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家出②
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――悔しい、悔しい!
さくらは再び溢れ出る涙をなんとかこらえながら家にたどりつき、門をくぐった。
すぐそばの庭から威勢のいい声が聞こえてくる。さくらは声のする方に向かった。
庭では、一人の少年が竹刀を持って素振りをしていた。
「おう、さくら。帰ってきたんだ。どした?泣いてるのか?」
「源兄ぃ……」
少年の名は井上源三郎。八王子千人同心というその名の通り代々江戸の西側地域で半士半農の生活を営む一家の息子である。
源三郎は普段日野で出稽古を受けている父親に連れられ、時折試衛館に来るのであった。さくらは以前から源三郎を兄のように慕っていた。
「源兄ぃはいいよね。男だから」
「はあ?」
すると、庭に面した部屋から初が出てきた。
「まあさくら、どうしたのです?」
「母上……っ」
こらえていた涙が溢れ出し、さくらは声を上げて泣いた。
縁側に座った初は、駆け寄ってくる娘を優しく抱きとめた。
さくらは泣きながら事の次第を説明した。初も源三郎も、ただ黙ってさくらの話を聞いた。
「母上、さくらは悔しいです。信吉は、男だからって威張るのです。さくらは女子のくせにおれたちと喧嘩するなんて馬鹿だって……母上、さくらも男に生まれたかった。どうしてさくらは女子なの……?」
初は力なく微笑み、さくらの頭を優しく撫でた。
「さくらは、男に生まれればよかったと思うのですね?」
さくらはこくり、と頷いた。
初は周助がなぜ、娘にさくらという名をつけたのかと優しく話した。さくらは泣くのをやめ、初の目を見据えた。
「私たちは、男かとか、女かとか、そういうことではなく、さくらが生まれてきてくれてよかったと、本当にそう思っているんですよ」
「じゃあ、どうして父上はさくらに剣術を教えようとするのですか?」
「天然理心流は、あの人が守って、伝えてきた流派なの。それを、血の繋がった娘にも伝えたい、そう思うのに何の不思議があるのです?」
「息子だったらもっとよかった、そう思ってるんでしょ!?」
さくらは大声でそう言うと、ダッと走り出した。
「さくら!」
初は道場の裏手に走っていくさくらを追いかけることができなかった。
源三郎は切なげな表情を浮かべる初と、さくらが走っていった方を交互に見、途方にくれていた。
「ちょっと俺、行ってきます」
いたたまれなくなった源三郎は、早足でさくらを追いかけた。
「ひっ……く……」
さくらは納戸の陰に隠れて泣いていた。
初がああは言っても、周助が男の子を望んでいたのは明らかであり、自分が女子であるということが、少なからず周助をがっかりさせたのは間違いない。
そんなことを考えると、さくらはどうしようもなくやりきれない気持ちになるのであった。
自分が男でさえあれば。その思いで頭がいっぱいになった。
「さくら」
呼ばれて見上げると、源三郎が立っていた。
「なあ、泣くなよ」源三郎はしゃがみこんでさくらと目線を合わせた。
「俺は、さくらが女でよかったと思ってる。俺、男兄弟しかいないから、妹が欲しかったんだ。だから……」
「でも、父上も母上も、本当はさくらが男だったらよかったと思ってるんだ。さくらは、いらない子なんだ……」
「そんなことないって」
さくらは源三郎を見た。そしてあることを思いついた。
「源兄ぃ、今日日野に帰るんだよね?」
「そうだけど。何だよ、早く帰ってほしいみたいに……」
「そうじゃなくて、お願いがあるの」そう言って、さくらは声を落として源三郎に話した。
「俺はいいけど……本当にいいのか?」
「うん」
翌朝、源三郎の父・藤左衛門は試衛館の門前に立ち、深々と頭を下げた。
「それじゃあ、近藤先生。お世話になりました」
「また出稽古の時はよろしくお願いします」源三郎も挨拶した。
「おう、励めよ。……源三郎、その風呂敷はなんだ?」周助は源三郎が背負っている大きな風呂敷包みを出した。
「……あ、ああ、これは、父の行李に荷物が入りきらなかったので……」
「そっか。まあ、道中気をつけろよ」
