162 / 205
ながい、ながい夏の日 ―朝②
しおりを挟む
***
「まだ終わらないのか」
さくらは前川邸の蔵の前に野次馬然として集まっていた総司と数人の隊士に声をかけた。
「島崎先生。そろそろ半時経ちます」総司が神妙な顔を見せた。
「何か吐いたのか」
「名前は古高俊太郎、生国は近江。それだけです」
その時、この世のものとも思えない呻き声が蔵の中から聞こえてきた。
「土方副長はいったい何をしておるのだ」さくらは嫌な予感を覚えつつもポツリと言った。
「さあ。でも土方さん、絶対に吐かせてやるって言ってましたよ」総司はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「沖田先生!し、島崎先生も!た、大変です!」
さくらと総司が声のした方を振り返ると、一人の隊士がぜいぜいと息を切らせて走り寄ってきた。
「木内さん、どうしたんですか」総司が尋ねた。
木内と呼ばれた隊士は一度深呼吸して息を整えると、驚くべきことを報告した。
「押収した武器が、何者かに奪われました」
桝屋から押収した武器は、屯所の裏手にあった空蔵にすべて収めていた。
木内と奥沢という隊士が蔵の前で番をしていたのだが、突如として数人の浪士が現れ、武器を奪おうとしたという。二人はもちろん応戦したが、多勢に無勢だったため、対峙しきれなかった浪士たちが倉に入っていくらか武器を持ち去ったというのだ。
さくら達が駆けつけてみると、先に来ていた武田が蔵の中を検分していた。
「全部を奪われたようではなさそうです。持ちきれなかったんでしょう」武田は苦々し気な顔をして言った。
「まさか、古高の仲間が……?こんなに早く……」さくらは眉間に皺を寄せた。
「木内さん、奥沢さん、全部で何人くらいいたんですか?」総司が尋ねた。
「ざっと七、八人は……」
「そんなに大勢で。お前たち、よく無傷で済んだなぁ」さくらは感心して言ったつもりだったが、二人の顔からは俄かに血の気が引いた。
「あの、島崎先生、俺たち切腹でしょうか……」奥沢が、おそるおそる言った。
「なんでそうなる」
「敵を逃がしました。士道不覚悟、でしょう」
顔面蒼白で肩を震わせている奥沢の背中を、さくらはバシンと叩いた。
「切腹になんてするもんか。お前たちはここを守ろうとしてしっかり戦ったのだろう?もともと人数に不利があったのだ。それに、今は身内で切腹だなんだと言ってる場合ではない」
「とにかく、連中は相当焦っているようですな。やつらはどちらに逃げていったのだ?」
武田の問いに、木内が「あちらの方、東方面です」と答えた。
「沖田、何人か見繕って早速市中探索に出てくれ。私は局長に報告する。武田さんは、検分の続きを」
さくらが指示すると、総司は木内と奥沢を引き連れて足早に屯所の方に戻っていった。残った武田が、「ここの見張りはどうします」と尋ねた。
「わざわざ二回目に来ることもないでしょう。まあ、無人というわけにもいかないでしょうから誰か連れてきますよ」
「ほう」
武田はさくらの顔をまじまじと見た。そして、にやりと嫌な笑みを浮かべた。
「やはり、あの時の『桜木天神』というのは島崎さんでございますな」
さくらはギクリとしたものの、つとめて冷静に「なんの話ですか」と返答した。
「いや、あまりに普段のお姿と違うから気づきませんでしたけどね、どこかで見たことあるなあ、くらいのもので。しかし、今合点がいきました」
肯定すべきか否定すべきか。肯定して口止めしてもよいのだが、弱みを握られるようでなんだか癪な気もする。そんなことを考え、黙り込むさくらに、武田は続けた。
「岩木升屋の一件の時も、おなご姿で急に現れましたものな。あの時はたまたまかと思いましたが、あなたが女隠密としてあちこち探っているというのは本当だったんですねえ」
「……私は、新選組のためならなんでもします。男装も女装も、必要であれば丸坊主にでもなりましょう」
「なぜそこまでするのです」
「私の生きる道は、ここにしかありません。女子だからというだけで、あなたのような人たちにとやかく言われる隙を与えたくはありませんので」
さくらはそれだけ言ってその場を去った。口止めするのを忘れてしまった、と少し後悔したが、したところで言いふらす時は言いふらすだろうと思い、武田のことは考えないようにすることにした。
今はとにかく、勇への報告が急務である。
「まだ終わらないのか」
さくらは前川邸の蔵の前に野次馬然として集まっていた総司と数人の隊士に声をかけた。
