い。白いシャツに千鳥格子のひざ丈のパンツとサスペンダー。肩に付かない長さの髪は緩くウェーブがかかっていて、パンツと同系色のキャスケットを被っている。十代後半くらいに見えるその顔に、ユーゴはまったく見覚えがなかった。
「ちょっとこっち来い」
「え…? は?」
「いいから!!」
思いのほか強い力で掴まれた腕をぐいぐいと引かれ、バランスを失った足が縺れる。転びそうになりながら、近くの路地裏に連れ込まれたユーゴは、その少年(声が低かったからたぶんそうだろう)の顔をもう一度よく見て、やっぱり知らない人だと首を傾げた。
「あの…」
「これ、アンタだろ」
そう言って、少年がポケットから取り出した紙をユーゴに差し出す。何だろうと訝しく思いながら四つに畳まれた紙片を開いて、中に見えた文字と絵にユーゴはギクリと身体を強張らせた。
紙には『重要参考人』と大きく書かれた文字と、レイに拾われる以前のユーゴを描いたと思われる似顔絵。それからその下に、この似顔絵の人物がコズレルで起こった児童連続殺人事件の重要参考人である旨と、魔物かもしれないという注意書きが記されていた。
マズい…っ。
咄嗟に、目の前の少年をどうしようかと計算が働く。
レイに迷惑はかけられない。……殺してしまうべきだろうか。
そんな考えが頭を過った途端、待って待って! と少年が両の腕を大きく振った。
「同種だよ。敵じゃない」
慌てたようにそう言ってサッと脱いだキャスケットの下から、ピョコっと二つの耳が現れる。ふさふさした茶色の耳は、たぶん、狼のそれだ。
ユーゴが目を丸くしていると、少年はそれをまたキャスケットの中にしまってぐっとこちらを見上げてきた。
「それ、そこに書かれてるのって」
「僕じゃない! 僕は、何も…っ。別の誰かが」
「そっか」
まあ、アンタ血の匂いしないもんな。と少年は言って、それから、魔物が濡れ衣着せられるのもよくあることだし。と視線を伏せた。
「でも、さ。そんな手配書が出回ってるのに、アンタなんかめっちゃ目立ってるから気になって」
「え?」
言われてユーゴは自分の身体を見下ろした。
グレンチェックのスーツに淡く赤みの入ったカラーシャツと濃茶のタイ。それから濃色の中折れ帽。それはどれもいつもの黒衣だと祭司だとすぐにわかってしまって逆に危ないから。とレイが用意してくれたものだ。生地は上等だしお洒落だけれど色も形も一般的で、特に奇抜ではないと思う、けど。
「いや。そうじゃなくて……なんつーか」
少年の言っていることがよくわからずに首を傾げると、まあいいから、こっち。とまた腕を引かれる。どうしようかと少し迷いながら、でも珍しく好意的な同種に興味を引かれて、ユーゴは大人しくその後をついて行くことにした。
路地裏から出て、何度か道を曲がって。そうして連れて行かれた先は小さな店だった。中に入るとすぐにショーケースが並んでいて、そこに飾られた指輪や時計でここが宝飾店なのがわかる。
「あれ? タフィーじゃない。もう出発したんじゃなかったの?」
店のドアが開いたのに気付いた店主らしき人物が、カウンターの向こうから声をかけてきた。その声に、少年はペコとお辞儀を返す。どうやらタフィーというのがこの少年の名前らしい。
「あー…。うん。そのつもりだったんだけど」
タフィーはそう返して、チラと隣に立つユーゴに視線を向けてきた。
「あ、えっと、そちらは?」
自分のことだと気付いて、ユーゴは慌てて頭を下げた。すると隣に立つタフィーが、あー。えっと。と、また迷うようにチラリとユーゴを見上げる。ユーゴもユーゴでここに何故連れてこられたのかもわからなくて、タフィーと店主をチラチラと交互に見返してしまった。
顎のラインで切り揃えられた真っ黒なストレートの髪に、ぱっちりとした二重の大きな瞳。年齢も性別も感じさせない中性的な雰囲気だけれど、声を聞く限りこの人も男性だ。もしかしたらこの人も魔物なのかもしれない。
「あ、れ? 失礼ですが、何処かで……、あ…っ!!」
首を傾げユーゴをじっと見ていた瞳が見開かれ、それから、タフィー! タフィー! と慌てたように少年を呼ぶ。呼ばれたタフィーは、うん。と返事をすると、わかる? と逆に質問をした。
「間違ってたらごめんなさいだけど、もしかして、この人…?」
そう言って店主が手元の引き出しを開け、ひらりと一枚の紙を取り出す。さっきタフィーがユーゴに見せたのと同じものだ。咄嗟に身を固くしたユーゴの腕を掴んだタフィーが、この人も同種で仲間だから大丈夫。と、前を見たまま声をかけてくる。それから目の前の店主にも、コイツの仕業じゃないよ。と彼の気持ちを代弁してくれた。
「そう。うん。いや…、言われなきゃ、わかんない、かなって感じだけど。アンタが神妙な顔して連れてきたから、ワケありなのかなって考えたら、なんとなく」
「そっか。俺、歩いてて、なんかめっちゃ目立つ人いるなぁって思って見てたらすぐわかったけど。でさ、それなのにコイツ、何の警戒もしてない感じでフラフラ歩いてたから、びっくりして連れてきた」
「それ、単純に好みの問題じゃないの? 顔がいいしスタイルもいいし、つい見ちゃうのもわかるけど。でも、まあ……だいぶ変わってるけど、そうね。見る人が見れば、わかるかも、ね」
「うん。だからエリヤさん、なんとかしてくれないかなって思って」
そうねぇ。と言ってカウンターの中から出てきたエリヤとよばれた店主は、ユーゴの目の前に立つと頭ひとつ低い位置から、じっとこちらを見上げてきた。
美人だな、と素直に思う。横にいるタフィーもそうだけれど、やっぱり魔物は綺麗だ。それでもレイには及ばないけれどと考えて、そんなことを思う自分に頬が熱くなる。
「うーん。眼鏡でもかけてみる?」
そう提案してきたエリヤはぐるりと店内を見回して、ショーケースの中から眼鏡をふたつ天鵞絨張りのトレイに乗せると、ユーゴたちの元に戻ってきた。そこには薄いべっ甲のフレームがついた丸眼鏡と、細い金縁のフレームを同じく金のチェーンで繋いだ片眼鏡が乗っていた。どちらも華奢で、顔を隠すという用途には向かなそうに見える。
「肉眼ではほとんど見えないけど、フレームの内側の方に掛けてる人の顔が認識しづらくなるように術が施してあるから」
勧められて手に取ってみると、たしかに内側に何か文字のような細工がしてある。
「片眼鏡の方が似合いそう」
横から口を出したタフィーをチラリと見て、ユーゴは丸眼鏡の方を手に取った。値札がついていないことに内心怯えながら、試しに掛けてみる。それは驚くほどに軽くて、細いフレームは視界もあまり遮らない。これで目立つと言われた顔を隠せるのなら、と、ユーゴはふうと深く息をついた。
ゆーちゃんも欲しいもの買ったらええよ。とレイから過分にお金は貰っている。でも、使う気は全然、なかったのだけれど。
「あの、じゃあ、こちらをいただきたいと思うんですが、お幾らですか?」
ユーゴが訊ねると、こっちも掛けてみなよ。とまた横からタフィーが口を出す。無言で首を振ると、タフィーがつまらなさそうに口を尖らせそた。
だって片眼鏡はきっと、レイにあの人を思い起させる。だから。
「そう。じゃあ、ええと、そうね」
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