藤左衛門と源三郎はもう一度お辞儀をすると試衛館の門を出た。
周助はふう、と息をついて道場へ戻った。
周助がしばらく素振りをしていると、バタバタと足音がした。
「お初。どうしたんだ、そんなに慌てて」
道場の戸口に現れた初は不安げな表情で周助を見た。
「さくらを、見ませんでしたか?どこにも見当たらないのです」
「いや、見てねえが……」
「どうしましょう……もう暗くなるし、外に出歩いて行ったとしたら、危ないわ……もしかして」
初は先ほどのことを周助に説明した。
「家出、したかもしれねぇな……」
「やはりそうなのでしょうか!?あの子ったら、一体どこへ……」
周助には何かひっかかるものがあった。しばらく考えて、それが何なのか思い立った。
「源三郎のやつ、やりやがったな」
「源三郎さんがどうかしたのですか?」
「なあに、心配いらねえよ」
わけがわからない、といった顔の初に、周助は自分の予測を話して聞かせた。
その頃、藤左衛門と源三郎は、日野への帰り道をのんびり歩いていた。
「もういいんじゃないか」藤左衛門が言った。
「そうだね。おい、さくら、降ろすぞ」
源三郎は風呂敷の結び目をほどき、藤左衛門は風呂敷包みを両手で受け止め、地面にゆっくりと降ろした。
風呂敷がパサッと開き、中からさくらが出てきた。
「はあー、息苦しかった」
「まったく、お前も考えることが大胆というか……」
「だって……試衛館にはいたくないし。おじさん、今日から井上さくらになるから、よろしくお願いします」さくらはぺこりと頭を下げた。
「そうは言ってもなあ、近藤先生心配するぞ?」
「心配なんかしません。きっと『こりゃ都合がいいや』なんて言って男の養子を取るんです」
さくらはぷいっと顔を背け、ずんずんと歩きだした。
「いっそ源兄ぃが試衛館の跡取りになればいいんだよ。そうすれば丸くおさまるし。交換交換!」
藤左衛門と源三郎は、さくらに気づかれないように目配せした。
それから二日後。
日野の井上家で、さくらは厄介になっていた。
井上家の養子になってやる!と意気込んでやってきたのも束の間、あっという間に里心がついて、さくらはずっとふさぎこんでいた。食べる時と寝る時以外は、縁側に座ってぼんやりと庭を眺め、いたずらに時間が過ぎていくのみであった。
「おい、さくらぁ。いつまでそんなところでボーっとしてるんだよー」
源三郎は縁側に座るさくらに近づいた。
用意されたおやつにも手をつけず、さくらは黙り込んでいる。
「ほら、手紙。近藤先生から」
さくらは驚いたように源三郎を見、手にしている手紙を受け取った。
内容は、すぐに迎えに行きますからそれまでよろしくお願いします、というものだった。
「なんでさくらがここにいるって知ってるのかな」
「ま、やっぱバレバレだったんだろうな。こっちの手紙もそろそろ向こうについたかな」
「え、源兄ぃ、試衛館に文を出したの?」
「父上がお前にばれないようにこっそりな。どっちにしても、明日には迎えが来るさ」
「やだ。帰らないもん」
さくらは手紙を源三郎につき返した。源三郎はあきれたようにさくらを見、手紙をじっと眺めた。
「ねえ、源兄ぃ……」さくらがおもむろに言った。
「何だよ」
「市ヶ谷に行ってよ」
「お前まだそんなこと言ってるのか。俺が跡取りなんてな……」源三郎は溜め息混じりに言った。
「それもあるけど、そうじゃなくて。源兄ぃなら信吉に勝てるでしょ。負けっぱなしじゃ悔しいもん。源兄ぃ、さくらの敵を討ってよ」
源三郎はふう、と溜め息をついて、これから練習で使おうとしていた竹刀をさくらに手渡した。
「敵は自分で取れ。俺が取ったって、お前はすっきりしないだろ。試衛館に帰って、近藤先生にちゃんと剣を習うんだ」
「やだよ。さくらは女子だもん」
「女子が剣術をやっちゃいけないなんて決まりがどこにあるんだよ。お前、女だからって馬鹿にされて悔しいなら、男よりも強い女になってみろよ」
さくらはハッとして源三郎を見た。
「そんなことできるの?」
「できるさ。なんたってお前は近藤先生の娘なんだから」
さくらは手渡された竹刀をじっと見つめた。
剣を習って、信吉に勝つ。
そんな自分を想像すると、なんだか信じられなかった。