「島崎先生。そろそろ半時経ちます」総司が神妙な顔を見せた。
「何か吐いたのか」
「名前は古高俊太郎、生国は近江。それだけです」
その時、この世のものとも思えない呻き声が蔵の中から聞こえてきた。
「土方副長はいったい何をしておるのだ」さくらは嫌な予感を覚えつつもポツリと言った。
「さあ。でも土方さん、絶対に吐かせてやるって言ってましたよ」総司はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「沖田先生!し、島崎先生も!た、大変です!」
さくらと総司が声のした方を振り返ると、一人の隊士がぜいぜいと息を切らせて走り寄ってきた。
「木内さん、どうしたんですか」総司が尋ねた。
木内と呼ばれた隊士は一度深呼吸して息を整えると、驚くべきことを報告した。
「押収した武器が、何者かに奪われました」
桝屋から押収した武器は、屯所の裏手にあった空蔵にすべて収めていた。
木内と奥沢という隊士が蔵の前で番をしていたのだが、突如として数人の浪士が現れ、武器を奪おうとしたという。二人はもちろん応戦したが、多勢に無勢だったため、対峙しきれなかった浪士たちが倉に入っていくらか武器を持ち去ったというのだ。
さくら達が駆けつけてみると、先に来ていた武田が蔵の中を検分していた。
「全部を奪われたようではなさそうです。持ちきれなかったんでしょう」武田は苦々し気な顔をして言った。
「まさか、古高の仲間が……?こんなに早く……」さくらは眉間に皺を寄せた。
「木内さん、奥沢さん、全部で何人くらいいたんですか?」総司が尋ねた。
「ざっと七、八人は……」
「そんなに大勢で。お前たち、よく無傷で済んだなぁ」さくらは感心して言ったつもりだったが、二人の顔からは俄かに血の気が引いた。
「あの、島崎先生、俺たち切腹でしょうか……」奥沢が、おそるおそる言った。
「なんでそうなる」
「敵を逃がしました。士道不覚悟、でしょう」
顔面蒼白で肩を震わせている奥沢の背中を、さくらはバシンと叩いた。
「切腹になんてするもんか。お前たちはここを守ろうとしてしっかり戦ったのだろう?もともと人数に不利があったのだ。それに、今は身内で切腹だなんだと言ってる場合ではない」
「とにかく、連中は相当焦っているようですな。やつらはどちらに逃げていったのだ?」
武田の問いに、木内が「あちらの方、東方面です」と答えた。
「沖田、何人か見繕って早速市中探索に出てくれ。私は局長に報告する。武田さんは、検分の続きを」
さくらが指示すると、総司は木内と奥沢を引き連れて足早に屯所の方に戻っていった。残った武田が、「ここの見張りはどうします」と尋ねた。
「わざわざ二回目に来ることもないでしょう。まあ、無人というわけにもいかないでしょうから誰か連れてきますよ」
「ほう」
武田はさくらの顔をまじまじと見た。そして、にやりと嫌な笑みを浮かべた。
「やはり、あの時の『桜木天神』というのは島崎さんでございますな」
さくらはギクリとしたものの、つとめて冷静に「なんの話ですか」と返答した。
「いや、あまりに普段のお姿と違うから気づきませんでしたけどね、どこかで見たことあるなあ、くらいのもので。しかし、今合点がいきました」
肯定すべきか否定すべきか。肯定して口止めしてもよいのだが、弱みを握られるようでなんだか癪な気もする。そんなことを考え、黙り込むさくらに、武田は続けた。
「岩木升屋の一件の時も、おなご姿で急に現れましたものな。あの時はたまたまかと思いましたが、あなたが女隠密としてあちこち探っているというのは本当だったんですねえ」
「……私は、新選組のためならなんでもします。男装も女装も、必要であれば丸坊主にでもなりましょう」
「なぜそこまでするのです」
「私の生きる道は、ここにしかありません。女子だからというだけで、あなたのような人たちにとやかく言われる隙を与えたくはありませんので」
さくらはそれだけ言ってその場を去った。口止めするのを忘れてしまった、と少し後悔したが、したところで言いふらす時は言いふらすだろうと思い、武田のことは考えないようにすることにした。
今はとにかく、勇への報告が急務である。
0
あなたにおすすめの小説
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
【完結】『江戸めぐり ご馳走道中 ~お香と文吉の東海道味巡り~』
月影 朔
歴史・時代
読めばお腹が減る!食と人情の東海道味巡り、開幕!