いつの間にか、竹刀を握るさくらの手には、ぎゅっと力が入っていた。
さくらは再び溢れ出る涙をなんとかこらえながら家にたどりつき、門をくぐった。
すぐそばの庭から威勢のいい声が聞こえてくる。さくらは声のする方に向かった。
庭では、一人の少年が竹刀を持って素振りをしていた。
「おう、さくら。帰ってきたんだ。どした?泣いてるのか?」
「源兄ぃ……」
少年の名は井上源三郎。八王子千人同心というその名の通り代々江戸の西側地域で半士半農の生活を営む一家の息子である。
源三郎は普段日野で出稽古を受けている父親に連れられ、時折試衛館に来るのであった。さくらは以前から源三郎を兄のように慕っていた。
「源兄ぃはいいよね。男だから」
「はあ?」
すると、庭に面した部屋から初が出てきた。
「まあさくら、どうしたのです?」
「母上……っ」
こらえていた涙が溢れ出し、さくらは声を上げて泣いた。
縁側に座った初は、駆け寄ってくる娘を優しく抱きとめた。
さくらは泣きながら事の次第を説明した。初も源三郎も、ただ黙ってさくらの話を聞いた。
「母上、さくらは悔しいです。信吉は、男だからって威張るのです。さくらは女子のくせにおれたちと喧嘩するなんて馬鹿だって……母上、さくらも男に生まれたかった。どうしてさくらは女子なの……?」
初は力なく微笑み、さくらの頭を優しく撫でた。
「さくらは、男に生まれればよかったと思うのですね?」
さくらはこくり、と頷いた。
初は周助がなぜ、娘にさくらという名をつけたのかと優しく話した。さくらは泣くのをやめ、初の目を見据えた。
「私たちは、男かとか、女かとか、そういうことではなく、さくらが生まれてきてくれてよかったと、本当にそう思っているんですよ」
「じゃあ、どうして父上はさくらに剣術を教えようとするのですか?」
「天然理心流は、あの人が守って、伝えてきた流派なの。それを、血の繋がった娘にも伝えたい、そう思うのに何の不思議があるのです?」
「息子だったらもっとよかった、そう思ってるんでしょ!?」
さくらは大声でそう言うと、ダッと走り出した。
「さくら!」
初は道場の裏手に走っていくさくらを追いかけることができなかった。
源三郎は切なげな表情を浮かべる初と、さくらが走っていった方を交互に見、途方にくれていた。
「ちょっと俺、行ってきます」
いたたまれなくなった源三郎は、早足でさくらを追いかけた。
「ひっ……く……」
さくらは納戸の陰に隠れて泣いていた。
初がああは言っても、周助が男の子を望んでいたのは明らかであり、自分が女子であるということが、少なからず周助をがっかりさせたのは間違いない。
そんなことを考えると、さくらはどうしようもなくやりきれない気持ちになるのであった。
自分が男でさえあれば。その思いで頭がいっぱいになった。
「さくら」
呼ばれて見上げると、源三郎が立っていた。
「なあ、泣くなよ」源三郎はしゃがみこんでさくらと目線を合わせた。
「俺は、さくらが女でよかったと思ってる。俺、男兄弟しかいないから、妹が欲しかったんだ。だから……」
「でも、父上も母上も、本当はさくらが男だったらよかったと思ってるんだ。さくらは、いらない子なんだ……」
「そんなことないって」
さくらは源三郎を見た。そしてあることを思いついた。
「源兄ぃ、今日日野に帰るんだよね?」
「そうだけど。何だよ、早く帰ってほしいみたいに……」
「そうじゃなくて、お願いがあるの」そう言って、さくらは声を落として源三郎に話した。
「俺はいいけど……本当にいいのか?」
「うん」
翌朝、源三郎の父・藤左衛門は試衛館の門前に立ち、深々と頭を下げた。
「それじゃあ、近藤先生。お世話になりました」
「また出稽古の時はよろしくお願いします」源三郎も挨拶した。
「おう、励めよ。……源三郎、その風呂敷はなんだ?」周助は源三郎が背負っている大きな風呂敷包みを出した。
「……あ、ああ、これは、父の行李に荷物が入りきらなかったので……」
「そっか。まあ、道中気をつけろよ」
藤左衛門と源三郎はもう一度お辞儀をすると試衛館の門を出た。
周助はふう、と息をついて道場へ戻った。
周助がしばらく素振りをしていると、バタバタと足音がした。
「お初。どうしたんだ、そんなに慌てて」
道場の戸口に現れた初は不安げな表情で周助を見た。
「さくらを、見ませんでしたか?どこにも見当たらないのです」
「いや、見てねえが……」
「どうしましょう……もう暗くなるし、外に出歩いて行ったとしたら、危ないわ……もしかして」
初は先ほどのことを周助に説明した。
「家出、したかもしれねぇな……」
「やはりそうなのでしょうか!?あの子ったら、一体どこへ……」
周助には何かひっかかるものがあった。しばらく考えて、それが何なのか思い立った。
「源三郎のやつ、やりやがったな」
「源三郎さんがどうかしたのですか?」
「なあに、心配いらねえよ」
わけがわからない、といった顔の初に、周助は自分の予測を話して聞かせた。
その頃、藤左衛門と源三郎は、日野への帰り道をのんびり歩いていた。
「もういいんじゃないか」藤左衛門が言った。
「そうだね。おい、さくら、降ろすぞ」
源三郎は風呂敷の結び目をほどき、藤左衛門は風呂敷包みを両手で受け止め、地面にゆっくりと降ろした。
風呂敷がパサッと開き、中からさくらが出てきた。
「はあー、息苦しかった」
「まったく、お前も考えることが大胆というか……」
「だって……試衛館にはいたくないし。おじさん、今日から井上さくらになるから、よろしくお願いします」さくらはぺこりと頭を下げた。
「そうは言ってもなあ、近藤先生心配するぞ?」
「心配なんかしません。きっと『こりゃ都合がいいや』なんて言って男の養子を取るんです」
さくらはぷいっと顔を背け、ずんずんと歩きだした。
「いっそ源兄ぃが試衛館の跡取りになればいいんだよ。そうすれば丸くおさまるし。交換交換!」
藤左衛門と源三郎は、さくらに気づかれないように目配せした。
それから二日後。
日野の井上家で、さくらは厄介になっていた。
井上家の養子になってやる!と意気込んでやってきたのも束の間、あっという間に里心がついて、さくらはずっとふさぎこんでいた。食べる時と寝る時以外は、縁側に座ってぼんやりと庭を眺め、いたずらに時間が過ぎていくのみであった。
「おい、さくらぁ。いつまでそんなところでボーっとしてるんだよー」
源三郎は縁側に座るさくらに近づいた。
用意されたおやつにも手をつけず、さくらは黙り込んでいる。
「ほら、手紙。近藤先生から」
さくらは驚いたように源三郎を見、手にしている手紙を受け取った。
内容は、すぐに迎えに行きますからそれまでよろしくお願いします、というものだった。
「なんでさくらがここにいるって知ってるのかな」
「ま、やっぱバレバレだったんだろうな。こっちの手紙もそろそろ向こうについたかな」
「え、源兄ぃ、試衛館に文を出したの?」
「父上がお前にばれないようにこっそりな。どっちにしても、明日には迎えが来るさ」
「やだ。帰らないもん」
さくらは手紙を源三郎につき返した。源三郎はあきれたようにさくらを見、手紙をじっと眺めた。
「ねえ、源兄ぃ……」さくらがおもむろに言った。
「何だよ」
「市ヶ谷に行ってよ」
「お前まだそんなこと言ってるのか。俺が跡取りなんてな……」源三郎は溜め息混じりに言った。
「それもあるけど、そうじゃなくて。源兄ぃなら信吉に勝てるでしょ。負けっぱなしじゃ悔しいもん。源兄ぃ、さくらの敵を討ってよ」
源三郎はふう、と溜め息をついて、これから練習で使おうとしていた竹刀をさくらに手渡した。
「敵は自分で取れ。俺が取ったって、お前はすっきりしないだろ。試衛館に帰って、近藤先生にちゃんと剣を習うんだ」
「やだよ。さくらは女子だもん」
「女子が剣術をやっちゃいけないなんて決まりがどこにあるんだよ。お前、女だからって馬鹿にされて悔しいなら、男よりも強い女になってみろよ」
さくらはハッとして源三郎を見た。
「そんなことできるの?」
「できるさ。なんたってお前は近藤先生の娘なんだから」
さくらは手渡された竹刀をじっと見つめた。
剣を習って、信吉に勝つ。
そんな自分を想像すると、なんだか信じられなかった。
いつの間にか、竹刀を握るさくらの手には、ぎゅっと力が入っていた。
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