自由を求め家を飛び出した、食い道楽で腕っぷし自慢の元武家娘・お香。
料理の知識は確かだが、とある事件で自信を失った気弱な元料理人・文吉。
正反対の二人が偶然出会い、共に旅を始めたのは、天下の街道・東海道!
行く先々の宿場町で二人が出会うのは、その土地ならではの絶品ご当地料理や豊かな食材、そして様々な悩みを抱えた人々。
料理を巡る親子喧嘩、失われた秘伝の味、食材に隠された秘密、旅人たちの些細な揉め事まで――
お香の持ち前の豪快な行動力と、文吉の豊富な食の知識、そして二人の「料理」の力が、人々の閉ざされた心を開き、事件を解決へと導いていきます。時にはお香の隠された剣の腕が炸裂することも…!?
読めば目の前に湯気立つ料理が見えるよう!
香りまで伝わるような鮮やかな料理描写、笑いと涙あふれる人情ドラマ、そして個性豊かなお香と文吉のやり取りに、ページをめくる手が止まらない!
旅の目的は美味しいものを食べること? それとも過去を乗り越えること?
二人の絆はどのように深まっていくのか。そして、それぞれが抱える過去の謎も、旅と共に少しずつ明らかになっていきます。
笑って泣けて、お腹が空く――新たな食時代劇ロードムービー、ここに開幕!
さあ、お香と文吉と一緒に、舌と腹で東海道五十三次を旅しましょう!
輿乗(よじょう)の敵 ~ 新史 桶狭間 ~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
美濃の戦国大名、斎藤道三の娘・帰蝶(きちょう)は、隣国尾張の織田信長に嫁ぐことになった。信長の父・信秀、信長の傅役(もりやく)・平手政秀など、さまざまな人々と出会い、別れ……やがて信長と帰蝶は尾張の国盗りに成功する。しかし、道三は嫡男の義龍に殺され、義龍は「一色」と称して、織田の敵に回る。一方、三河の方からは、駿河の国主・今川義元が、大軍を率いて尾張へと向かって来ていた……。
【登場人物】
帰蝶(きちょう):美濃の戦国大名、斎藤道三の娘。通称、濃姫(のうひめ)。
織田信長:尾張の戦国大名。父・信秀の跡を継いで、尾張を制した。通称、三郎(さぶろう)。
斎藤道三:下剋上(げこくじょう)により美濃の国主にのし上がった男。俗名、利政。
一色義龍:道三の息子。帰蝶の兄。道三を倒して、美濃の国主になる。幕府から、名門「一色家」を名乗る許しを得る。
今川義元:駿河の戦国大名。名門「今川家」の当主であるが、国盗りによって駿河の国主となり、「海道一の弓取り」の異名を持つ。
斯波義銀(しばよしかね):尾張の国主の家系、名門「斯波家」の当主。ただし、実力はなく、形だけの国主として、信長が「臣従」している。
【参考資料】
「国盗り物語」 司馬遼太郎 新潮社
「地図と読む 現代語訳 信長公記」 太田 牛一 (著) 中川太古 (翻訳) KADOKAWA
東浦町観光協会ホームページ
Wikipedia
【表紙画像】
歌川豊宣, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
無用庵隠居清左衛門
蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜
上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■
おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。
母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。
今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。
そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。
母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。
とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください!
※フィクションです。
※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。
皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです!
今後も精進してまいります!
石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~
めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。
源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。
長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。
そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。
明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。
〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる